第三幕 上方より帰り来た者

花山郷かざんきょうにはとにかく古い木が多い……噂に違わぬ非戦の土地っちゅうわけやな)

 霧島銀乃きりしまぎんのは警察に連れられて、それでも油断なく周囲を眺めていた。周囲の野次馬は面白おかしく好き放題言っているが、銀乃は気にしない。

 その気になれば、このまま関節を外して棒の拘束を逃れ、警官を打ちのめして逃げることもできるが、詮無いことなのでやめておいた。

 いたずらに喧嘩をするのは、できる「くの一」のすることではない。


 小高い丘の上にある警察署は、西洋エルトゥーラ王国調の建築様式と和深式の折衷建築様式であった。

 ヴィクトリア様式──というらしい。エルトゥーラのヴィクトリア妃にちなんだ呼び名……と、銀乃は情報屋から買い込んだ舶来本で学んでいる。


 二階建てで、頑丈な石造り。

 出城と言われても納得できそうである。


(あの警察署は、おそらく、土木建築技術の喧伝っちゅうとこやろな。しっかしあたりの木々はまるで乱伐を受けとらん。焼かれてすらおらんわ……えらいこっちゃ。何百、一千年と戦場になっとらんってわけや)


 古い木が多い。

 銀乃が思った通り、この花山郷には樹齢いくつも経たような、時代の節目を生きながらえ、老いさらばえてなお力強く根を張り、瑞々しく枝葉を広げる力強い木々が多いのである。


 時は、火の暦八七八年三月の四日。

 冬の残り香が去りつつあり、野山に命が芽吹き始める頃。

 気が早い花はもう花弁を広げ、蜂が花粉を足に引っ付けて飛び回っている。蜜取という連中は、幌のような網目の、頑丈な被服を着込んで蜂の巣を観察し、松の木にできたそれを見やり、弟子らと蜂蜜取りの段取りを確認していた。


 あるところ──蓮ノ火湖の岸辺では、舟が何艘か並べられていた。彼らはこれからニジマス漁に出るのだ。貝も取れるため、素潜りしたり、浅瀬で泥を掘って貝をとる連中もいる。

 海に面していないこの土地では、湖の恵みは大変貴重である。

 とはいえ、──河川が内陸の内海と面していたり、天海郷を通って、海へ出ているため、全く隔絶はされていない。


 そのため物流の拠点でもあった。

 この土地は、後述する理由から、大変物流に適している。


 多くはそれぞれの土地の歴史に根ざすが、ここ、花山郷は昔から大乱とは遠い土地であった。


 火湖衆──およそ三百年前の戦乱の世に活躍した、少数精鋭の術師衆である。

 美濃、そして稲葉一族の嫡流・傍流を筆頭格としたいくつかの隊、合計で一五〇〇余の術師は、当時「味方につければ天下に近づく」とさえ言わしめた最強の集団であった。

 だが彼らはあくまで「我ら火湖衆は火湖花山之尊様、そして、その大奥様方たる浄蓮様のしもべ」という姿勢を崩さず、この郷の守護防衛に尽くした。


 結果、どうなったか──。

 この花山郷、とにかく──古い木が多い。

 そして、物流をする上で、安全に物を置ける拠点となった。おかげで郷は潤い、人々は豊かに暮らせた。


 無論、化獣ばけものやなんかの脅威はあるが──そのための術師集団だ。


(あのまだら髪の総髪男、あれは噂に違わぬ稲葉流やろ。〈飯綱操術いづなそうじゅつ〉を使いよった。……郷脱けして金のうなって、狙った相手があれかいな。運無さすぎやろ)


 銀乃は己の間抜けぶりと、そして、堕落ぶりに呆れた。

 隠密衆──いわゆる忍び組「隠密霧島組」を脱けてから、己はひどく弱くなっている。


 まだら総髪──まさか朔夜当人がこちらを高く買っているとは、銀乃は思ってもいない。

 そんなことはなかった。両者金欠故、惹かれあった。そんな、なんともと言えば、なんとも……そんな因縁で結ばれただけだ。


 この銀乃、生まれは東条和深かずみ地域。北郷……裡辺郷りへんきょうという寒波の厳しいところである。

 冬になれば川は凍りつき、雪は十尺、下手したら二十尺は積もるような土地。

 土地の者は寒さに強い獣妖怪が大半で、寒い時期には、毛織物の厚着で凌いでいる。


(万里恵殿は元気やろか。心音殿は好き嫌いしてへんやろな……浩一殿を想うと、……何いうてんねん、相手、妻子持ちやぞ)


 己は密偵として長らく西条地域、逢坂おうさかに潜入していた。そのせいで、上方訛りがきつく移ってしまったのである。

 西には妖怪がいない──訳ではないが、人里にはまずいない。故に銀乃は人間に化け、時にキジトラ猫に化けて情報を探り、暗号を使って東地域へ流していた。

 任期を全うしたのは半年前。ちょうどこちらで西郷の乱が終息した頃である。

 しかし、その頃には自分はすっかり戸籍法の関係上逢坂の人間という扱いであり、下手に西条から出ようものなら脱走の罪に問われることになっていた。


(あほちゃうか。うちは妖怪、隠密やで。郷脱けくらい朝飯前の煮炊きより楽やねん)


 というわけで、銀乃はささっと郷脱け──西では、国という言い方が普通なので正確には国脱けである──、文無しでここまでやってきた。

 なので今の身分は浪人であるが、幸いにも、先方から常闇之神社から手形が出され、己が参詣行脚の旅人であるという身分を証明できるようになっていた。


 幸い狩りはできたので、そうして皮や骨を得て路銀に変え、暗器や衣類を購入し、ここまで来た訳だ。


 ──という旨の話を警官にするわけには、当然行かない。

 本来の生まれ郷である裡辺に迷惑がかかるし、先祖の顔に泥を塗りたくない。


「西に旅行、だって? おい、冗談だろ」


 四課の警官は眉を左右非対称に曲げ、詰め寄った。


「お前、西の密偵じゃないのか?」

「何を言うとんねん」

「それ! その喋り、西の連中の、」

「おまんらはちっくとも話の通じんやっちゃのう。わしは裡辺の生まれの、農家の出じゃあ言うとるき」

「は……いや、なに?」


 今のは、杜佐訛とさなまりである。


「お前らは少しも話の通ない奴らだな。ったく、私は裡辺の生まれで、ただの農家の出身だと言っているだろ。しつこいぞ。──ええか、どこの訛りでもうちは使えんねん」


 警官は黙りこくった。


「電報で確認をとる。親御さんの名前は」

「何日かかんねん。それに、親って、いくつやと思うてんねん」

「うるさい、幾つだろうといい。まあ……郷を跨ぐから、一月は──」

「ぼけ、そんな待っとれるか。ちょい、懐探ってええか」


 警官の目が、ぎゅ、とキツくなった。


「ちゃう、武器なんか出さん。手形があんねん。木札やけど」

「いいだろう」


 銀乃は懐から、一枚の木札を出した。

 掘り込まれているのは「裡辺郷之民」の文字と、あの郷が信仰している神闇道の意匠。これが、参詣行脚手形である。

 警官は人間だが、流石に東条の民。妖力をまとった手で軽くそれに触れ、


「ほ、本物!」

 と驚いていた。


「もうええか」

「いやまだだ、お前、人様の刀を盗ったろ。見ていた奴らがいるんだぞ」

「返したやろ」

「それで許されるなら、神様だけで罪をお裁きになる世になっている。三日、独居房で頭を冷やせ。その間、諸々の、」


 銀乃はため息をついた。


「付き合ってられへん」


 手指を袖に入れ、仕込んでいた小型煙幕を取り出して叩きつける。癇癪玉のような音を立てて煙が吹き出し、警官が「うわっ、辛っ! なんだこれ! 毒か!?」と慌てふためく。


「唐辛子配合特別煙幕や! あとで目ぇ洗い!」


 その間に銀乃は窓枠に足をかけている。警官が刺股を持って突進の構えをとるが、銀乃はひらりと手を振って、そこから飛び降りた。

 二階から飛び降りた──人間でも、着地術に心得があれば無事である高さだ。相手は猫又であるから、なおさら、平気だろう。

 警官が窓に手をついて睨むと、金髪を振り乱しながら、あの猫又が走り去っていくのが見えた。


「あ〜ばよ、とっつぁ〜〜ん!」

「お前みたいな馬鹿娘なんぞ俺にはいねえよ!」


 漫才のようなやり取りをし、銀乃は高笑いしながら警察署を離れていった。

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