第二幕 花山火湖街道四十七次の騒動
この
水温の低い火湖からはヒウミニジマスという、朱色と金の鱗が炎のように艶かしいニジマスがよく獲れ、農耕地ではオニガライモをはじめ米作が盛んであることから、酒造りも昔から栄えている。
蛇殺し、という物騒な銘柄の芋焼酎酒は、この東条
鉱山からは火湖鉱という特産の鉄鉱が採れ、それは五行でいうところの火を司る術法属性を秘めている、特殊な鉱物である。
大蛇の残り火か、はたまた恩恵か──己を討った者への、それなりの賞賛なのか。
彼の火吹きは、後の世を生きる人と妖たちに、少なからぬ遺産を与えたのだ。
朔夜は北から西へぐるりと回る宿のうち、ちょうど真南に位置する二十四次目の宿場町・
「変わってないな……鍛治川の方はどうだろう。相変わらず
一里渡しとは、川幅一里(四キロ)の鍛治川を渡す舟である。鍛治大橋を渡るもよし、舟に乗るもよし、あるいは少し回り道をして川幅の狭いところを通るも良しである。
いずれにせよ、美しい景色を見ながら移動できるゆえ、のんびりした気風の花山郷の民には、どこをとっても楽しめるものだ。
「えぇ〜い、打てい、打てい!」「やぁあ! てぇい! てぇい!」「さぁ〜あ、打てい、打てい!」「へぇい! てぇい! てぇい!」
あちこちにある鍛治職人の工房から、鉄を叩く音と、掛け声──鍛冶場歌が響いてくる。
道行く人々は槌を振るう河童や一つ目小僧らの雄々しい掛け声に足を止め、思わず、その汗の飛沫と鉄の火花に見入ってしまう。
朔夜もつい足を止め、見た。
(凄まじい熱気だ。俺の相棒もあのように生まれたんだ)
朔夜は腰に剥いている太刀の鞘に触れた。鉄製の鞘であり、これは鞘さえも打撃に使う稲尾狐閃流の特徴である。彼の武術流派は「使えるものは全て使う」教えを説く。
朔夜は幸運なことに、稲尾楓という妖狐に教えを請うことができた。現在の、三十三代目稲尾家当主である。
稲尾流は妖狐一族の中でも特に突出した一族と言える。
始祖出生に謎が多く、噂では「一度見聞きした術を模倣できる」という嘘みたいな話もあり、とてもじゃないが信じられないことだった。
「お〜りまげぇい!」「やぁ〜! まげぇい!」
(叩き、延ばし、曲げ、叩く……)
刀鍛冶は、火花の些細な色から、鉄の成分を見極めるという。
粘りのある鉄である
この独特な構造の刀剣は、鍛錬という過程で得られるものだ。
鋼を打ち延ばし、延びたら
(次は成形だろうか。見ていきたいが、腹が減った……)
己の太刀──
美しい愛刀だ。銘は狐牙、号は吉道。刀匠・
鑑定人を総称する本阿弥という一派から、「折り紙」が付いた、まさしく「折り紙付き」の一振りだ。
下賎な──薄汚い木端など要らぬものを斬るには、惜しいとすら感じる。
「水菓子! いちごがある!」「
ここらには学問所がある。古くは寺子屋とも言われたもので、私塾ともいうものだ。
昼の休み時間、子供が水菓子──果物の類を、棒手振りから買っている。
あるところでは、一本だたらの少女が水飴屋で水飴を買って、食べていた。
文鳥天狗らも山から降りて、人や他の妖と学んでいる。
鬼や狗賓天狗らは筆より剣を好むようで、武道館で剣を学んでいたのか、腰に木剣を差していた。
彼らは種族に違いこそあれ、菓子屋で乾した梅の蜂蜜漬けを買い、もちもちと小さな頬を膨らませて食べていた。
この郷に多い妖怪は河童に一つ目小僧、山の方には妖怪といえばこれ! という鬼やら天狗やらだろう。
時に、昔話──人がまだ妖を恐れていた頃に編纂された物語で、恐ろしげに描かれる山姥だが、実際は山仕事や鉱山仕事をする連中に煮炊きを行い、代わりに餅米を融通してもらっているだけの善良な女性である。
朔夜は今報告にあがっても、昼飯時だからと待たされるだけ──と察し、茶屋の椅子に腰掛けた。
一人の犬妖怪の娘が出てきた。
「いらっしゃい、なんにする?」
「肉味噌の湯漬けと漬物を。酸っぱい梅がいい」
「はいよ、ちょょっと待ってて」
よもや刀を差したまま座っているはずもない。店主にも他の客にも大変無礼である。
朔夜は腰の太刀紐から抜いた一振りを鞘ごと右側に立て掛けた。脇差も同様だ。
刀は利き手に拘らず右で抜くのが通例。故に、右側に置いて仕舞えば後は居合術の範疇になる。
居合術で抜き打つのは武術──武芸の一種であり、これならば無礼に当たらないとするのが、武士や術師の考えであった。
何事も面倒に思える作法だが、それにさえ則れば、無礼者を斬ることを大目に見てもらえる。
無論──よほどではない限り、「斬る」という手段はとらない。なんせ、「切捨て御免」は、切った側の方が責を問われることが遥かに多いのだ。
様々な越権が許される侍や術師とはいえ、横暴、を許すほど、神は甘くない。
まさか、盗む馬鹿はいないだろう。いたとしたらそのような不遜な輩は己の拳で直々に──。
その、まさか。
そのまさかだった。
「あ」
野良着に野良袴の女──金髪の、猫又が。
さっと刀を掴み。
朔夜もさっと鞘を掴んだ。
「あっ」
「おい」
鯉口が外れ、かこ、と鞘が抜けた。女が抜き身の刀をそのまま鞘から放って逃げようとするので朔夜は鞘を押し込んで
猫又女は半歩下がってまた刀を抜き、朔夜は一歩踏み込んで鞘を嵌め込む。
「武を知っている奴は刃に反応するぞ。無闇に抜くな」
「知っとるわぼけ。はよ、放さんかこら」
──上方訛り?
と、女がばっと左手を朔夜の後ろに向ける。
「あっ、龍が飛んどるで!」
「あ? 何って? そんなわけねえだろうが……どれ」
思わず後ろを振り向くと、女は今度は太刀をぐんと押し込んできた。
鞘尻で脇腹を突かれた朔夜は「ぐえっ」と間抜けな苦悶を漏らして、怯んでしまう。
そうして猫又女は太刀を手挟んで、走る。走っていく。
「俺の……だったよな?」
立て掛けていた太刀は、ない。
「俺のか。……俺のじゃねえか!」
朔夜は脇差を掴んで駆け出した。
「待てコラ! 盗人猫! テメェなに人のもん盗ってくれてんだ!」
二十九になる術師。その割には非常に乱暴極まる言葉遣いだが、この状況で丁寧にゆっくり落ち着いて丁寧に話せというほうが無理である。
周囲のひとだかりは「お、なんだ?」「喧嘩か?」「おいおい、男が女を打つなよ」などと呑気なことを言って囃し立ててくる。
「やかましい、こちとら財産を盗まれてんだ!」
朔夜は怒鳴り、駆ける。
「あれ、稲葉の悪たれ坊じゃなかったか?」「西郷の乱から帰ってきてたんだな」「ガキの頃みたいに親父さんに叱られるぜ、あれじゃあ」
「うるさい全部聞こえてんだお前ら!」
ええい、なんなのだ、せっかく帰郷して真面目に働けばこのざま──。
しかし。
(あいつの足の回りはどうなってんだ)
土煙をあげて逃げる猫又の健脚たるや、凄まじいもの。
だが朔夜とて負けていない。
「オン・キリカク・ソワカ──〈白犬〉! 包囲しろ!」
顕現した三体の白い猟犬が吠えた。そいつらは、煙るような冷気を纏っていた。
朔夜は置いてある荷車を蹴り付けて長屋の屋根に上がり、上から追跡。下の方では荷物をぶちまけられた商人が「コラ朔夜ァ! てめえどうしてくれんだ!」と怒鳴ってくる。
「足が滑った」
「馬鹿野郎!」
朔夜は大嘘をついて、走る。
〈白犬〉が猫又に接近。その距離、およそ六間(約十一メートル)。
猫又はすかさず五寸ほどの鉄棒を……棒手裏剣──
鋭い鉄の棒は〈白犬〉の眉間を穿った──三本同時に、三体の眉間を。
とととっ、と綺麗に吸い込まれた銑鋧。〈白犬〉は術を発する前にかき消されて消滅した。
「馬鹿な……どういう腕してやがる」
朔夜は息を呑んだ。只者ではない。よもや、
──
ではあるまいか、と思えた。
乱波とは講談で言うところの忍びである。または隠密ともいう。
一般に知られる忍びとは、間諜、諜報、情報撹乱、暗殺、そして後方に控える部隊への打撃などの特殊任務を請け負う連中……そのような認識で相違ない。
直接的な斬り合いではなく、情報、という「戦略物質」を巡るための先兵であり、それを巧みに利用して、時には軍の戦局を左右させる連中だ。
戦国乱世の世にも彼らの姿はあり、戦場での合戦中、敵軍にその部隊の味方のふりをして入り込み、大混乱に陥れた──という兵法も残っているらしい。
だが……決して、盗賊ではない。
刀を盗む──だけで終わるとは思えない。
「何が狙いだ、あの猫女は」
長屋が途切れる。朔夜は跳躍し、対岸の屋根に着地。瓦を踏み砕いて、再び駆け出すと弾帯めいた革帯から紙筒を抜いた。
「オン・キリカク・ソワカ──〈
すると今度は、数十羽もの桜文鳥が顕現。鋭く連続して鳴らす笛のような囀りと共に、猫又に迫る。
「うわっ、なんやコラ! やめーや! なんやねんほんまこいつら! くっそ、ほんまええ加減にせえや!」
かなりきつい上方訛りだ。まさか……西条の妖怪?
「わけありだな」
朔夜は長屋から飛び降りて、〈桜鳥〉を振り払おうとする女に覆い被さった。
「うわっ、なんやねんほんま! ええやろ刀の一本二本! おいこら、どこ触っとんねん!」
「よくねえから止めてんだろうが! いって、いってえな! この、引っ掻くな! お前みたいなかまぼこ女、触るところなんかねえだろ!」
「い、言いよったなゴラァ!」
鋭い爪を上下する猫又だったが、〈桜鳥〉が妖力を纏った桜吹雪に化けると、それはすかさず
お互いに妖力で強化していた肉体の能力が阻害され、素の腕力が物をいう状態になる。
だが、相手は猫……いや、こいつは、
「お前、虎か」
「せや。狐。馬鹿胸だけが女じゃないんじゃ。ほれ、うちの威を借ってもええぞ」
「ほざけ、俺は、肉感的で扇情的な方が好みだ」
「さすが狐、男でも色狂いやな」
朔夜は左前腕を女の首に差し込み、呼吸を阻害。脇に手を当てて両手を右手で押さえ込み、寝技をかける。
どうにかして意識を刈り取れば勝ちだ。
だが猫又は腰を跳ねさせて朔夜を退けると、こちらの脇腹を二度、蹴り付けた。
丸太で蹴られたかのような激痛に、思わず、胃液が溢れる。
「くそ」
「捕まるかいな。ほな、こいつはさっさと質に、」
その時である。ピィーッと笛の音が高く響いた。
羅卒──いや、今は藩庁四課か。警察のご登場である。
朔夜はよだれを拭きながら、まず腰にさしていた脇差を置いて、敵意がないことを示した。
「盗人はあっち! 俺じゃない」
「話は署で聞く。引っ立てろ!」
朔夜は長い杖を腕の間に差し入れられ、立たされた。
それは相手の猫又も同じで、彼女は今にも怨嗟を喚き散らしそうな顔で、こちらを睨んでいた。
いったいなぜ己を狙ってこのような犯行に及ぶのか、想像もつかない。
(本当に乱波者なら、俺がそれなりの術師だとわかるはずだろうに。……まさか、稲葉家を狙う刺客か……? だとしたら俺を狙うのは旨みがなさすぎるぞ)
朔夜は歩かされながら、そのように考えていた。
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