【狐虎ノ章/壱】狐闘虎踊

第一幕 湖蛇女

 場所は、花山郷かざんきょう(現:火鉄国ひてつのくに)。

 そこは内陸部の郷であった。北部から西部にかけて霊峰、花山巫嶽かざんふがくに面し、その四三〇〇メートルを越す巨峰は峻険たる異様を見せつけている。

 そんな花山郷最大の特徴は、国土の半分を占める巨大な湖──蓮ノ火湖はすのひうみであろう。


 かつて、そこには巨大な火の大蛇が住んでいたと言われていた。

 火の大蛇は、凄まじい烈火で郷を焼き、暴れ狂い、大勢の人畜を食い殺した。その数は、十年で数万の被害に及んだとも記録されている。

 人は祈り、縋り、そして──一人の女が立ち上がった。

 河童の女勇士、名を浄蓮じょうれん

 彼女は女でありながら、大の男が束になっても敵わない剛力と、鬼に相撲勝負を挑みつっぱりで川の反対まで弾く腕力と、龍の仙人に酒を振る舞う豪胆を持つ勇者であった。


 そんな浄蓮を、主祭神・火湖花山之尊ひうみはなやまのみことは一つ希望をと、宝槍を授けた。

 大宝槍「刎墜はねおとし」、である。


 浄蓮は五万の軍勢を率い、火の大蛇に勝負を挑んだ。

 爆炎が吹き荒れ、しかしそれが味方に達する前に浄蓮が槍を振るえば、川の水が逆巻き壁となって防ぎ、相次ぐ味方の矢が大蛇を射る。

 槍衾を組んだ槍兵が蛇を穿ち、鎖の術で縛らんとする術師を守ryため、置楯をすかさず設置する工兵が駆け出す。


 激戦の中、傷つき倒れるものもあり──。

 浄蓮は、血を吐き、右目を失い、左手を焼き払われてなお、戦った。

 七日日続いた激闘の末である。


 とうとう浄蓮は、決死の一撃を放った。

 花山巫嶽の一角、のちに浄蓮山と名付けられることになる山の頂から、火の大蛇目掛け、刎墜としを投擲したのである。

 凄まじい、まさしく星が降るかの如き一撃は長らく戦い消耗した大蛇の首を刎ねて墜とし、勢いそのままに大地をぶち抜いた槍は、相討ちの形で燃え尽き消えた。


 そうして、蛇は死に絶え、穿たれた大穴には水が沸き、今日こんにち蓮ノ火湖はすのひうみとなった──というわけである。


 ……その戦にて、術師隊を率いていた長の一族が、二つある。

 一つは美濃家みのけ。純粋な妖狐の一族で、彼らは火を自由自在に操る妖術を持つ。単に攻撃で終わるだけでなく、防御、陽動、分身、移動にさえ用い、己の手足の如く扱う。

 ある者は美濃の狐を、花火師、などという呼び名で称することもある。


 もう一つは、稲葉家いなばけ。人間の一族だったが、その祖は狐と人の混血とされ、彼らは〈飯綱操術いづなそうじゅつ〉という独特な動物霊使役術を用いる術師であった。

 ある者は、稲葉の術師を一騎当千。ある者は、一人軍隊とあだ名する。


 なお、浄蓮は嫁の貰い手がなくなったと笑いながら、戦うことさえできぬ己に介錯をと、供の者に頼んだらしい。

 だが、彼女に恩恵を授けた火湖花山之尊は彼女に大層惚れ込み、己の妻として迎えたという伝承が、そこかしこに深く残っている──。


     〓


 六尺四寸。──およそ一九二センチ。

 稲葉朔夜いなばさくやは、人間の和深男児にしては大柄な上背を持っている。それは初見では大抵の連中の虚をつくが、「半妖だ」と告げると「ああなるほど」と納得されてしまう。

 無理からぬことである。妖怪の血とは、一度混じれば数世代、十数世代はその影響が出る。数十世代離れたところで、突然先祖返りを起こすことさえある。

 まして朔夜は四分の一が妖怪であり、その血は、まだまだ濃い。さらに言えば、稲葉家は祖流からして妖狐の血が混じっている。しかも、あの「稲尾いなお」の血が──。


 彼の祖父は妖狐であるが──ただ、妖狐は別に背の高い妖怪ではないのだ。

 よって、朔夜の長身はたまたま、であった。突然変異的ですらある。祖父も、父も、その上背は五尺五寸、六寸……一六〇センチ台強といったところがせいぜい。

 一族でもやけに背が高い朔夜は、「その威容、虚仮威こけおどしにせぬようにな」と、己にも他人にも厳しい姉から言われていた。


 当年、二十九歳の朔夜はボリボリと顎を掻いて、金と橙と黒が混じる、まだら模様の長髪を後ろに撫でつける。

 故郷の花山郷にある蓮ノ火湖に来るのは何度目か──何度、ということはない。ずっとここで育ってきたのだ。

 数年前から頻発する攘祓派じょうばつはの武装蜂起に際し、朔夜は穢れ祓い専門の後詰め部隊として参加しているが、それは名目上の立場に過ぎない。

 実際には実戦闘にも参加し、朔夜は大勢を斬っている。


 湖面が朝日を浴びて、金銀を散りばめたようにきらりきらりと輝いている。

 そんな中、突然朝靄が立ち上る。否、靄ではない。一種の霊気のようなものだろう。

 その向こうに、一瞬巨大な影見えた気がして、朔夜は喉を低く鳴らす。

 蓮ノ火湖は、時折、大蛇の怨念が浮かび上がるとされ、このような現象が昔から確認されている。


 朔夜は着込んでいる革のフロックコートに巻いている弾帯から、二つの紙筒を抜いた。

「オン・キリカク・ソワカ──来い、〈金心こんしん〉!」


 地面に叩きつけた紙筒が爆ぜ、煙が吹き上がる。

 そこから二体の、八尺はあるハクビシン獣人が顕現。豊満な乳房を持つ女体のそれは、腰を回して背中に伸び上がるふんどしを締める注連縄から、ばちばちと激しく放電し、全身の体毛を金色と黒に発光させている。

 二体は拳を構えて、来たる「敵」に備えた。


「現世に抑留する怨念、悪心、腐心──妄執は、時に龍脈の濁りと結びつき現世にあだを成す蠹害とがいとなる」


 朔夜は静かに、己に目の前の事象を語り聞かせ、落ち着けるように口を動かす。

 靄の向こうには黒い影がぐるりと渦巻き、こちらを睨んでいるのがわかった。


「古来よりそれは穢れと呼ばれ、穢獣けだものと恐れられ、その恐れを餌に、肥え太ってきた。

 ──案ずるな、俺も、お前を恐れるが。呑まれることはない」


〈金心〉が左右に散り、朔夜は素早く屈んだ。

 湖から大蛇が飛びかかってきた。背後の岩を砕いて、蛇は龍のように体をくねらせて炎のように舌先を出入れさせる。


「火湖の穢獣──湖蛇女うみへびめ


 蛇の上半身は、麗しい女。だがその顔は肉がこそげ落ち、今にもガチガチと関節が鳴りそうなほどに痩せ落ちた、髑髏のような面相。

 髪は手入れされず海藻のように体中にへばりつき、複数並ぶ奇天烈な乳房を覆い、四本腕を振り乱す。


なますにしてやろう」


 朔夜が腰の太刀を抜く。徒の戦が主流の今、本来馬上で振るう太刀を使うのは稀だ。時に、大きな獣──化獣ばけものを狩る獣狩なんかが好んで使うが、穢獣狩りにおいてもそれは同様。

 要するに、「でかいヤツを討つのに適し、携行が容易な武器」がこれである。


「疾ゥッ」


 鋭い呼気。湖蛇女が上から迫り、朔夜は独楽のように己の身を旋転させた。回転運動でいなされた穢獣の左二本腕が、次の瞬間ごろりと落ちる。

 上空、天に昇っていた〈金心・壱〉が踵落としを見舞った。雷鳴音と共に襲来した一撃。湖蛇女の後頭部に踵が食い込み、大地を抉ってめり込ませる。


 すかさず右から〈金心・弐〉が爪を閃かせた。雷撃を纏い、白熱化さえしている爪である。それが、穢獣の乳房を抉り飛ばし、肋骨と肺を削ぎ取り、右二本腕を肩口から吹き飛ばした。

 黒ずんだ、墨汁めいた血が吹き上がる。


 その間に朔夜は蛇の胴体に駆け上がり、黒い血飛沫を上げさせながら切り刻んでいく。

 穢れの瘴気は、妖力に弱い。妖力を纏った斬撃は、こいつらにとっては致命傷の連続である。


 朔夜は一通り斬撃を加え、それぞれの傷口に素早く札を投げつける。「浄炎」と記されたそれを、刀印を結んで発した。

「破ッ!」


 ぼんっ、と音を立てて、青い炎が蛇の全身を包んだ。

 絶叫が響き渡る。あれだけ切られ、蹴られ、抉られても一切声を上げなかった湖蛇女が、硝子を破り続けるような声で叫んでいる。


「〈金心〉、よくやった。吹き飛ばすぞ──オン


 朔夜が左手で刀印を結び、さっと振る。

〈金心〉は蛇の女体部分にしがみついて、そして、一条の雷電となって爆裂する。

 女体部分は至近から凄まじい大雷撃を──妖力を帯びるそれを浴び、完全に爆散、消失した。


祓葬ばっそう完了」

 朔夜は冷徹にそう言い、刀の峰をトンと叩いて刀身の穢れを落とし、鞘に納めた。


「さて、雇い主から金をいただくとするか。今のままでは蕎麦も食えん」


 締まらぬことに、この術師、金欠であった──。



稲葉朔夜 ビジュアル

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