第三幕 武の神使
──
火の暦八七一年、「
──それによって、郷は国家というものであれと、そして人と妖は、みな国家の管理対象たれという布告がなされたのが契機であった。
布告を聞いた際、真っ先に故郷──この、
それ以前から国境というものを定め、国、というあり方を成り立たせている土地がいくつかあったのは知っている。いずれも人の管理する、国家として先んじていたものであった。
それは西条の
故に、
(
と思った。
冷静に考えれば、こうなる、ということは想像がついていた。
改めて、この火の時代の千年紀に備えて各地の国というものを整備し、しっかりと規則を作ろうという気風が迫ったのだろうと、なつめは思っている。
さきだっての大龍帝国時代の二の舞にならぬようにということだろう。
火の暦が始まる以前の、一千年続いた大暗黒時代──その発端は、およそ、千五百年の泰平を守った大龍帝国時代の崩壊である。
加えて西条和深大陸の
西条各国の間諜や情報操作を巧みに行う工作員が東条に現地入りし、各地で、人心を惑わしているという。
さらに、とうとう六年前には、斬奸状を用いた人斬り事件──世にいう玉兎事件まで起きていた。
(人の世の、なんたるままならぬこと)
なつめはそのように思う。そして、
(我ら妖に、お前たち人の諍いを持ち込まれたとて反応に困るのみだ。概して馬鹿げているよ)
──とも。
帰郷から一日。二月十七日の日曜日。
なつめは総本社にある湯殿で、複数名の女天狗に体を洗われていた。
蒸し風呂のようなそこでは伽羅の香木が焚かれ、五味を彩る香りが煙る中、一糸纏わぬ女天狗たちが糠袋を手になつめの裸体を磨き、垢を落としている。
なつめの体は、細身であるが筋肉質で、無駄な贅と肉を削ぎ落とした、剥き身の刀剣のような印象を受ける。
胸に無駄な脂肪がないのは、天狗に共通する。彼らは飛ぶ、という特性上、要らぬ脂肪を持たない構造を生得的に兼ね備える。
筋肉質なのも、それゆえだ。
実用的、という範疇の薄い脂肪の層の下には針金を編んだような筋肉が張り巡らされ、鳥類系妖怪にしては頑健な骨──長年の行脚と、食生活、鍛錬で得たものだ──がある。
妖怪と一口に言っても、得意とする分野は様々。
時に、天狗といっても、力比べで圧倒的な握力を持つ猛禽系、賢さと意外な人懐っこさ、忠義で尽くす鴉天狗、そして数と愛嬌と巧みな話術で渡り行く小鳥系天狗。
なつめは猛禽系だ。フクロウは、あの丸っとした可愛らしい体躯と裏腹に、ワシやタカの仲間なのである。
時に、捉えた小動物を「
それから、鳥類に嗅覚はない、もしくは極めて弱いとする学者もあるが、そんなことはないとなつめは言い切る。
潮の香りに混じる魚類の匂い、それが陸揚げされた際には、海辺の天狗はそれを察して朝市に参じるのだ。
野良天狗は、海で狩りをするものもある。ウミドリ系天狗はまさにそうだ(註1)。
女天狗たちは翼の羽根一枚一枚を丁寧に洗って、埃を落とし、おろした長い金色の髪を素手で丁寧に、ほぐすように泡立てる。
鳥は水浴び派と砂浴び派に分かれる。スズメはなぜか両方やる。
フクロウは水浴びが主流だ。なので、風呂好きが多い。
羽毛も、一本一本が刃のようである。事実、天狗たちは羽毛硬化の術で羽毛を硬化させ、翼から抜け落ちないようにしたり、あるいは硬く鋭くした羽根を飛ばす技を持つ。
金色の髪は、まさに、金を糸にしたような輝き。
「美」、「武」、「智」の神使隊たちの中でも、なつめは一目置かれる神使だ。彼女は武の神使だが──美、智も兼ね備えている。
一人で、その全てを担うかの如き美しさと、武勇と、智力を持つ。妖怪は、強い者が大好きだ。いつか自分もそこへ行く、追い越すと、奮起するのである。
なつめは、ときにあまりの美貌に、
時にその武勇は、神命として山岳郷の若い
非の打ち所がない──とはいえ。
彼女にも、欠点の一つ二つはある。
「和真は元気?」
女天狗たちは片笑んだ。
「先日も、イワウガチを仕留めたそうです。大牙がこちらに献上され、天慈颶雅之姫様も大層喜んでおられました」
「そう」
なつめは、少年偏愛がある。そして、彼女にとっての少年の範疇は己の歳下全てである。
特に、幼少の
一時期、「なつめを放っておいたら、和真坊をさらうんじゃないか」などとおかしな空気まであったほど。
よもやそれが原因で、行脚を命じられたわけではあるまい──。
「出先で一人、弟子を取った。四年ほど旅に同行させて鍛えてあげたけれど、なかなか、筋がいい」
「へえ。その方は、今、どちらに?」
「
脇を磨く女天狗は安心したようだった。
というか、なつめ自身、分別くらいもっている。
いくら己が妖怪だからといって、子供相手に横暴などしない。そのようなやり方では、たとえ相手が子供妖怪──妖怪同士であっても野蛮と謗る攘祓思想を助長するだけだ。
無論、婚姻や縁談がしっかりと、相手方と結ばれていれば、その家の子が傷物になる前にと幼いうちから嫁がせることは人間同士でも珍しい話ではない。
時代によっては、十一歳で第一子をもうけた武将の姫君もいたのだ。
つう、と湯が体を滑る。脇の毛はつるりと剃り落とされているが、
流石に女天狗らも、女陰の毛を落とすか否かを聞くのは躊躇われたらしい。
さて──いらぬことを考えている間に湯浴みが終わった。
手拭いで身体を拭ってもらい、胸に晒しを、股にふんどしを締めて、襦袢を身につける。
その上から神使の正装である
白を雲と見立て、金を嵐の雷とし、緑を豊かな山の恵みととらえた衣装である。
翼を出すための穴があり、そこから己の大きな翼を通し、儀礼用と実用を兼ねた杖を握る。
草履の踵には蜻蛉玉。これは、神使に許されたお洒落である。
一度正装に身を包めば、いやが上にも気合が入るというもの。
もともと凛々しい顔立ちのなつめが、またひとつ武芸者の顔になり、周囲の天狗・鬼らは、その天晴れな顔ぶりに男女問わず惚れてしまいそうになっていた。
「行ってくる」
なつめが一言そう発すると、狭き門──武の神使隊の神童と言わしめる女に、周囲が深く頭を下げた。
(註1:ミズナギドリはDMS──豊かな海の匂いと言われる、オキアミが食べられる際に放出する化学物質(におい物質)を嗅ぎ取る能力を持つとされ、ウミガメもこれを感知できるとされる。
アマチュア鳥類愛好家であり医療イラストレーターのベッツィー・バングは一九六〇年代を通じて一〇〇種超の鳥類の脳を徹底的に調べ、嗅球を測定。ヒメコンドル、キウイ、ミズナギドリ目の嗅球中枢が特に大きいことを明らかにした。
これによって鳥類もまた嗅覚に頼った狩りをする、帰巣本能を持つという科学的な裏付けを進めるきっかけを作ることになったといわれている。
なお、鳥類の祖先と言われるヴェロキラプトルはティラノサウルスと同じ大きさと推測される嗅球を持つとされると、古生物学者のダーラ・ゼレニツキーが明らかにした。
出典:動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか 人間には感知できない驚異の環世界 著:エド・ヨン 訳:久保尚子)
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