第二幕 獣狩の半妖鬼
読んで字の如く、獣を狩る者。特にその中でも、卓越した肉体と狩猟技術、専任の師をもっていた弟子が襲名する肩書きである。
彼らは一般的な獣の他に、
殺生を仕事とする彼らを、時に人は穢多、と呼ぶ。
が、これは差別用語ではない。
他者にできぬことを率先し、穢れに塗れようが世のため人のためと奮起する彼らを、人も、妖も、神さえも讃えた。
その半妖鬼の男は、
さても、この土地では農耕が根付きづらい。
とはいえ……全く行われないわけではない。
限られた土地で、限られた品物……天狗が好む、
だがやはり、生活の基本は狩猟採取であり、この土地の民は、その大半が各山地に適した狩猟を、幼い内から叩き込まれる。
桜之丞岳の山腹──岩石層の上に、
豊かな土壌は、草花を生い茂らせ、それは獣にとってこの上ない楽園である。
今は冬という美しい白銀の時期であり、緑は極めて少ないが、今この瞬間も白雪の下で多くの生命が脈打つのがわかった。
(待て。慌てることは、ない)
見た目、若い男である。深緑色の目は山を思わせ、銀の髪は月や雪を思わせる。
その身には甲冑。小型の板を重ね合わせる
重量は、すべての部位を込みで、十貫を超える。およそ、四十キロ以上だ。
並の武士や狩人では、この甲冑を着込んで雪の上に寝そべり、獲物を待つなど、到底できる苦行ではない。
だが、この
桜の花弁が吹雪いた。地吹雪が舞う。
ここに桜の木が比較的多いのは、女神・天慈颶雅之姫様のご趣味であらせられる。かの女神様は、桜が大好きなのだ。それはもう、己の社の周囲を全て桜の木で彩るくらいには。
だから、女神様に愛された一部の山の桜は、年がら年中満開だ。
雪に紛れて撫子色の雅な花弁が散る。
時はまだ二月。寒さが、ちょうど一番厳しい頃。
雪曇りの中、
草花は雪に埋もれて、春の日差しを待ち。木々は木枯らしに吹かれて枝を外気にさらしている。
左のこめかみから黒い角を生やしている半妖──実年齢はすでに三十を少し超えているが、見た目二十歳そこそこ。
彼は非常に狩りに慣れている。なんとなれば、五つの時に雌鹿を仕留めたほどだ。
彼は
いつかは無双の狩人になりたいと思っている。この大陸にいる、魔獣とさえ恐れられる
(そのうち、狩りを禁じられそうだ。
攘祓派は、野蛮とされる一切のことごとくを禁じろ、という旨の演説や講演を各地で行い、この東の地を静かに蹂躙していた。
西条和深との戦は──間諜や、営業を用いた情報戦という意味で──すでに始まっている。
そうだ。
──元々この地には
(ちくしょう、なんだって、俺のいる時代なんだ)
七年前の火の暦八七一年、「東条和深大陸国家整備法」によって、無理やりに国境を引かれて、名をつけられたのだった。
同年、戸籍法が制定された。己が、まるで札を張られ陳列されたモノとして扱われているような気持ちになった。
(馬鹿にしやがる)
つくづく──連中は、生命を踏みつける。
故に、和真は本来のこの土地呼び名で、こう呼ぶ。
──「山岳郷」と。
そして、多くの民にとって、ここはただそれだけであった。あるいは、「山」とだけ呼んでいる年寄りも多い。
己たち山の民はただそう呼び、そして山が途切れれば「外」とか「海」、「陸」、「鉄山」とか……そう言うだけの認識であった。
半人半鬼の桜之丞
やつらは、この土地から鷹揚さを奪っていっているように思えてならない。
そしてそこにいる奴らは、西の攘祓派の言いなりである。守べき文化、風俗、土地、人妖神仏を、袖の下と引き換える奸賊である。
(武士のようなことを考えるな。俺は、ただ
国というものの境がなかったように、「時」にも、境はなかった──。
日が沈み、眠り、明るくなれば翌日というだけであって、日付変更線を跨げば翌日なんていう規則は、外から持ち込まれた勝手な決め事である。
人間がそうした数々の制約を好む生き物なのは知っているが、我々妖怪は違う。
もっと、自由で大らかな生き方をしたいのだ。窮屈な、檻に閉じ込められるような一生はごめんである。
──なぜ天慈颶雅之姫様は、ただ座しておられるのだ。
──ここが狩人の郷であるから、事態を憂慮する志士となることを是とされないのはわかるが、今そのように安穏と座していれば、我らは攘祓派の人間に食い物にされ、駆逐されるやもしれぬのですぞ。
視界の向こうに、翳るものが見えた。
来た。高揚感が湧き上がった。待つこと一刻(およそ二時間)、普通の人妖ならば、同じところに二時間も待つなど苦痛だろうが、山岳郷の狩人ならば屁でもない。
だが、いざ獲物が来ると昂るのは──つくづくもって、己が
己の体温が上がってきているのがわかり、体を冷やすように雪に体を浸していく。
血の半分が鬼なのだ。故に、筋肉の密度が常人よりはるかに高く、体温が高い。この特性は、冬場の狩りでは不利である。
和真は雪をひとつまみ口に含んだ。
冷静になれと、己を叱咤した。
頭に血が昇っていた。吐息が熱せられ、息が白くなりかける。
山の獣は、そうした息の色を見分けて危険を察し、逃げる。冬場の狩りにおいて、雪で吐息を冷やすのは常套手段であった。
口に含んだ雪をこぼすように流し捨てる。煮沸していない雪を飲んで、変な病に罹ったら困る。
ぎゅ、と視界を絞る。
視野角を犠牲に、焦点を絞り、視点を遠間に持っていく。これも、鬼の能力だ。
鬼は、感覚器官の一部を一時的に限定して行くことで──視覚を特化させたり、耳をよくしたり、鼻を融通させたりできる特性がある。
決して、馬鹿力だけが全てではない。
距離、およそ一町──百メートル以上。そこに、雌鹿が一頭いる。秋の間に食えるだけ食っておいて丸々肥えておいたのだろうが、今は、やや細身である。
空気に溶け入るように息を吐いて、和真は静かに立ち上がり、弓を構える。深緑色の目は、冷徹そのもの。
弓は、美しいものだった。
風と空気中の水分の重み、山の気候、空気の匂い、温度──それらを読んだ完璧な一射。
彼我の距離をあっという間に切り裂いた矢は、獲物の左前足の肩関節を砕いた。
──よし。
獣は胸を突いても、わずかな間なら生きながらえる。その間に、見失うほど遠くに逃げおおせるものもある。
故に、逃げられぬように肩や肘関節を砕き、移動手段を奪ってしまう方が確実だった。
脳天を狙う手もあるが、頭蓋骨の丸みで矢が滑ることもあり、やはり、確実を期すならば足回りを狙うのが良いと、和真は師匠から学んでいた。
(合わせ
和真はそのようなことを考え、走り、すばやく獲物の鹿に駆け寄ると、右の腰から
──苦しめるな、一思いに眠らせてやれ。
「無駄にはしない。お前の血肉は俺たちが喰らう」
鹿の胸を突いてトドメを刺した。
獣狩は、全てがそうかは知らないが、すべての獣はかつて神であったと考えており、狩って生命をいただくことで、その御霊を天に還す──そのように考えている。
だからこそ、快楽や、遊戯感覚で獣を狩るものは、外道者、と蔑まれる。
和真は持参していた縄で雌鹿の後ろ足を縛ると、その反対を、手近な木の太い枝の付け根に投げて渡し、鬼の剛力でもって十貫以上はある雌鹿を持ち上げる。
この釣り上げ方は、井戸の釣瓶落としの要領だ。誰でも真似できる。
そうして宙吊りにした鹿の喉を深く裂いて、血抜きをおこなった。
狩った獲物は、さっさとその場で捌いた方が良い。血を捨てねば、臭みが増す。
とはいえ新鮮な血は栄養満点であるから、
和真は馬手刺しにぬめりと付いた血と脂を懐紙で拭って、鞘に納める。
刺さっている矢を引き抜くと、鉄の鏃が砕けていた。獣の皮と筋肉、骨の硬さを物語る結果だ。
肩でこれなのだ。さらに分厚く、くわえて丸い頭蓋骨を貫通できないのも頷ける。
和真は鬼の半妖ゆえに、弓を引く力自体は強い。そして、専用の弓もあるゆえ、常人の数倍から十倍の威力を出せる。
が、問題は鏃だ。それ自体は鉄なので、衝突の勢いでどうしても砕け散ってしまうのだ。
合わせ鉄──すなわち合金の鏃ならば頭蓋骨も射抜けるだろうが……当たり前だがそのような手間のかかる品物を、際限なく使えるわけがない。
和真自身は、その姓からもわかる通り桜之丞の家の者だが、側室の子であるが故、扱いは良くない。
住んでいる家も本邸ではなく、ぐるりと山を回った反対側の小屋である。
「……しばらくは肉には困らんだろ」
和真はそう言って、血抜きが終わるのを待った。
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