【獣狩ノ章/壱】出立前夜

第一幕 梟天狗の帰還

 一本の巨大な桜の木が、雪の冠を頂きながら、美しく咲き誇り──白と撫子の美しい花弁を散らしている。

 大輪の雪桜が朝日を浴び、神々しく輝いていた。


(ああ、帰ってきた)

 なつめは、フクロウの翼で羽ばたきながら、そう思った。


 時に低い位置まで降りてくる雲がかかることさえあるそのやまは、 通称桜之丞岳さくらのじょうだけと呼ばれている。

 舶来の単位で言えば一六〇〇メートルに達する標高であり、ここいらにはそんな規模の山がごろごろしていた。


 そうした山々を管理し、それぞれの山の自治を任されているのが“山庭師”だ。

 そんな山庭師の家系の一つ──桜之丞家が管理している山がくだんの桜之丞岳であり、我れらが主祭神・天慈颶雅之姫様あまじくがのひめさまから寵愛を賜った山岳地であった。


 おかげで山頂の雪桜を含むこの山の桜は季節を問わず咲き誇り、時折、神使の天狗らが降り立っては談笑している、牧歌的な光景も見られた。


 今朝も、文鳥天狗が「さみー」と言いながら木のみを拾い集め、一つ二つつまみ食いしているし、鴉天狗は無言で遊弋ゆうよくし、外敵がいないか厳しく見回っていた。


 東条和深大陸の南部に位置する、山岳郷さんがくきょう。古くこの地はそう呼ばれ、今でも、そのように呼称する民は多い。なつめもその一人だ。

 けれど現在は、嶽垣国たけがきのくに──そう、新たな名を与えられていた。


(皆は壮健だろうか。私がおらぬ間に、腕が鈍っておらねば良いがな。この度で、私の腕前は一段二段も飛ばして、いくつも駆け上がったぞ)


 己の成長の実感は、自惚れではなかった。ただ、れっきとした事実としてそこにあった。

 なつめは、神使である。天慈颶雅之姫様あまじくがのひめさまの配下の使いであり、美と武と智、三つからなる隊のうち、なつめは武の神使である。

 女だてらに神使──と思うなかれ。妖怪には、性別なんてものは関係ない。強ければ、美しければ、賢ければ、性別も歳も関係ない。能力がある、努力を怠らないものが、認められる。そういう仕組みであった。


和真かずまは元気であればいいが……)


 この土地では天嵐神社という組織が政を回す神社統治制であり、神使とはすなわちまつりごと──祭事さいじを司る政治家でもある。

 故に、高位の神使であればあるほど「人となり」、「妖力量」、「見識」、「経験」を求められる。


 神使の一人であるフクロウ天狗の梟福殿きょうふくでんなつめは三十二歳で神使となり、その後三十年を真面目に神使としてつとめていた。

 その後、高位神使を目指す大陸行脚の修行をおおせつかった彼女は、十五年ばかり大陸各地を巡り、神社仏閣を参詣していた。


 和真と別れたのは、彼が十四の時である。彼はしきりになつめに行かないで、置いていかないでと懇願してきたが、なつめはあえて、厳しくその手を払った。

 ──生きなさい。強く、懸命に。

 そう、言い残して。


 現在なつめは八十七歳。

 人間であればその豊かな経験に裏打ちされ、お年寄りとして隠居している年頃である。余生を謳歌しつつ、意見を求められる立場として山奥でひっそりとしているものだが──。

 けれどもこのなつめ、先述の通り妖怪である。天狗だ。故に、八十七などというのはまだまだ若輩である。神使としての経験はそれなりであるが、妖怪としてはまだ、若い。 


 そうして今日──火の暦八七八年、二月十六日土曜日。なつめは故郷に帰ってきていた。


 東条和深大陸南部──比較的温暖であるが……されど、南国というには中部寄りである。

 四季折々。

 豊かなる神の恵みの土地。春には桜が舞い踊り、夏には青葉が茂り、秋には紅葉が色づいて冬になれば雪が降る。


 そのような土地であるから、神に愛された桜が満開に咲き誇る中を、雪が散っていた。

 空を飛びながら、なつめは眼下の光景をつぶさに観察する。

 白く積もった冷たい雪を、住民が掛け声を上げながら円匙えんぴ(註:スコップ/シャベルのこと)で雪を掻き下ろしている。


 なつめはそんな様子を眺めつつ、己の体を包むように大きなフクロウの翼で空を掴み、音もなく飛んだ。フクロウは、音もなく飛ぶのだ。

 眼下には、高い山々。眼前には、ひときわ高い四〇〇〇メートル級の霊山──天嵐神社総本社が構えられている、神山を見上げることができた。

 その神山、名を天嵐岳てんらんだけと言う。天慈颶雅之姫様がおわし、人の世の営みを睥睨する場でもある。


 ご覧いただいた通り、この土地には山が多い。多すぎるくらいに多い。

 そして、おおよそ平地と呼べるものは極端に少なかった。

 山麓には沼沢と泉、川があり、そこから突き出すようにして数々の岩山が、剣山のように伸び上がっている。

 その山々を頑丈な鋼線で繋ぎ、そこを索道籠ゴンドラが行き来することで、人や物資の往来を助けている。


 なつめの体が上昇気流を掴み取り、ぐん、と持ち上がる。形のいい顎をついと上に持ち上げて、上昇する。

 一人の神使が、天嵐神社の総本社へと向かう朝。

 彼女の視界の隅に、一人の半妖の狩りがあった。

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