一般に日本人はインドの指導者といえば、未だにガンディーを思い浮かべるだろう。ガンディーがインド史上偉大な指導者だったのは間違いないが、このような人物は極めて稀であり、インド人は敬意を寄せても、信頼する政治家となればまた別である。インドの大手週刊誌が行ったアンケート調査「あなたが最も信頼する政治家は誰か?」の結果、トップに選ばれたのは何とガンディーと正反対のタイプ、インディラ・ガンディーだった。
インディラ・ガンディーの名で誤解されやすいが、彼女はあのマハートマー・ガンディーの地縁者であっても血縁者ではない。ガンディーの養子となった人物の妻ゆえ、結婚後の姓がガンディーに変わったのであり、それ以前はネルー、つまりインド初代首相ネルーの一人娘だった。その父のネルーを抜いて、娘が「最も信頼する政治家」に選ばれたのは興味深い。現代では忘れられた政治家の感があるが、かつてはユーゴのチトーと並び第三世界指導者の雄として日本でも人気があった。時代ゆえネルーは社会主義を掲げたが(※共産党は非合法化)、他の国々同様インドも失敗している。
独立時点のインドは人口の半分以上が貧困層に属していたので、国の介在政策は必須であり、ネルーも虐げられた人々を救済するための政策を掲げ、その責務を確信していた。しかし、民間の主導権を抑え、より大きな公的利益を見せかけの目標とする社会主義の理念は、元々インド人の心理には合うものではなかった。インド人は皆で行う利他主義に生まれながら不信感を抱いており、例え公的利益を押し付けられても自分の益を減らす気になれなかったようだ。そのため既に権利を得ていた者たちは社会主義のインフラを己の利権のために使い、政治家は特権で私服を肥やす。官僚は権力と金に夢中、ビジネスマンは自分たちの有利になるよう動いた。その中で貧民は時折扶助金を受け取り、レトリックがもたらすクズに感謝させられる。インドで社会主義が成り立つとは誰も考えておらず、口先でそれを唱える者は特にそうだったとか。
一方、ガンディーはネルーほど社会主義を信じてはいなかった。バラモン出身のネルーに対し、ガンディーはバニアと呼ばれるヴァイシャ(平民階級)集団に属する。バニアはクシャトリアを自称したがるが、平民階級も時に上位カーストに昇格が認められることもあるそうだ。菜食主義のバニアはそのためか、格も高く見られている。ネットではガンディーをバラモン階級と書く誤った記述がしばしば見られるが、この類は総じてカースト制批判者の癖に、この制度をよく分っていないのも不可解である。
バラモンのネルーと違いガンディーは資産家を軽蔑しておらず、ネルー在任中、国民会議派を通し、資産家からの“寄付”を議論していたほどだった。金持ちの存在理由を疑問視せず、金持ちを利用すること、金持ちの動機を理解することを意識していた。ガンディーの誤算は、金持ちに自分たちの財産を貧民のために進んで投げ出すよう勧めたことだった、とあるインド人識者は見る。インドの金持ちが決してそれに応じるはずはなく、一インド人として彼はそれを知っておくべきだったと言う。ガンディーは自分の理想にのめり込み過ぎ、それに気付かなかったのかもしれない。例外的にビルラ財閥は極貧者の救済に取り組むが、ネルーの社会主義的ビジョンよりインド国民の本能に添ったものだった。
インド民衆はガンディーの行った禁欲が全然理解できず、この世の人よりも別世界から来た権力者として尊敬していたそうだ。金や物に固執するインド人は周囲が貧困者で溢れていても、己は金銭欲に囚われ、それに熱中する傾向がある。それを否定したガンディーに一般インド人は畏敬の念は抱いても、民衆は自分たちの信念を変える気はなかった。己の欲望を抑える彼の能力を褒めはしたが、真似るつもりはなかった。アシュラム(修行所)に興味はあっても、それに感化されることもなかった。ガンディーが権力や富を放棄したのを崇拝はしたが、他の指導者も彼に倣うのを期待はしなかった。禁欲と犠牲ゆえ、他の者とはあまりにも違うという点で、マハートマー(偉大なる魂)として尊敬されたのが真実だった。
その②に続く
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インディラ・ガンディーの名で誤解されやすいが、彼女はあのマハートマー・ガンディーの地縁者であっても血縁者ではない。ガンディーの養子となった人物の妻ゆえ、結婚後の姓がガンディーに変わったのであり、それ以前はネルー、つまりインド初代首相ネルーの一人娘だった。その父のネルーを抜いて、娘が「最も信頼する政治家」に選ばれたのは興味深い。現代では忘れられた政治家の感があるが、かつてはユーゴのチトーと並び第三世界指導者の雄として日本でも人気があった。時代ゆえネルーは社会主義を掲げたが(※共産党は非合法化)、他の国々同様インドも失敗している。
独立時点のインドは人口の半分以上が貧困層に属していたので、国の介在政策は必須であり、ネルーも虐げられた人々を救済するための政策を掲げ、その責務を確信していた。しかし、民間の主導権を抑え、より大きな公的利益を見せかけの目標とする社会主義の理念は、元々インド人の心理には合うものではなかった。インド人は皆で行う利他主義に生まれながら不信感を抱いており、例え公的利益を押し付けられても自分の益を減らす気になれなかったようだ。そのため既に権利を得ていた者たちは社会主義のインフラを己の利権のために使い、政治家は特権で私服を肥やす。官僚は権力と金に夢中、ビジネスマンは自分たちの有利になるよう動いた。その中で貧民は時折扶助金を受け取り、レトリックがもたらすクズに感謝させられる。インドで社会主義が成り立つとは誰も考えておらず、口先でそれを唱える者は特にそうだったとか。
一方、ガンディーはネルーほど社会主義を信じてはいなかった。バラモン出身のネルーに対し、ガンディーはバニアと呼ばれるヴァイシャ(平民階級)集団に属する。バニアはクシャトリアを自称したがるが、平民階級も時に上位カーストに昇格が認められることもあるそうだ。菜食主義のバニアはそのためか、格も高く見られている。ネットではガンディーをバラモン階級と書く誤った記述がしばしば見られるが、この類は総じてカースト制批判者の癖に、この制度をよく分っていないのも不可解である。
バラモンのネルーと違いガンディーは資産家を軽蔑しておらず、ネルー在任中、国民会議派を通し、資産家からの“寄付”を議論していたほどだった。金持ちの存在理由を疑問視せず、金持ちを利用すること、金持ちの動機を理解することを意識していた。ガンディーの誤算は、金持ちに自分たちの財産を貧民のために進んで投げ出すよう勧めたことだった、とあるインド人識者は見る。インドの金持ちが決してそれに応じるはずはなく、一インド人として彼はそれを知っておくべきだったと言う。ガンディーは自分の理想にのめり込み過ぎ、それに気付かなかったのかもしれない。例外的にビルラ財閥は極貧者の救済に取り組むが、ネルーの社会主義的ビジョンよりインド国民の本能に添ったものだった。
インド民衆はガンディーの行った禁欲が全然理解できず、この世の人よりも別世界から来た権力者として尊敬していたそうだ。金や物に固執するインド人は周囲が貧困者で溢れていても、己は金銭欲に囚われ、それに熱中する傾向がある。それを否定したガンディーに一般インド人は畏敬の念は抱いても、民衆は自分たちの信念を変える気はなかった。己の欲望を抑える彼の能力を褒めはしたが、真似るつもりはなかった。アシュラム(修行所)に興味はあっても、それに感化されることもなかった。ガンディーが権力や富を放棄したのを崇拝はしたが、他の指導者も彼に倣うのを期待はしなかった。禁欲と犠牲ゆえ、他の者とはあまりにも違うという点で、マハートマー(偉大なる魂)として尊敬されたのが真実だった。
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ラディブ・ガンジーの生涯もインディラのあとによろしくおねがいします。
ラディブ・ガンディーがアマチュア無線をやっていたとは知りませんでした。当初彼は汚職と無縁と見られ、“ミスター・クリーン”と呼ばれた程。それゆえ人気がありましたが、無線の趣味もその理由と1つだったとは。当時のインドで年収4万ドル以上の家となれば、本当にどの程度だったのか、これは興味深いものですね。
ラディブはパイロットもしてましたね。母はともかく、父の方はおそらく理系に進むことに抵抗はなかったと思います。パールシーにはエンジニアも珍しくないし、職業選択ではヒンドゥーより自由ですから。
私はラディブより、パールシーだった彼の父フィローズに関心があります。そして野心家といわれた彼の弟サンジャイも面白そうだと思っていますね。インディラは弟の方がお気に入りだったそうで、サンジャイもマキアヴェッリ的権謀を行うタイプだったとか。彼が事故で若死にしたのも、実は異教徒の血を引く者が首相になるのを阻止したヒンドゥーの暗殺、なんてトンでも説もあります。