先日『現代ヒンディー短編選集1』を読了した。アジアの現代文芸シリーズ・インド編④で、財団法人・大同生命国際文化基金から出版された本だ。この短編集を読んだだけで改めてインドの多様性が知れるが、この国の抱える諸問題もまた多岐に亘っている。
この本は短編をそれぞれ「独立の陰で」「都市の風景」「村の風景」の3部に分類しており、これが同じインドか、と思わせるほど格差は激しいが、そこがまたインドらしい。
「独立の陰で」に収められた短編は歴史書やニュースに表れない市井が描かれている。面白かったのがビーシュム・サーヘニーの『鶏の丸焼き』。サーヘニーの小説は以前「自由な人間」「タマス」の記事でも書いたが、『鶏~』では刑務所入りした政治犯の物語だ。臭い飯を食うどころか、豪勢な食生活。ムショ帰りの男がうそぶく。
「刑務所じゃなんだって手に入るよ…アヘンも望めば手に入る。大麻だってお望みのまま、それにとびきりの洋酒。それじゃ政治犯はどうかって?そりゃあ大したもんさ、女房の里にでもいると考えりゃいい」
この男は出所後、政界新聞の編集者に収まり、新聞に政治家の秘密を売るのを生業としている。どの新聞も醜聞を求めており、その種の記事を売り込むと結構な金になるのだ。
政治デモをして逮捕されても、有力政治家の親族と分かった途端看守の態度は一変する。わざわざ御用聞きが房内に望みのメニューを聞きに来る有様。洋食、鶏 の丸焼き、焼肉、ひき肉料理…これらの料理を作るのも囚人だが、無実の罪で捕えられた貧しいムスリムのコックだった。政治犯たちは刑務所内で豪勢な食事を 堪能するが、一般の囚人は一日二回程度の食事。インドは刑務所内でも厳格な階級制で、有力者と貧しい庶民の格差は凄まじい。インドではムショ帰りの政治犯 は太るといわれるそうだ。
政治家が利権に腐心する一方、政治家や役人とつるんで肥え太る者を描いた作品が『時の人』。 故郷の村に帰った「私」は幼馴染と再開するが、村で讃えられている幼馴染は実は地域の福祉事業や補助金を食い物にしてる人物だった。村を視察に来た地方副 長官は彼を「時の人」と持ち上げ、さらに資金援助と彼の息子たちの就職も保証する。幼馴染を見て「私」は忌々しげに思う。
「この私といえばいたずらに人生を過ごしただけだ。役にも立たぬ植物学を引っさげて、どれほどの無駄骨を折ってきたことか!」
印パ分離独立は夥しい死者と難民を生じた。『復讐』はその時代を扱った作品。文字通り家族を失ったシク教徒の復讐の物語だ。だが、このシク教徒の復讐とは敵を殺すのではなく、難民を助け無事に安全な街に送り届けることだった。彼は言う。
「たとえその誰かがヒンドゥーだろうと、ムスリムだろうと、シクだろうと私が目にした光景を他の誰も見ることがないようにする。私の生きている間はうちの連中があったような目に、よその女房や子供たちがあわない様に…それが私の願いなんです」
この物語に登場するヒンドゥーの話は混乱の中の地獄が垣間見える。
「デリーで何人かから聞いたんだが、あっちではヒンドゥーやシクがムスリムの奴らのために酷い目に遭わされたってねえ。何と言ったらいいか、ともかく口にするのも恥ずかしいほどで…親兄弟の目の前でだね、娘や妹たちを…
今じゃヒンドゥーもシクも皆かんかんですよ。仕返しするなんてことは確かに良くないことですがね。しかし我慢にも程があるからねえ…所によっちゃ“レンガで打たれりゃ、石を投げる”の諺どおりに仕返しをやってますよ。全くのところ、処方はこれしかありませんな。何でもK公園でムスリムの医者の娘を…」
命懸けでナチからユダヤ人をかくまった者がいるように、少ないにせよ殺戮・暴行が横行する中で異教徒を守った者も実際にいたのだ。
その②に続く
◆関連記事:「自由な人間」「タマス」
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この本は短編をそれぞれ「独立の陰で」「都市の風景」「村の風景」の3部に分類しており、これが同じインドか、と思わせるほど格差は激しいが、そこがまたインドらしい。
「独立の陰で」に収められた短編は歴史書やニュースに表れない市井が描かれている。面白かったのがビーシュム・サーヘニーの『鶏の丸焼き』。サーヘニーの小説は以前「自由な人間」「タマス」の記事でも書いたが、『鶏~』では刑務所入りした政治犯の物語だ。臭い飯を食うどころか、豪勢な食生活。ムショ帰りの男がうそぶく。
「刑務所じゃなんだって手に入るよ…アヘンも望めば手に入る。大麻だってお望みのまま、それにとびきりの洋酒。それじゃ政治犯はどうかって?そりゃあ大したもんさ、女房の里にでもいると考えりゃいい」
この男は出所後、政界新聞の編集者に収まり、新聞に政治家の秘密を売るのを生業としている。どの新聞も醜聞を求めており、その種の記事を売り込むと結構な金になるのだ。
政治デモをして逮捕されても、有力政治家の親族と分かった途端看守の態度は一変する。わざわざ御用聞きが房内に望みのメニューを聞きに来る有様。洋食、鶏 の丸焼き、焼肉、ひき肉料理…これらの料理を作るのも囚人だが、無実の罪で捕えられた貧しいムスリムのコックだった。政治犯たちは刑務所内で豪勢な食事を 堪能するが、一般の囚人は一日二回程度の食事。インドは刑務所内でも厳格な階級制で、有力者と貧しい庶民の格差は凄まじい。インドではムショ帰りの政治犯 は太るといわれるそうだ。
政治家が利権に腐心する一方、政治家や役人とつるんで肥え太る者を描いた作品が『時の人』。 故郷の村に帰った「私」は幼馴染と再開するが、村で讃えられている幼馴染は実は地域の福祉事業や補助金を食い物にしてる人物だった。村を視察に来た地方副 長官は彼を「時の人」と持ち上げ、さらに資金援助と彼の息子たちの就職も保証する。幼馴染を見て「私」は忌々しげに思う。
「この私といえばいたずらに人生を過ごしただけだ。役にも立たぬ植物学を引っさげて、どれほどの無駄骨を折ってきたことか!」
印パ分離独立は夥しい死者と難民を生じた。『復讐』はその時代を扱った作品。文字通り家族を失ったシク教徒の復讐の物語だ。だが、このシク教徒の復讐とは敵を殺すのではなく、難民を助け無事に安全な街に送り届けることだった。彼は言う。
「たとえその誰かがヒンドゥーだろうと、ムスリムだろうと、シクだろうと私が目にした光景を他の誰も見ることがないようにする。私の生きている間はうちの連中があったような目に、よその女房や子供たちがあわない様に…それが私の願いなんです」
この物語に登場するヒンドゥーの話は混乱の中の地獄が垣間見える。
「デリーで何人かから聞いたんだが、あっちではヒンドゥーやシクがムスリムの奴らのために酷い目に遭わされたってねえ。何と言ったらいいか、ともかく口にするのも恥ずかしいほどで…親兄弟の目の前でだね、娘や妹たちを…
今じゃヒンドゥーもシクも皆かんかんですよ。仕返しするなんてことは確かに良くないことですがね。しかし我慢にも程があるからねえ…所によっちゃ“レンガで打たれりゃ、石を投げる”の諺どおりに仕返しをやってますよ。全くのところ、処方はこれしかありませんな。何でもK公園でムスリムの医者の娘を…」
命懸けでナチからユダヤ人をかくまった者がいるように、少ないにせよ殺戮・暴行が横行する中で異教徒を守った者も実際にいたのだ。
その②に続く
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