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ドーキンスは自然を解読し、私たちのわかる言葉にして教えてくれる――リチャード・ドーキンス『遺伝子は不滅である』解説/小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)

リチャード・ドーキンス遺伝子は不滅である(大田直子訳)が早川書房より好評発売中です。この記事では『生物はなぜ死ぬのか』『なぜヒトだけが幸せになれないのか』などの著作で知られる生物学者の小林武彦さん(東京大学定量生命科学研究所教授)による解説を公開します。半世紀にわたり練り上げられたドーキンス進化論の神髄とは?

『遺伝子は不滅である』(リチャード・ドーキンス著、大田直子訳)書影
『遺伝子は不滅である』

『遺伝子は不滅である』解説

東京大学定量生命科学研究所・教授 小林武彦  

巻末解説の役目をおおせつかったが、ドーキンスの創り出す「生き物たちと古い友達になったような独特の世界観」に酔いしれたい、と思っておられる読者の邪魔をしたくない。さてどうしよう。

参考のために私の本棚に並んでいるドーキンスの本の「あとがき」を読んでみることにする。お気に入りの本なので、いつも目立つところに置いているが、手にするのは何十年かぶりである。どれも私が大学で生物学を専攻していた40年ほど前に買った本ばかりだ。懐かしい。

そのうち1冊は、かの『生物=生存機械論』(原題 The Selfish Gene、のちに『利己的な遺伝子』に改題)。ペラペラめくっていると所々に鉛筆でメモと線。「あとがき」を読むつもりが本文の方を読み始めてしまった。おもしろい。このドーキンスの最も有名な本には「生物とは遺伝子の乗り物である」という、一世を風靡ふうびしたフレーズが出てくる。当時生意気で怖いもの知らずの学生だった私は、「そんなことわかってるよ」と口では偉そうに言いながらも、この言葉が最初は頭の中を、次は全身をぐるぐる巡っていたのを覚えている。そう、その時を境に、「私」の実態が「頭(脳)」から全身の細胞の「遺伝子」に移ったような不思議な感覚に包まれた。当時のマイブームは、「私の理性ではなく遺伝子がそうさせているのだ」と都合よく遺伝子のせいにして、本能に満ちた若さを謳歌することだった。

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『利己的な遺伝子 40周年記念版』

この遺伝子中心の考え方は、生物学的な理解としては間違ってはいないと思うが、「私」の行動は遺伝子をベースにこれまでの経験・学習によっても形作られている。そして何よりヒトは社会性の動物であり文化を持っている。つまりなんでも遺伝子のせいばかりにはできない。ドーキンスの言うところの「ミーム(自己複製し継承される文化や思想)」も重要なのは言うまでもない。

さて肝心の「あとがき」の書き方だが、『生物=生存機械論』では訳者のひとりである日高敏隆氏が書かれている。学術的な議論を展開されており、素晴らしい。私には真似できないということで、自分スタイルで selfish に書かせていただくことにする。お許しを。

進化は遺伝子の利己性の結果

私は、ドーキンスや日高氏が専門とする動物行動学の研究者ではない。この本にも時々出てくる、分子生物学や分子遺伝学が専門の「分子」の研究者である。平たく言えば遺伝子の破壊やゲノム編集などの手法を用いて、それぞれの遺伝子がどのように形質や行動を決めているのかを分子レベルで研究している。特に老化が専門で、老化や寿命に関わる遺伝子を見つけ出しては、その働きを調べている。老化を進行させる、つまり寿命を制限する遺伝子を20年ほど前に見つけて、それまでの遺伝子に対する考え方が私の中で大きく変わった。その遺伝子の働きは遺伝子そのものを壊すことだったのだ。

ドーキンスが言うように生物の体は遺伝子の生存機械であり、自分で壊してしまってはその「生き残ろうとする主体」としての責任が果たせていないようにも思えた。なぜなら長く生きていた方が、自分のコピーを残すという利己的な目的において有利だからである。遺伝子を壊して寿命を制限する自己破壊的な遺伝子の存在は、生物は利己的にずっと生きようとしているわけではない、つまり「死」にも意味があることを示している。詳しくは拙著『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書)を参考にされたい。

しかし、よく考えるとこれもまた利己的な遺伝子の振る舞いとして矛盾しないことに気がつく。生物という体を利用して、遺伝子を自己複製したら、つまり子孫を残したら「用が済んだ体」を壊すところまでがプログラムされていると考えることもできるからだ。遺伝子=「情報」という意味では、そのコピーが壊れる前にすでに継承されているのであれば、別の体で生き残っていることになる。遺伝子が自身の体とは少し違った多様な子孫にその情報を委ねる(乗り換える)ことは、生き残り戦略としてはプラスであり、十分に利己的な振る舞いと考えられる。ドーキンス的に言えば、体はあくまでも乗り物で、大切なのは遺伝子。遺伝子は絶えず変異し、上書きされ、時には「バックミラーで過去を振り返りながら」新しい乗り物を作る。結果、地球上には多種多様な生き物が、それぞれの生き残り戦略を携えて生き延びているのである。進化は遺伝子の利己性の結果であり、まさに本書の邦題どおり「遺伝子は不滅」なのだ。

書物としての生物

本書では生物を「遺伝子版死者の書」に喩えている。比喩の達人と言われたドーキンスらしい表現だ。分子の言葉で言い換えると、生物は「進化の結果できたゲノム(遺伝情報)によって作られたもの」ということになる。

余談だが、ドーキンスはキーワードに極力、分子の言葉(専門用語)を使わない。本書に出てくる「パリンプセスト」=「元々書かれていた文字を消して、上に新しい文字を書き重ねた古文書」などがその例である。陸生カメは進化の過程で生活の場を、海→陸→海→陸と一往復半変えている。これもパリンプセストの部分的な「上書き」を繰り返した結果というわけだ。ドーキンスのこのようなシャレた「たとえ」は真似しようとしてもできるものではない。仮に私が同じ言葉を使ったとしても、同業の研究者からは受け入れられないであろう。彼の広くしかも深い教養と、読者に生物学への親しみを持ってもらおうという「情熱」が、詩的な表現をも許容しているのであろう。

ドーキンスは「あらゆる動物は祖先の世界を記述した書物である」とも言う。この「書物」は過去の情報に基づいたもので、決して未来を予見しているわけではない。未来も過去と変わらない環境であることを前提としているのだ。ドーキンスの言葉では「未来に賭けている」ということになる。

擬態で天敵から捕食されることを逃れている生き物は、その似せている対象がいない環境ではそれまで作り上げてきた擬態の遺伝子が全く意味をなさない。それどころか、かえって目立ってマイナスである。同じことが特定の食べものを捕食しやすいように口や体が変化している多くの動物にも言えて、その好物がいなくなったら途端に飢え死である。環境が裏切らないことを前提に、それぞれの形態で生き残ってきているのだ。これは開発という名の下に自然環境を変えまくってきた人類にとっては、多くの生き物たちの未来を奪った後悔で胸が苦しくなる話である。

ヒトの「遺伝子版死者の書」が廃版になる?

かく言う私たち人類も、実は賭けに負けている「被害者」になりつつあるのかもしれない。私たちの祖先は700万年前にチンパンジーとの共通の祖先から分岐した。それから現在までドーキンスの言う「遺伝子版死者の書」の「パリンプセスト」(上書き書)を作り続けている。ひとつの上書きに、種類によっては数千年から数万年かかったことであろう。そして、現在まで存続できている私たちの系統のみが「賭けに勝って」、つまり過去に記載した情報が有効に働いて生き延びることができた。幸いそれまで作り上げてきたゲノムがいきなり無効化するような環境の変化はなかったのである。もちろん多少の変化はあったとしてもヒトの生来の適応能力の高さで、こちらの側も何度も上書きされており、なんとか「遺伝子版死者の書」を廃版にすることなく維持してこられた。

ところがここ数千年くらい、ヒトを取り巻く状況は劇的に変化した。700万年のヒトの歴史の大部分は、狩猟採集で食料を得て、小さなコミュニティで全てを共有して共同で生活していた。精神面では集団の結束のための帰属、協力、正義や公平・平等という意識に重きが置かれていた。つまりコミュニティ中心の生活を送っていたのだ。これが人類誕生から700万年かけて完成された「遺伝子版死者の書」の内容である。ところが、日本で言うと弥生時代に本格的に農耕が始まり、定住が始まると状況は一変した。農耕は生産性を飛躍的に向上させると同時に、生活に余裕を作り、テクノロジーも飛躍的に進歩した。加えて所有という概念、つまり「財産」を作り出した。

財産はやがて貧富の差を作り「格差」が生じるようになり、それまで小さなコミュニティでお互いをさらけ出しながら、正義と公平を信条に暮らしてきた生活様式は徐々に崩壊し始めたのだ。たとえばこれまで集団で協力して行なってきた子育てができなくなった。ほぼ700万年歩いて移動したのに、移動手段の進歩で歩かなくなって長い距離を歩けなくなった。仕事などで座っている時間が増えて、腰痛や体の変調をきたすようになった。もちろんいいこともある。栄養価の高い食べ物を摂るようになり、長生きになった。ただその分がんと認知症という、それまでほとんどなかった加齢性疾患に多くのヒトが罹患するようになった。ヒトを取り巻く環境の変化速度が速すぎて身体も制度もついていけていないのである。

精神面はもっと深刻で、700万年間、集団内では秘密もなく信頼関係を築き、お互い安心してワイワイ楽しく暮らしてきたのにそれがなくなり、他人に対する警戒心や「孤独」を頻繁に感じるようになった。当然「承認」される機会も減り、うつを始めとした精神の病が猛威を振るっているのはご存じの通りである。テクノロジーが急速に進歩して便利になった反面、それに振り回され、余裕がなくなり、常に追い立てられているような感覚に支配されている。

つまり、「遺伝子版死者の書」の内容が環境にマッチしなくなったのだ。ヒトの場合は「環境に裏切られた」というより、自分たちの住み心地の良い社会の構築に失敗している。トカゲに喩えれば、自身の体色が保護色にならないような色に、地面を自ら塗り替えてしまったのである(拙著『なぜヒトだけが幸せになれないのか』〔講談社現代新書〕参照)。そしてこの遺伝子と環境の不適合は、収束するどころかますますひどくなっている。

ドーキンスは、50年前から変わらぬ研ぎ澄まされた観察眼と切れ味のいい独自の考察により、自然を解読し私たちのわかる言葉にして教えてくれてきた。特に本書はこれまでの集大成的なポジションにあり、過去のドーキンスの名著の魅力が濃縮されている。『利己的な遺伝子』の思想が骨格にあるのはもちろんのこと、例えば『延長された表現型』に書かれた動物の行動による生き残り戦略が随所にちりばめられ、綺麗なイラストとともに本書の読みごたえを増している。

欲を言えば、というか一ファンとしてのお願いなのだが、ドーキンスにはいつかヒトの未来に関する分析も危機感と希望を交えてご教示願いたい。彼の眼には最近のヒトの社会、特にAIとの関係はどのように見えているのか大変興味がある。これからの「賭け」の行方について、どのような見通しを持っておられるのか。「利己的な遺伝子」の生存機械のひとつとして、人類の今後が心配である。


『遺伝子は不滅である』目次
第1章 動物を読みとる
第2章 「絵画」と「彫像」
第3章 パリンプセストの深層で
第4章 リバースエンジニアリング
第5章 共通の問題、共通の解決策
第6章 主題の変形
第7章 生きているあいだの記憶
第8章 不滅の遺伝子
第9章 体壁の向こうへ
第10章 振り返る遺伝子の視点
第11章 バックミラーをもう少し見る
第12章 良い仲間、悪い仲間
第13章 未来への共通の出口

謝辞
解説/小林武彦
図版クレジット
参考文献
原注

 【著者紹介】リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)
イギリスの生物学者・作家。1941年ケニア・ナイロビ生まれ。英国王立協会フェロー。オックスフォード大学で学び、カリフォルニア大学バークレー校を経てオックスフォード大学講師。1976年刊行のデビュー作『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)が世界的ベストセラーとなり、その名を一躍知らしめた。その他、『神は妄想である』『ドーキンスが語る飛翔全史』『魂に息づく科学』『進化の存在証明』『盲目の時計職人』『虹の解体』 (以上早川書房刊)、『神のいない世界の歩き方』『進化とは何か』(以上ハヤカワ・ノンフィクション文庫)など著作多数。

【イラストレーター略歴】ジャナ・レンゾヴァー(Jana Lenzová)
スロヴァキア・ブラティスラヴァ生まれのイラストレーター、翻訳家、通訳。『神は妄想である』をスロヴァキア語に翻訳。『ドーキンスが語る飛翔全史』のイラストも担当している。 

【訳者略歴】大田直子(おおた なおこ)
翻訳家。東京大学文学部社会心理学科卒。訳書にドーキンス『ドーキンスが語る飛翔全史』『魂に息づく科学』、ワグナー『眠れる進化』(以上早川書房刊)、ホーキンス『脳は世界をどう見ているのか』、ドーキンス『神のいない世界の歩き方』(以上ハヤカワ・ノンフィクション文庫)ほか多数。

【書誌情報】
書名:遺伝子は不滅である
著:リチャード・ドーキンス
訳:大田直子
出版社:早川書房
発売日:2025/7/16
頁数:384頁
定価:4,500円+税

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