先日パキスタンの作家サアーダット・ハサン・マントーの短編集『グルムク・スィングの遺言』を読んだ。マントーという作家など知らなかったが、図書館でたまたまこの本の背表紙を見て題名が気に入り、本の装丁もよかったので借りた。パキスタンの物書きなら、見事なルポ『タリバン』の著者であるアハメド・ラシッドくらいしか読んだことはなかったが、マントーの小説も素晴らしかった。
マントーは1912年生まれ、つまり印パ分離独立前に生まれているのだ。ムスリム大学に入るも、9ヶ月で中退。その後作家として歩み始め、雑誌の編集長に もなる。1941年はデリーのオール・インディア・ラジオ勤務。1942-47年、ボンベイ(現ムンバイ)で映画シナリオ・ドラマ執筆。1948年、パキ スタンに移住し、新聞に寄稿。1952-53年、アルコール中毒で入退院する。1955年、ついに肝臓障害で死去した人物。
訳者あとがきによれば、マントーの本は週刊文春でも取り上げられ、「一般の書店では手に入らない。こんなに面白い本が売れないとは実に残念!」という書評だったとか。
マントーは印パ分離独立に伴う地獄を目の当たりにしているため、この体験が作品にも描かれている。以前の記事「タマス」「文学から見た現代インド」でも書いたが、インドの作家も同じテーマの「動乱文学」を書いており、その描写には言葉を失う。表題の「グルムク・スィングの遺言」もそんな「動乱文学」の典型。冒頭を抜粋したい。
「初 めはナイフでの殺傷事件が1、2起きた程度だったが、今では両派の絶え間ない衝突のニュースばかりになり、ナイフや小刀だけでなくクリバーン(長刀)やタ ルワール(刀)、銃までが当り前のように使われていた。手製の爆弾が炸裂したという知らせも頻繁に入るようになった。
アムリットサル(インド、パンジャーブ州の都市、シク教の聖地)では、ほとんど誰もがこの宗派間の暴動は長くは続かないだろうと考えていた。熱狂が冷えさえすれば、またもとの平穏に戻るだろう。これ以前にもアムリットサルではこのような暴動が幾度も起きたが、どれも長続きしなかった。1、2週間ほど殺し合いの騒動が続いた後、ひとりでに沈静化したのだった。それで、古い経験に基づいて人々はきっと今度の火勢もしばらくすれば衰え、やがて消えるだろうと思っていた。だが、そうはならなかった-暴動の勢いは日増しに強まっていったのだ」
題のグルムク・スィングとは人名であり、スィングからシク教徒なのが分かる。アムリットサルで暴動が起きて以来、ヒンドゥーの居住区に住むスリムが、ムス リム居住区のヒンドゥー、シク教徒が安全圏に移動し始める。ヒンドゥー居住区に住むムスリムの退職副判事がいたが、彼は暴動の成り行きを楽観視しており、 地区の他のムスリム住民と違い家から移動しなかった。運悪く元判事は病気に倒れてしまい、若い娘とまだ子供の息子が介護するが、脱出の機会を逃がしたの だ。
そんな時、今やムスリムと敵対している若いシク教徒が家を訪ねてくる。娘は警戒しながら家に入れると、自分はグルムク・スィングの息子であり、父の言いつけで食品を届けに来たと言う。
グルムク・スィングはかつて判事に大変な恩を受けたので、毎年高価な食品を贈り物として判事の家に届けていたのだ。彼は死ぬ前息子に、この先もずっと欠か さず判事の家に贈り物を届けるよう遺言する。グルムク・スィングが死亡したので、息子が代わりに来たのだ。事情を知り、感動する判事の娘。世話になった人 への贈り物など、日本でも珍しくない。
シク教徒の息子が判事の家を出るや、覆面をした男たちが彼を取り囲む。彼らは燃える松明、石油缶や燃えやすい物を持っていた。男たちは息子に言う。「どうだ、そっちの用は済んだのか?じゃ、片付けていいか、判事さんの件を」。「ああ-いいようにしろ!」と答えたグルムク・スィングの息子はその場を立ち去る。
暴動の中でもほっとさせられる話だと思いきや、結末で突き落とされる。判事の家は焼き討ちにされ、一家全員焼殺されるのを暗示しているのだから。インドの暴動には現代でも焼き討ちが付き物なのだ。
その②に続く
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マントーは1912年生まれ、つまり印パ分離独立前に生まれているのだ。ムスリム大学に入るも、9ヶ月で中退。その後作家として歩み始め、雑誌の編集長に もなる。1941年はデリーのオール・インディア・ラジオ勤務。1942-47年、ボンベイ(現ムンバイ)で映画シナリオ・ドラマ執筆。1948年、パキ スタンに移住し、新聞に寄稿。1952-53年、アルコール中毒で入退院する。1955年、ついに肝臓障害で死去した人物。
訳者あとがきによれば、マントーの本は週刊文春でも取り上げられ、「一般の書店では手に入らない。こんなに面白い本が売れないとは実に残念!」という書評だったとか。
マントーは印パ分離独立に伴う地獄を目の当たりにしているため、この体験が作品にも描かれている。以前の記事「タマス」「文学から見た現代インド」でも書いたが、インドの作家も同じテーマの「動乱文学」を書いており、その描写には言葉を失う。表題の「グルムク・スィングの遺言」もそんな「動乱文学」の典型。冒頭を抜粋したい。
「初 めはナイフでの殺傷事件が1、2起きた程度だったが、今では両派の絶え間ない衝突のニュースばかりになり、ナイフや小刀だけでなくクリバーン(長刀)やタ ルワール(刀)、銃までが当り前のように使われていた。手製の爆弾が炸裂したという知らせも頻繁に入るようになった。
アムリットサル(インド、パンジャーブ州の都市、シク教の聖地)では、ほとんど誰もがこの宗派間の暴動は長くは続かないだろうと考えていた。熱狂が冷えさえすれば、またもとの平穏に戻るだろう。これ以前にもアムリットサルではこのような暴動が幾度も起きたが、どれも長続きしなかった。1、2週間ほど殺し合いの騒動が続いた後、ひとりでに沈静化したのだった。それで、古い経験に基づいて人々はきっと今度の火勢もしばらくすれば衰え、やがて消えるだろうと思っていた。だが、そうはならなかった-暴動の勢いは日増しに強まっていったのだ」
題のグルムク・スィングとは人名であり、スィングからシク教徒なのが分かる。アムリットサルで暴動が起きて以来、ヒンドゥーの居住区に住むスリムが、ムス リム居住区のヒンドゥー、シク教徒が安全圏に移動し始める。ヒンドゥー居住区に住むムスリムの退職副判事がいたが、彼は暴動の成り行きを楽観視しており、 地区の他のムスリム住民と違い家から移動しなかった。運悪く元判事は病気に倒れてしまい、若い娘とまだ子供の息子が介護するが、脱出の機会を逃がしたの だ。
そんな時、今やムスリムと敵対している若いシク教徒が家を訪ねてくる。娘は警戒しながら家に入れると、自分はグルムク・スィングの息子であり、父の言いつけで食品を届けに来たと言う。
グルムク・スィングはかつて判事に大変な恩を受けたので、毎年高価な食品を贈り物として判事の家に届けていたのだ。彼は死ぬ前息子に、この先もずっと欠か さず判事の家に贈り物を届けるよう遺言する。グルムク・スィングが死亡したので、息子が代わりに来たのだ。事情を知り、感動する判事の娘。世話になった人 への贈り物など、日本でも珍しくない。
シク教徒の息子が判事の家を出るや、覆面をした男たちが彼を取り囲む。彼らは燃える松明、石油缶や燃えやすい物を持っていた。男たちは息子に言う。「どうだ、そっちの用は済んだのか?じゃ、片付けていいか、判事さんの件を」。「ああ-いいようにしろ!」と答えたグルムク・スィングの息子はその場を立ち去る。
暴動の中でもほっとさせられる話だと思いきや、結末で突き落とされる。判事の家は焼き討ちにされ、一家全員焼殺されるのを暗示しているのだから。インドの暴動には現代でも焼き討ちが付き物なのだ。
その②に続く
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私も行きつけの図書館にアジアの現代文芸シリーズが置いてあったので、読めた次第です。書店ならありませんし。
インドやパキスタン以外の文学も面白そうなので、私もそのうちに読んでみたいと思います。