用意した資料…残りは「全部捨てちゃうんです」 激変した京都「5年前とは全然違う」
京都の曺貴裁監督「僕はいつも新鮮な感情で選手に話そうと思っている」
9月の代表ウイーク直前の8月30日のJ1第28節・ファジアーノ岡山戦。京都サンガF.C.は序盤に先制点を奪われたかと思われたが、VAR判定で取り消しになるというラッキーなスタートを切った。そこから安堵することなく一気にペースを引き上げ、前半だけでラファエル・エリアスの2発と原大智の1点で3-0とリード。後半にも中野瑠馬と奥川雅也という両アカデミー出身者が2ゴールを追加し、終わってみれば5-0の圧勝。首位をガッチリキープし、中断期間に突入することになったのだ。(取材・文=元川悦子/全8回の4回目) 【実際の映像】曺貴裁監督が判定に大激怒した瞬間「試合やめようと」 ◇ ◇ ◇ 今季はエースのエリアスが15得点と絶好調で、10年ぶりに復帰した奥川が7点、原も4点と点を取るべき選手が取っている印象が強い。それはもともとの彼らのポテンシャルの高さによる部分も大だろうが、曺貴裁監督の巧みな選手マネジメントによるところも少なくない。特に指揮官のミーティングのバリエーションの豊富さについては、キャプテンマークを巻く福岡慎平も絶賛していたほどだ。 「ミーティングっていつも僕はアウトプットする側じゃないですか。インプットするのは聞き手、つまり選手たちなんですけど、どうしてもアウトプット側よりインプットする側の温度が高いというのはあり得ないこと。聞き手は『何、話すのかな』という程度でのぞんでくるので、彼らの温度を上げることを考えながら準備をしています。 よく覚えているのは、2016年リオデジャネイロ五輪で男子の100メートル×4のリレーで日本が銀メダルを取ったチームの話を引用したことですね。 日本は山縣亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥という陣容でしたけど、100メートルで10秒切っている選手は1人もいなかった。でもバトンの技術とかスタートの駆け引きとかでカバーしたという話をたまたま記事で読んで、『これってウチのスタメンと途中出場のリレーションを同じだな』と感じた。バトンを渡すときに安全ばかり考えていたら、10秒行かない4人では勝てないけど、それぞれが弱点をカバーしあいながら戦ったから銀メダルを取れたんだと思いました。 そういう話を試合直前のミーティングで話したら、聞き手の温度も上がる。そういう工夫はつねにしています」 曺監督はさまざまな物事に目を向けていることを明かす。 福岡は「曺さんはアメフトやラグビーの映像も使って話をすることがあります」とも話していたが、実は8月24日のFC東京戦のときも“秘蔵映像”を用意していたという。 「残り10戦近くなってきた今はもうラストスパートの時期。あの日はラストに追い上げているカーレースの映像、陸上競技で第4コーナーを回っている映像を試合前に使おうと思って用意していたんですよ。でも話しているうちに『使わなくていいや』と思って見せなかった(笑)。話の温度で使わなかった映像や資料はけっこうあります。 彼らが実際に見たのは僕が用意した半分くらいかな。そうなると、残り半分は次に生かすことができるんですけど、自分はそれをやらない。全部捨てちゃうんです。 『もったいない』という気持ちもあるけど、感情って2度と同じにはならない。僕はいつも新鮮な感情で選手に話そうと思っているんで、前に用意したものを使わないんです」 曺監督は強いこだわりを口にする。確かにサッカーというのは生き物だから、つねに状況が変わるし、選手たちのメンタルも揺れ動く。そこに響く言葉や情報を投げかけようと思ったら、そのときのパッションを大事にした方がいい。彼はそう考えるからこそ、前に作った映像や資料を潔く捨てるのだ。 「FC東京戦のハーフタイムに2日前の柏レイソル対浦和レッズ戦の話をしたんですけど、『引きすぎたらやられるぞ』ということをシンプルに伝えたかった。普段のハーフタイムは前半の映像を見せるんですけど、それだけじゃ頭に入らないと思ったし、選手たちもあの試合の映像を見ていて、どういう展開だったかを知っていたので、言葉だけで十分伝わると判断して、例を出したんです。 ハーフタイムの指示というのは難しくて、現場でリアルで見ているときは『あんまりよくないな』と感じても、映像を見返すとそんなに悪くないと感じることもある。その逆ももちろんありますよね。指揮官の見る目というのは万能じゃないから、つねに正解とも限らない。何年やっても難しいなと痛感します。 一番簡単なのは、15分間に話す内容を事前に決めて、選手の顔色を見ずに淡々と話すこと。自分のシナリオを伝えるということですね。でも監督はそうはいかない。後半よりよい戦いをしていくために、彼らの様子を見ながら臨機応変に話をしないとダメなんです。 時間も短いし、選手たちも疲れていますから、複雑なことは言っても入っていかない。ポイントも3つでも多すぎるから、2つまでかなと思っていて、あとはマインドセットすることが大事だと考えています」 日本代表の公式映像を見る限りだと、森保一監督は選手個人と向き合って話をしているケースが多いようだが、曺監督はチーム全体に向けて最小限の指示を送るというのが1つのスタイルのようだ。自身の発信は少なくして、あとは選手同士で話して解決してもらえばいいという思いもあるのだろう。指揮官のメッセージが時間を追うごとに浸透していった効果なのか、最近の京都は選手たちがディスカッションしている姿が大いに目に付くようになったという。 「選手たちは本当によく喋っている。それは5年前とは全然違うんですよ。話に参加する人数が増え、内容のレベルも上がっている印象を受けています。僕は調整役として参加している感覚ですね」 指揮官が確固たる前進を実感しているように、京都の選手たちは自己解決能力が着実に上がっている。曺監督のミーティングの工夫は個々の成長、チームの成熟度アップに大きく寄与しているのだ。 [著者プロフィール] 元川悦子(もとかわ・えつこ)/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙や夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。日本代表は97年から本格的に追い始め、アウェー戦もほぼ現地取材。W杯は94年アメリカ大会から8回連続で現地へ。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。
元川悦子 / Etsuko Motokawa