Fate/hollow ataraxiaが永遠に続いて欲しかった
永遠に続いてほしい。
終わらないでほしい。
ゲームをクリアしそうになる時、いつもそう思う。
やっぱり、寂しい。好きなゲームが終わる時、寂しいんです。アニメも、漫画も、「最終回」だけ読めなくなります。終わるのが寂しいから。終わりなんか必要ない。ずっと、楽しい時間だけが続けばいいんです。
現実だって変わらない。
好きな人と話している時、この会話が終わらなければいいのにと思う。別れたくない。ずっと一緒に話していたい。線香花火を見ていると、永遠に燃え続ければいいのにと思う。落ちなくていい。ずっと輝いてみせて。
ずっとずっと、楽しいままでいたい。
怖くて寂しいから、何も変わらないでほしい。
私は保守的で、小心者で、頭が固くて、面白みのない人間だから、なによりも平穏な「今」が変わらずにあり続ければいいと思ってしまう……みたいなことを、『Fate/hollow ataraxia』を遊びながら考えてました。
いや、前置き長っ!!
でも、私は本当に……『hollow ataraxia』が永遠に続いてほしかったです。ずっとこのゲームが続けばいいのに。そう思っていました。
ゲームが永遠を終わらせようとしてくる
このゲームは、街や学校で、みんなと平和な日常を過ごす。セイバーとイチャイチャしたり、シンジとイチャイチャしたり、一成とイチャイチャしたり……とにかく、平穏で幸せな4日間を繰り返していく。
それがシンプルに楽しくて、「こんなに楽しい日々が永遠に続けばいいのにな……」と思ってしまう。うん? いま「永遠」って言った? でも、こんなの色彩レギュレーション違反したいでしょう!!
自分は「平和な二次創作」が大好きで、それをよく見てしまう。
争いもない、諍いもない、ずっと楽しくて平和な日々。あれは公式だけど、衛宮ご飯とかカニファンとかも大好きだし……あと、型月のコンテンツだと「Tmitter」が一二を争うレベルで好きなんです。あれ未だに年イチくらいでログ見返してます。
まさに『hollow ataraxia』はそんなウソみたいな日常を見せてくれる。公式の二次創作みたいな話がずっと続く。それを願った人がいるかのように。
だから、プレイヤーの自分としては、「こんなに楽しい日々なんだから、このゲームが永遠に続いたっていい」と思う。別に、100時間でも200時間でもやっていい。これはもう、どうぶつの森と同じだ。あの手のゲームに、ハナから終わりなんて求めちゃいない。永遠に続けていくことが目的だ。
でも、ゲーム側は停滞の破壊を促してくる。
どうにかこうにかして、この4日間を終わらせる方向に仕向けてくる。「あなた、この異変を解決しないと、獣に食われて死にますよ?」みたいなデッドエンドばっかり見せてくる。「こんなものは虚ろな楽園ですよ、とっととループ終わらせてください」みたいなメッセージウィンドウが見える。
クソッ、いいじゃないか!
別に、永遠に続いたっていいじゃないか!!
こんなに楽しいんだから、終わらせなくたっていいでしょう!?
おかしい、逆な気がする。こういうのって、いつも「幸福な夢を見せる敵vsそれを打ち破る主人公」みたいな構図に持ち込まれるはずなのに、なんか私の気持ち的には「平和なイベントを永遠に見続けたい私vs停滞の破壊を促してくるゲーム」の構図になっている。よこせッ、永遠!!
橋のアーチャーと風雲イリヤ城
でも、本当に楽しいイベントばっかり見られるから、「ご褒美」みたいなゲームですよね。「ファンディスク」ってこういうことか。ランサーの釣りイベントとか、もう普通に笑っちゃった。アーチャー、嘘だよな……?
あと……みなさん、「お前、そういう日常系好きなのになんでhollowやってなかったの?」と思われているでしょう。だって、対応ハードが少なかったんだもん。PSVita持ってなかったし! むしろやっとだよ! たしかにいろいろネタは知っちゃってたけど、やっと実機でhollowやれたんですよ!
そういう意味でも、私にとっては「待ち望んでいた永遠」なんです。
でも、ゲーム側はそれを終わらせようとしてくる。締め切りを催促するかのように、どんどん「ほら、終わらせないと……」みたいな空気を出してくる。やめて! 終わらせたくない!! やっと出会えたのに!!
そのくせ、ちょっと頑張ってゲームを進めようとすると、いつも橋の上でアーチャーに殺される。橋を超えようとすると、何度でもアーチャーがヘッドショットしてくる。アイツなんなんだ? これは冬木市から出ようものなら大型トラックに乗ったアーチャーが轢き殺しに来るんじゃないか?
あと、ゲーム終盤に何をどうやってもストーリーが進行しなくなってしまい、「あれ?これ詰んじゃったかな?」と思っていたら……まさかの風雲イリヤ城を放置していたせいで、アインツベルン城が解放されておらず、そのせいで詰んでいたことが発覚した時は流石に大横転でした。
いや……まさか風雲イリヤ城がストーリー進行上必須のイベントだと思わないじゃん!? あの導入から「おっ、これはクリアしないとストーリー進行に関わるやつだな」と確信できるプレイヤーはいるのか!?
しかも、イリヤ的には「ループを続けたい気持ちも本当だから、それなりにガチで妨害してきている」という真面目な設定があるのだから、余計どういう気持ちで受け止めればいいのかわからない。たしかに、イリヤが車に乗って突っ込んでくる3つ目のステージ難しかったけど……。
私、バゼットさんに似てるんだ
都合のいい幸せを。
都合よく受け止められない、骨の髄から捻じ曲がった正義の味方。
「はい。貴方も、多くの者も、それを批難するでしょう。
ですが私は尊いと思う。」
よく出来た物語を見るように、彼女は笑って明日をつむったのだ。
「ええ、その誇りを守り続ける。
この身は最後まで、貴方の剣として在りましょう」
誰がどう見ても、これは理想郷だった。
だけど、その間違いを正したくなってしまう人がいた。
衛宮士郎は、そういう人間だった。
そして、セイバーはそんなあり方を尊いと思っていた。もう、永遠推進派の自分ですら、一瞬「士郎とセイバーがそう言うなら……」と頷きかけたくらいにはいいシーンだと思う。これは、間違いを正したくなってしまった正義の味方と、ロックスターのお話だった。
ストーリーを進めるごとに、刻一刻とこのゲームの終わりが迫ってくる。ふと思った。寂しい。この夕暮れに佇むセイバーさんを見た時、余計そう思った。「いつまでも続いて欲しい」という願いは、いつも寂しさから生まれてくる。終わらないでくれ。いつまでも、この夢を見続けたい。
つまり、「この4日間が永遠に続いて欲しい」とストーリーに対して永遠を求める自分と、「Fate/hollow ataraxiaというゲームが終わりに向かっていることが寂しい」とメタ的にゲームそのものに対して永遠を求める自分が同時に存在して、なんとも奇妙複雑な入れ子構造が完成してしまったのだ。
こんな願いを持つ人間は、きっと私のように、保守的で、小心者で、頭が固くて、面白みのない人間なんだろうなと思っていた。実際にいた。この4日間を作り出してしまった元凶であり、保守的で、小心者で、頭が固くて、面白みのない人間バゼット・フラガ・マクレミッツ。
もう、私はバゼットさんの気持ちに入りこんでしまって仕方がなかった。即座に「……そっか私、バゼットさんに似てるんだ」スイッチを押してしまったくらいには、バゼットさんの気持ちに肩入れしてしまっている。
自分が嫌いで、一生好きになれなくて、少しでも上等な自分になりたくて足掻いてきた。不器用の極み。だからもう、辛い現実になんて戻りたくない。永遠が目の前にあるなら、それを手にしない理由はない。たしかな幸せがそこにあるのに、なぜそれを手放すのか。これ……私のことだ……。
永遠の終わり
『hollow ataraxia』自体は、最後まで終わりのないループを打開するためのゲームだった。あくまで、終わらせるために頑張るゲームだと思う。
でも、いざ終わりそうになったら、イリヤとかキャスターみたいな現実に結構思うところありそうなヤツらが「できるならもっと続けたかったぜー!!」って感じで勢いづいてくるのが、泣ける。そうだよね。こんな夢、たとえウソでも見続けたいに決まってる。もう泣いちゃう。
そして、未来に生きる誰かのために、その願いを手放していく。だから、かっこいい。型月のゲームを遊ぶと、いつも「すごい思想がかっこいいゲームだな」と思う。例に漏れず、『hollow』もそんな感じ。望んでいたはずの今を捨てて、未来へと還っていく。なんてかっこいい連中なんだ。
なんであれ命がまだあるのなら、まだ十分成すべき事がある筈だ。
それが可(ぜん)でも不可(ぜん)でも構わない。
そもそも現在(いま)を走る生物に判断など下せない。
全ての生命は。
後に続くものたちに価値を認めてもらうために、
報酬もなく走り抜けるのだ。
終わりのない4日間のなかで、ずっと頑張り続けたバゼットさん。その頑張りは、努力は、この無意味だけど楽しかった夢は……全部無駄だったの? いや、そんなことはない。無駄だとわかっていても、走り続けたこと自体はいいんじゃない? 自分のために進んだなら、よかったんじゃない?
ウッ…………きのこ!!
これ、すごい素朴な肯定だと思うんです。
でも、めちゃくちゃいい。
「頑張ってきたなら、それでよかったじゃん」って、もう足元に転がってるくらいの素朴なねぎらいの言葉だと思うけど、それでいい。バゼットさんにはそれが必要だった。永遠に続けたのは、間違いじゃなかった。
永遠の理想郷とか、誰もが望むウソみたいな夢とか……そういうのを否定・破壊するゲームなようでいて、その願いには応えている。それを必要とする気持ちは、肯定してくれる。『hollow』って、最高のゲームです。
いつも、好きなゲームがエンディングを迎えてしまう時、「永遠に続けばいいのに」と思います。「終わらなければいいのに」と思います。このゲームも、絶対そうなるはずだった。結局、また寂しさを抱えて、最後はひとりになってしまう。全部終わったら、孤独感と虚脱感だけが待っている。
でも、不思議と『hollow ataraxia』は、そうは思いませんでした。
いろいろ理由はあると思う。そもそも、そういうテーマに向き合った作品だから、「これはいつか終わる永遠なんだ」と覚悟ができていた。そして「終わりの続き」を見に行く。エンディングの、その先へと歩いていく。
そういう作品だから、あの「終わらなければいいのに」という寂しさから解き放ってくれた。終わりを超えた先にあったのは、不思議と爽やかな気持ちだった。クリア後にこういう気持ちになるゲーム、自分としてはかなり珍しかったです。夢を手放したのに、なぜだか、晴れやかだった。
だから、なにかが終わってしまうことに「寂しい」と感じたことがある人、そのツラさから「最終回」のページをめくれなかった人、思い焦がれて永遠を追い求めたことがある人こそ、『Fate/hollow ataraxia』を遊ぶべきなんだなと思いました。あの寂しさを、乗り越えていく作品でした。
『Fate/hollow ataraxia』が、永遠に続いて欲しかった。
その願いを手放して、ようやく完成するゲームなんだと思います。
18禁版しかやってないので、全年齢版でもロックスターのシーンでカレンの乳首勃ってるんだなとしみじみしました。(最低の感想)