今回だが、日本仏教の主要宗派について、その戒律観を調べたいと思っている。主要宗派の選び方だが、色々なご意見があると思うし、日本史や日本仏教史が好きな人であれば、奈良仏教・平安仏教・鎌倉仏教・江戸仏教・明治仏教のように、時代毎に見ていきたいのかもしれないが、それは手間がかかり過ぎ。
よって、江戸幕府が認定していた、いわゆる十三宗派を中心に見ていきたいと思う。
◎奈良仏教
・華厳宗
・法相宗
・律宗
⇒元々この3宗派の戒律観は、律宗を中心に同一のものだったといって良い。端的にいえば、僧侶自身の資格に関わる部分で、沙弥戒と比丘戒を基本としつつ、僧侶自身の信仰や在家への授戒に菩薩戒を併用するということである。特に、華厳宗や法相宗は倶に大乗仏教であるから、菩薩戒の位置付けをどうするかは、当初から大きな課題であった。そして、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、東大寺を中心とした受戒制度が衰退し、それを、覚盛や叡尊などが復興する中で、いわゆる「通受戒」の思想が確立され、瑜伽戒の三聚浄戒に、比丘戒も梵網戒も取り込んだ戒観になっている。
◎平安仏教
・天台宗
⇒出家時は沙弥戒を用いていた可能性があるが、その後、『授菩薩戒儀』を用いて、三帰・三聚浄戒・梵網戒(十重禁戒・四十八軽戒)を受ける。なお、特に日本天台宗の菩薩戒は、「円頓戒」と呼称される。
・真言宗
⇒出家時は沙弥戒を用いると思われる。また、比丘戒も用いているはずである。少なくとも、江戸時代の戒律復興で活動した真言宗僧侶は、用いていた。それで、伝法時の三昧耶戒に繋がるはずである。
・融通念仏宗
⇒開祖である良忍上人は天台宗の円頓戒の復興者・伝持者としても知られているので、戒学は天台宗と同じか。ただし、同宗は一度、総本山である大念仏寺自体の廃絶などもあったため、中興後の教学について大通融観上人『融通円門章』(1703年成立、『大日本仏教全書』巻64に所収)を通して考察されるべきか。全10条よりなる同書の「第七内衆規則」を見ると、「己身に如来蔵有り、修行して成仏を得べし。〈中略〉是の故に捨悪修善して自心を離れず。然る後に三聚浄戒を受け、十重四十八軽を護持す」とあって、やはり天台宗の円頓戒に準じた戒学を保持していることが理解出来よう。
◎鎌倉仏教
・浄土宗(専修念仏宗)
⇒開祖である法然上人は元々天台宗で出家し、いわゆる円頓戒を受けており、更には良忍上人が伝持した戒学を叡空上人から正統に受け継いだ人である。よって、基本は天台宗の円頓戒となる。なお、中世から近世にかけては、師資相承を重視する「布薩戒」も併用されており、「布薩戒」も当初は菩薩戒との交通も存在したが、徐々に念仏中心の発想へと転換されていき、明治時代初期に福田行誡上人によって「布薩戒」は停止されている。
・浄土真宗
⇒開祖である親鸞聖人は元々天台宗で出家し、いわゆる円頓戒を受けていた。しかし、その後、「建永の法難」により法然上人ともども僧侶としての資格を剥奪されて、「藤井善信」の名を与えられる。そのことを、『顕浄土化身土文類』巻尾にて「あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。しかれば、すでに僧にあらず俗にあらず。このゆゑに禿の字をもつて姓とす」とあって、いわゆる「愚禿釈の鸞(親鸞)」(同上)と名乗ることとなった。これ以降、同宗派に於いて戒学は振興しなかった。ただし、歴代の本願寺法主には、天台宗で出家した場合もあり、その際には当然に円頓戒を受けたことだろう(例えば、浄土真宗の中興の祖とされる本願寺8世・蓮如上人は天台宗青蓮院で出家得度した)。
・臨済宗
⇒拙僧ども曹洞宗と近侍する宗派であるが、拙僧自身、勉強不足が甚だしく戒学は良く分からない。中世から近世中期頃までの清規関係の文献を見る限り、おそらく、出家時には沙弥戒を用い、その後、我々洞門と同じ「十六条戒(三帰戒・三聚浄戒・十重禁戒)」も伝授すると思われる。
・曹洞宗
⇒宗派内で高祖と尊称される道元禅師は元々天台宗で出家したので、いわゆる円頓戒を受けていたと思うのだが、日本にいる間に京都・建仁寺開山の栄西禅師所伝の臨済宗系の戒を伝授し、更に自らも中国に留学し、曹洞宗の法脈を受け継ぐ際に戒学を更新した可能性が高い。そして、その後の時代には、若干の変遷があったが、江戸時代に様々な論争が行われた。「沙弥戒」については開宗当初は用いられていたはずだが、江戸時代の論争の結果、戦後に入って完全に採用されなくなり、出家時から常に「十六条戒(三帰戒・三聚浄戒・十重禁戒)」のみを伝授する。なお、曹洞宗ではこの戒体系について、道元禅師が命名した「仏祖正伝菩薩戒」と呼称する。
・日蓮宗
⇒開祖である日蓮聖人は元々天台宗の清澄寺(現在の千葉県鴨川市内)で出家したため、円頓戒を受けていたものと思われる。ただし、この宗派は、やはり『妙法蓮華経』への信心を深め、いわゆる唱題を重視するなどしているため、戒学が振興した様子は見られない。ただし、「本門の妙戒」という戒を挙げつつ、実態は「南無妙法蓮華経」と唱題させるばあいがあるとはしょうちそているため、結局は唱題に戒学を包摂しているのだろうと思われる。
・時衆(時宗)
⇒開祖である一遍聖人の伝記を見る限り、一度天台宗で出家したので、円頓戒を受けていると思いがちだが、30代に入り一度還俗し、再出家をしており、しかも、その因縁は詳しいことが分かっていない。ただし、信濃・善光寺に訪れるなどした。そして、36歳の時には天王寺にこもって十重禁戒を受けたとされるので、いわゆる「梵網戒(菩薩戒)」を受けたといえよう。また、各地で「不殺生」を説くなどしているので、一定の戒学が存在すると思われる。しかし、それ以上のことは、資料等の不足などにより、現段階では不明。
◎江戸仏教
・黄檗宗(臨済宗黄檗派)
⇒江戸時代に隠元隆琦禅師が伝えた宗派であるが、戒学としては、いわゆる明朝禅の影響を受け継ぎ、「弘戒儀式」(『黄檗清規』「第五梵行章」所収)による授戒を重視した。端的にいえば、三帰戒・五戒・沙弥十戒・比丘戒・菩薩戒という順番で、段階的に授けていく方法である。なお、受者の必要に応じて、授ける戒を別にしている。
とりあえずは以上である。繰り返しになるが、拙僧自身の学びの不足から、正しい理解がどこまでされているか、極めて不安ではあるが、誤りは正しい認識の元になることなので、以上の通り論じたものである。特に分からなかったのが、真言宗・臨済宗・時衆である。真言宗は、分派が多すぎて、本来であれば様々な歴史的事象を挙げていかないと、分からないのだと思う。臨済宗は、結局江戸時代の妙心寺派に白隠慧鶴禅師が出て公案中心になってしまったので、戒学の位置付けが本当に分からない。時衆も体系的な教学の存在そのものが不明(勿論、失礼なことだとは分かっているので、もし、ご存じの方は文献などを教えて欲しい)。
ということで、あくまでも備忘録的な記事ではあった。
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