ゲームゲノム

あなたの心に刻まれた“ゲームの遺伝子”を呼び覚ます!

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ゲームの遺伝子解析記録vol.21『信長の野望』

いつも番組をご視聴いただきありがとうございます。ディレクターの島田嶺央です。「ゲームゲノム」では、『パワフルプロ野球』回についで2度目の登板となりました。

今回は、主にゲーム部分の取材やロケを担当したのですが、私自身“信長の野望”は知ってこそいるものの、プレイしたことはなく、正直ファンの皆さんの期待に沿えるか、プレッシャーを感じながらの制作でした。なにせ本作は、誕生から40年以上。あのファミコンより4か月前に登場し、初代はカセットテープからのスタート。そこから現代に至るまでシリーズが続いているレジェンドタイトルです。この短期間で40年以上続いてきた本作の魅力に迫ることができるのだろうか…。そんな不安を払拭するために辿った道のりを紹介したいと思います。

●初プレイ!アクションとリアクションの納得感

『信長の野望』は、歴史上存在した1人の大名となって、他国の城を攻め落とし、領土拡大、天下統一を目指していくゲームです。武田信玄や上杉謙信など天下統一はかなわなかった武将たちはもちろん、あまりメジャーではない弱小大名からでもその夢に挑戦することができます

私はひとまず『信長の野望』ということで、織田信長でプレイしてみることにしました。シナリオは、信長元服。信長の一生を体感すれば、本作のエッセンスがわかるのではないか、そんな軽い気持ちでした。

信長が元服した(信長は13歳で元服し成人となった)頃、織田家は今の愛知県尾張地方を治める小さな大名でした。領地は少なく、周囲は岐阜県を中心に大きな勢力となっている斎藤家、そして静岡県から愛知県の南側の三河地方まで従える大国・今川家に挟まれ、それはそれは厳しい状況からのスタートです。

※数倍の兵力の斎藤家・今川家に挟まれた織田家。いざこの状況に置かれると、ここから天下に名を轟かせた凄みを実感。そんな歴史に思いを馳せられるのも魅力の一つ。

ここから領地を拡大していくため、プレイヤーが行うことができる要素が大きく3つあります。

1つ目は内政。自分の領地を開発し、兵力やお金を稼いで国を強化する。

2つ目は外交。お金を使って、他国と交流し、同盟を組んだり援軍を頼める信頼を得る。

3つ目は軍事。敵国へ出陣したり、謀略を仕掛けて敵を攻撃する。

要するに、自国を強化し、敵と戦うことはもちろん、他国と協力したり、はたまた謀略を仕掛けて弱体化させたりしながら、知恵を絞って領地を広げていくこともできるという仕組みです。これらを繰り返していくことで全ての領地を自国のものにする―つまり天下統一を目指していきます。

“戦国”と聞くと派手な合戦―まさに大名同士の勝敗がはっきり決まる出来事に注目しがちですが、それだけでなく当時戦国大名がやっていたであろう、戦いに至るまでの政治をもシミュレーションできるようにしたことが本作の発明と言われています。

※最新作“新生”では、19種類ものコマンド(行動)が存在。シブサワさんは当時戦国武将がやっていたことをすべて書き出しコマンド化していった。

しかし、こちらも初心者。とりあえず兵力が上回れば勝てるだろうと、農村を開発し兵力を増やし、領地の南に接する1つしか城のない松平家を攻めてみることにしました。

松平家の兵力はせいぜい2000ちょっと、織田家は7000ほどと圧倒的有利な状況です。「これを倒したら家康も仲間になるかもなー、へへ」なんて思って気楽に攻め込んでいるとどうしたことか、大国・今川家から兵が駆けつけてきました。そう、松平家は今川家と同盟関係にあったのです。

※松平家のピンチに駆け付ける今川軍。こうした各国の外交関係をしっかりとつかんでおくことも攻略のカギ。

援軍が合流した松平家との戦力は五分。「これはなかなか面白くなってきたぞ」なんて思っていると、今度は北の斎藤家に動きが…。

なんと斎藤家が留守になった我が領土に攻め込んできたのです。松平家との闘いに全軍出陣していた我が織田家の城には、誰1人として兵が残されていません。そこに4000の兵がやってくるのです。松平・今川軍、そして斎藤軍双方から攻められた織田家はみるみる間に領土を失いあっけなく敗北。私の初“信長の野望”は、プレイ開始1時間と持たず幕を閉じました。

厳しい…!なんと厳しい…!

昨今の易しいゲームでは、序盤はチュートリアルと感じさせない、チュートリアル的な敵がいて、プレイしながらゲームの仕組みを覚えたり、助走をつけさせてくれたりします。織田家の脇にいるたった1つしかない敵、きっとこいつがそれなのだ、と。私は令和に染まり切った己を恥じました。ここは戦国。そんな甘い考えは毛頭通用しないのです。

これは骨が折れるゲームだぞ、と覚悟を決めると同時に、私は攻め落とされた理由を考えました。それは至極当然なことで、コンピューターとはいえ相手も戦国大名。常に領地拡大のチャンスを狙っていて、「近くの小国同士が争って、本拠が手薄になっている。ならば攻めとってしまおう。」……とても納得できる理由と行動です。

この“アクションとリアクションの納得感”。私は、まずこれが面白いと感じました。本シリーズは、ありとあらゆる現状がデータと数字で表現されています。しかし、その奥にちゃんと人間の思考や考えが、読み取れるようできているのです。

例えば、ゲームを進めて城を手に入れると、そこに家臣を配置し、管理を任せることができます。しばらくして、勢力が拡大し、武力に優れた武将を前線の地に固めようと移動させることにしました。ところが、前線の城は数が少なく全員を城主にすることはできません。

そこで、若手の侍大将・前田利家の城に、“支えてくれ”という意味合いも含めて家老の柴田勝家を城主より肩書の低い領主、つまり家来として配置することにしました。すると途端に…“無念とはこのことぞ!”と悪態をつき、柴田勝家の忠誠度が下がったのです。

※上司の意向を理解しつつも、にじみ出る怒りを匂わせる柴田勝家。

なんと人間臭い!

「そりゃ、自分の城から外されただけでなく、後輩の部下にされたら腹立つよなー、悪いことしちゃったなー」なんて気持ちがわくと同時に、どんどん武将たちが生きた人間に感じられるのです。

さらにそんなプレイヤーの申し訳なさに応えるかのように、家臣の忠誠度を得るためのシステムも用意されていました。それが、家宝の授与です。自分の宝物をプレゼントすることで、家臣の忠誠度を高めることができるというものです。

忠誠度が低いと袂を分かち出て行ってしまうことはもちろん、他国に寝返ったり、戦で早々に退却するようになってしまいます。優秀な柴田勝家に出ていかれてしまっては困ります。そこで私は、「勇猛な勝家、きっと武器が好みだろう」と、信長の愛刀とも言われている“へし切長谷部”をプレゼントすることにしました。すると…

“それがしの好みをご存じとは!”と大喜び。忠誠度がぐっと向上しました。

「さっきまであんなに怒っていたのに、現金なやつよのぅ」と思いつつも、やはり嬉しくもあり、そんなやり取りを重ねるうちに家臣たちが愛おしくすら感じられるのです。

このように戦国武将がやっていたであろうことを内政や外交に加え、人事や褒章といった細かい部分までコマンド化したことはもちろん、そのアクションに対するリアクションが丁寧に作りこまれていること、ここに本作の凄みがあると思いました。

自分の行動による世界の変化、それが情勢から個人の感情まであらゆる場面において納得できる形で表現されているからこそ、本当に戦国時代を生きているような気分となり、それゆえに史実とは違った歴史にも納得感を持つことができる。これをどんな武将、どんな状況、どんな選択をしても齟齬なく実現するのは相当緻密な設計が必要なはずです。本作がシミュレーションゲームの金字塔として長年愛されてきた神髄を知ることができました。

●納得感が揺さぶる感情

この納得感は、プレイヤーの感情を揺さぶることにも繋がっていました。それを痛感したのが、京都の名家・三好家との戦いです。桶狭間の戦いを経て、今川を倒し、道三なき斎藤家を滅ぼした後、我が信長は野望に向かい、近畿地方への侵攻を進めていました。

後の豊臣秀吉や明智光秀など優秀な家臣を従えた信長の勢いはすさまじく、琵琶湖の東を治める浅井長政を倒し、まだ戦力に余裕があった私は、「えーいこの勢いで琵琶湖の回りの城全部落としたれー」と、戦続きで兵力が乏しい部下たちを率い、琵琶湖の南に位置する六角家をも降伏させました。

※青が自軍の領地、緑は同盟国を表しています。 

六角家は、織田家の戦力に畏れをなし、従属することで停戦を願い出てきました。私は同盟国の戦力を削ることもないか、と受け入れ、六角家も賢明な判断をしたものよ、とまさに殿様気分を味わっていました。

しかし、順調に領土拡大し満足した私が、兵を城に返そうとしたとき、事件は起こりました。京都から三好家が7万の大軍を率い、攻めてきたのです。万全なら10万を超える兵たちも連戦がたたり2万程度まで減っていた隙を突かれました。これはまずいと焦る私にさらなる衝撃が襲います。先ほど降伏し、我が軍に臣従していた六角家が三好家に寝返り、北と南双方から攻めてくる事態になってしまったのです。

※緑の同盟状態だった観音寺城・佐和山城を収める六角家

※三好家の出兵と同時に赤い敵国へと変貌。琵琶湖の北と南から挟撃を仕掛けてくる大ピンチ。「謀ったな!六角承禎。許すまじ…。」

我が家臣たちは、まんまと挟み撃ちにあい、次々とやられていきます。私が調子に乗って進軍を繰り返したあまりに、防衛する兵力はほとんど残っていないからです。結果、バランスの良い能力で私を支えてくれていた家臣・山内一豊が殺されてしまいました。

※政務や武勇に優れ、史実では秀吉、家康に仕え、土佐の領主として名をはせた名将も、この世界では18歳にて命運尽きた。これも歴史のif…。

私は…私は、なんと浅はかな決断をしてしまったのだ。言いようのない後悔に襲われました。

たかがゲーム。死んだといってもそれは架空のデータが消えたに過ぎず、現実には一切の影響はありません。再びロードすれば、何事もなかったかのように私が調子に乗って進軍する前の状態に戻れるでしょう。

しかし、自身の判断が敵の行動を引き起こしたことが明確に理解できるため、逃れられない責任を感じるとともに、ゲームの中で積み上げられた人間らしさを感じる体験の数々が、決して消えることのない深い後悔という感情を確かに与えてくれるのです。

その事実は、決してやり直しても消えることはなく、その責任こそが1つ1つの“判断”を重たい“決断”に変えてくれるのだと感じました。

●この魅力を表現するに最適な武将は誰か…

そんな本作の魅力の一端に触れた私は、“政治を駆使し”、“もしもの時代を築く”、その根底にある“プレイヤーの行動と納得感ある世界の変化”、そして“感情のゆらめき”、それを限られた番組尺で端的に伝えられる武将は一体誰か、思案を重ねました。

もしもの時代、という意味では明智光秀が天下統一したら…など、一般的にわかりやすい“もしも”が感じられる武将が良いのではないか、という意見もチームではあがりました。しかし、天下統一まで見せるとなるとかなりロングスパンで描く必要もあり、政治による山場をどうわかりやすく描けるか、少しひっかかりもありました。

何かもっと「信長の野望」のファンも、全く歴史を知らない人も、システムについて理解しながら、熱い気持ちになれる武将はいないものか…。

そんな時出会ったのが、小田氏治でした。

元々「信長の野望」ファンの方からは、“フェニックス氏治”として愛されていた小田氏治。史実では、故郷の小田城を様々な敵に攻められ、9度も落城しながらも、その度に民に支えられ、再起し取り返してきた、まさに不死鳥ともいえる武将です。その落城回数の多さから“戦国最弱の大名”ともいわれています。

そんな1つの城に生涯を賭けた小大名・小田氏治が、天下統一できればそれは“もしもの歴史”に違いありません。しかも、氏治の持っている領地は当然小田城の1つのみで戦力は乏しく、また9度落城したこともあってか、ステータスも有名武将のような恵まれたものではありませんでした。つまり、数や力で押し勝つ合戦は望めず、外交や調略を駆使した政治力が問われる、まさに本作の醍醐味である政治シミュレーションの奥深さを伝えるにはうってつけの武将だと思いました。

そして何より弱い武将が知恵を絞って、群雄割拠の時代を駆け上がっていく様は、歴史を知らない人でも熱い気持ちになれるはず。

これらを踏まえ、2024年5月某日、私は小田氏治でこのゲームの奥深さをご説明することに決断しました

これがうまくいったかどうか、不安を抱えながらではありましたが、2BRO.さんとの副音声収録で、初めてホッとできました。私の想像以上にお三方がとても盛り上がってくれたからです。小田氏治の野望、そして彼を“もしもの新時代”に導くべく下した私の《決断のドキュメント》を丁寧に描きました。皆さんにも伝わることを願うばかりです。

島田嶺央

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島田ディレクターとともに番組を制作しました、植木翔吾と申します。【「ゲームゲノム」夏の特番成功】という我々の野望が走り出したのは、5月中旬。“特番”の意味するところは、《(レギュラーではなく)1回限りの放送》、そして《新たな演出に挑戦する》ことであって、番組スタート時から掲げているコンセプト…「ゲームを文化として捉え、古今東西の作品の魅力や奥深さに迫るゲーム教養番組」は変わっていません。

しかし、特番と銘打つからには、やはりビッグタイトルであり、レジェンドクリエイターをお呼びして、その哲学に迫りたい。もちろんこれまでもそのつもりでしたが、今回はニュアンスがやや異なります…「ゲームゲノム」にとっての“新時代を切り拓く”必要があったのです。リサーチを重ねていく中、この作品&クリエイターがまさに特番の趣旨に最もふさわしいのではないかと、白羽の矢を立たせていただいたのが『信長の野望』シリーズです。緊張の冷や汗をかきながら横浜にあるコーエーテクモさんの本丸の門を叩きました。

「『信長の野望』の遺伝子、そしてシブサワ・コウさんのクリエイターとしての哲学を掘り下げさせてください。」

こうして我々の“決断で拓く新時代”への歴史が幕を開けました。一方で、番組では“語られない歴史”もせっかくなのでご紹介したく筆をとりました。

「『信長の野望』を起動すると、必ずシブサワ・コウという名前が出てくるんだけど、この人はいったい誰なんだ?」
2BRO.のみなさんが副音声で仰っていましたが、SNSを見ていると同じように思っている人も多いですね。本名なのか?そもそも一人なの?制作チームの総称なの?…それはそれはかっこいい方でした。超一流企業の社長であり、今なおゲーム制作にも携わるクリエイター。僕とは生まれ持ったものや格の違う存在だと思っていましたが(実際そうなのですが)、彼にもまた挫折の歴史があることを知り、順風満帆ではなかった一面が見えたことが意外な発見でもあり、取材を通して社会人として生きる自分が鼓舞されたような気がしました。

シブサワさんは、大学卒業後、商社に勤め、その後家業を継ぐために、足利にあった実家の染料薬品問屋を手伝うようになります。繊維業界の不況を受け、実家は倒産。そして、大変な残務整理に追われたそうです。会社の資産や担保に入っていた土地や建物の売却。中には、深夜に会社の資産を持ち去られるようなこともあったんだとか。定期的に開かれた債権者集会は、怒号に包まれ、ただただお詫びするしかない状況に悔しさが増大していったといいます。

こうした辛い経験からも吸収する部分はたくさんあったそう。毎日資産を処分し、日々変わる貸借対照表を追っていくうちに、自分の行動がどう決算書に影響を及ぼしているか直接的に理解することができたといいます。そして、それがのちの起業や経営に役に立ったのだと。こうした、あらゆる経験から吸収する力というものが“なにかを成し遂げる人”たらしめているのだとも感じました。

半年以上かけた残務整理の後、リベンジの思いを持って、シブサワさんは染料薬品問屋「光栄」を立ち上げました。しかし、業績は鳴かず飛ばず。その後、妻の恵子さんからプレゼントされたパソコンをきっかけに、本業とは異なるゲーム作りに挑戦。『川中島の合戦』や『信長の野望』を生み出していきました。

取材を通して、シブサワさんからは常に「挑戦」と「新しいものを求める姿勢」を感じました。挑戦には失敗はつきもので、『信長の野望』を作っていく中でも失敗を経験されています。とくに2作目の『信長の野望・全国版』での失敗が印象深いと語られていました。初代プレイヤーたちからの「地元の伊達でプレイしたい」「九州の島津になって戦いたい」といった要望から生まれた全国版。そこで各武将に彩りを持たせたいと導入したのが「方言」です。名古屋の武将には「我が軍が優勢だぎゃあ」といったような具合。ただ、評判は最悪だったそうです。例えば東北弁といっても、津軽弁や山形弁など違いはあります。そこまで細分化せず、ザックリした方言となっていたことが、プレイヤーが抱いた強烈な違和感の原因でした。そして二度と『信長の野望』には方言を登場させないようにしたそうです。

こうした経験も失敗と受け止めつつも、ユーザーの声に応え、さらに+αの価値を付けようと挑戦した結果。果敢に新しい要素を取り入れて挑戦する姿勢、それが失敗だったと分かれば潔く撤退する判断。ものづくりで大切にしていることだと話されていました。

●『信長の野望』の大ヒット!立役者は…

シブサワさんの失敗経験ばかり書いてしまっていますが、当然ながらものすごいアイデアマンであり、40年以上16作品も続くシリーズを作られたレジェンドです。ほかにも『三國志』シリーズや『無双』シリーズなど数々の名作を生み出しています。

処女作である『川中島の合戦』を生み出した1981年以前のゲームといえば喫茶店でインベーダーゲームやブロック崩しのような反射神経によるところが大きいゲームが主流でした。そんな中で、「大人がじっくり考えて楽しむ思考ゲームのようなものがあってもいいのでは」という発想からシブサワさんのゲーム作りは始まっています。

こうした世の中にないものを生み出すアイデアを最も認めていらっしゃる方、それがシブサワさんの妻であり、会社の会長を務める襟川恵子さんです(界隈では「投資の女神」としてもよく知られています)。番組では、恵子さんにインタビューをさせていただきました。その中で、シブサワさんにパソコンをプレゼントされたことを振り返って「ものすごい投資だった」と仰っていました。学生時代から付き合いのあった2人はシブサワさん自作の思考型ボードゲームで友人たちと夜を明かしたこともあったそうです。当時から、シブサワさんのアイデア力にはものすごい力があると目を付けていたそう。

シブサワさんも「妻と出会わなければ、パソコンをもらえていないわけで、すると『信長の野望』も生まれていない。いまの会社もない」と仰っています。さらに取材を進めると、《ゲームを作ることに長けたシブサワさん》、《ゲームを売ることに長けた恵子さん》という面も見えてきました。

例えば『川中島の合戦』のパッケージをデザインしたのは恵子さん。宣伝広告やコピーライトも恵子さん。そのほかにも『信長の野望』のファミコン参入時には、流通業者30社ほどを集め「半金前払い」という型破りな営業交渉や「なにか引っ掛かりのあるプロデューサー名を考えた方がよい」というアイデアを出したのも恵子さんです。シブサワ・コウさんの本名は、襟川陽一。尊敬する渋沢栄一と企業名の光栄からとった名前が「シブサワ・コウ」になったというわけです。実際に、この戦略も大当たり。最強パートナーでした。

●生粋のゲーム少年シブサワ・コウから現場が受け取ったものとは

夫婦2人の力があってこそ、誕生した『信長の野望』シリーズ。作品に込められた思いは脈々と受け継がれています。番組では最新作から実装された「AI家臣」の仕組みを赤裸々に公開してくださった開発プロデューサーの劉迪さんをご紹介しました。

リサーチ段階、過去のインタビューを拝見していると「家臣のAI調整に苦心した」という趣旨のコメントに留まっていました。この特番では、その苦心の内容を詳らかにしたいと取材を重ねました。特にAI家臣が策を進言してくる【具申システム】の開発経緯は驚きの連続でした(詳細は、是非NHKプラスで!)。

さらに、このAI家臣には独自に思考し行動することで、まるで生きているかのような存在感を持たせ、よりリアルな戦国時代をプレイヤーに感じさせたいという狙いもありました。家臣らしさを宿すためのもうひと工夫も。調略コマンドで、家臣に命令して行動させるときよりも、家臣自ら具申してきた案を採用したときの方が、「労力」というプレイヤーの持つ、RPGでいうところのMPのようなポイントがローコストでできるようになったり「成功率」もほんのちょっと上がるようになったりしています。その狙いも劉さんにお伺いしました。

劉迪さん「例えば、会社で上司に命令をされた仕事と自分が進んでやりたい仕事って、同じ内容の仕事であっても、自分が進んでやりたい仕事の方が、モチベーション高く仕事を遂行できると思うんですよ。そういった人間らしさを狙っているんです。」

しかし当初はうまくいかず、テストプレイではシブサワさんに「面白くない」と一蹴されたというエピソードがありました。全く新しい手探りの挑戦、劉さんも自信のないままテストプレイを迎えたそうで、半分納得したそうですが…。劉さんにとってもシブサワさんは偉大なクリエイターです。そんな尊敬する大先輩が築いてきた作品のバトンを受け取り、作り上げたものが酷評だったわけですから、ショックは相当なものだったと思います。しかし、そこで「面白くしたい」と踏ん張れたのもまた、シブサワさんの少年のようなゲームに対しての向き合い方を見たから。そして、その様子は『信長の野望』を楽しみに待つプレイヤーを彷彿とさせたのだといいます。

劉さんシブサワ・コウを見ているとすごくゲーム少年に見えるんですよね。例えば、社内チェックをするときもゲームデザイナーとしての意見を言ってくれるんですけど、それとは別に「これ面白かったよ」「これ面白くなかったよ」とストレートに言ってくれるんです。ゲーム作りにおいて、どんなに理屈や理論がよくてもプレイしてみて“面白くなければ”意味がない。シブサワ・コウは純粋なゲーム少年だからこそ、その原点に立ち返らせてくれています。」

●新時代を拓く決断のプレイ体験を紐解いて

ゲーム黎明期に生まれ、今なお愛される伝説的作品とクリエイターを取材し、その魅力を29分にまとめるという難しいお題とその責任に胃が痛む毎日でしたが、その一端に触れる度に驚き、感動の数々がありました。番組をご覧になったみなさんが、人生の分岐に立った時、こんな番組あったなと思い出して、1ミリでも“自分にとっての新時代を切り拓く決断”の背中を押せるような番組になっていたら幸いです。

“決断が拓く新時代~信長の野望~”は、「NHKプラス」で配信しております。放送をご覧になっていただいた方も是非2BRO.さんの副音声(実況)で2周目をお楽しみいただければと思います。ここまでお読みいただきありがとうございました!

植木翔吾