電球の色は白ければ白いほど神っぽい気がする
自宅のトイレの電球が切れた。
切れる前のその電球は暖色系の光だった。「電球色」と言えばいいのだろうか。暖かみのある色だ。オシャレなカフェの夜営業ではこの色の電球が使われている気がする。白く寒々しい感じではなく、冬の山小屋から漏れてくるような安心を感じる色だ。
切れた電球を持って近くのドラッグストアに新たなる電球を買いに出かけた。ドラッグストアの電球売り場にはいろいろなサイズの電球が売られていた。そして、大きく分ければ2種類の色の電球があった。
それは先にも書いた、切れた電球と同じ暖色のもの。そして、白い光である白色のものだ。多くの場合その2つは対をなし、同じメーカー、同じサイズで暖色と白色の電球が並んで陳列してある。
暖色の光はリラックスできると聞く。
眠る前などは白い光ではなく、暖色の方がいいと聞く。実際にリビングや寝室などでは暖色の電球が使われることが多い。自宅はリラックスできる場である必要があるので、暖色系の電球がいいだろう。Panasonicのサイトを見ても「リビングや寝室など、くつろいでリラックスするための部屋に適しています」とあった。
私は迷わず白色を買った。
私は家の電球が切れる度に、せっせと電球を買いに行っては、白色の電球に買い替えている。台所もお風呂場もトイレも、最初にあった電球は暖色だった。リビングはシーリングライトなので、色を変えることができる。もちろん常にマックス白色にしている。
蝋燭に灯した火の色を見る。
暖色だ。色を当てはめるなら黄色やオレンジ色と言えるだろう。火は人を安心に導く。暗闇を明るく照らし出してくれる。その照らし出す色は暖色だ。そのためだろう、我々が暖色でリラックスするのは。
私は部屋を白色にしている。
可能な限り白くしたい。白い光にしたい。理由は特にないのだけれど、なんとなく、神が降臨する時の色な気がするからだ、白色は。イメージだけれど、神様がオシャレカフェの夜営業に降臨しているイメージがない。つまり暖色に神はいないのだ。
神が冬の山小屋に避難しているイメージも湧かない。神が道に迷いまして、と冬の山小屋のドアをノックして、一晩泊めて欲しいと言い、暖炉の前で防寒着を脱いで、雪がすごいですな、と言っているイメージがない。つまり暖色に神はいないのだ。
イメージだけれど神が放つ光は白い気がする。もちろん神が緑色とか、ネオンのピンク色とかの光を放つのを見たことがない。白いなのだ。黄色とかオレンジ色の光を放つ感じもない。白い光のイメージが強い。
少し考えてみる。
山で怪我をしたとする。そこに神が降臨する。光と共に。その時の光は白い色な気がする。暖色、たとえばカレー色の光ではないはずだ。カレーの神様ならカレー色の光を放つと思うけれど、その後で神が「傷を治す」と言って、手から「傷治し光」を放つ。その光がカレー色だと、なんか傷がヒリヒリする気がする。
さらに考える。
人生に悩み暗い気持ちになったとする。そこに神が降臨する。光と共に。やはりその時の光は白い光だと思う。暖色、たとえば金木犀色の光ではないはずだ。トイレの神様ならば、金木犀色の可能性もあるけれど、その後に神が「暗い気持ちを治す」と言って、手から「暗い気持ち晴らす光」を放つ。その光が金木犀色だと、トイレに行きたくなる気がするし、こんな色の消毒液なかったけと思う。消毒液だとすれば治るか、とも考えるけれど、神感がない気がして、暗い気持ちが晴れない気がする。モヤモヤした気持ちだけが残る。
神の家を想像する。
絶対に白基調の家だと思う。基本自然光だとは思うけれど、白い光なのではないだろうか。深夜営業をやっているオシャレカフェの光の家に住む神は想像しにくい。深夜営業をやっているオシャレカフェの神様なら暖色も考えられるけれど、その神様は普段から白色の服を着ることはなく、無印のようなちょっと濁った白色、つまり暖色系の服を着ていると思う。
私の想像する神は白い服を着ている。
白い服を着て、白い光に包まれている。ピンク色の光に包まれた神も確かに惹かれるものはあるけれど、神はピンク色の光に包まれない。同じように暖色の光に包まれた神も想像できないのだ。無印の神様なのかな、と思ってしまう。
つまり神は白い光ということだ。
一番の問題は神が放つ光が白色だとして、なぜ私が家の光を白色にするかだ。特に何の宗教もやっていないので、神とか別にどうでもいい。なんか白い方がよく見える気がするからなのだけれど、もしかすると私が神だから白い光を好むのかもしれない。その可能性は高い。
どうも神です。
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