書き殴るのでは意味はない

 今回のことまとめて書けるようになるにはまだ時間がかかる。


それは国家対俺の決着が付いていないこともある。純粋に書けないことが多すぎる。


それとは別に、俺の精神もまだ落ち着いてなくて、ここは精神の澱を吐き出すだけのものになってしまっているというのもある。事件自体、そして俺自身から距離をとった文章というものがまだ書けないのだ。


司馬遼太郎は昭和中期に明治後期を小説にすることを「まだ歴史が生乾きなのである」として注意が必要だと述べた。他人のことですらそうだ。俺は俺の中で今回のことを乾かし、ベタつかせずに触れるようにならなければ、本当の意味で書くことはできないだろう。


それを待ちつつ準備を整える。まずは住宅ローンを返し切ってしまわなくてはいけない。大半を返していた過去の俺に感謝だ。俺を縛る鎖をひとつひとつ外す。それが今日から始まる。

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