なんてことの無い日常が灰色に変わる瞬間と言うものを、大なり小なり誰もが経験した事があると思う。
例えば大きな失敗をした時。
例えば大事なものを無くした時。
例えば何気ない不幸に見舞われた時。
例えば──大切な人が居なくなった時。
目の前が真っ暗になった──なんて表現はあまり好きでは無いけれど、現実から彩りが無くなるのは似たようなものだろう。
ブルーベリー学園に来る前の俺もそうだったなんてふと思う。他人からしたら大した事情じゃないけれど、クソガキだった俺にとっては一大事件だったのだから。
そして今の俺にとって──タロとは彩りそのものだ。
つまりこれは、灰色に染まる俺の1日である。
☆ ☆ ☆
「……で、なんであんたがここに居るのよ?」
授業と授業の間にある、ちょっと長い休み時間。俺はいつもと同じ教室のようで少しだけ違う教室──つまるところ、上級生の教室を訪ねていた。
訪ねていたと言うか、奇異の目に晒されながらも何食わぬ顔で勝手に入って座ってるんだけど。ゼイユの座席に。
「ゼイユに会いたくなったんだ」
「……本音は?」
「ゼイユに会いたくなったんだ」
「怒らないから話しなさいよ」
「授業をサボってゼイユと遊ぼうかなって」
「か・え・れ!」
俺の眼前に立つゼイユがテーブルを叩いて威嚇してくる。怒らないって言ったから話したのに何故なのか。
一般人であれば歯の根が合わなくなる恐怖を感じるところだが、ゼイユの親友を自負する俺は平常心を貫いていた。
「なぁマジで暇なんだって。助けてくれ」
「タロはどうしたのよ?」
「実家に帰らせて頂きますって」
「……は?」
「土下座して頼み込んで、早朝にライモンシティまで送らせて貰ったよ」
「意味が分からないんだけど?」
それは冗談じゃなく、事実として。
「イッシュ地方のジムリーダーの関係者……と言っても親族止まりだろうけど、全員集合ーって呼ばれて集まってるらしいぞ?」
「……さっきカキツバタを見かけたわよ」
「絶縁されたんだろ。じゃなきゃタロと地下鉄で帰ってるって」
「そう言われると触れづらいわね……」
カキツバタの親族が誰かはよく知らないけど。でも3回も怠けて留年してたら勘当されても仕方ないと思う。
強制的に退学にされてないだけマシなんじゃないかな。
「それに最近ゼイユに構ってあげられてなかったから、たまには遊んであげようかなって思ってさ」
「どれだけ上から目線なのよ。さっき助けてくれって言ったじゃないの」
「助けて欲しいのか? ゼイユの為なら力になるぜ」
「あんたが! 言ったの!」
目を見開いて歯を食いしばったゼイユの怖い顔が接近してくる。
遠くから見れば今にもキスをするんじゃないかと思う距離だが、俺からしてみれば頭から食われるんじゃないかとハラハラする距離だ。
登山で野生のリングマに遭遇するのはこう言う感覚なのだろうか。
だがゼイユよりも暇を持て余す方が遥かに恐ろしい俺は両手を合わせて頭を下げる。
「なー、今日一日遊んでくれよー! 頼むよー!」
「あぁもう分かったから! さっさとどっかに行ってくれる!?」
「やったぜ! じゃあ遊びに行くか!」
「今から授業だからどっかに行けって言ってんの!」
「──ッ!?」
「いや驚くことじゃないでしょ……」
そっかぁ……じゃあ仕方ないなぁ……。
そろそろ席を明け渡さないと実力行使に出てきそうだったので、俺は渋々隣の席へと移動した。
「そこはネリネの席よ」
「でもネリネはいないし」
「次は選択教科だからあの子は取らなかったのよ。生徒会や四天王の仕事もあるから」
「つまり生徒会でも四天王でもないゼイユは暇な訳だな」
「こんなところに来てるあんたにだけは言われたくないけど!?」
「次は必修科目だぞ。暇な訳ないだろ」
「じゃあ! 自分のクラスに! 戻りなさいよ!」
やだよ。出席日数足りててタロが居ないなら出る意味無いし。
それに普段から多忙を極めている俺に言われたくないとはなんなんだ。タロがいないからたまたま今日が暇なだけだぞ。
ホントだからな?
そして授業開始の本鈴が鳴ると同時に、入口の扉が開いて教師が入ってくる。この3年2組の担任にして教務主任を務めている女教師──敏腕研究者のブライア先生だった。
教壇に着いたブライア先生は全体を見渡して生徒を確認して……俺を見た瞬間に硬直した。
俺がイケメン過ぎて恋に落ちたのだろうか。……ふ、存在するだけで罪な男だな。
「……君は誰かな?」
「ネリネです」
訝しげな表情で問い掛けられたので頑張って声色を真似てみるけど、声変わりしてるしあまり似てなかった。ちょっと無理があったか?
……あぁ、眼鏡をかけてないからか。丁度クソデカサングラス持ってるし装着しとくか。
よし。
「ネリネです」
「そ、そうか」
ブライア先生が少し引いてる気もするが、誤魔化せたので良しとする。
「もしかしてゼイユくんの知り合いかな?」
「カルサイトって言うんですけど、ブライア先生は知ってますか?」
「おいバラすなよ!」
「バレてるのよ!」
おかしい。なるべく気配と個性を消してネリネと化していたのに。俺の努力を無に帰すような真似をしてただで済むと思うなよ。もう怒ったからな。
しかしブライア先生は俺の名前──ネリネでは無い方かどうかは定かでない──に聞き覚えがあるのだろう。少し目を見開いて驚愕の表情を見せていた。
「君があの……」
「噂には聞いていたよ……」
「なんであんたが言うのよ」
「伝説のポケモン、ウ──」
「ふん!」
喋る前に本気で足を踏まれたんだが?
感覚が無い。足の甲が折れたと思う。俺は激痛に必死に耐えながら脂汗を流してブライア先生を見上げる。
「す、凄い顔をしてるが……」
「き、君があの……ってなんですか……」
「シアノ先生から秘蔵っ子と聞いていた……しかし、まるでサイコキネシスを受けたような顔になってるが本当に大丈夫なのか?」
「唾でもつけとけば治りますよ……ええ……」
「君の唾は凄いんだな……」
本気で心配そうにこちらを見つめてくるブライア先生を気遣うように、俺は引き攣った笑みを浮かべる。
て言うかサイコキネシスを受けた顔ってなんだよ。ブライア先生みたいな開発に携わる研究者は人体実験でも行ってんのか?
俺は戦々恐々の思いを心の奥底に隠しながら、ゼイユへと体を向けた。膝を組んで堂々した佇まい。決してゼイユに気後れしない為にも、俺は少しだけ顎を上げて見下すように言い放つ。
「ゼ、ゼイユ君さぁ……君のせいで足が痛い痛いなんだが。どうすんの?」
「唾をつければ治るんでしょ? だったら良いじゃないの」
「確かに。じゃあ早く俺の足を舐めろよ」
そう言って俺が足先を突き出すと、ズガァン──と、激しい音と共に教室にじしんが発生した。多分イッシュ地方で観測史上最大の揺れだろう。
震源地はゼイユの足裏。マグニチュードは10。そして被害者は叩き潰された俺の足。
──あ、これ。ヤバい奴だ。
必ず来ると直感が告げる瞬間というものがある。タンスの角に小指をぶつけた時のような──走馬灯にも似た、痛みを感じるまでに訪れる覚悟する僅かな時間。
来る、来るぞ。激痛が。
「あっ、あっ、あっ……」
「ゼ、ゼイユくん! カルサイトくんが全身を震わせ始めたんだが!?」
「大丈夫です。いつもの事なので」
直後、俺の悲痛な叫びが教室中に響き渡ったのは、言うまでもないだろう。
気が付いたら授業が終わっていた。何を言ってるかわからねーと思うが、俺も何をされたか分からなかった。
とりあえず状況を確認する前に俺は未だ感覚の無い足元へ、恐る恐ると視線を送る。
足が無かった。
いや冗談だけど。ちゃんと生えてるし指も欠損していない。ただ足首があらぬ方向へと曲がってるだけだ。
だけで済むのか?
とにかくこのままでは日常に支障が出る為、俺は両手で足を掴んで強引に捻る。嫌な鈍い音を奏でていたが形だけでも元に戻ったので良しとしよう。
「何故ネリネの席にカルサイトがいるのですか?」
業務を終えて教室に戻ってきたのだろうか。恋の探求者の異名を持つ冷徹の女、ネリネが帰還して俺へと問い掛けてくる。
俺が滅多に3年生の教室に訪れない事を考慮すれば、その疑問は尤もである。だが俺もつい先程まで意識が混濁としていた身。状況を把握しきれていないのはネリネと同様だった。
「話すと長くなるんだが……良いか?」
「聞きましょう」
「シンオウ地方が遥か昔、ヒスイ地方と呼ばれていた頃にコンゴウ団とシンジュ団がいてな。そこで──」
「待って下さい。どこから話すつもりですか?」
「え、俺の起源から説明した方が共感を得られるかなって」
「……簡潔にお願いします」
「気が付いたらネリネに話し掛けられていたんだ」
「そうなった理由を聞いているのです。早く話しなさい」
そう急くなよ。それで可愛いのはタロだけだぞ。
「俺もあまり記憶がはっきりしてなくてな。ゼイユに会う為にここに来て、ブライア先生の授業が始まるところまでは覚えているんだが……」
「ネリネが聞きたかった部分はそこなのですが」
「その後の記憶が曖昧でな……確か……ゼイユが足を舐めたいとか言い出したような……」
「勝手に改竄するんじゃないわよ!」
肘をついていたテーブルが大きく跳ねる。隣で静観していたゼイユがドラムアタックを仕掛けたせいだった。
て言うかそのせいで舌を思いっきり噛んだんだが。半日も経ってないのに上も下もボロボロだなんて、最上級生の歓迎は激し過ぎないだろうか。
「ふぇいゆのふぇいへ、ふぃふぁふぁんたんたふぁ?」
「何言ってるかさっぱり分からないわよ」
「ふぁーか、ふぁーか!」
「今のは完全に理解したわ。覚悟しなさい」
なんで分かるんだ。さっぱり分からないって言った癖に煽った瞬間にこれかよ。理不尽過ぎるだろ。
そんな事を考えているうちに、俺の頭部はゼイユの腕の中へと抱え込まれた。まるでご褒美──などと思うのはゼイユにわか勢だけ。
なにせ頭蓋骨がミシミシと音を立てている。まるでカイロスのハサミギロチンのような、腕力に物を言わせたヘッドロック。
がんじょう持ちの俺で無ければ死んでいたところだ。
「で、話の続きなんだけど」
「カルサイト、貴方は不死身なのですか?」
「うん。でだな──」
「へえ、不死身なの。本気出そうかしら」
「話の腰まで折るなよ。足の骨を折った癖によぉ」
「折れるまではしてないし、いつものあんたの真似じゃないの」
「やはり不死身なのですね……」
ゼイユもわざわざネリネの話題に食いつかなくて良いから。俺の話を聞いてくれよ。
て言うか今まで本気じゃなかったの? マジで?
さすがにこれ以上は死ぬぞ。
「授業開始からネリネが現れるまでの記憶が一切無いんだが、どうなってんの?」
「はぁ? 真面目に授業を受けてたじゃないの。ブライア先生もテラスタルについて熱く語ってたけど、あんたの意外な知識量に驚いてたわよ」
「胸が当たってるけど恥ずかしくないのか?」
「話の腰を折らないでくれる!?」
「当ててんのよ」
「しかもあんたが答えんな!」
ゼイユのしめつける攻撃が更に激しくなった。頭が割れそう。
いやでも本当に記憶が無いんだが。一体どうなってやがる。真面目に授業を受けるのが通例となったせいで、無意識に受けていたのだろうか。
だとしても無意識に喋るのはさすがに怖い。
「記憶に無いってどういう事なのよ? 授業中のあんたなんて見た事無かったから、こんな真面目に話を聞くんだって見直したと言うか、驚いたのよね」
「惚れたか?」
「……ゼイユはついに恋心を理解」
「でもごめんな。俺には心に決めたタロがいるから」
「そして同時に……失恋」
「悲嘆に暮れたゼイユは毎晩、キャニオンエリアで遠吠えを繰り返すのだった……」
「あんた達、手ぇ出るわよ」
残念だったな。もう手は出ている。手遅れだ。
ネリネ、一緒に体罰を食らおうぜ。
だがゼイユと言えども、さすがにネリネ相手じゃ手を出すつもりは無いようで、ただ俺への体罰が悪化の一途を辿るだけで終わる。無慈悲なり。
「ですがネリネはこれまでの会話から概ねの流れを理解しました。……授業の開始直前、ゼイユの足を舐めようとしたカルサイトが殴られた結果、脳震盪が発生して記憶障害が起きたのだと」
「風評被害は止めろ。ネリネが言うと事実っぽくてシャレにならん」
「……? 洒落を言っているつもりはありませんが」
「ふふ、良いわね。その噂を広めちゃおっか!」
「本当に舐めるぞ?」
「タロに言うわよ?」
「俺が悪かった」
クソ、なんなんだコイツらは。真顔で真面目に変な事を言うポンコツロボット。有無を言わさない暴力とタロというジョーカーを平然と切ってくる残念美人。
このタッグは俺以上に無敵かよ。勝てる気がしねえ。
「ゼイユに足を踏まれて叫んだところまでは覚えてるんだよ。そこから何をしやがった?」
「何をしやがったって……何もしてないわよ。ちょっとうるさかったから首の裏をトンってしただけ」
「してんじゃねえかよ!」
意味が分からなかった。思わず平然と言うものだから普通に突っ込んでしまったけど、トンってなんだよ?
手刀か? 手刀なのか? そんな漫画や映画の中でしか見た事が無いような事が出来るのか?
そんな簡単に意識を刈り取ってしまう恐ろしく早い手刀に恐怖を覚えて、俺はもうその話題に触れない事にする。
それとこのヘッドロックはいつになったら外してくれるんだろう。俺の全知を司る崇高な頭脳が傷んだらどう責任を取るつもりなのか。
そうなればゼイユと結婚……はやっぱりないな。
タロ、ごめん。俺、傷物にされちゃったよ。
「それでさっきので今日の授業はもう終わりだけど……何して遊ぶのよ?」
「かくれんぼでもするか? テラリウムドーム全域で」
「見つける前に帰っても良いならやるわよ」
「じゃあ鬼は俺で」
「分かりました。ではネリネは隠れてきます」
「待ちなさい! こいつはネリネを見つける前に飽きたら帰るわよ!」
今すぐにでも隠れんと言わんばかりに動き出したネリネを静止するように、ゼイユが声を張り上げる。
なんか俺が悪いみたいな言い方してるけど先に実行しようとしたのはゼイユだと思う。
「いい歳して遊ぶのも何だしさ、どうせなら俺の相談に乗って欲しい」
「遊ぶって言い出したのはあんたよね?」
「て事で今からゼイユの部屋になるはやで集合な!」
「あんたを部屋に呼ぶつもりは無いから。来るな」
「承知。ネリネもなるはやで向かいます」
「……あぁもう! 分かったわよ! 片付けるから少し待ってて! 準備出来たら連絡するから!」
そう言ってゼイユはようやく俺を解放すると、ビシッと指を指しながら駆け足気味に教室を後にした。
うーん、やっぱりなんだかんだ面倒見が良くて良い奴だよな。口が悪いのと手が出る事さえ無ければ理想のお姉ちゃんだろうに。
でもそれだとゼイユの原型がなくなるか。
とりあえず手ぶらで向かうのも申し訳ないので、リーグ部にあるカキツバタのお菓子を押収して、ゼイユの部屋に向かう準備をするのだった。
☆ ☆ ☆
「ここがゼイユの部屋……?」
準備完了のメッセージが届いたので、ネリネと共にゼイユの私室に入る。
扉をくぐるとそこはジャングルだった──なら最高に面白いんだけど、意外にも普通の部屋だ。
普通と言うよりは思った以上に綺麗に整理整頓されていると言うべきか。お菓子やらポケモンの道具のゴミが散乱してるカキツバタの部屋の100倍はまともな部屋。
ファンシーさは無いけれど女の子の部屋って感じだった。
「あまりジロジロ見ないでくれる? デリカシー無いわよ」
「あるように見えるか?」
「無かったわね。帰りなさい」
「じゃあまずはベッドでお昼寝っと」
「本当にデリカシーないわね!?」
さすがに冗談だ。そこまで非常識じゃない。
とは言え床へと座り込むのはちょっとあれなので、俺が椅子へと座り込み、ゼイユとネリネはベッドの端に腰掛けた。
そして俺はくるりと椅子の向きを変えて2人へと対面する。
「今日は忙しい中、俺の為に集まってくれてありがとう。突然の誘いなのにこうして相談に乗ってくれる友人関係を心から嬉しく思うよ」
「……カルサイト、何か変な物でも食べましたか?」
「ゼイユの机に入っていた食べ残しのおにぎりを少々」
「あれ、消費期限が切れてる具材を入れちゃったのよね」
「でも、普通に美味しかったぞ」
「……あんたのそう言う素直なところがタロに刺さるのかしら」
「ただ量が少なかった。次からはちゃんと1人前作って欲しい。星1つ」
「食べ残しって言ったわよね!? て言うか勝手に食べないでくれる!?」
俺が教室へ顔を出した時にずーっと無視されてたから、クラスメイトと話してるゼイユに一応聞いたんだけど。『あーはいはい』みたいに流して俺を放置してたのは誰だよ。俺だってふざけて聞いたのに許可が出てビックリしたんだからお互い様だ。
お互い様か?
「そんな事はおいといてだな。タロなんだよタロ。俺が語りたいのはタロの事なんだよ!」
「今更何の相談がしたいって言うのよ?」
「恋の相談……即ち、愛を知る模範的なイベント。少しワクワク」
「模範的なイベントって……どうせそんな楽しいもんじゃないわよ」
興味無さそうなゼイユに対して、どこか興奮気味に口角が5ミリ上がっているネリネの姿がある。
……おかしいな。恋愛に興味があるはずのゼイユの方が食いつきが悪い。学園一話題性のある男女の恋愛に興味が無い奴なんていないと思うんだが。
「ははーん、タロに嫉妬か?」
「殺すわよ」
嫉妬で殺されるところだった。目が笑っていない。嫉妬にはいい思い出がないので触れないでおく事にする。
「最近のタロはどうも俺の愛を適当に受け流しててな。タロを胸キュンさせたくて堪らないんだが、どうすればいいと思う?」
「最近じゃないでしょ。元からよ」
「胸キュン……調べた事があります。交感神経が優位になる事によって生じる急激な心臓の鼓動の高鳴りが冠動脈──」
「医学的な話はしてないからな?」
そんな事を真面目に調べてるネリネが怖過ぎる。力を入れるところが違うだろ。
「そこで俺はタロを胸キュンさせる作戦──通称、タロキュン作戦として内容を練って実行しようと思う。その為にどうしたら女子は胸キュンするのか、学園でもトップクラスの美女2人から意見を貰いたいんだ」
「美女と言われたら悪い気はしないわね」
「そのような褒め言葉を受け取るのは不思議な感覚。嫌いではありません」
「ごめん、ちょっと言い過ぎたな。俺が悪かった」
「褒め言葉を撤回する流れでその台詞は初めて聞いたわよ」
まぁでも実際のところ、ゼイユは間違いなく美女だし、ネリネも奇抜な見た目を度外視すれば十分に顔は整っている方だと思う。
だが一つだけ不安要素もある。
それは感性だ。タロと言う模範的且つ最上位の人間性を前に、このぶっ飛んだ感性を持つ2人が参考になるかどうか。
1人は手刀で意識を奪うし、もう1人は突然医学の話をし始めるし。
人選を間違えたか? いやでも他に頼める人はいない。
「どうしたら俺に胸キュンすると思う?」
「まずは胸キュンの発生原理を知るところからだと思います。冠動脈の拡張不足による虚血状態。軽度の狭心症の発生が──」
「ネリネ、恋は理屈じゃないんだよ。理系とは違う。作者の気持ちを考える文系なんだ」
「……やはり恋は難解」
「そもそもあんたに胸キュンなんてする筈ないでしょ。鏡見なさいよ」
そう言われたので俺はゼイユの机にある化粧鏡を見つめる。
絶世のイケメンがいた。
「……キュン」
「イラッとしたわ」
「理不尽過ぎない? 大体、俺に壁ドンされてときめいてた奴の台詞じゃないだろ」
「う、うるさいわね! ムカつくけどカルサイトは顔だけは良いんだから! 性根の腐ったあんたが突然真面目な顔をしてそんな事をすれば少しはときめくわよ!」
「つまりそこが要点じゃねえか」
つまりふざけた奴──いやふざけてはない。
いわゆるお調子者が──いやお調子者でも無い。
…………?
「普段から真面目では……?」
「あんたの性格を加味しなきゃ話し合いにならないのに、そこ認めなきゃ永遠に話は進まないわよ」
「……そう。カルサイトとカキツバタ。同類」
「はい塩ー!」
「その台詞も以前、カキツバタに言われました」
カキツバタは同類とまで言われるなんて俺の心は今にも砕けてしまいそうだった。
だがタロに胸キュンしてもらう為には、この大いなる試練を乗り越えなければならない。与えられし七難八苦の先に、輝かしい未来が待っているのだから。
だから俺は無念さに唇を噛み締めながら、自身がふざけた奴である事を受け入れた。多分。きっと。
ふざけた奴が真面目になる瞬間に感じるトキメキ──即ちそれはギャップ萌えと言う奴なのだろう。普段は優しいタロが冷ややかな目で見てきた時に嬉しくなるのと同じ感覚と言える。
この高低差、いわゆる振り幅が大きければ大きいほど、胸をキュンキュンさせられる訳か。
「第一回、カルくんのギャップ萌えを引き出そうの回ー!」
「面倒くさそうなのが始まったわね」
「ついでにゼイユとネリネのギャップ萌えも見てみたいの回ー!」
「もっと面倒くさそうなのも始まったわね」
「スグリ君も参加な!」
「それは! 私の部屋の! ギモーの人形よ!」
張り切って喝采を上げる俺と呆れて首を横に振るゼイユ、そして無表情で拍手をするネリネの姿と無言のスグリ君。
何とも盛り上がりに欠ける会場ではあったが、兎にも角にも全員のギャップ萌えを引き出す為に動く事にした。
「メインの俺からやるのもなんだし、ネリネのギャップ萌えから見てみよう」
「……承知。任せなさい」
「え、ネリネもやる気満々なの……?」
「つい先日調べたので。ギャップ萌えとは普段とは異なる行動をすれば良いだけの事。至極単純」
そう言ってネリネは咳払いをして喉の調子を整えると優等生のお手本とばかりに直立する。
「ネリネは明日から授業をサボります……どうですか?」
「100点だ」
「あんた、本気で言ってんの?」
「真顔でシュールなギャグ。真面目なネリネだからこそ出来る芸当だぞ」
「ギャップ萌えはどこに行ったのよ!?」
ギャップ萌えの要素は……うん。ネリネには期待してなかったからな。
どう考えても無理でしょ。胸キュンから狭心症に繋がる会話をする人に期待なんて。
「……どうやら渾身のギャップ萌えは不発。やはり恋は奥が深い」
「じゃあ次はゼイユの番だな!」
「やらないわよ」
「ネリネに勝てる自信が無いのか?」
「……む」
「ネリネは恋について日々理解を深めています。なのでゼイユは勝てないのを恥じる必要は無いかと」
「じゃあゼイユは不戦敗で。次はスグリ君──」
「はあー!? ならやってやるわよ! 待ってなさい!」
うーん、さすがゼイユお姉ちゃん。ちょっと対抗心を煽ればすぐにムキになってくれる。本当に素晴らしい友人を持ったよ。
大声を出して目を見開いたゼイユが足音を鳴らしながら洗面所へと入っていく。さすがに扉を開けたら間違いなく殺されるので、お菓子を食べながら待つ事にする。
その間、ネリネは何やらスマホロトムを一生懸命見つめながらタップしていた。
「何してんの?」
「定時報告を。時間厳守の徹底」
「ふーん」
良く分からないがネリネはやっぱりネリネだった。生徒会も色々仕事があるだろうし忙しいんだろうな。
そして待つ事10分。暇を持て余していた俺は、ゼイユのベッドの上に置いてあった巨大ノコッチ人形に股がってなみのりごっこをしている。ちなみにスグリ君も同乗していたが、彼は俺のライドテクに耐え切れず転落してベッドの隙間に落ちた。
さらばスグリ君。また会う日まで。
「ふふーん、待たせたわね!」
と、さすがに1人遊びも飽きてきた頃だった。バタンと大きな音を立てて、ゼイユが胸を張りながらドヤ顔で現れる。
「これがギャップ萌えと言うヤツよ!」
そう言って見せた姿は、先程までの制服姿のゼイユとは違って遥かにラフな格好だった。
普段装着してるバンダナで前髪をオールバックにして固定。身に付けているのは男性のスウェットなのだろうか、背の高いゼイユでもオーバーサイズのスウェット。
そして下は履いていない。太ももが丸見えだ。
履 い て い な い ?
「痴女的なギャップ萌えって奴か……?」
「どこが?」
「下とか……」
「履いてるわよ。ほら」
そう言ってゼイユはスウェットを捲ると、丈の短いショートパンツを履いていた。良かった。ちゃんと履いてる。
カルサイトくん、安心して下さい。履いてますよ。
て言うかそんなところ捲ってわざわざ見せるなよ。男子の前で。エロいぞ。危機感ねえのか?
いや俺が男と思われてないだけなのか。思われたい訳じゃないが、それはそれでムカつくな。
「普段は真面目で綺麗系美女のあたしが、休日ではこんなラフな格好で過ごしてる……どう? 見事なギャップ萌えでしょ!」
「……なるほど。演技のネリネとは違う生活感の漂う姿。これが本物のギャップ萌え」
「……まぁ見事だと思うけど」
「うふふ、カルサイトも珍しく認めるのね。さすが学園一のあたしの美貌! 美過ぎるのも罪ね!」
その無駄なポージングとドヤ顔と残念な性格が無ければ完璧だった。
「どう? 胸キュンしたかしら?」
「いや別に。タロの笑顔の方がキュンキュンくる」
「はぁー!? ここまでしてあげたのになんでよ!?」
「性格と人間性、かな……」
「またやられたいようね」
ゼイユ の のしかかり!
ノコッチ人形に乗ってる俺の上に乗るな。俺を座布団にするんじゃない。ノコッチがぺったんこに潰れてるだろ。
そしてネリネ。なんでスマホロトムを構えて撮影してるんだよ。
「大体男子がいる部屋でそんな格好になるのはいかがなものかと」
「……え、何? あんたってあたしで欲情するわけ?」
「するかしないかで言えば……」
「言えば……?」
「モロバレルだな」
「意味が分からないわよ」
つまり俺の股間がポケモン進化でモロバレルだな。
「冗談だよ。俺は紳士だからな。ゼイユ如きで欲情しない」
「手ぇ出るよ!」
なんでだよ。欲情したらしたで文句を言う癖に。
そしてゼイユは上に乗ったままキャメルクラッチへと移行する。俺の上体が海老反りに持ち上げられて全身がミシミシと音を立てていた。ポケモントレーナーとして柔軟体操してなかったら今頃背骨が折れていただろう。
ネリネも撮影してないでゼイユを止めてくれよ。
「カルサイトはゼイユを煽るのが生き甲斐なのですか?」
「煽る? 率直な感想なんだが」
「尚のことムカつくわね」
「煽るなら……そうだな。──あ、そのショートパンツってもしかしてゴーリキーの物真似? ビルドアップまでして気合入ってんなぁー」
「はぁー!? なんですってー!?」
「ネ、ネリネが煽れって言っただろ!」
「しろとまでは言ってませんが」
言ってないか? ……言ってないな。でも命に関わるので言った事にして欲しい。
さすがに可動域の限界を超えて体が曲がり始めたので、俺は全力でゼイユの生脚へとタップをしてギブアップを伝える。最後にべキッて嫌な音が聞こえてきた後、ゼイユはようやく解放してくれた。
クソ、上も下も真ん中もボロボロの体じゃねえかよ。これだからかくとうタイプは苦手なんだ。
「何か言ったかしら?」
「いえ何も」
テレパシーまで入ってるしよぉ! 希少特性のチャーレムかよぉ!
俺はボロボロになった体を引きずりながら何とかベッドの上から移動する。這うように定位置である椅子の上へと戻り、回復アイテムであるお菓子を食べながら再び口を開いた。
「そもそもの話だ。ゼイユは学内でも屈指の美人だしスタイルも良いから何しても大体似合うだろ。特に普段から前髪が鬱陶しいから後ろに纏めるだけで印象が変わる上、整った顔がよく見えるし」
「急に褒めてどうしたのよ?」
「えげつない暴力で訴えるくせに足は細くてすべすべだし」
「タップついでに触ってんじゃないわよ」
「でも性格! くろいヘドロとどくどくだまが合わさったような性格がなー!」
「だから鏡見なさいよ。同じだと認めたくないけど、容姿だけ良いのはあんたも一緒なのよ」
そう言われたので俺は再びゼイユの机にある化粧鏡を見つめる。
やはり絶世のイケメンがいた。
「……キュン」
「そういうところよ」
お互いに認めたくないがどうやら俺とゼイユは同類らしい。言われてみればカキツバタも顔は整ってるし、やはりアイツも同類らしい。
は? 同類か?
「さすがに俺はゼイユやカキツバタよりマシだろ」
「あたしも自分はカルサイトやカキツバタよりマシだと思ってるわ」
「ネリネからしたら全員似たようなものです」
『カキツバタも!?』
「……カキツバタは別とします」
そう言う事らしい。
「つまり俺は何を言いたいんだろうな?」
「知るわけないでしょ!?」
「ネリネは理解しました。……つまりギャップ萌えとは、突出した個性──特に性根の曲がった性格であればあるほど、発生しやすい事象。容姿端麗のゼイユが違う一面を見せるだけで簡単に起こりうる、と言いたいのでは無いでしょうか?」
「そうそう、そんな感じだ。ゼイユほどの性格であれば歩く姿、果ては呼吸をするだけでもギャップ萌えが成り立つ……」
「カルサイト、もう1回こっちに来なさい」
「また明日な」
「明日もここに来るとかなんの罰ゲームよ」
罰ゲームとか言うなよ。泣くぞ?
俺はゼイユと会えて嬉しいし、ゼイユで……ゼイユと遊べて楽しいのに。なんて酷い事を言うのか。
また明日突然訪問してやる。首を洗って待ってろ。
「しかしそうなると不可解。その理論ならば簡単にギャップ萌えが起こるはずのカルサイト。何故悩む必要があるのですか?」
「普段からお調子者だからどんな一面もふざけてるようにしか見えないのよ」
「なるほど。ピエロな訳ですね」
「そうよ。哀れなピエロね」
「お前らは悪魔だけどな?」
何事も無いように淡々と話す血も涙もない悪魔共め。俺の悪口で女子トークが盛り上がり過ぎだろ。寂しいからせめて俺も混ぜてくれ。
「例えばの話、俺がもう一度壁ドンすればゼイユは胸キュンをするのか?」
「しないわね。分かっててするのはただの面食いだけよ」
「じゃあネリネか」
「…………は?」
あくまで不意打ちだったからこそ効いた壁ドンだったらしく、されると分かればただの悪ふざけに過ぎないらしい。じゃあどうしろと?
ネリネも酷く冷たい視線で見下してくる。分かってたけど絶対面食いじゃないわ。
今の俺は──無能だ。恋愛偏差値測定不能の落第者2人を相手にしても、トキメク胸キュンの1つも与えられないなんて。
ならば多くの男子生徒共を手玉に取ってきたタロを相手に胸キュンさせるなど、不可能に近いだろう。
悔しさの余りに俺は思わず机を叩いた。
自分の力の無さに歯痒さを感じる。どんな犠牲、どんな手段を用いても強くなりたい。
力が……欲しい。
力が……!
「──力が欲しいか? ……! この声は!?」
「何1人で演技に入ってるのよ?」
「漫画とかで良くあるパターンで胸キュンパワーが宿らないかなぁって」
「……今のカルサイトはカキツバタを超えました」
「ふん、雑魚め。所詮はカキツバタだな」
「悪い意味でよ」
とりあえずふざけていても力は宿らないようなので、神様なんてもう信じずに自分の力で何とかする。でも友情パワーは信じてるのでやっぱりゼイユとネリネには頼る事にした。
頼むぜ、美少女達よ。
「ならば直接聞きましょう。丁度定時報告です」
突如、そう言ったネリネがゼイユのパソコンをカタカタと操作し始める。自身のスマホロトムと見比べながら操作している辺り、どうやらスマホロトムの画面をモニターに出力しようとしているようだが、俺はそれどころでは無かった。
定時報告? 直接?
なんだろう。嫌な予感しかしなかった。否──嫌な予感では済まないだろう。
俺の頭脳が持つ世界有数の叡智が演算を開始する。スマホロトムが板きれに過ぎない程の超高度な解析力の末、俺の導き出した答えは──
「ネリネ。お前は……内通者だったのか……!」
「なんの話よ?」
「内通者とは人聞きの悪い言葉。心外です」
「どういう事なんだよ!? なんで俺を裏切った!?」
「なんのドラマが始まったのよ……」
着いてこられないバカ……もとい、ゼイユを放置しながら、俺は声を張り上げて叫ぶ。それでもネリネの冷めた表情は変わらない。まるでこの光景を予言していたかのような佇まいだった。
まぁ表情が変わったところを見た事が無いけど。
ネリネは変わらずにスマホロトムとパソコンを操作し続けている。未だ裏切りが信じられない俺は頭を抱えて再び口を開いた。
「俺は気づくべきだったんだ……。日々のスケジュール管理を徹底してるネリネが、誘ってもないのにここまでついてきた時点で……!」
「ご明察。さすがは地頭の良いカルサイト。──しかし遅かった。ネリネの依頼主は全てを見通していた」
「説明して欲しいんだけど!?」
「まだ分からないのか!? このバカ!」
「誰がバカですって!?」
「あ、やべ。本音が」
「キィー! いい度胸ね!」
熱が籠ってしまって思わず本音が出てしまった。普段から狂ってるけど怒りに狂ったゼイユが俺の後ろにテレポートしてきて、チョークスリーパーを仕掛けてくる。
すかさず腕を隙間に入れたから殺されずに済んだけど。事ある事に技を掛けようとしないで欲しい。怪我をしたらどうするんだ?
既に怪我しまくってたわ。こいつオコリザルかよ。
俺がゼイユへと、てっていこうせんしている間に、ネリネは映像の出力設定を完了させたのだろう。スマホロトムの通話アプリの発信音が聞こえてくる。
2回、3回と音を鳴らした後、ネリネの依頼主である人物と通話が開始される。パソコンのモニターには直視するには眩し過ぎる依頼主──タロの顔が表示された。
『あ、ごめんね。ネリネさん。カルくんが迷惑を掛けちゃって』
「出たな、ブルベ学園七不思議。最強の裏番長……!」
「いやどう見てもタロじゃないの。……なんでわざわざ?」
「カルサイトのギャップ萌えを引き出すなら本人に聞くのが早いかと」
「……ネリネも大概な思考をしてるわね」
ネリネの行動力に少し引き気味のゼイユであるが、俺は諦めずにチョークスリーパーを極めようとしてくるゼイユにドン引きである。
『カルくんのギャップ萌えの話ですけど……それよりも! 先に聞きたいことがあります!』
「タロの聞きたい事なら何でも答えるのが夫の勤めだ」
『夫じゃないですし、お説教ですよ?』
「それもまたご褒美だな」
「……あたしとの温度差酷くない?」
酷くない。タロと同等に扱って欲しいなんて厚かまし過ぎる。自分の胸に手を当てて考えろ。
でも口に出すとぶん殴られるので黙っておいた。日々の進歩に己の成長を感じる。
『……とりあえず、そうですね。今からカルくんのお説教をしますので、ゼイユさんは離れてもらえますか?』
「なんでよ? あたしだって折檻中なんだけど」
『……その分もわたしが怒りますので。離れて下さいね』
「……あんたまさか……」
『良いから離れて下さい』
言葉を被せるようにしながら一切譲ろうとしないタロの意志に、ゼイユは臆した様子で俺を解放した。
やはりタロ、タロこそが最強。俺の身を第一に考えて暴力の化身たるゼイユを引き離すなんて、人の存在を超えた天使ならではの所業。
もしかして肉体接触……いや、肉弾戦か。
肉弾戦を仕掛けるゼイユにヤキモチを焼いたんだろうか──などと考えてはいけない。何度でも言うが嫉妬にはイヤな思い出しかないのだ。
もう一度『うるさいですね……』なんて言われてみろ。心臓麻痺で即死するぞ。
わざとらしく咳払いをしたタロが目を見開いた後、ビシッとカメラに向かって指を差す。
『カルくん! わたしがいないからって授業をサボって、3年生の教室で好き放題暴れてたみたいですね!』
「やはり内通者ネリネ……!」
「スパイごっこ……とても楽しかった……」
「……あぁ。そういう意味ね……」
ここに来てようやくゼイユも内通者の意味に気が付いたようで、腑に落ちた表情を見せていた。
断言しよう。タロはブルーベリー学園を旅立つ前にネリネへと依頼を出している。ゼイユの元に向かう俺の思考を完全に読んだ上で、監視と報告の為に。
それはきっと愛なのだろう。会えない間の俺の行動を知りたい、タロといない時の自然体な俺を知りたいと思う、大きな愛。
行動を読まれる事自体、特段驚く程の事では無かった。なにせタロが学園外に出たのは今日が初めてと言う訳じゃない。1日だったり2日だったりと帰らない日もある。
そして俺はその度に事件を起こしていた。いや、起こしたくて起こしてる訳じゃないんだけど。
前回は確か……アカマツ君を捕まえて激辛料理の創意工夫をしていた筈だ。最終的に『1口目は甘いけど後から死ぬほど辛いチョコレート』の生産に成功して学園中に配布した記憶がある。
あれは楽しかったなぁ……。激辛料理の普及でアカマツ君もノリノリだったし。
まぁあまりにも辛過ぎたから誰かが学園側に報告して、毒物混入事件疑惑にまで発展したのは予想外でめっちゃ怒られたけど。
シアノ先生が笑ってなければ停学処分だったかもしれない。
そんな経緯もあって、俺が何かをする事をお見通しだったのは当然と言う訳である。
『しかも! なんでゼイユさんの足をな、な、舐めようとしてるのっ!?』
おいネリネ。それは風評被害って言ったよな?
「待って欲しい。このポンコツロボットは修理中なんだ。メンテナンス後、再び報告をする」
「酷く心外。ネリネは見たまま、聞いたままの内容を報告したまでです」
「見ても聞いてもないこと報告してるけどな?」
『なら今ここで! カルくんの口から説明して下さい!』
おかしい。なぜ俺の方が分が悪いのか。的外れな報告をしたネリネが悪い筈なのに。やはり日頃の行いと言う奴なのだろうか。
だがタロへの思いの強さで俺に適う者などいない。誠心誠意務めれば必ず伝わると信じている。それこそが愛。愛なのだ。
「タロ、聞いてくれ。俺は脚フェチだがゼイユの足を舐めたいと思った事は無い」
「気持ち悪い事を宣言しないでくれるかしら?」
「リーグ部でのタロの膝枕が忘れられないだけの脚フェチなんだ」
「……あんた達、部室で何やってんのよ?」
『秘密です! ……じゃあなんでこんな報告が来たの?』
「ネリネの報告は的確。修正は不要」
それは俺も知りたい。なんで曲解を報告してんだよ。修正だらけだろ。
「大方、ゼイユが俺の足を舐めようと──」
ゼイユ の クロスチョップ!
「……お、俺が舐めろと言いました……」
『なんでそんな事を言うの!?』
「だってゼイユに踏まれて怪我をしたから唾をつければ治るかなって……」
『治る訳無いの分かってるよね!?』
「はい……足を踏まれて痛かったので報復しようとした悪ふざけです……」
クロスチョップを受けてしまった俺の体力は最早ひんし。言い返す体力も無いとなれば、大人しく罪を吐露するしか無かった。
まさにピジョットに捕まったキャタピー。為す術なし。
大体、俺の足を思いきり踏んだ奴が悪いだろ。『伝説のポケモン』しか言ってないのに。勝手に勘違いするなって話だよ。
しかし……やはりタロの顔は芸術的な美しさだ。
『……なんで嬉しそうな顔してるの?』
「会えないと思ったタロの顔を拝めただけで幸せだからな。結婚しよう」
『結婚はしません! ……でもカルくんが節操無しにゼイユさんへ手を出してないのは分かりました』
良かった。俺の真摯な思いはタロに伝わったらしく、とても危険な誤解は何とか解決したようだった。
大きな溜め息を吐いてどこか安心したようなタロを見て、ひんしまで無くなった体力がみるみる内に回復していく。
俺にとってのげんきのかたまり。有り余って色んなところが元気になりそうだ。
『もう! カルくんはやっぱりわたしが監視してないと駄目みたいですね』
「一生監視して下さい!」
『そういうところ!』
と、タロが大きな声を出した瞬間だった。タロの映像側からガチャリとドアノブが回されたような金属音が聞こえてくる。何事かと注視していると、強面の大男──ヤーコンさんの姿が僅かに映っていた。
さすがに屈指の強心臓を持つ俺であっても、意図しないタイミングでヤーコンさんと会うのは背筋が伸びる思いを抱く。
なんたって将来のお義父さんなのだから当然だ。
『おいタロ。でけえ声出していつまで喋ってるんだ? そろそろ時間が──っと。カルサイトじゃねえか。両サイドに女を侍らしてなにしてんだ?』
「お久しぶりです、ヤーコンさん。実は彼女達は僕の側室候補でして──」
両サイドからのダブルアタックで俺の頭部がピンボールのように弾け飛んだ。首が折れたと思う。
「と、冗談の言える仲の友人です。タロをときめかせたい僕の悩みを聞いて貰ってました」
『ふん、相変わらず肝の据わった奴だな。オレ様を前にそこまで言えるのはお前くらいなもんだぞ』
『パパも褒めなくていいから! カルくんが調子に乗るだけ!』
「……あんた、あのヤーコンさんが相手でも変わらないのね」
「やはりカルサイトはカキツバタと並ぶ問題児」
女性陣からは非難轟々と言った様子だが、ヤーコンさんは俺の事を少なからず認めてくれているようだ。
やはりヤーコンさんは素晴らしい人だ。癖は強いし口も悪いけど、俺みたいな即断即決の覚悟ガンギマリしてる度胸メガ盛り系男子には一定の評価をしてくれる。
逆に今風のナヨナヨした流される系男子は苦手のようで。タロとの関係が遊びならネジ山の地下深くに埋めてやると言われた。
多分、目が笑ってなかったのでガチである。
『しかしお前。オレ様の誘いを断っておいてずいぶんと暇そうだな。どう言うつもりだ?』
「……? 何も伺ってませんが」
「カルサイトに若年性アルツハイマーの疑いが発生」
「人としての在り方を忘れてるものね」
「人じゃない奴等に言われても痛くも痒くもないな」
『無駄話で盛り上がるな。……おいタロ。伝えてないのか?』
止めろ、人外ども。俺の頭でピンボールをするな。
そんなヤーコンさんの鋭い視線を受けたタロがビクッと肩を震わしてバツの悪そうな表情を浮かべる。話を聞くにどうやらヤーコンさんの伝言をタロが独自の判断で止めていたようだが……一体なんなのだろうか。
『さ、さすがにウチでお泊まりなんて誘えないから!』
「!? タロとパジャマパーティー!?」
『ほら、こうして調子に乗る!』
『別に良いだろうよ。欲望に忠実に、自分に正直に生きるのが一番だ。それにお前ら付き合ってるんだろ?』
「はい、そうです!」
『違います! カルくんもパパも変なこと言わないで!』
そんな勢い良く否定しなくても。ご無体な。
しかしヤーコンさんもどうしたのだろうか。俺とタロが付き合ってるなんて言い出して。気でも狂わない限りタロが自分から言う訳ないし、俺もふざけて言ってる時はあれど、さすがに本気で言ったりはしてない。しかもヤーコンさん相手に。
してない筈だ。
働き過ぎて疲れているのだろうか。頭がおかしくなってしまったヤーコンさんを心の底から心配になり、俺は口を開く。
「お義父さん。実は僕とタロはまだ付き合ってないんです」
『おいお義父さん呼びは止めろよ』
『まだってなんですか?』
「今はデーティング期間と言う奴です。正式なお付き合いをする前にお互いの事を知る為の、言わばお試し期間。ようやく距離を縮めようと2人で歩み寄り始めた瞬間なので、優しく見守っていて頂けると助かります」
「口からの出任せを良くそんなスラスラ喋れるわね……」
「でもきっと、僕達は結ばれます。僕が絶対に、タロを幸せにします──いえ、2人で幸せになっていきますから」
「……カルサイトと結ばれる事は不幸への第一歩」
『仲の良い友達からは随分と大不評だな?』
クソ、両隣でピーチクパーチク好き放題喋りやがって。ヤーコンさんからの評価が下がったらどうするんだよ。
『……ワシもタロから直接聞いた訳じゃなかったからな。そうか。勘違いだったか』
『そうだよ! わたしとカルくんはお友達なんだから、そんな関係じゃないの!』
『だが最近の通話……いや今日会ってからもだな。口を開けばカルサイトの事ばかり話してるじゃねえか』
『んな……!』
「タロ……!」
『ほとんど愚痴だがそれでもタロが──』
『も、もう良いから! 早く! 出てって!』
『あ、お、おい! 押すな──』
思春期と反抗期が同時に来る娘を持つとお父さんは大変なんだなぁと思いつつ、俺はタロに押されて部屋の外へと追い出されていくヤーコンさんを眺めていた。
そして顔を真っ赤にしながら不満を隠そうとしないタロがスマホロトムの前へと戻ってくる。
そんなタロを見て、俺は顔のニヤつきが直らないし、直そうとも思わない。まさか俺と会わない間でさえ俺のことを考えていてくれてたなんて、これほど嬉しい事は無いだろう。
愚痴と言うのが少々気になるが。
……なんかあれだな。どんな形であっても意識して貰えて嬉しいなんて、好きな子に意地悪するクソガキとかストーカーみたいな思考になってる気がする。
でも今は歓喜に満ち溢れているので深い事は考えない事にした。
『……ニヤニヤしないでください!』
「ニヤニヤ……」
『口に出さないで! 大体カルくんがいつも迷惑ばっかり掛けるから、パパとの共通の話題でたまたま! カルくんの愚痴を言っただけなので! 勘違いしないでね!』
「勘違いって何が?」
『……だ、だから……わたしが……その……』
「イチャつくならよそでやってくれるかしら?」
「ははーん、やっぱりタロに嫉妬か?」
「殺すわね」
殺された。
ゼイユのたたきつけるによって机に突っ伏した俺を見て落ち着きを取り戻したのだろう。大きく深呼吸したタロが頬を叩いて気合いを入れ直していた。
『……やっぱりカルくんにはお仕置が必要ですね。明日の早朝、ライモンシティまで来てください。帰り道でわたしの事をちゃんと理解してもらいます』
「じゃあパジャマ持って急いで向かうから」
『わたしの話、聞いてる?』
「俺は良いんだぜ? 早朝にパジャマパーティーでもな……」
「叩かれすぎたのでしょうか? カルサイトの知能が著しく低下しているのを確認」
ちょっとお茶目な冗談だろ。やっていいなら実際にやるだけのお茶目だろ。
『……と、話の途中ですけど、わたしはこの後予定がありますので切りますね』
「了承。報告は以上になります」
『ネリネさんありがとうございます! とっても助かりました!』
「カルくんには?」
『明日お説教ね』
「楽しみだなー」
「あたしには?」
『……カルくんへの体罰はほどほどにしてあげてください!』
「……はいはい」
なんか俺だけおかしかった気がしないでもないけど、タロと話せて気分がとても良いので気にしない事にする。
タロとの通話が切断されて残された俺達3人には何とも言えない空気感が漂っていた。
微妙な沈黙。最初に口を開いたのはゼイユである。
「……しかしタロでも嫉妬するのね」
「あ、やっぱり? タロって俺の事絶対好きだよな」
「いやそれはないと思うけど」
二言目で矛盾するのはどうかと思うが??
「でもさっきの様子だと、あたしがカルサイトに触れてるのを不満そうだったから……ちょっと意外だったわ」
「ゼイユは俺に触れたくて仕方が無いのに難しいところだな……」
「ええ、今すぐにでも技を掛けたいくらいに。男としては一切見てないから安心して」
「つまりカルサイトはゼイユのサンドバッグ」
もう少し良い例えがあってもいいんじゃないかな。
「ほら、自分のポケモンが他のトレーナーに懐く感覚じゃないのかしら?」
「あー……確かにそれはちょっと不機嫌になるかもしれないな。特に俺は手間の掛かる可愛い子。タロにとってはドリュウズと同等なのかもしれない」
「自分で手間の掛かるとか言うべきじゃないわよ……」
「カルサイトは……ポケモンだった……?」
「俺はブルーベリー学園のピカチュウってこと?」
「ケンタロスの分際で生意気よ」
「……なぁ、学園でもよく言われてるけど、こんなイケメンを指してケンタロスって普通におかしいよな」
「こんな美人にゴーリキーって言う奴の台詞じゃないわよ!」
「あははははっ!」
「めっちゃムカつく笑い方!」
でも実際面白いんだから仕方がない。
美人にゴーリキーって。美人にゴーリキーって……!
「だって! ゴーリキーが美人なんだろ!」
「ふん!」
危ない。さすがに今のメガトンパンチは読めてた。掠めた髪の毛が焦げてる気がするが気のせいだと思いたい。
追撃が来る前に脱出パックの如く、俺は慌てて椅子から飛び上がって退避する。
タロに早朝デートに誘われて少し浮かれ過ぎたか。ちょっと弾みでゼイユを煽ったら目を見開いてブチギレている。
いやいつもの事だったわ。て言うか俺はケンタロス言われても全く怒ってないのに、ちょっと理不尽じゃね?
「じゃあ明日は夜明け前に移動しなきゃだし帰る。タロキュン作戦は後日と言う事で。またなー!」
「二度と来るんじゃないわよ!」
「明日も来るから宜しくなー!」
「ネリネ! 塩を撒くわよ!」
「了承しました。一袋使っても?」
「許可するわ!」
俺はゴーストタイプじゃねえんだけどなぁ……。
「ゼイユ、最後に教えてやるよ。お前とタロの違いを」
「……へえ、聞こうじゃないの」
「──かわいいが最強ってこと!」
「それはただのタロの口癖よ!」
でもそれが真理なんだよなぁと思いつつ、俺はゼイユの部屋を後にしたのだった。