「──みたい事があったんだけど。オモダカさんって最低なチャンピオンだと思わない?」
『確かにちょっと強引だと思いますけど、腕の立つトレーナーのポケモン勝負を見たいのは普通のことじゃないですか?』
「瞳孔も開いてて怖いし」
『目が大きいだけですよ』
「背中に『こうてつプレート』を入れてるなんて噂も……」
『背筋が伸びてるのは良い事じゃないですか』
「タロなら目がくりくりで可愛いし、姿勢も良くて素敵だねってなる所なのに不思議だよな」
『そう言うのは偏見って言うんですよ!』
オモダカさんに拉致されてポケモンリーグへと顔を出した日の夜。俺は超絶可愛い天使であるタロちゃんと通話をしながら、今日あった出来事を掻い摘みまくって伝えていた。
勿論、シロナさんなんて世界的有名人は俺の知り合いにはいないので、その点については説明しない。
「だからって、俺の親友であるチリちゃんとブルーベリー学園を巻き込んでまで仕組むのは脳みそタウリンだろ」
『脳みそタウリン……? よく分かりませんけど、自分からアカデミーに向かう決断をしたのに、謝礼まで貰うのはやりすぎだと思います!』
「全部ゼイユのせいだ。この世の不条理の根源たるアイツが悪い。早く俺に30万円分の接待をして欲しいものだ」
『……ゼイユさんを触ったカルくんが悪いんですよね?』
「わざとじゃないんだって。あの瞬間、俺が掴まれる場所はゼイユの身体と髪の毛くらいしか無かったんだ。だが髪の毛は女の命って言うだろ? 流石にゼイユが相手でも髪の毛を引っ張るのは忍びない。そうなると必然的に身体と言う事になり、無我夢中で隆起した部分に掴まってしまうのは自然の流れだと思う」
『だからって触っていい理由にはなりません!』
饒舌に言い訳を重ねてみるも、わたし怒ってますと言わんばかりの顔をしたタロに窘められてしまう。
じゃあ一体どうしろと言うんだ。俺も自分の命と呼べるカルサイトジュニアでもゼイユに差し出せば納得してくれるのだろうか?
でもゼイユの握力って500kgfあるって聞くし、握り潰されるのは嫌なんだよな。触らせる覚悟は出来てもカル子ちゃんになる覚悟は流石に無いぞ。
大体、こうならない為にゼイユに30万円も払ったのに何で怒られてんの? ゼイユのゴリ子ちゃんはどんなフォローをしたんだよ。『グラスメイカー』を使ってないで早く助言して欲しい。
それに俺はゼイユの大胸筋を触りたくて触った訳じゃないってのにな。触りたいか触りたくないかで言えば勿論触りたいのだが、触れるかどうかは別の話である。
兎にも角にも、俺の中ではタロのご機嫌を取るのが何よりも最優先される。恐らくは胸の大きさに劣等感を覚えて、機嫌を損ねた可能性が高い。どんぐりの背比べって言葉がふと思い浮かんだものの、口にしなかった俺は偉いと思う。
やはりタロには急ぎ伝える必要があるだろう。
おっぱいに貴賎は無い──と。
確かに胸は他人を魅了する奇跡の代物であるが、大きさに優劣を付けるべきでは無い。そんな部分で序列が決まるとなれば、ブライア先生はトップチャンピオンだし、ナンジャモは四天王、そしてチリちゃんは短パン小僧になってしまうからだ。
とは言えタロが不安になる心情も理解出来るので、如何にゼイユよりもタロの胸が優れているかを伝える事が先決だと判断し、タロの胸を持ち上げる事にした。
勿論、物理的にでは無い。
「ローブシンの如く鍛え上げられた大胸筋。その硬さが伝わってくるゼイユと、全身がププリンの柔肌を彷彿とさせるタロ。はっきり言って比べるまでも無い」
『正直、軽蔑してます』
「なんで!? タロもマッチョになりたいって事!?」
『そんな訳ないじゃないですか! 大体ゼイユさんは筋肉質じゃないですし! 女の子同士を比較する時点で最低って事です!』
「いつだってそう……男は名前を付けて保存なのに、女は上書き保存……過去の女を気にするのは男だけ……」
『…………』
「分かった、分かったよ。そんな軽蔑するような目で見るなら、俺の記憶をタロの胸で上書き保存──」
『切りますね』
「待ってくれ。今通話を切られたら、タロの目覚ましボイスを延々と聞く事でしか心を安寧を保てなくなる。どう責任を取るつもりなんだよ?」
『……誰が悪いと思ってるの?』
「俺をメロメロ状態にしたタロ」
『…………』
「タロタロ状態でメロ」
その瞬間、通話が切られて無音の静寂が訪れた。俺は一切の躊躇いもせずに即座に掛け直す。
「タロ、愛してるぜ」
『……そう言えば許して貰えると思ってませんか?』
ぶっちゃけ思ってる。なにせアイラブユーは世界を変える魔法の言葉なのだから。
『大体、カルくんは何に対しても不真面目で不誠実なんです。やると決めた事をその場の気分で覆しますし、火の無い所に煙を立てて大事にしますし……そういうのよくないと思います!』
「一寸先は闇って言うだろ?」
『……話が見えないんですけど』
「一寸先は闇だからな……」
『カルくん!!』
おっと、特に意味の無いセリフだと気が付いたタロが、テーブルを叩いて怒りを顕にしている。恐らくは俺と言う抑止力がブルーベリー学園から消えたせいで、カキツバタが好き放題しているからストレスが溜まっているのだろう。
頼むぜカキツバタ。せめて人として恥ずかしくない生き方をしてくれよ。生まれ変わるとか記憶喪失になるとか色々と方法はあるだろ。
「これでも自分には厳しく律してる方なんだがな。犯罪には手を染めないし、廊下は走らないようにしてる」
『常識って知ってますか?』
「浮気だってしない、いつだってタロに一途な硬派。まさに誠実を体現する男の俺に何を言ってるんだよ?」
『…………』
「ジト目なタロも可愛いね。パルデア新婚旅行も楽しみだな!」
『そんな事はしません! ……けど! そうやってわたしの事が好きって言ってるのにゼイユさんにはちょっかいを出すし、チャンピオンのアオイさんに言い寄られて鼻の下が伸びてるし! そんなのは全然一途じゃないと思います!』
「ゼイユにちょっかいを出してるのは兎も角として、アオイちゃん相手に鼻の下を伸ばして無いと思うが」
『すっごく伸びてます! アローラナッシーかと思いました!』
「リージョンフォームしてたかぁ……」
でもアローラナッシーは言い過ぎだと思うけどなぁ。その長さは顔からはみ出してんじゃん。ギャグ漫画の世界じゃねえんだから。
だがそんなタロの意地悪な発言も笑顔で受け止めるのが彼氏の務めだ。
鉱山王となれば魑魅魍魎と呼ばれる大企業の社長達とのやり取りを求められる。つまりどんな状況であろうとも、常に平常心を保てる肝っ玉が肝要なのだ。
まさに今、その力量をタロに試されている。
『後、聞きたい事が一つあるんです』
「愛するタロの質問とあれば何でも答えるぜ。ゼイユのスリーサイズか? 上から100ー100ー100のボン、ボン、ボンだ。『ビルドアップ』をすると胸囲が120になるから要注意な」
『……昨日のナンジャモさんの配信について噂を聞いたのですけど──』
その瞬間、俺は通話の終了ボタンをタップした。常に平常心を保つ俺を動揺させるとは、やはり鉱山王の血を継ぐ娘の行動力は天井知らずである。
「ふぅ、バレるところだったな」
まだまだ俺も精進が足りないな。自己研鑽に励む為にももっと自ら大きな荒波を立てて、困難に身を投じねばならない。
そう、全てはタロと結婚する為に。
ロトロトロトロト……
「どうした? もう俺の声が恋しくなったのか?」
『……で、ナンジャモさんの配信についてですけど』
「……分かったよ、認めるって。確かに俺も気になってたんだ。ナンジャモの生配信で『鉱山王の婿養子です』って言い忘れたのがずっと気掛かりでさ……」
『あ、それは言わなかったんですね。良かった……』
そんな心から安堵した声色で言われると俺でも傷付く。頼む。心から残念がってくれ。
『……じゃなくて! ブルーベリー学園代表としてあるまじき姿だったって聞きまして! まるで恋人のようにアオイさんとイチャイチャしながら、ナンジャモさんにセクハラ発言を繰り返してたって聞いたんです!』
「心外だな。確かにアオイちゃんの好きぴが俺なのは事実だが、全て華麗にスルーして躱している。ちょっと体を触ってきたり、服を脱がせようとしてきただけだ」
『な……! じ、十分アウトだと思います!』
「そうだよな。配信中にやるのはおかしいよな」
『配信外でも! おかしいんです!』
「相手が俺じゃなかったら今頃パルデア地方から逃亡してるだろう……」
でも恐ろしい事に、アオイちゃんなら権力を駆使して追いかけてくる姿が想像出来るんだよな。ブルーベリー学園に帰る前にはそれなりに手を打たないと大変な事になりそうだ。
頼むぜオモダカさん。その恐ろしい眼から放たれる『くろいまなざし』はアオイちゃんにも効く筈だ。しっかり動けなくしてくれ。
『……ナンジャモさんの件についてはどうなんですか?』
「その件に関しては、セクハラと言うには語弊がある。ブルーベリー学園の男子代表として、正しい行いをしただけに過ぎないんだ」
『……例えば?』
「……俺のことを信じてくれるか?」
『信じますので、早く話して下さい』
「これは俺の意見じゃない事を踏まえて聞いて欲しい。まず大前提としてナンジャモの体つきはえっち──あぁ、睨むのは話を全部聞いてからにしてくれ。俺の個人的な性的欲求は皆無だと言うのが分かるから」
『……続けて下さい』
「えっちな体つきのナンジャモがコンプレッションウェアに近いインナーを着てる事実。これは俺の趣味では無いとは言え、一般男子視聴者が興味を抱くは必然だ。加えて俺とナンジャモの身長差を考慮すれば、紳士として見るべきでは無い胸元が自然と見えてしまう」
『…………』
「紳士代表の俺は口を噤むべきなのだろうが、配信者と言うのは視聴者の需要を理解して、感じた魅力を十全に伝えるのが仕事。……ならば配信者として選択せねばならない。ナンジャモのインナーと言う未踏の地へ、足を踏み入れる事を」
『それってカルくんの感想ですよね?』
「違う! 一般男性視聴者の要望だ! 俺が好きなのは! タロの控えめな──!」
その瞬間、スマホロトムが通話終了の合図を告げて手元に戻ってきた。どうやらタロが通話を強制的に終了させたせいだった。
これほどまでに真顔を保ちながら熱意を伝えたのに、どうして理解して貰えないのだろうか。確かに俺自身もナンジャモのインナーには興味津々なのだが、それはおくびにも出さないでいた筈だ。
「クソ! えっちなナンジャモのせいで!」
歯痒さのあまり思わずテーブルを叩く。コップが跳ねて中に入っていたお茶が少しだけ零れた。
ゼイユのヤバソチャに『シャカシャカほう』を撃たれた記憶が蘇ってきたので、この苛立ちはゼイユにぶつけると心に決める。わざわざ俺に嫌がらせをする為、チャデスから進化までさせた女なのだ。仕返しされて当然だろう。
と、その瞬間だった。
ドンドンッと叩くような騒々しい音が入口の扉から響き渡る。既に夜も深けてきた時間帯を考えれば、実に良識の無い人間の行動であるのは明らかだった。
「カルくーん! 開けますねー!」
いや鍵が掛かってるんだけどな。強盗か?
さも当然のように扉を開けたアオイちゃんが不法侵入してくる。ホテルの時と違ってエスパータイプのポケモンを使用した形跡が無い事に恐怖を覚えるが、指摘したところで意味が無いと思うのでスルーしておく。
そんな怪物の後ろについて来たのはポケモンバトル依存症のネモであった。
パルデア史上、最も話の聞かない伝説ポケモン達が俺の部屋に来ちゃったじゃん。どうすんのこれ。
頼むからここでポケモンバトルとかしないでくれよ。
「トップから聞きましたよ! 正式に私とのポケモン勝負を許諾してくれたって!」
「アオイちゃんとオモダカさんの共謀によって半ばさせられたの間違いなんだが」
「ねえ! なんでアオイは良くて、わたしのポケモン勝負は受けてくれないの!?」
「見ての通り俺って忙しい身だから。……で、そんなバトルマニアに朗報があるんだけど、最初に出会った時に一緒にいたおっさん──シアノ先生って言うんだが、実はブルーベリー学園の校長でな。あぁ見えて数十年間無敗だった傑物でイッシュ地方でも指折りの強さなんだよ。暇してると思うし俺の代わりに戦えって言えば戦ってくれると思うぞ」
「!! ちょっとクラベル先生に会ってくるね!」
そう言ってネモは俺の部屋から早々に立ち去った。
何をしに俺の部屋に来たんだアイツ。しかも夜中にアカデミーへ行ってどうすんだよ。多分この時間だとベルちゃん先生もいないだろうし、もう施錠されてんじゃねえのかな。
だが話の聞かない女の1人が消えてくれたのはとても良い事である。パルデア二大巨頭の狂人達を相手にして、真人間である俺のつっこみが追いつくとは思えないからな。
後はそこにいるド変態──いつの間にか俺の布団を被りながら枕の匂いを嗅いでいる女を追い出せば良いだけの話だ。
まぁそれが無理難題なんだけど。触らぬ神に祟りなしだ。放置しとこ。
そんなことを考えている時だった。ロトロトロト……と、再びスマホロトムが音を鳴らす。
悪魔の襲来と言う衝撃で頭の片隅にも残っていなかったが、そう言えばタロとイチャイチャ仲違いごっこをしてるところである。
慌ててスマホロトムの画面を確認すると、やはり表示されていたのは愛しい彼女の名前。タロからの着信は3コール以内に出るのが作法と心得ている俺は、目にも止まらぬ速度で通話を開始した。
「愛してるぜ、マイハニー……」
『オイラも愛してるぜぃ……』
耳が腐りそうな気持ち悪い声が聞こえてきたと思って画面を見ると、そこにはニヤついたカキツバタの顔が映っていた。
やるじゃん。見事だよ歯みがき粉。今度会ったらドロップキックするからな。
そんな俺の愛の言葉が聞こえたのか、布団に埋もれていたアオイちゃんがバッと顔を上げてこちらに接近してくる。
その動きはまさにテッカニン。上手に育てないと言う事を聞かずに大声で鳴き続けると言われてるポケモンであり、まさに我儘なアオイちゃんそのものであった。
この世界のどこかにヌケニンのアオイちゃんがいると思うと過呼吸になりそうだ。弱者男性の俺に人権なんて無いと思うと怒りに震えそう。悲しくて悔しくて涙が止まらない。
「また新しい女の匂いが……え、この人って……歯磨き粉ですか!?」
「あぁ。ヨクバリス社のホワイトニング歯みがき粉、実家のタンスの匂いを再現した『カキツバタ』だ。独特の匂いが癖になると一部のファンに人気らしい。あと一応ブルーベリー学園最強」
『そんな匂いしねえからな? あとアイリスだっての』
さすがは親友。俺の言いたい事をよく分かっている。
「なんでタロのスマホロトムをお前が持ってんだよ? アカマツ君の殺人包丁術を披露して欲しいのか?」
『アカマツの裏家業が殺し屋ってか? ……いやよ、タロのやつがリーグ部で通話してっから話が聞こえてきてねぃ。自分から通話を切った癖に、キョーダイが掛け直してこねえからどんどん不機嫌になってよー。おも……巻き込まれても嫌だからツバっさんが手伝ってやってる訳よ。ったく、めんどくせえ性格してんねぃ』
『カキツバタ! 余計な事言ってないでスマホロトムを返して! それに、わ、わたしはめんどくさい女じゃないから!』
数年振りに両足で立ち上がっているカキツバタが、スマホロトムを取り返そうとするタロの腕を見事に回避している。
必死になってぴょんぴょんしているタロは可愛い。だが目の前でカキツバタとイチャついているように感じるのはよろしくない。
おだやかな心を持ちながらも激しい怒りに目覚めそうだ。跳ねたタロの髪飾りがカキツバタの目に突き刺さってくれねえかな。
「はぁぁ……タロちゃん可愛過ぎか? でも距離の近いカキツバタには殺意が湧くからゼイユを差し向けるとするわ」
『話変わっけど、ゼイユがオイラの事を好きとか言う妄言、ネリネにも話したろ? 全部ゼイユの耳に入ってっから多分殺されるのはカルサイトの方だぜぃ?』
「その程度で死ぬかよ。こちとら殺され慣れてるからな」
「……タロさんとカキツバタさんって付き合ってるんですか?」
「アオイちゃん、お仕置きな」
「あっ──駄目、痛っ……えへ、えへへ……」
男女平等体罰を遂行して、アオイちゃんの頬を思いっきり引っ張ったんだが、痛がるどころかニヤニヤして喜んでやがるのはどう言う事だよ。
相変わらず狂ってやがる。それでいて強かな女だ。何故ならば反撃と言わんばかりに最速最短で俺の膝の上に座っているからだ。
末恐ろしい女である。きっと椅子取りゲームをしてもチャンピオンクラスなのだろう。
『……で、そちらさんが例のチャンピオン? なんつーか……カルサイトを女にしたみてーな性格してんねぃ』
「は? どこがだよ?」
『怒られて喜ぶとか同じじゃねえの』
「私達、お似合いって事ですよね!? さすがは歯磨き粉さんです!」
『ほらよ、オイラを歯磨き粉扱いして真似してんのかって思うレベルだぜぃ?』
『……ん? あ、あれ!? な、なんでアオイさんがそこにいるんですか!? そっちはもう夜ですよね!?』
あーもう滅茶苦茶だよ。なんだよこれ。カオス過ぎるだろ。
タロはワナワナと震えて怒りを顕にしてるし、アオイちゃんは俺の膝の上でニコニコと優越感に浸ってるし、カキツバタはニヤニヤとした顔を隠そうとしない。
『アオイさんを膝の上に乗せて……最低です! 不潔です!』
『リーグ部の部室で膝枕してるタロはどーなんよ?』
『カキツバタは黙ってて!』
『はい』
「膝枕!? 私だってしてもらってないのに!?」
「寝る側な。俺の膝を貸す訳ねえだろ」
『現在進行形で貸してますよね?』
「はい」
確かにその通りだ。タロはいつだって真理を突いてくる。それはつまり、俺の事を深く理解しているからこそ。まさに愛の成せる技なのだろう。
だがこれ以上アオイちゃんを膝に乗せているとタロが口を聞いてくれなくなりそうだ。最悪、パルデア新婚旅行が取り消しとなる可能性さえも浮上する。それはいけない。
なのでアオイちゃんを両手で持ち上げて隣へと立たせた。少々不満そうな顔であったが、そもそも許可して無いのに座ってるやつが悪い。
──と、立ち上がった瞬間に俺の膝の上へと戻る。その速度は『かそく』後のテッカニンの如し。目にも止まらぬ速さに驚愕するが、何より澄ました顔のままでいるアオイちゃんの胆力にビビる。
「…………?」
「どうかしました?」
アオイちゃんを退かす。膝の上に戻る。
退かす。戻る。退かす。戻る。
「膝の上に戻らなくて良いんだが?」
「何がですか?」
その『私、何もしてませんけど?』みたいな表情は止めてくれ。まるで俺がおかしいみたいだろ。ディアルガが時を戻してるんじゃないんだからよ。
あーあ、そんな事してるからタロの表情から感情が消えちゃってるじゃん。早くエムリットに頼んで感情を取り戻さないと手遅れになっちゃうよ。
『……キョーダイが滅多に動じないメンタルをしてんのは知ってるけどよ、そんな迷惑そうでも嫌そうでも無い顔してっとイチャついてるようにしか見えねえのよ』
「は? じゃあ俺が愛してるって言ったペパーやカキツバタはどうなるんだよ? カキツバタの癖にタロを差し置いて正妻気取りとか止めてくれる?」
『してねえ上にペパーって誰だよ?』
「すぅー……はぁー……カル君って良い香りがしますよね。知ってますか? 遺伝子レベルで相性が良いと、フェロモンが本能を刺激して惹かれるらしいですよ!」
「この匂いはシアノ先生から勧められた香水だけどな。ちなみに俺は唐突なアオイちゃんの行為に引いてる」
『アオイさん、離れてもらえますか?』
ほらー、怒っちゃったじゃん。俺はタロの逆鱗に触れないようにひたすらアオイちゃんを拒絶しつつタロへの愛を口にしてたのに。
それなのにアオイちゃんは全く動じないどころか、普段より好きぴアピールが激しい。何でこうも効果が無いんだよ。タロへの牽制力を高め過ぎだろ。『きりさく』じゃなくて『みねうち』で頼む。
「え、嫌です。ここはタロさんもカキツバタさんもいない、私の独壇場ですから。ナンジャモに警戒さえしておけば、カル君は私のものなんです!」
「ナンジャモもリスト入りしてんのは笑えるなぁ」
『ツバっさんが入ってる方がおかしいんよ』
『何も笑えないです。カルくんも早く退かして下さい』
いや退かしてたんだけど。タロの目には一体どんな光景が映っていたと言うんだ。
とりあえず引き離そうとアオイちゃんの肩を押してみるけど、ビクともしない。細身の癖にフィジカルお化けかよ。その上、俺の首に腕を回してしがみついてきてるし引き剥がすのは無理そうだ。
うーん、本来なら役得と言わんばかりにアオイちゃんの胸が顔に当たってるけど、むしろ固くてほぼ骨だと言わざるを得ない。まるでカラカラの頭蓋骨かチリちゃんを彷彿とさせる堅牢さだ。
どうせならナンジャモとシンクロマシンを使ってから抱きついて欲しかった。そしたら俺の中でのアオイちゃんの株はぐーんと上がっていただろう。
頼む、今からでもナンジャモと体を入れ替えてきて欲しい。何だったらナンジャモ本人と入れ替わってくれても良い。むしろその方が良い。
何でもするから頼む! この世のどこかから見てるアルセウス、お前なら何とかなるだろ!
その瞬間、カキツバタの全身が謎の光に包まれる──なんて事は無い。どこぞの女と違って世界に愛される運命力を持たない俺は、ただ大人しく抱き枕になる選択肢しかなかった。
だが愛しいカルくんを奪われたタロの心情は、さながら『もりのようかん』である。何とか感情を取り戻して笑みを浮かべているものの、目がまるで笑っていない。何だったらタロの手が置かれているカキツバタの肩が、ギシギシと音を立てていた。
ちなみにタロに触れられているカキツバタには罰ゲームが待っている。お前にはハッサク先生を必ず差し向けるから楽しみにしていて欲しい。
「タロさん達は指を咥えて見ていて下さい。私が今からカル君をメロメロにして、タロさんへの思いを断ち切ってみせますから!」
「無理だろ。カキツバタが卒業するくらい無理な話だ」
『……そう言う事です。カルくんは……そ、その、わたしがす、好きで、好きで、仕方ない人ですから……!』
『照れるよりもオイラの悪口を否定して欲しいねぃ……』
「タロさんは分かっていませんね。世の原理として追われるよりも追う者の方が強いんです。現にタロさんは知らない筈です。カルくんがこんなにも『あまいかおり』を放ってる事を」
「いや、抱きしめた事あるから知ってると思うが」
「はぁー!? 卑しい人ですね! そうやってカルくんに興味が無いフリをしてるけど、愛される事に喜びを見出してるのがバレバレなのに! ……認めてあげるよ、タロ。生涯のライバルに! カル君は絶対に渡さないから!」
『キョーダイ、おもしれー女を捕まえたねぃ』
「あぁ。俺もゼイユに匹敵する女がこの世にいるとは思わなかったな。ここまで『ロックオン』されたのは正直予想外だが、ぶっちゃけ面白いから有りだと思っている。顔も可愛いし」
『カルくん、正座です』
「はい」
顔を引き攣らせながら笑みを浮かべているタロに命令されるがまま、俺は全力でアオイちゃんを引き離して床へと正座した。
……一体どういう事なんだ? 好き放題に言っていたのはアオイちゃんだってのに、何故か俺が怒られる羽目になっている。
しかもアオイちゃんは空いた席に座らず、再び俺の膝の上に乗ってきたよ。君の後頭部でタロのご尊顔が見えないから退いて欲しいんだけど。
『なんでわたしが怒ってるか分かりますか?』
「好きぴのカルくんが取られそうだからだろ?」
『違います。真面目に答えて下さい』
『へっへっへ、怒られてやんすねぃ』
『だからカキツバタは黙ってて』
「はっはっは、怒られてやがんなぁ」
『カルくん!!』
「……あ、そろそろ点呼の時間なので自室に戻りますね! 翌朝起こしに来ますので! おやすみなさい!」
うーん、ヤドンやコダックを遥かに上回るマイペースっぷりだ。テッカニンの如きスピードで姿を現したかと思えば、トルネロスの如く場を掻き乱して去って行った。
流石のタロも理解が追いつかずにポカンと呆気に取られている。よし、このまま有耶無耶にして俺も逃げるしかねえな。
でもな、アオイちゃん。朝から君と会わなくて良いと思うんだよね。俺にも胃もたれってのがあってさ。朝からニンニクマシマシアブラカラメを味わえるほど訓練されてないんだよ。
だから早朝から逃げさせてもらう。悪く思うなよ。
「おっと、俺もスペシャルカルくんタイムの時間だな。そろそろ部屋に戻るとするよ。バイビー!」
『……コホン。で、ですね、わたしはカルくんの態度について怒ってるんです! 模範的なブルーベリー学園生として留学していれば、こんな問題だらけになってません! アオイさんの件にしてもそう! 節度のある学生として適切な距離を保っていれば、そんな不純な関係にならないと思います!』
「俺は突き放してると思うんだけどな……」
『口でそう言ってても、態度が来る者拒まずなんです! もっと厳然とした態度と言いますか、一目で分かるくらいはっきりと拒否して下さい!』
「拒否された程度で諦める女に見えるか?」
『まータロの理屈で言っちまうと、カルサイトのラブコールを断り切れてねえ時点で説得力無いからねぃ』
『わ、わたしはちゃんと断ってます! 適当な事を言わないで下さい!』
「タロ、安心して欲しい。アオイちゃんやカキツバタ……いや、例え世界中の全てが敵だったとしても、俺だけはタロの味方だから。タロはいつだって正しいって、俺が肯定するよ。……タロが望むなら、鬼にでも悪魔にでもなる覚悟があるからな」
『だったら真面目な優等生になって下さい!』
「それは無理な願いだ……俺に出来るのは、この汚れた手でタロを抱きしめる事だけさ……」
『愛されてんねぃ……』
『……ど、どうしてわたしの周りの人達はこう……!』
顔に手を当ててタロは第二形態へと移行し、スーパーお説教タイムへと突入。取り敢えず矛先をカキツバタへと向けるようにしつつ、おこなタロちゃんを満喫したのだった。
☆ ☆ ☆
人の気配の無い静寂。かと思えば突如と聞こえてくる獰猛なポケモンの叫声。生存を賭けた戦いを繰り返す劣悪な環境下で生き延びてきた野生のポケモン達が放つ、独特の空気がビリビリと肌を突き刺してくる。
「……チリちゃんは思うねん。確かにお願いした身やから協力するつもりやし、トップからも『カルサイトの要望にはなるべく応えるように』って言われてるんや」
「俺のターン! ピカチュウの『ボルテッカー』で終わりだ!」
「あーん! でんきタイプ同士の戦いなのにボクの負けなのは宜しくないんだがー!?」
「だからってパルデアの大穴に行きたいってのはやり過ぎやと思うんよ。研究者やポケモンリーグ関係者しか立ち入れない場所。幾らトップが許可しても──って何スマホロトムで遊んどんねん!」
そう、ここは立ち入り禁止区域とされているパルデアの大穴の内部──エリアゼロ。と言ってもポケモンリーグの管轄エリアなので、オモダカさんの許可さえ取れればなんて事の無い場所である。
それに俺はポケモンリーグの関係者。事務室にさえ入る事を許されたオモダカさんの知り合いである以上、パルデアの大穴なんて俺の土地のようなものだ。
そんな場所に、俺とチリちゃんとナンジャモと言う、実に奇妙なメンバーで訪れている。冗談半分で『ナンジャモと大穴デートしてくるぜ』ってオモダカさんに連絡したところ、二つ返事で承諾してくれると言う結果だったのだ。
まぁチリちゃんの監視の下と言う条件下であるが。
俺だけならまだしも、まさか無関係のナンジャモまで許可が降りたのは予想外だった。きっときまぐれカルサイトのバトル意欲を削ぐのは良くないと思い、渋々許可してたのだろうと推測出来る。
別に口では文句言いつつも戦う気は元々有ったんだがな。世の中ゴネ得と言うだけの事はある。これからも死ぬほどゴネまくりたいと思う。
ちなみにアオイちゃんが襲来するよりも早い時間に出発した。抜かりはない。
「最近スマホロトムで配信されたポケモンのゲームだよ。俺のピカチュウは無敵でね。チリちゃんもやる?」
「やる訳ないやろ。ここでふざけてると死ぬで?」
「へえ。さすがピカチュウにボコボコにされたトレーナーなだけあるね。トラウマだったりするの?」
「……ええ度胸しとるやんけ! どのアプリや!?」
「キリが良いのでボクとしてはエリアゼロの探索したいかなー、なんて……」
「敗北したナンジャモの罰ゲーム、どうすっかなー」
「そんなルール聞いてないんだけど!?」
チリちゃんは半ギレでスマホロトムを操作し始めるし、ナンジャモはコイルをワナワナと震わせている。うーん、流石はリアクション芸人の2人だ。
「と言うかなんでこの面子やねん?」
「あ、それボクも聞きたい! 昨夜にトップからの指示を貰ったかと思ったらこれなんだよね! ……禁足地のエリアゼロに行ってみたかったから別にいーんだけどさ、予定をすっぽかして来たのに説明不足だぞー!」
「特に理由は無い……って言ったらどうする?」
「殴るで」
「ビンタかな」
「俺の性癖の為にも罵るまでにして貰いたい」
だが、こうして軽口を叩ける仲になったのは実に喜ばしい事である。例え2人の目が真剣そのものだったとしてもな。
「日に日にアオイちゃんの行動が過激になってきて、そろそろお灸を据える頃かなぁって思ってさ。その場合に有効なのって、アオイちゃんを放置して他の女の人を構う事だろ? でもアオイちゃんに効果的なのって精々ナンジャモくらいなんだよ。他の人は頭のネジが外れてる奴等ばかりだし、チリちゃんだとインパクトも胸囲も足りないし」
「殴ったで」
本気で殴らないでくれ。痛いから。
「……ちなみに自室の机の上に『ナンジャモとデートの約束が入ったから行ってくるぜ』ってメモを残した。そろそろ部屋に侵入してきたアオイちゃんが目を通してる頃だと思うんだよな」
「ビンタするから」
痛え……痛えよ……。エリアゼロのポケモンより獰猛じゃん……。
ズキズキヒリヒリする頬を押さえながら2人に抗議の視線を向けるも、まるで俺が悪いかのような眼差しに人間不信になりそうだった。
「と言うかさ! 唐突に地雷をぶん投げてくるの止めてくれない!? そのせいでアオイ氏にすっっごく目を付けられてるんだけど!?」
「俺だって本当ならナンジャモじゃなくてタロが良いっての」
「それ巻き込んだ側のセリフ!?」
「ふざけてると死ぬで」
「頼むから真面目に話を聞いてくれ」
「ん? ……あれ!? ボク!? ボクが悪いの!?」
勿論悪いのはナンジャモである。裁判官アオイの判決で言えば、何をしようとも俺は無罪だし、ナンジャモは生きているだけで有罪。残念ながらこれが現実である。
「オモダカさんにはナンジャモって説明しちゃったけどさ、本当は同級生のペパー君を誘おうと思ったんだよ。こう言う冒険は男同士の方が楽しいから」
「え、てっきり可愛い女の子を弄ぶのが趣味かと思ってたよ」
「自分で可愛いとか言うなよ」
「分かるで。チリちゃんも美人さんやからなー」
「だから自分で美人とか言うなよ」
なんだこいつら。ナルシストかよ。謙虚な俺を見習って欲しい。
「でもどうせなら……滅多に無い機会だし見比べておこうと思ってな……」
「……何の話やねん?」
チリちゃんの訝しげな目線を受けながら、俺は2人の胸部を凝視した。それはもう、穴が空くほどに。
山と谷。宛らそこにあるのはテンガン山と208番道路の渓谷と言ったところか。
いや、むしろ『やりのはしら』と『かいていいせき』くらいの差はあるかもしれない。何故ならばチリちゃんの胸は無だからだ。恐らくは『ダイビング』を使わなければ目視できない代物。まさに深淵と言う言葉が相応しいだろう。
「……ふっ」
「お? 今どこを見て笑ったんや? 言うてみ?」
「何も見てないんだが」
「いやいや! 思いっきりボクの胸を見てたよね!?」
「ナンジャモのは見えたんだよ。素敵な『ふたごじま』がね……でも……チリちゃんのは……」
「いてこますぞ」
「『シルフスコープ』の出番か」
「おう誰の胸が死んでるって?」
痛いから耳を引っ張らないで欲しい。一言喋る度に暴力が出てくるのがパルデア地方の悪いところだ。
そんな冗談は兎も角として、このエリアゼロと呼ばれる場所はまともな空気では無いので、ふざけるのは止めて頂きたい。まるで『もどりのどうくつ』を彷彿とさせる恐ろしさ。気を抜けば命さえ落としかねない。
取り敢えず俺は相棒のグレイシアをモンスターボールから出して同行させる。珍しい俺の姿にチリちゃんが目をぱちくりとさせているのが実に腹立たしいが、常日頃からふざけているチリちゃんにとって、警戒を怠らない俺の姿は理解し難いのだろうと憐れむ事にした。
……あ、ムウマみたいのが飛んでるじゃん。シアにアイコンタクトして先制攻撃仕掛けちゃおっと。
「エリアゼロには固有種のポケモンがおるけど、撮影や捕獲は厳禁やで。ここのポケモンは残忍で獰猛な性格をしとるから、地表の生態系を崩しかねない危険を孕んどんねん。せやから研究が進むまでは表に存在を認知させる訳にはいかへんのや。……勿論、配信もNGやで」
「さすがのボクでもそんな事はしないぞー! バズるのは確かに大事だけど、ポケモン達を傷付けてまでするのは違うジャン?」
「お、こいつはハバタクカミって言うんだな。取り敢えずボックスに転送しとこ」
「何勝手に捕まえとんねん! 人の話聞いてたんか!?」
「チリちゃんが言う前には捕まえてたから仕方ないだろ。と言うかここのポケモンを全部捕獲して生態、タイプ、覚える技を網羅したかったんだけど」
「アカンに決まっとるやろ」
グレイシアの一撃で怯んだハバタクカミを捕まえた直後、俺はチリちゃんに胸ぐらを掴まれて凄まれている。男らしい行動力で強引にキスでもされるのかと思ったが、そう言う訳では無いようだった。
と言うかアオイちゃんなんて捕まえた上に好き放題使ってるっぽいのに、扱いが雲泥の差である。
それにあそこでふわふわ浮いてる青い花みたいなポケモンだってオモダカさんが使ってただろ。カキツバタの情けないバトルの全容を後で確認したから知ってんだぞ。
んだよ、俺ばっかり責めやがって!
秘匿もクソもねえじゃねえか!!
そんな前例があるのならば簡単に諦めるような俺では無い。ナルシストな2人と違って超絶美形の俺は、自身の容姿を十全に発揮する術を知っている為、力技を行使する事を決意した。
「チリちゃん、取引しよう。俺の腹筋と引き換えに黙認ってのはどうだ?」
「する訳ないやろ」
「今なら撮影可能だ」
「……いや、あかんもんはあかんやろ」
「……え、何の話なの……?」
激しい突っ込みが来ると思ったのに少し揺らいでて笑う。だがチリちゃん、隙を見せたな。それは致命的な弱点だぜ!
「触っても良いとしたら……どうする?」
「……チリちゃんに出来るのはトップに確認するだけやからな」
「……チリ氏……」
「ちゃうねん。チリちゃんはな、アオイのポケモン達への理解を深める為に体を張ってる姿を見て感銘を受けただけなんや。常識的に考えて、こんなアホの腹筋なんて嬉しい訳ないやろ」
「マジで? じゃあ脱がなくても良いのか」
「それとこれは話が別やろ。常識的に考えてや」
何故こんなド変態に常識を説かれなければならないのかまるで理解出来ないが、オモダカさんと交渉する気満々のチリちゃんに水を差すほど無粋な俺では無い。少しだけ離れて通話を始めたチリちゃんを見て、『アホだなぁ』と思いつつ、冷たい視線を送っているナンジャモに話し掛けた。
「あのメスの顔を見た? まるで俺を見る時のナンジャモみたいな卑しい顔してたよな」
「大して顔は変化してないし、そもそもボクはそんな表情しないんだけど。むしろボクの胸元を見てる時のカル氏に近い表情だったと思ったよね」
「へえ、ナンジャモから見た俺ってあんなにイケメンなんだな」
「耳掃除してる?」
「してくれるの? じゃあ膝枕しながら頼む」
「必要なのは頭の掃除だったかー……」
「してくれるの? じゃあ膝枕しながら頼む」
「どうやって!?」
言葉の一歩先を読んだだけで中々酷い言われ様である。だがナンジャモが卑しい女である事は明白だ。チリちゃんの一言によって、俺の腹筋へ熱い視線を向けているのだから。
「さすがの俺でもそんなに腹筋を見つめられると恥ずかしいんだが」
「キミのグレイシアを見てるだけだぞ! なんかプリンみたいなポケモン引っ張りながらこっちに来てるし!」
どうやら俺の腹筋ではなくて背後にいるシアに視線を向けていたようで、振り返ると確かにナンジャモの言う通り、ボロボロになったプリンもどきのポケモンがいた。
『オラ、歩けよ!』と言わんばかりの表情で圧を掛けてるシアに従う姿を見てると、ここのポケモンは本当に獰猛なのかと疑いたくなる。
取り敢えずチリちゃんも見てない事だし、ハイパーボールで捕まえとこ。
何か言いたそうな表情でこちらを見ているナンジャモであるが、俺の捕獲を黙認している時点で同罪である。後でチリちゃんに怒られて一緒に地獄に落ちようぜ。
それにしてもパルデアの大穴と言うだけあって、かなり深い場所まで続いているようだ。岩の足場から身を乗り出して確認してみると、キラキラと光り輝くテラスタルの結晶が至る所に生えているのが確認出来た。
高過ぎて足が竦むわ。まだ半分も下に降りてないのかよ。
俺は慌てて身を引いて安全を確保した。
「……最下層まで行っちゃダメってトップが言ってたの、忘れちゃダメだぞよー」
「別に隅々まで探索したい訳じゃないし、それに高所恐怖症だから飛び込む気は更々ないっての」
「え、そんな性格して高所恐怖症なの? ほほー……って事はー!」
そう言って断崖ギリギリに立ったナンジャモがくるりと振り返ってポーズをとる。命の危険を感じないとはバカな女だ。やはり頭にコイルを付けている女は普通では無い。
「カル氏はボクの古参ファンだったよねー? じゃあ特別にファンサしちゃおっかなー!」
「脱ーげ! 脱ーげ!」
「ファンサの域を超えてるんだがー!?」
どうやら違うようだった。
「……気を取り直して! 今ならなんと! 勇気を出して踏み込めば仲良しツーショットを撮るチャンス! さぁさぁ! 近寄りなされー!」
「……いや、遠慮しとくわ」
「おー? まさかまさか! カル氏はここまで来るのが怖い──あっ」
言動から察するに、ビビってる俺を見たくて煽ったようだけど、再びポーズを決める瞬間に足を踏み外したナンジャモが情けない声を漏らした。
そしてそのまま、大穴へとナンジャモの体が倒れていく。
「カ、カル氏──ッ!」
「……大穴の、もずくに」
「藻屑──ッ!!」
為す術など無く、ナンジャモの姿が見えなくなった。
うーん、まさか目の前の断崖絶壁で投身自殺が行われるとは思わなんだ。しかも鋭いツッコミをしながら落ちていったよ。ナンジャモ、君は芸人になれるね。
ナンジャモが物語のヒロインだったのなら、きっと命懸けで助けた俺に一目惚れするシーンなんだろうな。でも残念ながら俺のヒロインはどう考えてもタロだし、そもそも高所恐怖症なんで一緒に落下するリスクなんて取る訳が無い。
残念だったな、ナンジャモ。深層でヒロイン力を磨いてきてくれ。
取り敢えず上から覗き込んで見るけど、遥か深淵まで落ちていったようでナンジャモの姿は見えない。スマホロトムを持ってる事は確認してるし大丈夫だろ。多分。
そしてタイミングがいいのか悪いのか、通話を終えたチリちゃんが戻ってくる。通話中にこっちを視認していなかったようで、居なくなったナンジャモをキョロキョロと探していた。
「……どこに行ったん?」
「お手洗いに行ってくるって大穴の中に飛び込んだよ」
「どでかいトイレやなぁ……」
「大自然の恵みだな……で、オモダカさんは?」
「残念やけどダメや。ホンマに残念やけど」
「チリちゃんの方が残念そうなのはおかしいだろ」
「……で、どこに行ったん?」
「だから大穴に飛び込んだって」
「……は? 突き落とすのは流石に冗談でも笑えんで」
「する訳ないだろ。節度は弁えて生きてるんでね」
「そうは見えんけどな……」
そう言ってチリちゃんと2人で大穴の深淵を覗き込む。未だにナンジャモの姿は見えないけど、テラスタルの結晶が乱反射して綺麗だね。まるでヒウンシティの夜景のような美しさだ。どうせならタロと一緒に見たかったよ。
しかし、これだけテラスタルの影響力があると、今頃ナンジャモもきっとテラスタルと化して、新種のポケモンになってるんじゃないかな。
……そうなると俺はナンジャモを捕獲しに行かなきゃならないだろう。ポケモン博士として名を馳せている俺にとって、新種のポケモンの生態を調べるのは義務と言っても過言では無い。
急ぎ捕獲して、ナンジャモと共に育て屋さんに入り、その全容を知るべきだ。タマゴを産む様子から孵化の様子まで、母子手帳にしっかりと記入せねばならない。
──と、背後に気配を感じて即座に振り返る。
「シア!」
俺の掛け声に呼応して、瞬時に反応したシアが『フリーズドライ』を放った。そこにいたのはレアコイル……に非常に良く似た、磁石のようなものを脚として歩く謎のポケモン。
「まさか……ナンジャモなのか?」
「短期間で変わり過ぎやで。ボケるにしてももうちょい原型のあるポケモンに言うべきやろ」
「頭にコイルを付けていたナンジャモがテラスタルの影響で……そんな……」
「一理あるな。……あるんか?」
「目を覚ませナンジャモ! インナー姿を無くしたお前に魅力がある訳ないだろ!」
スパーンと俺の頭が叩かれる。割と本音で言ったし間違ってない筈なのに何故叩かれるのか理解出来なかった。
だが新種のポケモン、ナンジャモは俺の言葉に反応を示さない。と言うか『フリーズドライ』が致命傷のようで『ひんし』一歩手前のようだ。
その姿は目を回す時のナンジャモそっくりである。と言うかナンジャモである。
「返せよ! 俺の! ナンジャモのインナー!」
「……冷静によう考えたらエグいな、自分。エリアゼロのポケモン達を遊び半分で倒しとるやんけ」
「遊びだと? こっちは本気でナンジャモのインナーに夢を見てんだよ!」
「知らんがな」
「フン、雑魚め。所詮は『しぜんこうえん』だな!」
「ほーん、ジョウト地方の名所をよう知っとるやんけ。チリちゃんの『しぜんこうえん』を味わってみ」
止めろ! ヘッドロックをするんじゃない! ゼイユと違ってパワーが劣っていてもクッションが無いから痛いんだよ!
クソ、まだナンジャモと対話中だってのに邪魔ばかりしやがって。チリちゃんの『しぜんこうえん』でむしとり大会をしてる場合じゃないんだよ。
その隙にボロボロになったナンジャモが逃げようとしていたので、俺は慌ててハイパーボールを投げて捕獲を試みる。本当なら倒すつもりだったんだけどな、チリちゃんに邪魔されたせいで捕獲する選択肢しか無かったんだ。つまりこれは俺のせいじゃなくてチリちゃんが悪い。
「捕まえんなって聞こえんかったんか!?」
「チリちゃんのヘッドロックでシアに指示が出来なかったんだ。どうしてくれんの?」
「さっきから指示も無く攻撃しとるやんけ! しかもご丁寧に倒さないギリギリやし!」
「あぁ。俺でも一撃で倒しきれない危険なポケモン達のようだ。心してナンジャモを助けに行こう」
「……後で全部逃がしてもらうで?」
必ずチリちゃんを煙に巻くと心に誓いながら、ナンジャモ捜索隊の俺達は、エリアゼロの奥地へと向かった。
テラスタルの結晶が影響しているのか、奥へと向かえば向かうほど、異様な雰囲気に辺りが包まれていく。見た事あるポケモン達の姿が徐々に減っていき、さっき捕まえたようなエリアゼロの固有種が次第に姿を見せていた。
その度にコントを繰り返しては捕まえているのは言うまでも無いだろう。
「こんな禁足地でポケモンを乱獲したアオイちゃんってやり過ぎじゃない? それを特別に許容するパルデア地方も選民思想で怖過ぎると思うんだよな」
「トップがアオイに甘過ぎるのは事実やんなぁ……」
「だからチリちゃんだけでも俺を甘やかすべきだと思うんだよね」
「充分甘やかしてるがな。机の上で気持ちの悪い魔法陣を描かれてても、捨てるだけで勘弁してやったんやで」
「あー、あのカキツバタ? 俺もビックリしたよ。マジで気持ち悪くて吐きそうだった」
ニッコニコの笑みを浮かべたカキツバタが描く魔法陣とか何事かと思ったからな。
だが冷静に感想を述べる俺の顔を、チリちゃんは呆れたような表情でこちらを見てくる。まるで悪戯の犯人を知っているかのような素振りであるが、確固たる証拠が無い以上、ここは知らぬ存ぜぬを突き通すのが吉だろう。
「あのな……ボタンから事情を聞いとるで」
「俺はボタちゃんが仕掛けてるところを見たけどな」
「信頼度って知っとるか? 普段の行いの積み重ねで人柄は評価されんねん」
「はぁー!? だったらなんでボタちゃんの評価が俺より上なんだよ!? 状況から察するに、アイツがチリちゃんの言ってた電子通貨偽造法に引っ掛かる重罪人だろ!? 一方で俺はチリちゃんのお願いに善意でやってきたブルーベリー学園の優等生! 比べるまでも無くない!?」
まぁカキツバタ魔法陣をやったのは俺なんだけど。だが熱意を持って接すれば何とかなりそうな気がしたので、取り敢えず必死な態度でチリちゃんへ物理的に縋る。
「ちょ──鬱陶しいからひっつくのやめえや!」
「いーや、離れないね! なんだったらハッサク先生並みに男泣きするのも辞さないからな! 俺はやるったらやる男だ!」
「それは暑苦し過ぎて嫌やな……あーもう、分かった、分ぁーった! ボタンよりカルサイトの言い分を信じるから離れえや!」
「へえ、やっぱり犯人はボタちゃんなんだな。もしかしてカキツバタのファンか? パルデア地方にお前のファンがいたぜって本人に伝えとこ」
「ほんま都合のいい頭してんな……」
思考の切り替えが早い天才だと褒めて欲しいものだ。
取り敢えずチリちゃんから離れてエリアゼロの深層まで向かっていく。時折『こんにちワンリキー!』と叫んでみるものの、特に反応が無い所を見ると、まだナンジャモの姿は見えないようだった。
どうしてでんきタイプのジムリーダーはこうも他人に迷惑を掛けるのだろうか。ナギサシティのデンジさんなんてジムの改造に勤しんだ結果、街全体を停電させるなんてクレイジーっぷりだ。
挙句の果てに理由が『挑戦者に手応えがなくてジムリーダー業がつまらなくてね』って意味が分からない。ジムバッジは俺とヒカリに渡した上で、ブチ切れシロナにボコボコにされてた癖によく言うぜ。
なんかそう考えるとナンジャモがまともに見えてきたな。さすがデンジさんだ。『輝き痺れさせるスター』なんて肩書きは伊達じゃない。
「そう言えばチリちゃんってジョウト地方出身で合ってる?」
「せやで。シンオウ地方生まれの自分なら、この喋り方でどこだか分かるやろ」
「シ……シ……」
「ちゃう。コガネ──」
「シロガネやま!」
「ちゃう言うとるやろ! コガネシティや!」
そっかぁ。てっきりヨーギラスと同じ喋り方なのかと思ってたよ。
「コガネシティって確か……ジムリーダーがアカネちゃんだったか。負けたら泣き出す情緒不安定の」
「その情報は知らんけど、妙に詳しいやんけ。……そう言えばカントー地方のジムバッジを集めたんやったか。なら陸繋がりのジョウト地方のバッジも持っとるん?」
「流石に持ってないって。会った事も無いし。自称友人のミカンちゃんから聞いただけ」
「……ミカンは知り合いなんか?」
「あぁ、ワンナイトした仲でね」
「直ぐにバレる嘘を吐くのやめえや」
「シャキーン! はがねタイプです!」
「……なんやねんそれ」
「ミカンちゃんのクソダサい決めゼリフだが? 言った本人が恥ずかしがってるのがポイントだ」
「……嘘なんよな?」
はい、嘘です。シンオウ地方にいる時にミカンちゃんを見かけて話し掛けただけの仲です。
そもそもなんで居たのかも良く分かんねえ程度の付き合いだ。幾ら俺が中身も外身もイケてるからって、そんな眉間に皺を寄せた疑惑の眼差しで見つめないで欲しいね。
「冗談は兎も角、ジョウト地方は暇な時に行った事あるだけで全部の街を回った訳じゃないからなぁ。……特にコガネシティには食指が動かなくて」
「は? なんでやねん?」
「その喋り方がね……」
「いてこますぞ」
「……と言うのも、カントー地方で出会ったマサキさんの延々と繰り返される1人ボケノリツッコミに辟易したからなんだよ。チリちゃんに会ってからは面白くて良いなぁと思ったけどさ」
「そらコガネ民として謝るわ。ホンマごめん。今度お詫びに案内するで」
いやそこは同郷として少しくらい擁護してやれよ。マサキさんと言えば、若くしてポケモン預かりシステムを構築した科学の天才だろ。コガネシティの誇りくらい言った方が良いと思うんだが。
「マサキさんって割と真面目な話をしててもオチをつける為に絶対にボケようとするし。考え方とか発明は天才的だけど人としてどうかと思うよなぁ」
「鏡見た方がええで」
「そう考えるとチリちゃんもオチをつけたがるし似たようなもんだよね。マサキちゃんって呼んでいい?」
「ほんなら自分もマサキって事になるけどええか?」
マサキ三人衆か……漫才トリオでも結成するか?
そんなことを思いつつ、俺はガサゴソとポケットの中を漁る。するとそこには、どこかで見た事のあるカキツバタが満面の笑みを見せるステッカーがあった。
「……今度ジョウト地方に行ったらやると決めてる事があってさ。このステッカーをミカンちゃんのおでこに貼ろうと思ってるんだ」
「お、チリちゃんの机に悪戯した犯人が自ら尻尾を出してきよったな」
「…………」
「…………」
「シャキーン! はがねタイプです!」
「それはもうええねん」
「──え!? ナンジャモの声が!? 近くにいるのか!?」
「耳も都合が良いみたいやな──って走んなや! エリアゼロを走らないようにって教わらんかったんか!?」
廊下じゃないんだから知らねえよ。そもそも一般人は入る事が禁止されてるだろ。
俺とシアは全力で駆け抜けながら、時折現れるナンジャモ完全体に攻撃しつつハイパーボールを投げていく。しかしながら、どいつもこいつもナンジャモじゃなくてスナノケガワとか言うポケモンだった。知ってたけど。
『スピードスター』のカルサイトと巷で有名の俺は、ピョンピョンと岩を飛び越えながら駆けていく。人よりも運動神経に優れているシアも難無くついてくるが、チリちゃんの姿は見えなかった。もしかしてチリちゃんも行方不明か? 全く、どいつもこいつも手間が掛かるな。
気が付けば、日の光が差し込まないほど薄暗い場所にまで来たようだ。至る所に存在するテラスタルの結晶は、見上げねば全貌が見えないほどに大きい。まるでブライア先生の胸が生えてきたのかと思うほどに大きかった。
チリちゃんが見てない事だし、写真を撮ってゼイユに送るか──と、問答無用にスマホロトムで撮影してる時だった。
「カ、カル氏ー!」
「……死んだ筈の人の声が……?」
「生きてるぞー!? 上! 上!」
声に誘われて見上げてみると、そこには断崖の突起部に服が引っ掛かっているナンジャモの姿があった。みっともなく宙ぶらりんの状態で、あわあわしながら両手を振って存在感をアピールしている。
おかげさまで下から覗き見し放題であった。お金を積んでも拝めない光景に思わず合掌をしつつ、日頃から善行を重ねてきた甲斐があったと感慨深くなる。
「ありがとう……スマホロトムで撮るね……」
「止めて欲しいんだがー!?」
「ナンジャモ……キミのインナーはきらめき1000万ボルトだぜ……!」
「ねえ、怒るよ」
そんな怒らなくても……わざわざ助けに来てあげたんだから少しくらいのサービスをしてもいいと思うんだ。勝手に落ちた上に放置されてたら多分死んでたと思うし。尤も、俺が名前を出してなきゃここには来てないんだろうけど。
早く助けて上げたいところではあるが、残念ながら5mくらいの高さには手が届かない。タロにアローラナッシーと称された俺であっても、そこまで伸びたりしないのだ。
「ここに2つの選択肢がある。モンスターボールを投げてナンジャモを落とすか、それとも放置するか」
「……ひこうポケモンでかっこよく助けてくれるカル氏を見てみたいぞー!」
「チルタリスの『ゴッドバード』で撃ち落とせと……?」
「シンオウ地方に脳みそ置いてきたの?」
酷い言われようであるが、ナンジャモなりの照れ隠しだと理解している俺は、シアにアイコンタクトをして氷の足場を作って貰い、崖を階段の要領で登っていく。まるでそれは天国へと向かう階段。その先で待っているのは、ナンジャモのインナーを至近距離で拝めると言う極楽浄土なのだから当然である。
俺はふと気付く。もしかしたらシアが同様に技を使えば、チリちゃんの断崖絶壁にも隆起は作れるのではないのだろうか。だがその隆起は時間の経過と共に溶けて消える事が容易に想像出来た。あまりに無慈悲な光景に俺は思わず咽び泣きそうになる。
俺はなんて無力なんだろう。必ずチリちゃんの期待に応えられるような男になると決意を固めていると、ナンジャモの元へと辿り着いた。
そしてこれは決して意図した事では無い。俺が歩いてきた足場の位置のせいである。
あ! 野生の ナンジャモの臀部が 飛び出してきた!
見事なモモン尻である。本当に俺としては意図しない光景なのだが、したり顔のシアを見るに、きっと偶然ではないんだと思う。良くやった。後で好きなきのみをあげるぞ。
うーん、実にご立派だ。ここで『ドラムアタック』の練習をしても良いだろうか。
「……あのー……凝視されるのはさすがのボクでも恥ずかしいかなーって……」
「あぁ、ごめん。目が合ってるのかと思ってた」
「お尻に目なんてついてないんだがー!?」
「……なぁ、無性に叩きたいんだけど許可って──」
「警察に捕まる覚悟があるならどうぞ」
「そう言われてやらなかった事をブルーベリー学園で後悔したんだよな。だから今回は全力でさせてもらうから。よろしく」
「待って待って待って! ボ、ボクが悪かったから! だから絶対に触らないで欲しいなって!」
俺の覚悟だけで叩けるならまだしも、そこまで拒否するなら仕方が無い。スパッツに包まれた『モモンのみ』は放置する事にした。
「さて……ナンジャモ。君には2つの選択肢がある。このまま引っ掛かっている部分を外して惨めに落下するか、『あーん、カル氏大好きだぞー!』と卑しく媚びて優しく下ろしてもらうか」
「キミを好きになる理由ってあると思う?」
「顔」
「言ってて虚しくならないの……?」
ぶっちゃけ虚しい。みんなもうちょっと俺を褒めるべきだと思う。
「取り敢えず報酬のツーショットを撮らせてもらうから」
「だから! そっちはお尻だってば!」
「むしろ貴重だと思うんだよな。ナンジャモのスパケツとのツーショット」
「スパケツ!? と言うかやだよ! そんな情けない姿!」
「あれも嫌だこれも嫌だって……大人なんだからそのくらいは我慢しようぜ」
「限度って知ってる?」
「限界なんてのはな、超える為にあるんだよ」
「それは無茶振りする側のセリフじゃないんだけど!?」
なんて我儘な女なのだろうか。まるでゼイユを彷彿とさせる利己心である。淑女を地で行くタロの愛くるしさを見習ってもらいたいものだ。
とりあえず今回の旅の目的であるナンジャモの臀部を満喫したので満足である。ブルーベリー学園を代表する紳士として、女性を丁重に扱うのは当然と心得ている俺は、優しくナンジャモを持ち上げた。
足を滑らせてナンジャモと落下なんて笑えないので、慎重に体勢を変えていく。両腕をナンジャモの背中と膝の裏に回して抱き抱えれば、定番中の定番の持ち方。
「こ、これはお姫様抱っこと言うやつなのでは……!?」
「あぁ。足腰の弱った老婆を介護するヤングケアラーさ……」
「カル氏、本当はボクの事嫌いだよね?」
「それなりに好きだぜ。入浴介助出来る程度には。するか?」
「するわけないじゃん!?」
そっか、イメトレはいつでもしてるから完璧なんだがな。
きっと近い将来、俺はヤングケアラーとしてシロナを介護する事になるだろう。三十路を迎えても尚、男の影が見えない悲しきモンスターへと成り果てたシンオウチャンピオン。
今でさえ足の踏み場も無い汚部屋へと化す女なのだ。数年後には女としての尊厳を無くし、獰猛で気性の荒いリングマになっていても不思議では無い。
そんな未来に向けて実戦経験をしておきたいところだったが、拒否されてしまったのならば仕方が無い。
「だが勘違いはしないでくれ。俺が愛を告げて身も心も捧げた女性はただ一人。マイエンジェルタロちゃんだけなのさ……」
「人のお尻にセクハラしてる人のセリフじゃないと思うが!?」
「愛と性欲は表裏一体じゃないんだよ」
「いや表裏一体でしょ」
「じゃあチリちゃんは俺の事が好きなのか」
「ごめんね。表裏一体じゃないかも」
そこは即答しなくても良いんじゃないかなと思いつつ、俺は足場に気を付けながらゆっくりと降りていく。
「キリンリキのキリンとリキのそれぞれに脳があるのは知ってるだろ?」
「ん? え……脳はともかく、名前ってあるの?」
「そう考えると、ナンジャモもナンとジャモのそれぞれに脳があるのも頷けるし、俺のカルとサイトに脳が二つあっても不思議じゃないんだよな」
「なんだろう。具体的な部位を示してないのに分かっちゃうのが、とーってもビリビリムカムカだよ」
「それじゃあ写真撮るよー。はい、チヲハウハネ!」
「語呂悪い上に唐突だね!?」
そんな事言いつつ写りの良いカメラアングルを理解してるのはさすがインフルエンサーである。見事な美男美女のツーショットだ。しかもお姫様抱っことは素晴らしい。これは配信界隈に一石を投じる爆薬となるだろう。ナンジャモを脅す時には有効活用しないとな。
地上に降り立つと同時に、用の済んだナンジャモを立たせてスマホロトムを操作していく。
「……一応、お礼を言っとくね。ありがと」
「どういたしまして。ついでにさっきの写真をアオイちゃんに送るから」
「だからボクを巻き込むのは止めて欲しいんだけど……」
「どうせ置き手紙で教えてるし。ちょっとだけアオイちゃんの脳が破壊されて、ナンジャモに敵愾心を抱くだけだって」
「それがイヤだってば! ボク関係ないじゃん!」
「なんだか今日のナンジャモは素が出てるけど、仲良くなった証拠って事で良い?」
「誰のせいだと思ってるの……」
十中八九アオイちゃんのせいだろう。アオイちゃんがいなければそもそもナンジャモに会えていなかった可能性が高いからな。
と、アオイちゃんへと写真を送った十数秒後であった。
ドンッ──と、大地が揺れる振動と共に砂煙が舞う。何事かと警戒を高めてシアへと視線を……って気が付いたらいねえし。
……よく見たら上にいた。なんか怪我してるボーマンダみたいなポケモンの背中に乗ってるけど、ちゃんと警戒態勢に入ってるようなので良しとする。
ちなみにナンジャモは情けなく俺の背中に隠れた。ジムリーダーな上に大人なんだからもうちょっと威厳ってものを見せた方が良いと思う。
そして舞い上がった粉塵が収まって見えてきたのは、真紅に染まる無骨なポケモン、コライドン──に跨る、アオイちゃんとチリちゃんの姿があった。
アオイちゃんの存在を認知した瞬間、俺は即座にナンジャモの肩を抱き寄せる。そしてナンジャモは即座に『ずつき』を繰り出してきて、俺の顔面にコイルがめり込んだ。
めっちゃ痛い。でもアオイちゃんを分からせてやる為ならばこのくらい耐え抜いてみせる──と、決して離さない俺の強い意志を感じ取ってか、ナンジャモの『ずつき』は徐々に強くなっていく。最早ヘドバン並みの勢いだ。
助けてくれ、シア。コライドンを警戒している場合じゃない。ご主人様の美しい顔が歪んでしまう方が一大事だぞ。優先順位を間違えるな。
しかしナンジャモに構っている効果は覿面であり、アオイちゃんの顔はまるでオニゴーリのように怒りを顕にしている。それも目を真っ赤にした色違いのオニゴーリだ。俺はポケモン博士だから詳しいんだ。
「カ、カル氏……離して……!」
「……卑しい。本当に卑しい女だよ、ナンジャモ。パルデア地方のタロって呼ぶに相応しいね。……私の前ではそんな気は見せなかった癖に、裏ではカル君にお姫様抱っこされて満面の笑みをしてるだなんて……」
「まいど! チリちゃんやで」
「ちょっと! ボクをフォローしてよ!」
うーん、はぐれてる間にチリちゃんは鋼のメンタルを手に入れたようだ。大人の余裕を感じさせる笑み。おててフリフリかっこいいね。
それに比べてナンジャモの余裕の無さはダサすぎる。アオイちゃんを軽くあしらう度胸くらい身に付けておくのが、社会人の嗜みだと言うのに。
「あ、カル君は写真ありがとうございました! タロの動揺を誘う事が出来たので良かったです!」
「え、転送したのか?」
「はい!」
「……そうなんだ」
「チリさんがアドバイスしてくれたおかげです!」
「おい似非マサキ」
「……まいど! チリちゃんやで」
待ってくれ、おかしい。俺はアオイちゃんを分からせる為にお姫様抱っこの写真を送ったのに、なんで俺が分からせられてるんだ。もうこんなの『トリック』の使い手だろ。と言うかなんでタロの連絡先まで知ってんだよ。
大体、俺に嫌われるかもしれないと考えるよりも、タロへの精神攻撃に活用出来るって考えが超攻撃的思考過ぎる。
チリちゃん、てめえにも言ってんだぞ。どうりでニコニコ笑みを崩さない筈だよ。やり返したと言わんばかりにスッキリした顔をしやがって。まるで普段から俺が意地悪してるみたいじゃねえか。
まだイッシュ地方は日が昇る前の早朝。タロへのフォローは後回しと考えながら、チリちゃんの表情を必ずクサイハナの顔のようにすると心に誓った俺は、怒りを鎮めながら静かに口を開く。
「アオイちゃん、悪いな。置き手紙に書いてあった通り、今日はナンジャモとのデートで2人きりの予定なんだ。この前の配信を手伝ったお礼にデートして欲しいと言われてね。紳士の俺としては出来るだけ期待に応えてあげないといけなくてな……」
「本当に卑しい! 最低だよ! ナンジャモ!」
『昨晩はアオイさんとイチャイチャして、翌朝にはナンジャモさんとデートですか。随分なご身分ですね』
「…………」
「おかしいよ!? ボクは誘われた側なのに!?」
あぁ、本当におかしい。ここにいる筈の無い俺の妻の声が聞こえるのだから、この世界はどう考えても狂っている。
ひとつ可能性があるとしたら、アオイちゃんの周りでふわふわと浮いているスマホロトムだろう。俺は幻聴と言う一縷の望みに命を託して、戦々恐々と問い掛ける。
「……誰かと通話してるのか?」
「あ、さっき写真を送った時にタロから掛かってきたんでした。執念深い人ですよね。きっとストーカーの素質があると思うので気をつけて下さい!」
天性のストーカー素質はどう考えてもアオイちゃんにあるのだが、そんなツッコミをしている余裕などない。俺は一切無駄の無い動作で正座をした。
「タロ、おはよう。今日は早いんだな。鈴の音色のように澄んだ君を声を聞くだけで、俺にとって一日の活力になるよ。ありがとう、愛してるぜ」
『わたしはきらいです』
「え、何そのカル氏……ちょっと気持ち悪いよ……」
「ナッハッハ! 嫌われとるやん!」
チリちゃんはナッシーを彷彿とさせる変な笑い方しやがるし、俺の愛情表現を初めて見たナンジャモはドン引きしやがるし、何なんだよ。
アオイちゃんのせいでタロに嫌われてしまったし散々である。怒りに我を忘れてナンジャモをスパンキングしてしまいそうだが、そんな事をしたら本当にタロと絶縁状態になるので、何とか自制心を持って耐え抜いた。
「えーっと……タロ氏……で、良いんだよね? 別にボクとカル氏は詮索するような仲じゃないから気にしないで欲しい──と言うか、カル氏の手網を握っていてくれるとボクとしてありがたやーなんだけど……」
「ナンジャモの言う通り、俺達はインナーを見せ合っただけの健全な関係なんだよ」
「一方的に見られただけなんだがー!? と言うかそう言うのが風評被害になるんだから止めてよ!」
「何? 俺のを見たいの?」
「はい! 私は見たいです!」
「なぁ、チリちゃんに見せるって約束はどうなっとんねん?」
『随分と楽しそうですね』
待ってくれよ。一体これのどこが楽しいと思うんだ。色欲に塗れた変態共に囲まれたカルくんを助けないとって意気込む場面じゃねえかな。
こうしてアオイちゃんの計略によってタロの好感度が下げられていく。そんな行為を許せない俺は、誠意を示すべく頭を地面へと擦り付けた。
そして俺の頭部にグレイシアが飛び乗ってくる。ご主人様を嘗めた真似だが、シアの中でヒエラルキーの頂点はタロである以上、文句など言える筈も無い。
「……確かに俺は誠実さが少しだけ足りていなかったかもしれない。君を抱き締めた日の夜はずっと悶々していたし、ナンジャモのインナーを覗き見た日には『なんだよ、あれ。エロ過ぎだろ』って半分キレ気味だった。その事はしっかりと伝えておくべきだったと思う」
『本当に不誠実です』
おかしい。俺は誠実にありのままの自分を見せたと言うのに。
「私には無いの!?」
「アオイちゃんはもうちょっと成長してからな」
「まー年頃の男子やしな。大人の魅力溢れるチリちゃんにメロメロなのはしゃーないと思うで」
「一昨日来やがれ男装ドアホ──いたたたた! 俺の背中に座るんじゃねえよ!」
「あ! じゃあ私は首に乗りますね! グレイシアって可愛いなぁ!」
「じゃあボクは情けないカル氏と一緒にバチッと撮っちゃって、SNSでバズるぞよー!」
『随分なご身分ですね』
いやどう考えても身分は奴隷だと思う。土下座している俺の背中にチリちゃん、首にはアオイちゃん、そして頭にはシアと3人がけの椅子状態。俺への負荷を考えれば拷問と称しても差し支えないだろう。
しかもナンジャモは仕返しと言わんばかりに俺を背景に自撮りしまくってるし。SNSに上げるのは構わないけど、そうしたら人を椅子替わりしてるチリちゃんの立場がヤバいんじゃないかと思う。でも面白い事になりそうだから黙っておくとした。
だがそんな言い訳をしてもタロは決して納得してくれないだろう。ここは誠意と誠実を以て対応に当たるのが一番と考えた俺は、ふざけている女共を無視して口を開く。
「タロ、君にとっての誠実とは何だ?」
『……真面目で勤勉な人です』
「直近の出席率は9割を超えて、且つ成績最上位の俺が誠実で無い……と?」
『後は不特定多数の女性に手を出さない人です』
「それは誤解だ。俺は男性の方がちょっかいを出してる。この前だってペパーとお互いの学食について盛り上がって、再現した料理を無理やり食わせてやった」
『それはさすがに可哀想だと思います!』
「学食を再現して食わせたら可哀想ってなんやねん……」
なんやねん言われてもね……食えば分かる。チリちゃんなら間違い無く胃もたれするだろうから。
「つまり俺のコミュニケーション能力の高さ故に交友関係が広いだけであって、女性のお近付きになりたいなどと邪な気持ちは微塵も無い」
「カル君は誠実な人だよ! 不本意なナンジャモとのデートが浮気にならないよう、私に助けを求めてメモを残してくれましたから!」
「なんか色々と違えんだよな」
「親しみやすいコミュ力って言うより、自分の場合は図々しいんよなぁ。チリちゃんは嫌いやないけど、多分ウチの総大将は苦手意識持っとると思うで」
「ありがとう。俺もモジャンボよりナッシーが好きだぜ」
「でもカル氏の距離感のバグりって、コミュ力ってより人付き合いの知らないコミュ障の人のそれに近いよね」
「二律背反。世の中の多くの物事には矛盾を孕んでいるからこそ成り立っている。そう、健全な配信をしているナンジャモが、不健全な体つきと格好をしているようにな」
「ボクも疲れたから椅子に座ろーっと!」
「あああああっ!」
やめろ! アオイちゃんがシアを抱いた瞬間に空いた頭部だからって、地面へと額を擦りつけている俺の頭の上に座るな!
とても屈辱的である。だがここは誠意を見せる場面。決して悪態を吐くなど言語道断である為、柔らかい臀部が触れている後頭部に意識を全集中しながら、真摯に言葉を紡ぐ。
「……例えどんな状況だろうとも、タロへの愛が誠実だと伝わってる筈だ。俺が真に愛してると伝えた事があるのは、タロ、カキツバタ、ペパーだけなのだから……」
『……不名誉なリストなのはともかくとして、凄い叫び声が聞こえたんですけど……今どんな状況なんですか?』
「土下座するカルサイトを全員で椅子にしとる状況やな」
『やっぱりその軽薄さは不誠実だと思います』
「いやいやそれはおかしいだろ! この状況は俺のせいじゃなくね!?」
甘い言葉を囁いて魅了してしまったのならば兎も角、厳しい現実を突きつけてやった結果だと言うのに解せぬ。俺の全身から溢れ出るフェロモンは全人類を虜にする麻薬だと云われているのはタロも認知している以上、この結果は余りにも不当な扱いだ。
「大体、えっちな事が気になるのは本能だから仕方が無いだろ! 聖人君子にも性欲はあるんだから! 俺だって年頃の男子だぜ!? ちゃんと一線は弁えてるだけ褒めてもらいたいくらいだっての!!」
『そんなので褒められる訳無いじゃないですか!』
「そうです! 私が全部受け止めてあげますから!」
「さすがにアオイに手ぇ出すのはトップがブチギレるから止めた方がええで」
「しねえよ! 大体チリちゃんだって男なんだから俺の気持ちが分かるだろ──無言でケツを叩くんじゃねえよ! 痛えな! 後で覚えとけよ!」
クソ! 何でここには俺の味方がいないんだよ!
いやアオイちゃんは味方なんだけどよ、そっちの道に行ったら片道切符の地獄列車編だから踏み込むのは危険過ぎる。
よくよく考えたら、ここに俺と同年代の男子が居ないせいだろう。女心が女性にしか分からないように、男心も男性にしか分からないのは当然と言えるからだ。
ここは味方を増やすべく、俺は横目でスマホロトムを視界に入れて操作していく。通話するべき相手は年頃の男子。カキツバタが適任と言えるが、アイツは間違い無くまだ寝ている筈だ。
アカマツ君……には性欲があるのか怪しい。スグリ君なら分かってくれるかもしれないが、あの性格からして口にしてくれる可能性は低い。
となるとここで説得力を出すにはペパーしかいない。頼むぜ、ペパー。俺の親友なら一肌脱ぐと言わずにパンツまで脱いでくれよな。
ロトロトロト……
『なんか用か?』
「ペパー、俺の命が懸かっているからダチとして真剣に答えて欲しい」
『んだよ急に……大丈夫ちゃんか? 声も凄い聞き取りづれえけど』
「数多のケツに潰されながらケツを魔改造されてる俺が大丈夫だと思うか?」
『どう言う状況だよ……』
俺もどうしてこうなったのか知りたいくらいだ。
だがタロと愉快な変人達が固唾を飲んで見守ってる以上、俺の答えの正当性を知りたいのだろう。全ての命運はペパー次第と言っても過言では無い。
俺は覚悟を決めて、恐る恐る尋ねた。
「俺には惚れた人がいても、それとは別に性欲は性欲としてあるんだ。これは普通の事だよな?」
『まぁ……おかしくはないんじゃねえの?』
「お前にも! 性欲は! あるんだよな!?」
『圧が強いな!? そりゃああるけど何の質問だよ!?』
その言質を取った俺は心の中でガッツポーズをとる。きっとみんなの中でのペパーの評価は下がっているかもしれないが、精々落ちても俺と同じレベルだ。むしろ親友として肩を組むには同位置にいるのが適切と言える。
「ペパー、お前に好きな人はいるか?」
『いねえよ。……と言うか、つい最近までそんな事を考えてる暇なんて無かったからな』
「そんなペパーでも、ふとした時に見せるボタちゃんの笑顔に異性を感じたりしたんだろ?」
『ボタちゃんの笑顔なんて見た事ねえぜ』
「女の子を笑顔にするのは出来る男の証だろ?」
『ゼイユとか言う女と罵り合ってたオマエが言えんのかそれ……』
「30万円で笑顔にしてやっただろ」
周囲から冷たい目線を感じる気もするが、相手があのゼイユなのだから仕方が無い。ロケット団もドン引きするような現金な女なのだ。女性扱いしているだけ褒めて欲しい。
「ネモの健康的な肢体とか、アオイちゃんの純新無垢な笑顔とか……そう言うので『ムラっけ』が発動した事あるんだろ?」
『いや、ダチはダチだろ。そう言うのとは無縁ちゃんだぜ』
「じゃあどこで『ムラっけ』したって言うんだよ!? ちなみに俺はナンジャモだ!!」
『……ミモザ先生とかいるだろ』
「誰だよ!? ライムさんの姉妹の人か!?」
「医務室の先生ですよ。……でもペパーって……」
「ああああっ! そう言えばオモダカさんのせいで医務室に行くの忘れてたじゃねえか! 親友なのに俺より先に保険体育の実技を学ぶなんて卑怯だろ!」
『は!? 一人じゃねえのかよ!? ア、アオイがいんのは聞いてねえぜ!?』
取り敢えずペパーからの言質は取れたのでめんどくさくなる前に通話を切る。今頃自身の性癖を暴露した事を悔やみながら、必死に言い訳を考えていると思うので、一人にさせてあげるべきだろう。これもまた親友の務めである。
これで俺の正当性が確立されたと言っても過言では無い。最早土下座は不要となったので、フィジカルを駆使して強引に立ち上がった。
「これで分かってくれただろ? 男子生徒が抱える、性の悩みって奴をな」
『いえ、本当に下品で最低な会話だと思っただけです』
「と言うかよく本人を前にして『ムラっけ』とか言えるよね……ぶっちゃけ気持ち悪いよ」
「つまりアオイちゃんもチリちゃんも気持ち悪いって事になるけど良い?」
「チリちゃんはちゃうやろ。ただ腹筋が見たいだけで興奮してへんねん」
「私はそう言うのよく分からなくて……」
「分からなくても人のベッドで深呼吸してる時点で同類だからな?」
この変態達にはお咎めなしで俺だけボロクソに言われるのは違うと思うんだよな。それに折角ペパー君がプライドを捨てて男の
そして延々と続く平行線の会話にタロも諦めたのだろう。大きく溜め息をする声が聞こえてきた。
『……もう良いです。後でお説教しますから。でもカルくんの評価はパルデア地方に行って以降、下がってる一方なのは自覚して下さい』
「え……待て待て待て。おかしいだろ。ブルーベリー学園の看板を背負ってパルデア地方に来た俺の評価が下がる一方だなんて……一体俺が何をしたって言うんだよ?」
「ボクの配信を散々荒らしたこと」
「スグリって名乗って迷惑掛けまくってたやんけ」
「かっこよすぎるくらいしか思い浮かばないです!」
「どれも大した事が無いって踏まえると……俺の存在が罪って事か?」
『ぜんっぜん違います!』
どうやら答えは外れたらしい。タロのナゾナゾは難しいのが難点である。
『ブルーベリー学園にいた時のカル君も褒められた事はしてないですけど、それでも結果だけはしっかりと残していました。学問、知識、バトル……悔しいですが本気を出した時のカルくんは、どれも嫉妬しちゃうほど完璧です』
「ありがとう。結婚する?」
『しません』
「プロポーズの言葉が軽過ぎるやろ」
「完璧なカル君に相応しいのはありふれた凡夫ではダメなんです。やはり才能に溢れたチャンピオンクラスじゃないと!」
「オモダカさんはなぁ……結婚したらお小遣い制にされそうなのが嫌だよな。後、帰宅時間をきっちり管理されて少しでも遅れたら理詰めされそう。きっと息苦しい結婚生活が待ってるに違いないから遠慮するわ」
「トップに対しての偏見凄くない!?」
「はい! はい! はーい! ここにいますよ! カル君の自由をお約束するチャンピオンクラスが!」
手を挙げてピョンピョンと跳ねているアオイちゃんは可愛いけど、自由とは程遠い楔を打とうとする女は対象外なんだ。悪いな。
『って、そう言う話じゃなくて! ちゃんとやれば出来るはずのカルくんが目的を果たさないで遊んでるのが許せないんです! どうして何日も経ってるのにポケモン勝負のひとつもしてないんですか!?』
「あー……だから不機嫌だったのか? てっきり好きぴの取られたタロちゃんが嫉妬で狂ってるのかと」
『そ、そんな事で怒ったりはしません!』
「いやどう見ても怒ってたやろ」
「私とカル君が仲良くしてたら文句言ってる人とは思えない発言だよ」
「……って言われてるが」
『違います! 怒ってないと言ったら怒ってないんです!』
タロがそう言うならそうなのだろう。俺はタロの味方なのだから当然、タロの主張を第一に信じている。つまりタロは女の子と遊んでても怒ったりしない寛大な心の持ち主と言う事なのだろう。
よし、そうと決まったらアカデミーに帰ったら医務室に行かねえとな。ミモザ先生、待っててくれよ。もしライムさんの姉妹の人だったら、ペパーはラップで興奮できる変態だって全校生徒に暴露してやる。
しかしこのまま俺が何もしない愚図だと思われたままだと言うのは印象が悪い。堕落し尽くした者の到達点と呼ばれるカキツバタと同等と評価されてしまうのは、人としての尊厳を捨てる事と同義なのだから。
故に冷静沈着の男として名を馳せた俺は、心を落ち着かせたまま静かに口を開いた。
「俺が何もしていないと考えるのは早計だ。アオイちゃんの手前、あまり言いたくは無いが……これでもアカデミーに来る前から可能性を考慮して対戦動画を確認してたし、今でも毎日策を練り続けてる」
「えへへ……カル君がそこまで考えてくれてるなんて……」
『カキツバタと戦う時でさえそんな事しないですよね?』
「……残酷な現実を叩きつけるようで悪いけど、この子の才能は格が違うんだよ。色んな地方を見てきた俺でも思うほどの指折りの才能。カキツバタでも10回に1回勝てるかどうかくらいの差はあるんじゃねえかなぁ」
『……え』
俺がちゃんと考えていた事に対しての反応なのか、珍しく人を手放しに褒めた事への驚きなのか、それともその両方なのか。呆気に取られたようにタロは声を漏らした。
その言葉を受けて納得するように頷くチリちゃん。アカマツ君に負けた癖に偉そうな奴である。
「まぁ当然やな。アオイはパルデアの珠玉のトレーナーやねん。並みのトレーナーじゃ太刀打ちできへんで」
「いやカキツバタもポケモンバトルに関して言えば優秀だけどな。大体、対戦動画を見てそれらしい欠点や癖を見つけても、次の対戦で当然のように修正されてるアオイちゃんがおかしいんだよ。普通の人が何十回と戦いを重ねてようやく理解出来る部分を、なんで一度の戦いで分かるんだっての」
『あの、その……ご、ごめんね。カルくんがそこまで真剣に考えていたなんて知らなくて……』
「良いんだ。タロが俺の事を考えて怒ってくれてるだけで嬉しいよ。例えナンジャモの配信に出た理由がアオイちゃんの戦いを見る為で、こうしてエリアゼロに来たのがアオイちゃんのポケモンを知る為だなんて、タロには知る由もないからな……」
「むぅ……面白くないです……」
アオイちゃん、そんなむくれた顔をしても面白さは求めてないんだよ。俺はいつだって真剣そのもの。誠心誠意を見せて目的の為に動いている事を証明し、タロから信頼を勝ち取る必要があるのだ。
「タロ、俺はブルーベリー学園にいた頃と何ら変わっていない。少年の遊び心を忘れずに、水面下で目的の為に邁進し続けているだけだ。……タロほどの腕前のトレーナーなら意識して観察すれば、アオイちゃんの常識外れの才能に気づけると思う。そこまで対策しなければ、勝ち筋の見えない相手なんだよ」
『……そう、だったんですね』
「それでも地の底まで落ちた俺の信頼は、結果を残さないと取り戻せないのは自分でも分かってる。それが自業自得なのはタロが教えてくれたから」
「いや言われんでも分かるやろ」
黙れチリちゃん。タロを説得してる良いところなんだから大人しく短パンでも履いてな。
「だからタロ、俺は結果で示して証明してみせるよ。……そして今度のバトルが君の心に響くものだった上で勝利をこの手に掴んだ時、俺と正式にデートして欲しい」
『……えと』
「俺の努力が感じられなかったのならこの話はなかった事にしてくれて構わない。だから頼む! 約束だけでも!」
『……そこまで言い切るなら良いですよ』
はい、俺の勝ち。この天才的頭脳を駆使すれば、全てが掌の上。望んだものと望んだ結果が俺の元へと転がり込んでくる。
本来の流れで考えればタロからご褒美を貰えるなんて有り得ない事であるが、全て計算し尽くされた計略を前に、タロの『てっぺき』も『したでなめる』をしたかのようにふやけている。
所謂、不良が良い事をしたらとても良い奴に見える理論。ブルーベリー学園風に言うならば、カキツバタが授業に出ただけで褒められる理論である。
敢えて俺の評価が下がるような行動をしたのも策略の内。起伏が激しいほど効能を得られるのを理解している俺は、敢えてアオイちゃんを自由にさせ、ナンジャモに構っているのだ。
後はポケモンバトルにさえ勝てば俺の評価はシビルドン登り。この遠征で望むものを全て手にするだろう。
──富・名声・力。この世のすべてを手に入れた男、ポケモン王カルサイト。
彼の勝利に際に放った一言は、人々を海へ駆り立てた。
『ナンジャモのインナーか? 欲しけりゃくれてやる。探せ! この世の全てをそこに置いてきた!』
そしてオレンジアカデミーは俺の城となり、タロと結婚式を挙げる未来が確かに見えた。これは間違いなく『みらいよち』である。
ナツメさん、俺にもサイキッカーの才能があるみたいだ。
「ありがとう。愛してる。ホテルのディナーと宿泊もプランに含まれているから、ヤーコンさんには話を通しておくよ」
『止めて下さい。宿泊まですると思ってるんですか?』
「……じゃあ私が勝った場合、カル君は私とデートしてもらいます。そして私のお母さんとの顔合わせ、ディナーと宿泊付きです」
「親子丼が食べられるって事?」
「親子丼を食べたいんですか?」
「でも俺が食べられる側だと思うんだよなぁ……」
「……?」
『カルくん!!』
打って変わって怒りに満ちたタロの声が聞こえてくる。純粋に食事の話をしているだけなのに一体どうしたと言うんだ。
……ははーん、もしかして隠語か何かと勘違いしたのか? ムッツリタロちゃんめ。
幾ら親子丼と言っても、さすがの俺でもヤーコンさんは認めないからな。そんなものを食べたら食中毒になるのは目に見えてる。
「誠実やなぁ……」
「誠実だねー……」
俺の誠意のある態度を見てか、チリちゃんとナンジャモからも感心の声が聞こえる。その冷めたような目は実に気になるところであるが、俺の本気を見ればアオイちゃんの如ししゅきしゅきオーラが出てくるのが想像できるので、許してあげる事にした。
「ちなみに誠実で素直に答えてくれるカルサイトに聞きたいんやけど、そのアオイの策を練る時間って一日どんなもんやってんねん?」
「……そうだな。俺は誠実で素直だから特別に答えてあげるか。寝るまでベッドでスマホロトムを弄ってる時だから日によるな」
『……カルくん?』
「誠意の塊のカル氏に聞きたいんだけど、ボクに拘る理由ってアオイ氏と関係あるのかー?」
「……俺は誠意の塊だから特別に教えてあげるか。……タロと言う可愛いの完成形がいないパルデア地方で俺が俺らしく生き抜くのは過酷であるのは明白。何とかタロ成分を摂取しようとした結果、『可愛くて弄ったら面白そうだし暇つぶしに最適』と選ばれたのが『エレキトリカル☆ストリーマー』と呼ばれる女だっただけだ」
『カルくん、正座です』
「ナンジャモはまだ知らなかった……生まれながらにして可愛いの極地であるタロと違い、自身の可愛いのルーツがスナノケガワに隠されていた事を……」
「カル氏、お説教ね」
ちなみに明日の昼過ぎにタロと愉快な仲間たち──本当に愉快なのは滑稽である──がパルデア地方に来るらしい。カキツバタは節約の為にスーツケースに入ってくると考えられるので、是非ともその一家相伝の秘技を期待したいところである。
アオイちゃんとのポケモンバトルまで残る2日。俺はパルデア地方で有終の美を飾る為にも、ミモザ先生とのラップバトルでポケモン博士の真髄を知らねばならない。
提出期日の当日に課題をやる計画性を持つ俺は、追い込まれてからが本領発揮。明日から本格的に対策を練ると心に決めたのだった。
『──カルくん! 聞いてますか!?』
「ナンジャモ! 正座して!」
「……え!? ボクもなの!?」
なーんてボーッと考えてる間に、タロちゃんがおこなのでした。トホホ。