大学に進学して、何が一番
ためになったかというと、
大学には日本人は日本全国、
北海道から沖縄に至るまで
学生が集まっている、とい
う環境に身を置けた事だ。
その人たちの方言をすべて
直に聴くことができたとい
うのが一番大きな収穫だっ
た。異文化、異言語との遭
遇接触の実体験。
学生同士、あるいは教授た
ちと通常話すのは標準語を
共通語として会話はするが
(全国レベルでは方言などは
通じないので、それを押し
通すのは傲慢であり100%
ナンセンス。没社会性で✖)、
それぞれの出身地のお国言
葉を直にヒアリングする機
会が得られた事はとても勉
強になった。海外留学の在
国内言語版、みたいに。
これは言語学を学んでいな
い学生にとっても、異文化
や異言語との接触は発生す
るので、非常に目が開かれ
る。
それだけでも大学に行く価
値はある。(全国1都1道2府
43県からの入学者がある大
学限定)
大学に進学していない人た
ちが、ほぼ言語や方言や標
準語・共通語について無関
心であり、かつ自己言語の
みを標準としてごり押しし
たがる傾向が著しいのは(特
に地方)、狭い地域から出た
事が無く、そうした国内異
文化との接触交流の経験が
未体験だからなのではなか
ろうか。
自分の地言葉を大切に思う
のであれば、なおさら標準
語および共通語の重要性を
適正に認知してその体験を
経なければ、そうした精神
作用は発生しない。
他人とコミュニケーション
を取る事の真の大切さに覚
醒したりはしない。人と意
思疎通を実現しようと努力
しないのだから。
また、国内であろうと「自
分と異なるもの」を知り、
理解を深める事は、それは、
外国を知って初めて母国の
良さを知り、本当の愛国心
(国家への愛ではなく国土
と国民同胞への愛)に覚醒
するのにも似ている。
私は横浜・東京在住時代に
は、あまり、というか殆ど
横浜だ、東京だ、という意
識も愛郷の念らしきものも
無かった。無意識。つまり
その件に関してはノンポリ
もいいとこだった。大学に
行くまでは特にそうだった。
さらに、西日本に実際に在
住・生活してみて、初めて
強く、強烈な愛郷の念が発
生した。
外を知って、初めて自分の
生まれ育った地元の良さ、
素晴らしさを再認識したの
だった。
私もそれをせずに狭い首都
圏エリアに閉じこもったま
まだったら、たぶん「東京
のイナカモン」「ハマのカッ
ペ」になり果てていただろ
う。