一戦、まじえてみませんか。
京都在住の女性R様から「坂爪さんと闘いたい。殴りたい。蹴りたい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。果たし合いとは、争いや恨みを解決するために約束した方法で戦う決闘の一種であり、法律上では「当事者間の合意によって、相互に身体または生命を害すべき暴行をもって闘争する行為」と定義される。暴虐の限りを尽くして、血を湧かし肉を踊らせる日本の祭事である。身体または生命を害すべき行為だなんて、興奮するではありませんか。まさに生命力である。
カフェで闘う訳にも行かず、炎天下の中で闘う訳にも行かず、私たちはラブなホテルを目指した。ラブなホテルで決闘するだなんて皮肉である。皮肉だが、真理でもある。バガボンド風に言えば、私たちは、抱き締め合う代わりに斬るのである。はっきり言おう。私は、人生に退屈をしている。だから、勇猛果敢なお誘いを受けると待ってましたとばかりに「面白くなってきたぜ!!」「そうこなくっちゃ!!」となる。バカだからバカなお誘いが嬉しい。まともな振りをして生きている人よりも、意識的に狂おうとしている人に震える。
筆舌に尽くしがたい決闘の様子は割愛する。この世の中には、実際に体験した者にしかわからない領域があるのだ。禅的に言えば不立文字。言葉にするだけ野暮である。愉快な現象として、非日常を体験して乗り越えた男女は、面構えが変わる。ちょっとやそっとのことでは動じない鋼のメンタルが形成されて、決闘を果たしたことは誰にも言わないとしても、決闘を果たしたその事実が、存在に迫力を与える。頭の中でごちゃごちゃ考えているだけでは永遠に得ることのできないリアルな質感を伴うことで、男は強く、女は美しくなる。
美しく生まれ変わったR様は「私もそっちに行きたい」と言った。そっちとは、周りからどう思われてもいいから自分の欲求に素直に生きる生き方のことであり、反対は「ちゃんとしなきゃと思って我慢する生き方」である。環境から受ける影響は計り知れない。真面目な人間といたら真面目になるし、狂った人間といたら狂った人間になる。言わずもがな、私は狂人側である。狂人側にも発言権があるのなら、言いたい。やりたくないことを我慢してやり続ける方が、よほど狂っている。
不仕合せな境遇に置かれた時に草臥れてしまう人は、残酷な言い方になるけれど、役に立たない。足手まといになる。もしもの時にお荷物になる。アクセサリーとしてはちょうどいいが、人生の旅路の同伴者にはならない。真の友情は築けない。不仕合せな境遇に置かれた時、ニターっと笑って「もっと来いよ」と血の涙を流せる男女だけが、修羅の歓喜に身を震わせる。刺し身に日本酒も悪くないが、シュラスコにカイピリーニャも乙である。感傷的になるのは簡単だが、爽快感のない人生は虚無だ。べらぼうに面白い瞬間を求めて、たまらなく痛快な仲間たちと生きる。日本の湿度を吹き飛ばし、重い空気を吹き飛ばし、透明な爽やかさだけを残して消え去ったなら、よい人生だ。
おおまかな予定
9月11日(木)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
9月23日(火・祝日)静岡県伊東市伊豆高原
EVENT@チャイニーズオーベルジュ仙豆飯店
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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