自分を含めて、天才と称される人間はどこかがおかしい。
ヘルタはもちろんのこと、最近ヘルタと親睦を深めている天才クラブ#81のルアン・メェイも、穏やかな雰囲気と口調に騙されたが、とんでもない…………あれ? 何かされたのは確かだが……
それはともかくとして。
やはり天才的な頭脳を持っている人間は、凡人向けにチューニングされた社会に適応できない。
だから、天才でありながらもまともな精神性をした人間というのは、おかしくないことがおかしいと言えそうだ。
「ヘルタさんの研究の一助となれば幸いなのですが」
「もちろん助かります。このレベルの計算は確認も難しいですから。ヘルタにもちゃんとお礼を言わせます」
天才クラブ#76スクリューガム。
初めて会った時は、前世でテレビをつけた時に流れていた宇宙で戦う映画に出て来たロボットかと思ってしまったのは内緒。
紳士的で、ファッションセンスも優れている。僕も少しアドバイスを貰った事がある。彼のアドバイスをもとに気合を入れて挑んだデートで、ヘルタは僕の格好をちらりと見て鼻で笑っただけだったが。鼻で笑われるだけ興味を持たれているので嬉しい。
ともかくスクリューガムさんは人格者である。天才クラブに属しながら、まともな人間(?)であること自体がまともじゃない……なんて言葉も言えなくなるくらいには本当に善良な人だ。リルタとかもいるのだから、穿った見方をするのではなくて素直に称賛するべきだな。
「私としても、ヘルタさんの見識に学ばされることは多々あります。このまま学術協力を続けられたならばとも」
「そういっていただけるなんて、きっとヘルタも喜びます」
「そういえば……質問:アネモスさん。あなたの論文も読みましたが、何点か気になる点がありました」
「え、あ、はい」
なんだろう。ヘルタは良くも悪くも、ドライだ。そのくせ面倒見がいい。一応は僕が提出した論文も見てくれてはいるらしく、時々一言だけもらえることがある。
スクリューガムさんは、ヘルタよりも性格が良くて面倒見がいい。その結果起こるのは――――
「気になる点で言えば、スピンを測定することで別の銀河のそれもまた確定することは確かでしょう。しかしそれを情報として――――」
「……はい」
彼ほどの人物に問題を指摘されたら、もうごめんなさいと言うほかにない。僕だってそりゃあ、世間一般の基準からすれば天才だが、
耳の痛くなるような指摘に平身低頭しながら、しかし本当に勉強になる。人は痛みが無ければ簡単には学習できない。凡人はのど元過ぎれば熱さも忘れる。天才は痛みなくとも前に進める。
僕は、せめて痛みと共に。
「……それはそれとして、次から指摘する量減らして欲しいなぁ」
スクリューガムさんと別れて、家に戻る。
最近はヘルタが収集した品々が溢れて来て、ついには引っ越してしまった。そういうところは可愛げがある。自分で掃除しようとして半日かけて棚を移動させて力尽きていたり、途中で本を読み始めて中断されていたり。普通の女の子みたいだ。
結果として掃除するのは僕の役目だが、この間片手間にお掃除ロボットを作っていた。お掃除ロボットと言っても前世にいたような、地べたをはい回るUFOみたいなものではなくて、ヒト型。埃をはたいたり、換気したり、掃除機を使ったりモップ掛けをしたり。なんか思ったのと違う。
「普通に売り出せば資金繰りが楽になるんだけれど……」
ヘルタは資金管理とか結構テキトーだから、提案しないとそういう発想にもならないのかも。
まあ、スターピースカンパニーやらその他の惑星やら、ジャンジャカ投資しているから問題ないか。大量に投資しまくっていると、なんだか気づかないところからもお金が入ってくるようになった。僕とヘルタに対して強い恩を感じている人たちも多いみたいで、ヘルタの超高額な実験を賄って余りあるくらい。
僕とヘルタの家に戻ると、ちょうど用事でもあったのかエントランスホールにヘルタがいた。手には分厚い本を持っているので、気分転換に自室から移動して読んでいただけかも。
「ただいまー」
「おかえり。思ったよりも早かったね。スクリューガムには会えたの?」
「今回はヘルタのちゃんとした研究報告だからね。彼も興味があったみたいだよ。おかげでいつもより野次が少なかった。ついでに、僕の論文へのご指摘も頂いた」
ヘルタの研究は革新的だったり、そもそも発表していない新発見の理論や定理を使っていたりするので、学会なんかで報告すれば非難の的となる。どれだけヘルタの実績があっても、妄想だの科学的じゃないだのと。
今回はそういった野次がほぼなくて、全員難しい顔をしてスクリューガムさんの様子を窺っていた。
天才を前に、賢しらに意見を叫ぶほど愚かではないらしい。
「……天才、か……」
「……?」
久々に他の
ヘルタに勝てないことは分るし、勝とうとも思わない。
僕が頑張っていることを、天才クラブの誰かが一瞬でも本気で取り組めば、それはあっけなく答えを見せる。理解している。理解していても――――
「……ヘルタ?」
突然ヘルタが僕の頬を撫でた。親指が唇に触れて、口を開けなくなる。
紫紺の瞳に吸い込まれるみたいで、つい目を瞑った。
しばらくそのままだったが、ヘルタはふいに手を除けて。
「ところで、何か面白そうな報告はあった?」
と、なんでもなさそうに尋ねて来た。
「ヘルタが興味を持つようなものはなさそうかな……スクリューガムさんのは、もうすでに本人から送られてきてるんでしょう?」
僕も努めていつも通りに。上着を脱いで洗面所の方向に足を向けつつ――――ヘルタは反対の方向に歩いて行ったので歩を止めて。
「メッセージに論文が送られてきてたけど。補足はなかったの?」
「なかったかな。すでに発表されている論文で……理解できない人が大多数だったみたいだし、それに対しての説明がメインだった」
ヘルタたちと比較したら僕はとんでもない馬鹿だけれど。
一度ヘルタから離れて学会なんかに出席すれば、自分がどちらかと言えば天才なんだと再認識する。少なくとも、天才が大衆向けに書いた(つもりの)内容は理解できるのだから。
スクリューガムさんやヘルタは、そういった大多数の人間に対して理解がある方だが、理解できたからと言って合わせられるとも限らないのだ。ヘルタに関しては、比較的理解がある方と言うだけだし。
洗面所で上着を洗濯機にぶち込んで、手洗いうがい。ついでに、既にお湯が張られていたので湯船に入浴剤を入れておいた。湯船の掃除はお掃除ロボットの仕事なので、本当に楽になった。
大量生産して、身の回りの世話をしてもらえたらもっと楽になるな。
「あれ?」
鏡が汚れていたので、収納に転がっていた布を引っ張り出してきて磨く。最近ヘルタは鏡を見ていることが多いし、綺麗にしておこう。
ロボットの掃除対象に鏡は入っていないのだろうか。
☆
そんな生活が三十年ほど続いたある日、本当に唐突にヘルタが消えた。
メッセージには返事が来るし、どうやら突然旅に出たらしい。
多少心配はしたものの、まあそのうち戻ってくるかとのんきに考えていたのが間違いだった。数週間、数か月、一年、五年、十年。帰ってこない。メッセージには返事がある。
まだ子供と言える頃からずっと一緒だったものだから、この先も、死ぬまで――――少なくともそばには居続けられると思っていた。
時々音声での通話には応じてくれるし、何度も言うようにメッセージには返事もしてくれる。その会話で分かることがある。どうやらヘルタは、もう二度と僕の前に姿を現すつもりがないらしい。
見つけ出す?
無理だ。例えば原始博士はいろんな勢力に追われているけれど、それは彼が痕跡を敢えて残しているから。誰からも見つけられないように逃げようとすれば簡単に出来る。
ヘルタが本気で僕から隠れてしまったのならば、見つけ出すことは不可能だ。
「ルアン・メェイか、スクリューガム………いや、だめか」
彼らでも見つけられる保証はないうえに、ヘルタの不興を買ってまで僕に協力する道理はない。
無駄に賢く作られてしまった僕の脳が導き出す答えは単純明快ただ一つ。
どうやら僕はもう、ヘルタとは会えないらしい。