ヘルタの寝顔めっちゃ可愛い……
いつの頃からか、ヘルタの顔立ちからは幼さが減り、美しさが目立つようになっていた。しかし寝ている時のあどけなさと言ったらもう。
もちろん夜這いだとかではない。ヘルタは正真正銘の天才なので、自己管理だって当然出来る。だから、僕はヘルタと一緒に暮らして研究を手伝っていたとしても、ヘルタの日常までは世話をしていなかった。自動化できない家事やらは全部僕がやっていたけれども。
ともあれ、それが一体いつ頃からだろうか。ついに僕はヘルタのおはようからお休みまで徹底的に手伝うようになっていた。
朝は起こすし、夜は快適な睡眠へのサポート。眠りやすいように気温の設定をして、栄養バランスを考えて食事も用意して。
「まぁ、なのに前より楽なのは流石だな」
ヘルタは……僕が思った以上に僕に対して情があるらしい。いくらか苦労していた家事は自動化し、食料品も自動栽培で補えるようになり、僕にも快適な部屋が与えられた。彼女からしてみれば片手間にも満たない、使った後にトイレの紙を折っておくようなものだったのだろうけれど。
しかし、たとえその程度であれどもヘルタの時間を消費してもらえる人間は、宇宙に何人といない。
本来なら喜ぶべきことだ。誇りに思い生涯その栄誉に酔いしれるべきだ。
それなのに……どうにも複雑だ。
正直ヘルタのことが大好きな僕からすれば嬉しいこと――――のように思われるが、そうでもない。
ヘルタは飽きっぽい女性だ。今なんとなく僕に対して愛着があるように思えても、いつ興味を失うか分からないのだ。その興味が失われないように、自分で努力するべきなのはもちろんだとしても。
ヘルタのために尽くしたい。それなら、僕がヘルタに興味を持たれなかったとしても関係ない筈だ。でも、尽くしたいと思っていても……
「……ヘルタ。ヘルター。おきてー」
「んぅ、起きてる」
と、案外寝起きが良い。今日は運が良かった。
ヘルタは、まあイメージ通りというか、寝起きも日によって良かったり悪かったりだ。良い時は本当にあっさり起きて着替えてすぐに研究に取り掛かるが、悪い時は延々と不機嫌そうにしていて、僕が淹れたコーヒーを飲みながらなぜだか僕をずっと睨む。
「髪が長いんだから、寝るとき結ぶとか、ナイトキャップ着けるとかしたら?」
「必要ないでしょ?」
「まぁ……」
ヘルタの髪に櫛を通し、持って来た着替えを置いて。
「僕は今日は学会に出席して来るから……ヘルタの報告に追加はないよね?」
昨日の時点で研究報告(もちろんヘルタの取り組んでいる内容を他者が理解できるわけも無く、凡人のために研究してあげた内容の報告だ)は聞いていたが、あの後少し考えて内容の修正をしたくなった可能性もある。
「うん。何か面白そうな話が聞けたら教えて」
「はーい」
いってらっしゃいとか言ってくれないかなと、そんな妄想は当然叶わず、僕はさっさと学会へ向かった。
☆
「お疲れ様です。アネモスさんは、ミス・ヘルタの助手だとか」
学会が終わり、スターカンパニーから見学に来ていた男が声をかけて来た。
「……まぁ、助手かなぁ…………?」
不必要に自分を卑下するつもりはない。ただ、助手と呼べるほどの立場だとも思えない。全く役に立たなければヘルタは自分の研究を手伝わせるようなことはしないだろうから、役には立っているはずか。あれ? なら、助手と名乗ってもいいのだろうか。
僕は天才だ。
ただし、ヘルタの下位互換だ。ヘルタと同質の知性、同質の好奇心を持ち、性格や興味の対象も同じ方向を向いている。もちろん、ヘルタがいろんなものに興味を持っては飽きるのに対し、僕は比較的一つのことに執着すると言ったような差異はあるが。
例えば、天才クラブの天才たちとヘルタを比較するのは正直馬鹿げている。なぜだか学術面だと比較したがる人が多いのだけれど、彫刻の天才と演技の天才を比較することが馬鹿馬鹿しいように、別の方向を向いた天才を比較するのはナンセンスだ。
しかし、僕はヘルタと同じ方向性の天才であり、ヘルタより劣った天才でもある。
前はヘルタと同レベルの天才だとか言われていた。そのせいでヘルタの補佐をしている僕を、却って蔑む声も多かったのだが、最近は少し違う。
ヘルタが実績を残せば残すほどに僕の価値も上がっていく。
「その……ところでアネモスさん? 何をなさって…………?」
ゴミ箱に頭を突っ込みながら漁る僕に、ちょっと引き気味な調子で聞いてくるカンパニーの男。仕方が無いので戦利品を見せつける。
「今日来てた人たちが捨てていったメモだよ。書きかけの論文が捨てられてることもある……未だに紙が好きな人は多いからね」
「いえ、その……でも、ゴミ……なんですよね」
「まあ、そうだけれど」
凡人が捨てたアイデアは二種類に分けられる。
正真正銘ゴミになるアイデア。ほとんどはこれだ。だが、極々稀に、気づかれなかった金鉱が埋まっていることがある。それを見つけた時の喜びと言ったら。
危うく宇宙から損なわれていた人類の一歩。それを補助できるのは――――
「はははっ――――そうか、どっちが先だろう?」
思えば今、ヘルタに尽くしたいと思っているのも、それと同じことだ。僕が少しでもヘルタを支えられるのならそれほど素敵なことは他にない。天才の助けになれるのは、快感だった。
この宇宙の生命の明日を作り上げていけている事実に、喜びを感じるようになっていた。
ヘルタの助手のまねごとをし続けたからそういう喜びを感じるようになったのか、あるいはもとよりそんな性癖なのか。
「あ、あの……」
いよいよドン引きした様子のカンパニーの男は、心なしか先ほどよりも僕から距離を取っていた。
何か言いたそうなので無言で話を促しつつ、いったい何がそんなに不気味に映ったのだろうかと考える。
「あのですね……ミス・ヘルタの請求なんですが……」
「? あれ、僕の口座から引き落としていいよと言ってなかったっけ?」
「あ、それでよろしいのでしたら助かります……」
最近ヘルタは、リニア加速器を自作したものだから、その請求額は天文学的なものになる。頑張って資金調達したから何とかなったものの、危うく借金まみれだ。
まあ、ヘルタなら研究施設が万全でなかったとしても問題を解決できただろうけれど。
幸いにしてというべきか、僕は他者を補助する能力にたけていた。資金調達はもちろん、お嬢様(この場合はもちろんヘルタのこと)の我儘を即座にかなえたり。
「それと、もう一つ、ミス・ヘルタの研究をいくつか紹介してはもらえませんか?」
「うん? それこそ今日の学会で――」
「いえ、ミス・ヘルタが今まさに取り組んでいる研究です。私たちも愚かではない……今日のミス・ヘルタの報告が、あくまでも片手間のモノであることくらいは理解できます」
片手間……昨日お風呂に入る前に服を脱いでいる間に考えておいたと言っていたな。メモにも満たず、モノのついでにも満たないような間隙の思考。凡人の集まる学会で話すにはちょうど良い内容だった。
「あまり続きを聞きたいとは思えないのだけれど……それで?」
「いくつか本を書いていただきたいのですが……」
ヘルタの本気の思考に人がついて行けるわけがない。
理解できず、妄言の類だと評されて、結果だけがヘルタの味方になる。
逆恨みなんか気にする必要はない……のだけれど。これは僕のエゴ。それでもヘルタが無意味に中傷されるのは辛いのだ。
急に僕に声をかけて来て何が目的なのかと思ったが、やはりヘルタに取り次いでもらいたいだけだったらしい。
「どうせヘルタにメッセージを送っても無視されたんでしょう? ならばそれが結果だよ。僕はヘルタの…………助手であって、窓口ではない。ヘルタの手足となることや、彼女の操り人形となることもあり得るけれども、ヘルタの意思に僕が干渉することは絶対にない」
「…………」
スターピースからの男は、しばらく何か反論を考えたようすだったが、結局何も言わずに大きく会釈してから去っていった。
☆
「やる事ちっちぇぇ……」
おそらくスターカンパニーのあの男がやったのだろう。
僕とヘルタのスキャンダル……爛れた性活だの、非人道的な実験の証拠、アナイアレイトギャングとの関係などなど……とにかく書けるだけ書いとけと言った感じだ。そんな報道を三流記者が流している。内容こそは飛ばし記事ですらないレベルなのに、量が量だけに少し話題になり始めていた。
ヘルタに関しては知名度が高い分、元より毀誉褒貶が一定でない。今回の件での影響は微々たるものだ。対して、僕の方は思った以上に酷い言われよう。傍から見たらヘルタの研究を独占しているようにも見られるからしようがないね。
「ふうん?」
ヘルタの感情こそは分らなかったが、意外なことに関心を持ったらしい。
「おそらくは、数か月前の学会の時に声をかけて来たあの男が諸悪の根源だとは思うけれど」
正直なところ、この程度の中傷は無視していい。もっとひどい言われようをされたこともあるし。
ただ、その時と比べてヘルタがいくらか気に入らなさそうな様子なので、対策を考えておく必要がある。
「そうだ。私の名前で研究を報告しておいたから、少し忙しくなるよ」
「えぇ……事前に言って欲しかったんだけれど……ん? それって」
「シグマ粒子の変換方法だよ」
「…………」
数か月ほど前に取り組んでいたヘルタの研究だ。
これのためにリニア加速器を制作する羽目になってかなり苦労した。資金の調達から建材の確保、莫大な電力やら管理スタッフを集めるのにも苦戦し……結局そこまで使われることなくヘルタはその難題を解決した。
それはそれでよかったし、僕も研究成果を見させてもらったが、特に難解だった。僕にはその七割も理解できないまま。
実験から得られた結果から、間違いなくヘルタの理論が正しいことは分る。ただ、その理論に行きつくまでにいくつもの飛躍があり、それはもはや、魔法と言っても――――
「まぁ……いいか」
自分で言ったことだ。ヘルタが何を考えて自らの研究を明かすのか、考える必要もないし、心配することもない。それはヘルタの意志によるものであって、僕はヘルタのサポートに徹するのみだ。
その後、銀河中から殺到する問い合わせやら反証やら脅迫やら、対応をするのは僕の仕事だった。
ヘルタのシグマ粒子の変換方法の発見はおおむね否定的な意見で迎えられて、しかし反証実験のすべてが失敗。理論が分からないまま曖昧に行われた実証実験のみが成功し、机上の空論ならぬ空想の実論と化していた。