黒柳徹子くろやなぎてつこ
タレント
魔法のじゅうたん(1961〜1963)
インタビュー
当時の番組は生放送のような形でやっていたので、私自身は放送を見たことがなかったんですよ。ご紹介している映像も生まれて初めて見たけれど、あら、おもしろい(笑)。『魔法のじゅうたん』は、脚本をお書きになった飯沢匡先生が「子どもたちにこそいい番組を見せなきゃいけない」とおっしゃって、当時の最新技術を使って制作された画期的な子ども番組でした。週に1回の30分番組でしたけれど、とても手がかかっていましたね。
いくつかのコーナーがありましたが、当時の私はとても忙しかったのでよく毎週撮影ができていたなと振り返って思います。ご紹介している映像にある、私が2人出てきておしゃべりしたり、歌を歌ったりするコーナーは、2回、3回と撮影したものを合成していました。当時としては最新の技術で、100回記念の放送では私が3人登場したんですよ。技術的に無理だとはじめは言われていたのですが、飯沢先生が「絶対できる」とおっしゃって実現しました。とっても面白かったですね。
3人のクラウン(道化師)が活躍するコーナーもありました。これはクラウンたちの動きに合わせて、私が活弁士のようになって、ナレーションのように声を入れていました。それから、顔を逆さまにして顎(あご)に博士の顔を描いたキャラクター“ピッコロ博士”と私がなぞなぞをするコーナーもありましたね。ニュースのお話なんかも取り入れていて、社会性のある内容だったと思います。
また、番組タイトルにもなっている魔法のじゅうたんに乗って飛び回るコーナーはとても人気がありました。私はアラビアの衣装を着ていて、一緒にじゅうたんに乗る小学校5、6年生の子どもたち2人もターバンを巻いたりしていましたね。小さいじゅうたんを放り投げて大きく広げ、「アブラカダブラ〜」と呪文を唱えると、NHKの屋上からヒューッと飛んでいくという。子どもたちの学校を目指して飛んでいくのですが、わ〜っと手を振ってくれる学校や、人文字を描いてくれる学校もありました。
じゅうたんに乗っている私たちのカットはスタジオで撮影し、空撮した背景映像と合成していました。学校を上から見る空撮にはヘリコプターを使っていたんです。いま思えば大がかりですよね。1964年に東京オリンピックをやることになり、そちらにヘリコプターが必要だということで最終回を迎えましたが、私自身、出演していて面白かったですし、NHKでも三本の指に入る人気番組だったようです。
黒柳徹子くろやなぎてつこ
タレント
東京都出身。53年にテレビ女優第1号としてNHK放送劇団に入団。54年、ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』で初主演。多くの人気番組に出演し多忙を極める。61年、文学座研究所に入所。71年にはニューヨークに1年間留学。76年より『徹子の部屋』がスタート、2011年には「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定された。『ザ・ベストテン』や『NHK紅白歌合戦』など音楽番組の司会、『世界・ふしぎ発見』のレギュラー解答者、舞台俳優などマルチに活躍。81年、著作「窓ぎわのトットちゃん」が戦後最大のベストセラーに。84年よりユニセフ親善大使を務めている。