黒柳徹子くろやなぎてつこ
タレント
東京都出身。53年にテレビ女優第1号としてNHK放送劇団に入団。54年、ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』で初主演。多くの人気番組に出演し多忙を極める。61年、文学座研究所に入所。71年にはニューヨークに1年間留学。76年より『徹子の部屋』がスタート、2011年には「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定された。『ザ・ベストテン』や『NHK紅白歌合戦』など音楽番組の司会、『世界・ふしぎ発見』のレギュラー解答者、舞台俳優などマルチに活躍。81年、著作「窓ぎわのトットちゃん」が戦後最大のベストセラーに。84年よりユニセフ親善大使を務めている。
- 出身地
- 東京都
土曜ドラマ トットてれび(2016)
黒柳徹子さんのエッセイをドラマ化。笑いあり、涙ありのドラマ・バラエティー。テレビ放送が始まった昭和28年にNHK専属テレビ女優第1号となって以来、テレビとともに歩み続けてきた黒柳徹子さん。1960年代の「夢であいましょう」や「若い季節」など、自由で創造的だったテレビ草創期の熱気を再現。毎回のラストでは日本中を熱狂させた懐かしいヒットソングをミュージカル仕立てで紹介。小泉今日子さんがパンダの姿を借りて語りを務める。
原作:黒柳徹子 脚本:中園ミホ 音楽:大友良英 語り:小泉今日子
連続テレビ小説への出演は、アメリカ留学の直前に家政婦のおばさん役で出ていた『繭子ひとり』と、母の黒柳朝が主人公のモデルになった『チョッちゃん』。そして『おひさま』の三作。『チョッちゃん』ではほんのワンシーンという感じで、私たちの疎開先だった三戸の行商のおばさんの役でした。私自身、疎開したときはまだ子どもでしたが、三戸のおばさんが東北のことばで話すのをまだ覚えていたので、演技に生かしたんですよ。
『おひさま』で演じたのは、満島ひかりさんが演じた育子役の後年の姿。育子という役は何となく私の行動を取り入れて描かれたようなところがあって、将来の姿を描くなら黒柳さんしかないねってお話されていたんですって。そうしたら、本当に後年を描くことになったので、私のところにオファーが来ました。それまでは基本的にテレビドラマには出なかったのですが、そのときは私自身をイメージしていただいていた役なのだからとお引き受けしました。
それに満島さんも「黒柳さんじゃなきゃ嫌だ」とおっしゃられたそうなんですよ。自分が年を重ねたら黒柳さんになるんだと思っていらしたと。それをうかがったときは本当にうれしかったですね。この作品から何年かして私の若いころを描いたドラマ『トットてれび』が作られたのですが、そのときに主役を演じてくださったのが満島さん。私は老けメイクをして百歳の徹子さんとして出演していました。満島さんはとても若々しくて、昔の私と似ている感じがありました。そう思うと、満島さんとは不思議なご縁ですね。
徹子と気まぐれコンチェルト(1984)
クラシックからポピュラーまで、さまざまな名曲を紹介する黒柳徹子司会の音楽ショー番組。海外の演奏家も多数登場し、黒柳徹子の国際感覚とユーモアあるおしゃべりで楽しく展開した。
音楽の広場(1976~1983)
クラシックをはじめ、さまざまな音楽をテーマにあった曲とおしゃべりでつづる、楽しい音楽教養番組。音楽を、子どもでも親しめるようなアプローチで、分かりやすく紹介した。2年目から、黒柳徹子と芥川也寸志が司会を担当、2人のピアノ連弾で番組が始まった。オーケストラは、尾高忠明指揮の東京フィルハーモニー交響楽団が多かったが、朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団が出演したこともあった。
とにかく配役がすごいですよね。重鎮の宇野重吉さん、北林谷栄さんをはじめ、森光子さんやフランキー堺さんといったベテランの方々、そしてまだ若かった郷ひろみさんもご出演されていたんじゃないかしら。みなさん年齢もキャリアもさまざまでしたが、現場では和気あいあいと、とても仲良くなって楽しく撮影をしていました。
私が演じたのは銀座の天ぷら屋「江戸春」の先代主人(宇野重吉)の娘で、アメリカから帰ってきたばかりのカメラマンという役どころ。当時は自分でも写真を撮っていたので撮影には慣れていたのですが、作中に景色や人を撮るシーンがあり、カメラマンの方にカメラの使い方を改めて教えていただきました。レンズを替えたりするときに手際が悪くて、練習したのを覚えています。よりプロのカメラマンらしく見えるような動きを考えて、ちょっと生意気な感じにしたりして(笑)。面白かったです。
若尾文子さん、江守徹さんと私は芸者さん役で『冬の虹』(1976〜77年/テレビ朝日)に出ていました。私は76年に『徹子の部屋』が始まってしばらくした頃から、女優としてテレビに出るのをやめてしまったので、その頃の作品ということになりますね。テレビドラマに出るのをやめたのは、酔っ払っている芸者さんの役を演じたことがきっかけです。けっこう酔っ払うお芝居が上手で、小道具さんから「お酒飲んでやってるんでしょ」って言われたんです。「やだわ。あなたが徳利に入れてくれたお水でやってるんじゃない」と答えても、「本当は飲んでるんだよ」って…。演技を上手にやると、あんなに近いところにいる人でもそのように受け止めてしまうんだと思ったんですね。
その頃すでに『徹子の部屋』が始まっていたので、もしここで悪女をやったら、悪い女の人がインタビューしているというふうに受け取られるかもしれないと思い、以来45年間、基本的に演技は舞台だけということにしました。今改めて昔のテレビドラマを見ると、もっと早いテンポでしゃべっていると思っていましたけど、そうでもないですね。何だか今と全然変わらないような気がします(笑)。
銀河ドラマ わが歌声の高ければ(1969)
作:小野田勇/音楽:前田憲男/出演:坂本九、有島一郎、奥村チヨ、黒柳徹子、水谷八重子/昭和の初期、九州から軽演劇のメッカ浅草へと上京、浅草軽演劇一筋に夢と情熱を傾ける若者の愛と青春の日々。
作:小野田勇 音楽:前田憲男
おかあさんといっしょ ブーフーウー(1966)
『ブーフーウー』は、『おかあさんといっしょ』の初代ぬいぐるみ人形劇として、1960(昭和35)年9月から1967(昭和42)年3月まで放送。イギリスの童話「三匹の子ぶた」の後日談として、個性豊かな子ぶたたちといじわるオオカミが繰り広げる物語が大ヒットとなった。「おかあさんといっしょ」は1959年放送開始。
渥美清さん、坂本九さん、三木のり平さん、E.H.エリックさん、岡田眞澄さん…、ほかにも多彩な顔ぶれがそろった豪華で明るい、華やかな番組でした。コント、歌、踊りなど色んなエンターテインメント要素がつまっていて、私はコントに出たり、ときどき司会もしながら、「リリックチャック」というコーナーで詩を読んでいました。
なかでも印象的なのは「今月の歌」のコーナー。永六輔さんの作詞、中村八代さんの作曲で、毎月一曲、オリジナルソングをお送りしていて、「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」などのヒット曲が次々と誕生したんです。あの頃のヒット曲のほとんどが「今月の歌」から出たと思います。「夢であいましょう〜♪ 夢を見ましょう〜♪」というテーマソングもすてきで、番組の人気をずいぶん後押ししていたんじゃないかしら。
出演当時は生放送だったので、やっぱり自分の出たものはほとんど見たことがなかったですね。ご紹介している映像も初めて見ました。あまり素材は残っていないそうですが、『夢であいましょう』もっと見たいわ(笑)。でも、放送が終わってから何年も経ち、カラーテレビの時代になってから当時の映像を見たときに、出演時にとても華やかだと思っていた番組が白黒でとても地味に見えていたことに気づいたんです! 出演する際は持っている洋服のなかでも、できる限り派手なものを着ていましたし、セットにも色があって照明も明るかったので、輝くような番組だと思っていたら、白黒でしょ。今見てみるとすごく地味ですね(笑)。
番組は末盛憲彦さんが演出していらしたのですが、ずっと寝ないで1週間起きっぱなしみたいな感じで、次の週のセットを考えていらっしゃいました。生放送ですから、どうしたら効率よくセットの転換ができるか、そうしたら途切れずにコント、歌、踊りといったパフォーマンスを見せられるかを念入りに考えてらして。そのおかげで素晴らしい番組になりましたが、末盛さんはとっても大変だったと思います。
最後の1年は司会もしました。でも、司会をしたからといって変わったことはありませんでしたね。生放送なのでセリフを忘れてはいけないというのはありましたし、番組独特のテンポを崩さないようにやることは意識しましたけど、それまでもときどき司会はしていましたから。
いま振り返ると、この番組で渥美清さんと仲良くなり、日劇ミュージックホールに出ていらしたE.H.エリックさん、岡田眞澄さんには垢抜けた匂いがあって色んなことを教えていただきました。『夢であいましょう』は想像していたものよりもきらびやかな番組ではありませんでしたけど(笑)、番組に携わる誰もが情熱にあふれていましたので、それを補ってあまりある魅力的な番組だったのではないかと思っています。
当時の番組は生放送のような形でやっていたので、私自身は放送を見たことがなかったんですよ。ご紹介している映像も生まれて初めて見たけれど、あら、おもしろい(笑)。『魔法のじゅうたん』は、脚本をお書きになった飯沢匡先生が「子どもたちにこそいい番組を見せなきゃいけない」とおっしゃって、当時の最新技術を使って制作された画期的な子ども番組でした。週に1回の30分番組でしたけれど、とても手がかかっていましたね。
いくつかのコーナーがありましたが、当時の私はとても忙しかったのでよく毎週撮影ができていたなと振り返って思います。ご紹介している映像にある、私が2人出てきておしゃべりしたり、歌を歌ったりするコーナーは、2回、3回と撮影したものを合成していました。当時としては最新の技術で、100回記念の放送では私が3人登場したんですよ。技術的に無理だとはじめは言われていたのですが、飯沢先生が「絶対できる」とおっしゃって実現しました。とっても面白かったですね。
3人のクラウン(道化師)が活躍するコーナーもありました。これはクラウンたちの動きに合わせて、私が活弁士のようになって、ナレーションのように声を入れていました。それから、顔を逆さまにして顎(あご)に博士の顔を描いたキャラクター“ピッコロ博士”と私がなぞなぞをするコーナーもありましたね。ニュースのお話なんかも取り入れていて、社会性のある内容だったと思います。
また、番組タイトルにもなっている魔法のじゅうたんに乗って飛び回るコーナーはとても人気がありました。私はアラビアの衣装を着ていて、一緒にじゅうたんに乗る小学校5、6年生の子どもたち2人もターバンを巻いたりしていましたね。小さいじゅうたんを放り投げて大きく広げ、「アブラカダブラ〜」と呪文を唱えると、NHKの屋上からヒューッと飛んでいくという。子どもたちの学校を目指して飛んでいくのですが、わ〜っと手を振ってくれる学校や、人文字を描いてくれる学校もありました。
じゅうたんに乗っている私たちのカットはスタジオで撮影し、空撮した背景映像と合成していました。学校を上から見る空撮にはヘリコプターを使っていたんです。いま思えば大がかりですよね。1964年に東京オリンピックをやることになり、そちらにヘリコプターが必要だということで最終回を迎えましたが、私自身、出演していて面白かったですし、NHKでも三本の指に入る人気番組だったようです。
若い季節(1961〜1964)
作:小野田勇/主題歌:ザ・ピーナッツ/作詞:永六輔/演出:岡崎栄、清水満/出演:水谷八重子(二代目)、黒柳徹子、坂本九、ジェリー藤尾、渥美清、淡路恵子、三木のり平、沢村貞子、森光子、ハナ肇とクレイジーキャッツ、スパーク三人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)/銀座の化粧品会社を舞台にした都会派青春職場コメディー。豪華人気タレント総出演、歌あり笑いありで、日曜夜の娯楽番組として3年9か月にわたって人気を得た。
テレビ劇場「夜の仲間」(1959)
ホステス(女B)役
NHKが保管している、黒柳徹子さんのNHKで最も若い頃(当時25歳)の映像。
この映像は2013年に演出家・和田勉さんのご家族よりNHKに映像提供された。
『紅白歌合戦』の司会を初めてしたのは仕事を始めて5年目くらいのとき。私は25歳くらいで、最年少の司会者といわれました。当時はまだNHKホールはなく、都内にある大きなホールを借りて紅白を放送していました。この時は新宿コマ劇場からの中継でしたね。この時だけです、新宿は。
当時はまだ紅白がそれほど重要視されていなくて、歌手の皆さんは紅白とダブって仕事の予定を入れていらっしゃいました。皆さん、有楽町の日劇や宝塚劇場で歌われてから新宿のコマ劇場にいらっしゃるという感じで、それが最悪なことになったんです。時間になっても皆さんいらっしゃらなくて、新宿は離れています。大みそかですし、とうとう歌う人がいなくなってしまって…。スタッフさんから「次に歌う人が誰もいないので伸ばして」と言われたときは、「どうしよう」と思いました。だって、テレビに出始めてまだ5年くらいだったんですから。
「早く歌え!」なんて客席から野次が飛んだりしても、歌手の方がいないのだからどうしようもなくて…。仕方がないので、舞台に上がっていた犬を「雄でしょうか、雌でしょうか。雌なら女性の応援に来てくれたのでしょうか」なんて場をつないでいました。そのうち、舞台袖から「女来ました〜」と聞こえてくるんですが、ここでホッとできないんですよね。着いたらすぐに歌えるわけではなくて、お着替えをしたり、メイクをしたりしますから。
本番前には打合せもありましたし、歌手の組み合わせも決まっていたのですが、そういう具合ですから全てぐちゃぐちゃになってしまって、白組も「男来ました」ですから(笑)。当時の私はまだ歌手の方々のお顔がよく分からなくて、「女、来ました」と言われて、ようやく歌手の方が舞台にご登場なさっても「どなたかしら?」と考えながら司会をしていましたね。それは本当に大変でした。
それから22年後の1980年から4年連続で紅組の司会をしましたが、最初に司会をした頃とは全く様子が変わっていました。付いてくださるスタッフさんが何人もいらして「次はこれです」と教えてくださるなんて。それでも生放送で何かあるといけないので舞台が見えるところに特別に小さい小屋を作っていただいて、そこで衣装替えをしたりしていました。何かあったときに飛び出していけるのは司会者だけですものね。
2015年には32年ぶりに今度は総合司会で紅白の舞台に立たせていただきました。ご出演される方みなさんがおっしゃるのですが、紅白の舞台って客席の方からぶわ〜っと重い風が吹いてくるような感じがするんですよ。それを押し戻すのが大変なのだけど、この時もそうでした。でも、お祭りみたいな、嬉しい感じがしたのを覚えています。
紅白の舞台では生放送で自由に話す時間を与えられますが、いつもNHKってすごいなと思うんですよ。なに言うか分かんないのにね(笑)。
英語会話(1958~1975)
テレビによる生きた英会話を目指し、簡単なコントを見ながら英語を覚えていく仕組み。毎回外国人ゲストが登場。タイトルを変えながら現在に至る。
お父さんの季節(1958~1960)
出演:榎本健一、水谷八重子(二代目)、楠トシエ、黒柳徹子、渥美清/榎本健一を中心とした一家族のようなアンサンブルが好評で、視聴率調査でもたえず上位にランク。歌あり、笑いあり、時に涙ありの連続ホームコメディ。若き日の渥美清も出演。
連続人形劇 チロリン村とくるみの木(1956~1963)
タマネギのトンペイやピーナッツのピー子たちが住むチロリン村には、野菜族、果物族、そして動物たちが暮らしている。大人同士のいざこざや、チロリン村を訪れる珍客たちによって巻き起こる騒動を、子どもたちの活躍で解決していく。放送は全812回。人形劇シリーズの原型となった。
作:恒松恭助 音楽:宇野誠一郎
やがて蒼空(1955)
作:北條誠/音楽:中田喜直/出演:内田研吉、黒柳徹子、太宰久雄、名古屋章/映画化された初のテレビ連続ドラマ。初めて主題歌を放送。
作:北條誠








