「は?アンタ論文コンペ行かないの?」
「うん」
そんなエリカの驚きの声。しかし如何にも当然というような声で、詩織はベッドの上に寝そべりながら返事をする。
「そんなに意外?」
「いやだって、アンタそういうの好きそうじゃない」
「論文は好き、コンペはそうでもない」
「質問したりとかしないの?」
「論文読めば分かる」
「いや流石に直接聞かないと分からないこともあるでしょ。実際に実験とかも見せて貰えるみたいだし」
「読めば全部分かる」
「面倒なだけじゃない……?」
とまあそうは言うが、実際に分かってしまうのがこの女。紙類からなら平均で300%以上の情報を読み取るという頭のおかしい人間が彼女である。
つまり清冷詩織からしてみれば読むだけで数多の情報を得られるため、わざわざ目で実験を見たところで理解できる情報はむしろ減るのだ。行く意味がない。そんなことより論文を見た方が効率が良い。少なくとも彼女はそう思っている。
「あと暫く休学する」
「それはしれっと言って良いことじゃないでしょ!?」
「なんか最近、依頼が多い」
「へぇ」
「エリカと海外回ってた間もメールが沢山きてた」
「アンタ、ただ部屋で寝てただけじゃないのね……」
「エリカがメイド達と遊んでた間にも仕事してた」
「うっ……わ、悪かったわね!けどアンタもあたしのこと散々連れ回したじゃない!まったく言語の分からない国の本屋に連れて行かれる身にもなりなさいっての!」
「とても楽しかった」
「十分満喫してんじゃない!!」
結局この夏は詩織に全国各地を連れ回されたエリカであるが、まあ実際めちゃくちゃ楽しんだ。それも基本的に護衛代としての詩織のお金で。
それはメイド達の士気も上がるだろう。定期的に海外に行ける上に、仕事は付人の数人で回すだけ。滞在中の半分が自由時間でボーナスまで出る。しかもホテルは高級、主人は本屋巡りくらいしかしない。
……正直、本気でここで働いてしまおうかと考えている自分も居る。
ただ代わりにメイド長は非常に厳しく、『待遇に見合った働きをするように』が口癖だ。幸いにも主人があらゆる言語を扱えるので通訳は不要だが、そうは言ってもメイド達だって日々努力している。
語学の勉強や調理関係の資格の取得、大型免許を取ったり、ライフセーバーになったり、元弁護士だったり、元医者だったり……そうやって自身の特色を作ることで存在感をアピールしている訳である。
詩織からしてみれば別に身の回りのことをやってくれるなら何でもいいのだろうが、待遇に見合った働きが出来るようにという言葉はしっかりと生きているのだ。
……まあ実際は『資格があればそれに関する案件や国へ行く際の付人に選ばれ易くなる』という利点目当てだったりもするのだが。そうは言ってもこの主人が愛されていることに間違いはない。小動物みたいだし。
「で?今回はどこに行くのよ?ついていってあげよっか」
「日本国内だけど」
「ふーん、どこの島?」
「本州」
「……休学するのよね?」
「うん」
「そんなに時間がかかるの?」
「うん、調べ物の手伝いだから」
「へぇ、そんなことまで出来るんだ」
「一回読めば著者がどの年代の人で、どういう思いで、どういうことをしていたのかまで分かるから。後年の解釈が実は間違ってたり、誤記だったりもあるし。都合が悪くて書かなかったり、わざと間違えたことを書いたり。そういうのは思惑が分かるだけでも進展する。だから研究畑の人達から時々そういう依頼もある」
「……ごめん、もう少しわかりやすく」
「秘伝の技が書かれた本を私が読むと、文字で表現できないコツとか、どんな武人が書いたのかまで分かる」
「アンタすごいわね!?」
「伝わってよかった」
それこそ古書なんかを大量に死蔵してしまっていたり、研究成果が山積みになっているような家、果ては本当にこの理論をあてにしても良いのかと疑わしくなった研究者が求めてくることも多い。
詩織の表向きの本業は実のところ、こういったものである。異常な本の案件など裏も裏、そもそもオカルトだって普段は"不思議な魔法現象"と言い張っているくらいだ。こんなんではあるが、割と真面目に仕事はしている。
「ふーん、じゃあそうなると益々あたしが行っても仕方ないか」
「うん、別に危険はないし」
「それならよし。ちなみに何処から依頼されたのよ」
「四葉」
「………ん?」
「四葉」
「………アンタほんとすごい奴だったのね」
「初めての依頼主だから緊張してる」
「全然そうは見えないんだけど」
「どんな本が見れるのか楽しみ」
「そっちが本音じゃない……」
「守秘義務は守るけどね」
「プロよね、そういうところだけは」
そういう訳で清冷詩織、いざ初の四葉邸へ。
「……と、エリカが言っていた」
「そ、そう来ましたか……」
「間違いなく俺達の繋がりで清冷を知った叔母上の仕業だろう」
「詩織は見ている分には面白いですからね……」
「見ている分にはな」
なんて話はすぐさまに兄妹にも伝わって、揃って疲れた顔をして溜息を吐く。
まあ彼女が九島と繋がりがある時点で他の十師族とも関わりを持つことは想定のうちではあったが、まさかここまでスピード感を以てその時が来るとは思っていなかった。
「お兄様、これはどうすべきなのでしょう……?」
「……いや、これはこれで都合が良い。少なくとも論文コンペの間は清冷の案件に巻き込まれないということだ。四葉のことも考えなくていい。清冷がいる時点でどうせ何が起きるか分からない。想像するだけ無駄だ」
「それはもう詩織のこと諦めてますよね」
「あいつが居ると事態の予測が本当に不可能だ、どれほど情報を集めて思考しても全てが無になる。それは市原先輩も同じことを言っていた」
「市原先輩が?論文コンペに出るように依頼をされた際にですか?……確かに研究テーマの話はあれど、市原先輩は詩織のことをかなり気に入っていましたし。お兄様の他に論文コンペの代役候補に上がっていても不思議ではありませんね」
「ああ、俺もそれを伝えた。清冷でいいのではないかとな」
「どのような答えが?」
「……清冷に頼むと論文コンペどころか"答え"を出しかねないから避けたい、だそうだ」
「……確かに」
「あれは基本的な性能はチンパンジー以下、ナマケモノと同等だが、紙類の上であれば人智を越える」
「ナマケモノはナマケモノでもミユビナマケモノの方……あぁ、詩織のせいで変な知識が」
「専門書を読ませた時点で三大難問全ての回答を容易く出しかねない、というか既に出している可能性がある。流石にそうなると世界を巻き込む問題になってくるからな、もしもでさえも可能性は排除したいというのが市原先輩の考えだった」
「納得ですね」
「ああ、妥当な判断だ」
詩織のことを気に入っているからこそ、という市原なりの思いやりでもある。そんなことになれば何より大変なのは詩織なのだから。なるべく論文コンペからも、教師陣からも隠しておきたいのだろう。
達也はその隠れ蓑に丁度良かったとも言える。達也がこのコンペで活躍すれば、間違いなく一年生の中では研究分野における最前線の生徒と認識されるだろう。詩織の存在はより隠されるはずだ。
「ただ……少し気になることもあります」
「気になること?」
「ええ、これはエリカとも話していたのですが……詩織がいることで、まあ振り回されることも多いのですが、救われている部分もあると思うんです。それこそあの自由気ままさが流れを壊してくれるというか、和ませてくれるというか」
「………」
「詩織は確かに予想の出来ないナマケモノですが……どうしようもない壁にぶつかった時でもなんとかしてくれる、そんな安心感があることも事実なんですよね」
「……それは確かにな」
オカルトというものを知ってしまった以上、それに対する策は設けておきたいものの、今の達也にはその手段が何一つとしてない。それは恐ろしいことだ。
詩織であれば達也がお願いすれば何かしらの本を貸してくれそうではあるが、そうなると大きな借りを作ることになる。達也がそれに対して返せそうなものと言えば……
「……深雪、論文コンペの作業と並行して1つ魔法を作りたい。手伝ってくれるか?」
「……!はい、もちろんです!」
居ると困るのに、居ないと不安になる。なんともまあ周りを振り回してくれる人材である。
こうして付き合いを長くするほどに九島閣下の気持ちがよく分かるようになる。彼女は本の専門家であり、この国には同じような様々な専門家が居るのだろうが、そうなるとその専門家達を大切にしなければならないという少佐の言葉にも納得するしかない。
「……ということなの、詩織。なにか本を貸してくれないかしら」
「……何を貸せばいい?」
「う、ううん、そう言われるとまた困るのだけど……」
次の日、深雪は忙しい達也に代わって詩織に対してそう提案をしてみた……のだが、まあ言うまでもなく難しい話である。何か起きた時のために役に立つ本を貸して欲しい、などと。あまりにも広義な話である。
これには丁度、昼休みに詩織と一緒にタラタラとしていた真由美も苦笑いをするしかない。元生徒会長は受験前とは言え余裕がある。
「まあ、そうね、達也くんの言うことも分かるんだけど……オカルトなんてそれこそ何が起きるか分からないんだし、万能に対策する方法なんて無いんじゃない?」
「そもそも私は本の専門家、本以外のことについては何の役にも立たない」
「き、切り札になるような……みたいな?」
「……『スーパー・ライジング・サンダリオン6月号』」
「な、何の本?」
「ここがテーザーガンになってる」
「確かに切り札にはなるかもしれないけど……!」
そうではないのだ、いやでもそんな感じ。
そんな感じにオカルトに対して決定的とまではいかなくとも、そこそこ抵抗できるような。そういうものが欲しい。すごくフワッとしていて、頼んでいる側としても非常に申し訳ないのだけど。良い線はいっている。
「うーん……」
「そうね、例えば……こう、何かに閉じ込められた時に打開できるようなものとか?結界とか、そういうのに対して」
「あー……」
「そ、そんな感じです!詩織の言うオカルトみたいなのに対して私達では何も出来ないから、何か穴を開けたり抵抗出来たらそれで良くて……!」
「じゃあ……」
「『はじめてのおりがみ-いちばんよくわかる-』〜」
「……あるのね」
「いよいよ猫型ロボットみたいになってきましたね……」
「頼んだのは深雪なのに」
ごもっとも。
「それで、これはどういう本なの?」
「見る限りだと児童用の折り紙の本よね?」
「とても可愛らしいですけど……」
「生きてる本」
「……え?」
「生きてるの、この本」
「……え」
なんか怖いことを言い始めた。
これには流石に2人も普通に身構える。
「昼間は寝てるんだけど、夜になると起きる。すごく食いしん坊で、けど甘えん坊。可愛い」
「い、いや、あの……ど、どこから指摘したらいい?」
「も、もう少し詳しく……」
「うん。この本はたくさんの子供達の手を渡って来た、元は幼稚園にあった本。その後に廃園となって何十年も放置されてきたんだけど、その末に命が宿った。付喪神みたいなものかな」
「そんな簡単に命って宿るの……?」
「三歳までは神の子、なんていうけど。数多の幼子達が触れて思念が色濃く残った結果だと私は思ってる。奇跡には違いない」
「それで……具体的には、どんな風に生きてるの?今のところ微動だにしてないけど……」
付喪神云々はともかく、生きている本と言われると、それも食いしん坊と言われると、色々と恐ろしくなるもの。それこそ牙を生やしてガチガチ嚙み鳴らすような想像もしてしまうが、それは映画の見過ぎだろうか。
「そんな獣みたいじゃない。夜中になると浮遊して、勝手に動き回る」
「それこそ恐ろしいわね……」
「詩織、この本は何を食べるのかしら……?何か食料を用意した方がいいの?」
「ううん、必要ない。特に世話も要らない。この本が食べるのは人の"悪夢"だから」
「悪夢?」
詩織はその本を軽く撫でながらそう言う。そこには慈しみがこもっていた。
「優しい子、子供の味方。夜な夜な町を歩き回って子供達の悪夢を食べてるの。何十年も昔からずっと。だから他人を傷つけたりはしないし、怖いことなんて何もない。この子の本質はずっとずっと変わってない」
「「………」」
「だからもし深雪達が悪夢とか結界とか、そういう曖昧なものに囚われるようなことがあったら助けてくれるはず。ただ管理はして、優しく扱ってあげてね。朝になれば元の場所に戻ってる筈だし、夜は枕元に置いておけばいいよ」
「……今でもずっと子供が大好きなのね」
「それは確かに、心強い味方です……」
「うん、深雪に預けるね」
そうして渡されたものに触れてみれば、見た目以上に古びている。詩織は本の管理はしっかりしているし、基本的にカバーもしっかりしたものを付けているが、この本に関してはプラスチックケースの中に入れて持ち運んでいるようだった。恐らく夜になると蓋を開けて枕元などに置いているのだろう。
……こんな頼もしい本を貸して貰えるのなら、これ以上のことはない。これには素直に感謝しかなかった。とてもありがたい。
「じゃあ代わりに深雪にはこの本を買ってもらうね」
「突然の商売!?」
「そういうパターンもあるの!?」
「そういうパターンもある」
ゴソゴソと取り出された2冊目の本。
本を貸す代わりに本を買えというのだから、まあ本当にこの女らしい取引ではあるのだろう。千円程度の取引になるので、圧倒的に安上がりではあるのだが。
「そ、それで?それで?今日は何の本なの?」
「切り替え早いですね……わ、私も気にはなりますが」
「これ……『パケットモンスター・ラベンダー/ブラウニー 公式ガイドブック 完全ストーリー攻略』」
「………」
「………」
「………」
「いや、これゲームの攻略本だ……」
「しかもポケモンのパチモンです……」
「まだこんなの売ってるんだ……」
「分厚いし重い……パクリなのに公式とか謳ってますし」
「まあ公式ではあるんだろうけど……」
「少なくとも当のゲームを持ってない人に売るものじゃありませんよね……」
「それはそう」
もう変だ。
もう変である。
見て分かる、見なくても分かる。
「それで、ええと……取り敢えず解説をお願い、詩織」
「段々と清冷さんの使い方がわかって来た私達」
「流石にそろそろ慣れます」
「うん……この本はタイトル通り、パケットモンスターシリーズの攻略本。けどその話をする前に、少し前に服部先輩にお勧めした本を覚えてる?」
「服部先輩に?」
「えっと、たしかあの……全部嘘のやつよね?」
「ん、『全部嘘で語る世界で最も美しい秘境ホワイト・ローズ・ガーデンの真実と栄光』」
「そんな本もありましたね、それがどうしたの?」
「これはその本と似てる」
「……ってことは、もしかしてそんなゲームは存在しない!?これも全部嘘ってこと!?」
「ま、まあ確かに、こんな如何にもパクリなゲームの攻略本なんか……」
「存在しなかったことにされた」
「「……ああ」」
「発売直前に訴えられて販売停止、ゲームが表に出ることはなかった。けど攻略本の方は既に手続きが完了してて、そっちは販売停止措置も取られなかった。少しでも取り戻すために引き下げることもしなかった。……つまり」
「結果的に存在しないゲームの攻略本になってしまった、と……」
「うーん当然の末路……」
「こんなにも書き込んでるのに……」
「『ここから先は君の目で確かめてくれ!』の一文がこれ以上に虚しく見えることもないわね……」
「誰にも確かめられませんからね……」
「爆笑」
「真顔で爆笑って言われても……」
「そもそも詩織がそこまで笑ってるところ見たことないわ」
しかしまあ確かに経緯を知っていると本の中の何もかもが面白く見えるのだから不思議なものだ。普通の攻略本でもツッコミどころ満載、あまりに自信満々な文言が多いところもまた気になる。
それに……
「この攻略本……よく見るとなんていうか……」
「情報が、浅い、ですね……」
「ええ……」
それはゲームの発売と同時期だからという理由だけではなくて、考え方も浅ければ、情報も浅い。それこそこうして見ただけで分かるような。
例えばゲームのシステム上は微妙な対処法を提案して来ていたり、オススメのパケモンが完全に攻撃力基準だったり、推奨レベルが高過ぎたり……なんというか、素人っぽいというか、ゲーム慣れをしていないというか。
「多分この本を書いた人も、本家の攻略本をパクってる」
「パクリのパクリ!?」
「しかもゲームは素人、攻略本書きながらゲームやってる。その時に勝ったパーティを載せてるだけ」
「だから似たようなパーティばかりでゴリ押してるのね!?」
「まさか情報が妙に曖昧なのも、開発から聞き取らずに、自分で見つけたものだけ載せてるから……?」
「うん、あまりにも無駄で手間」
「ほんとにね!?」
「そもそもなんで売り出そうと思ったんでしょうか、こんなの絶対に予測出来た事態で、そもそも仮に売り出せたとしても絶対に攻略本まで買おうとする人なんて……」
「経営も素人」
「………」
「………」
((馬鹿のチャレンジだったんだ……))
なんだか悲しくなってきた。
一攫千金を目指したのだろうけれど、色々と追いつかなかったのだ。そんな中でも出来ることを必死にやった結果、それは中身のない外側だけのものになってしまって。そうした時間と労力を注ぎ込んで注ぎ込んで、注ぎまくった結果、最後に残ったのがこの攻略本。あと負債。
一見すればただの販売停止になった攻略本ではあるが、これこそが愚か者達の努力の結晶でもあるのだ。なんなら思い出の品でもある。
それこそ少し前に詩織に勧められた"とある組織の元予言書"をスケールダウンしたような。
「100円でいいよ」
「しかも安っ!?!?」
「定価1500円って書いてあるけど!?」
「でも100円で売ってたし」
「廃棄寸前……!!」
「そもそもこの時代に紙の本なんて売れる訳がなかった……!」
そう、何もかも間違っていたのだ。
いっそ愛らしいくらいに。
時間は少し巻き戻って。
「そうだ、私が四葉に行ってる間にエリカに本を貸してあげる」
「ん?なによ?」
「『皆の者、推して参れ』っていうオタク向けの本」
「……なにこれ」
「持ってると時々よく分からないことが起きる」
「いやなにそれ」
「楽しみにしてて。私も全く予測できないから」
「いやほんとなによこれ!?!?」
厄本を押し付けられた。