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君のために生きていくね [2017] 踊ってばかりの国(アルバムレビュー)

今回は6枚目のフルアルバム、『君のために生きていくね』のレビュー。サイケデリックロックというよりUSパンク〜ガレージロックを日本語ロックとして編み直した比較的ポップな作品と言える。

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 前作『Songs』の愛と狂気による内への志向というものだったが、ここから狂気やアングラ(90’s-00’sサブカル的なものとも換言できる)の要素を大きく抜き取ったのが本作である。サウンド面ではGt.林宏敏の脱退により、ザラザラしたサイケデリックサウンドではなく、サラサラしたガレージロック•USパンク的に。
 これまで夢心地で下津の狂気を上手くサウンドとして昇華させ、踊ってばかりの国全体の型を作っていた林の脱退というのはバンド全体の容姿を変えてしまったと言える。またこうしたサウンドの変化に連れるように下津の狂気というザラザラしたものを良くも悪くも喪失させた。ただあくまで結果的なことであり、林の脱退が踊ってばかりの国から狂気を抜き取ることになったということではない。

-今年で結成10周年ということで、あえてストレートに訊きますが、どんな10年間でしたか?
下津:いやもう、「よく生きてたね」って感じっすよ(笑)。
-ストレートな回答ですね(笑)。
下津:まあ、振り返る余裕もないというか、今も10年前からの延長線上にいるってだけで。ただ林くんが辞めたときに、踊ってばかりの国は「別のバンドになった」と言えるくらい変わったんですよね(2016年11月19日に脱退)。それでも「バンド名は変えへん」って決めて、そこから俺のなかでこのバンドは「第2章」に入りました。

踊ってばかりの国は10年かけて理想の姿へ。下津&谷山が語る/CINRAによるインタビュー(2018.04.27)

 『シャクナゲ』は林のことを歌っているという。前作の内への志向的なものである。内への志向とはつまり、隣にいる友人、恋人、家族への想いを歌うこと、聞き手に救済なるものをもたらすことを意図して歌うことである。これに加えて本作の重要な要素はboy的な無邪気さである。この無邪気さはネクタイを締めた大人がやれば狂気そのものであり、狂気と地続きである。この無邪気さと内への志向は矛盾することなく、共存している。
 少年のような目の輝きは例えばandymoriの小山田壮平に近いものがある。“大人”として責任とモラルを持って賃金労働に勤しむことで造られたシステムから逃れるには(それを理解しない)狂気であるか、もしくは(それを知らないフリをする)少年であるかというのが行き詰まったロックの答えであり、生き抜いて仲間や家族を守るために踊ってばかりの国は後者へと進んだ。大人の選択として少年になった。

ときめく心を大切に 心を大切に みんなが求めた自由の歌なんてもんは 形のないものだった
みんなが求めた自由の果てに 形がないのなら せめて ときめく心は大切に ずっとこころは大切に

evergreen

 実質的な表題曲である『Boy』は踊ってばかりの国でも人気の高いナンバーであり、太陽を反射させて強く輝く深い海を突き抜けてくるような曲だ。70’sのNYパンクの獅子、テレヴィジョンの『Marquee Moon』のギターリフを引用しているが、ライブごとにアレンジが重ねられており、今では別物となった。アウトロがとても長く、このアルバムからギターが3人となったが、そこにハマるような曲構成だ。
 特に『サイクリングロード』は2014年あたりから勃興したはっぴいえんど的な日本語ロックのリバイバル(カネコアヤノやnever yong beach)と共鳴するようだ。それはメロディの類似というより少し気だるい生活を実直に歌うという点に見られる。サイケデリックな夢見心地の中で自転車に乗ることはない。近所に買い物に行く時、生活を噛み締めることでしかこういう詩は歌えない。
 それとはまた異なる現在の日本語ロックの源流的存在には忌野清志郎がいる。『自由を頂戴』『プロテストソング』などは正にそのような曲だ。

希望の朝日まで 文句つけて 「まだ足りない まだ足りない」を言い訳に歩くわ 寂しい人

プロテストソング

どちらかと言うと踊ってばかりの国はずっとこちら側であったし、本作でも変わらない。彼らがカウンターカルチャーを自負する理由もここにある。しかし現代ではそうしたピュアな(?)反戦のメッセージは有効ではない、拒否される。そうであるが故にかつての良識を蹂躙したジャンキーな狂気(見方によってはサブカル的なもの)が必要とされていた。その狂気を放棄し、進んだ本作ではこのようなカウンターカルチャー的側面はあくまで踊ってばかりの国に個性を与えるワンカラーと留まっている。

『Boy』『Surfer song』や『in the day』、『バーニングタイム』『青春』『ジョン•ケイル』『No ESPer』は00’sのガレージロック(The StrokesやThe Libertines)や70’sのUSパンク(TELEVISIONやThe Velbet Underground)を下津の日本語ロックによる再解釈した曲である。下津が元来から敬愛してきたルーツミュージックにあからさまに回帰することでboy的な無邪気さのロックンロールが前面に押し出されている。こうして怪しく陰鬱なサイケデリックロックから完全に手を引くということなく、健全なロックを手にした。なぜならガレージロックとサイケデリックロックは切っても切れない繋がりがあるからであり、次作では再びサイケデリックロックに舵を切っている。



参考:
踊ってばかりの国は10年かけて理想の姿へ。下津&谷山が語る
/CINRAによるインタビュー(2018.04.27 Fri)
https://www.cinra.net/article/interview-201804-odottebakarinokuni

おとぎ話×踊ってばかりの国 2組はなぜ兄弟のように惹かれ合う?
/CINRAによるインタビュー(2017.08.31 Thu)
https://www.cinra.net/article/interview-201708-otogiodottebakari

次回は7th full『光の中に』のアルバムレビュー。再びサイケデリックロックへの志向が見られるバランスの取れた名盤。

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