2025.09.10 08:37
【特集】さようならハルウララ!高知競馬でつくった伝説 高知新聞紙面と写真で振り返る
レース前のパドックで、ハルウララと厩務員の藤原健祐さん。象さん模様のメンコ(覆面)がユーモラス(高知競馬場)
高知新聞にハルウララが初登場したのは2003年6月13日付夕刊だった。見出しは「1回ぐらい、勝とうな」 ハルウララ現在88連敗。連戦連敗の馬に対する調教師や厩務員の優しいまなざしがつづられている。何よりハルウララが持つ不思議な魅力についても。以後、高知新聞の読者はハルウララに高い関心を持ち続けることになる。
100連敗を報じる紙面(2003年12月15日付)
とうとう、なのか、やっぱり、なのか。ハルウララは100連敗を喫した。2003年12月14日、レース名は「ネバーギブアップ・ハルウララ百戦記念特別」。「百戦目での初勝利を目指したが、九着に敗れた。負け続けても頑張る姿がファンの共感を呼び、この日は5074人の大観衆となった」と記事も熱い出だし。レース開始の15分前まで、単勝1・0倍と圧倒的支持を受けた一番人気(最終オッズ1・8倍)だったという。ちなみにサイド記事の見出しの一つは「まっこと、またかった」。これは「また勝った」ではなく「またい(弱い)」という土佐弁を生かしたものだった。
100戦目のハルウララ
最強助っ人・武豊騎手の登場を報じる紙面(2004年1月26日付)
そんなハルウララに救世主が現れた。競馬界のレジェンドの一人、武豊騎手が2004年3月に騎乗してくれることになりそうだという。最強騎手が連戦連敗の馬に乗る。いったいどうなる???
武豊騎手とハルウララのコンビは堂々の朝刊1面を飾った(2004年3月23日付)
運命の2004年3月22日、高知競馬史上最多の1万3千人のファンの大声援を受けて第10レース「YSダービージョッキー特別」に出走。結果は11頭中の10着、106連敗となった。とはいえ「夢のコンビ」は翌日の高知新聞朝刊1面を堂々と飾った。記事では、全国各地から大勢のファンが訪れ高知競馬史上初の入場制限を実施したことや、売り上げが過去最高を更新するなど、フィーバーぶりを伝えた。
2004年3月には早くも映画化が決定。高知ロケも行われた
2着の好走を報じる紙面(2004年5月24日付)
1着にはなっていないが好走したレースも高知新聞は報じている。ハルウララは2004年5月23日の第9レース(9頭、1300メートル)に出走、1着に1馬身半差(0・3秒差)の2着に食い込む健闘を見せた。これで109連敗となったが、「先頭に肉薄する終盤の追い込みで観衆を沸かせた」という。
1が並んだ111連敗紙面(2004年6月28日付)
それでもなかなか初勝利を報じられない高知新聞ではあるが、ハルウララから目は離さない。「111戦目で1着」とのドラマをファンは夢見たが結果は5着。1が並んだ111連敗の見出しとなった。
きょうだい対決を報じる紙面(2004年8月4日付)
変わり種の紙面としては、2004年8月4日付で「きょうだい対決」がある。ハルウララとその妹「ミツイシフラワー」、弟のオノゾミドオリの3きょうだいがそろってレースに出走した。全国的な注目を集め、平日にもかかわらず約2400人が入場。取材したマスコミはおよそ30社というから驚きだ。結果はオノゾミドオリが1着、ハルウララ5着、ミツイシフラワーは8着だった。ちなみにミツイシフラワーに騎乗したのは、武豊騎手の弟の武幸四郎騎手だった。
突然の栃木への移送を報じる紙面(9月16日付)
「負け組の星」を温かく見守ってきた高知県民に衝撃が走った。突然の栃木への移送が報じられたのだ。9月16日付紙面には、馬主が移送 「休養、調整」期間は未定 調教師ら困惑「真意分からぬ」といった見出しが並び、ハルウララがいなくなった寂しい馬房の写真が掲載された。
正式引退も大きなニュースとなった(2006年10月4日付)
ハルウララの処遇については馬主と調教師、双方に思惑があったわけだが結局、ハルウララの正式引退が2006年10月4日付紙面で報じられた。「ウララ もう一度高知に…」という見出しが切ない。果たしてハルウララはどこで余生を送ることになるのか。
ハルウララ健在を報じる紙面(2014年7月18日付)
大フィーバーの2004年から10年後の2014年、またもやハルウララの写真が高知新聞の1面を飾った。「覚えてます?ハルウララ 千葉で健在でした」。その見出しにほっとしたファンも多かったのではないだろうか。この日の記事では長らく消息がはっきりしていなかったハルウララについて「千葉の牧場によると、元馬主からは預託料の払い込みがなく今春に所有権を放棄し、現在は同牧場が自費で世話をしているという」と紹介した。
ハルウララの元気な様子を最後に報じた紙面(2022年6月18日付)
ハルウララの元気な様子が最後に高知新聞紙面を飾ったのは、2022年6月。ハルウララに再びブームが訪れたという。なぜこのタイミング? 勘の良い方はお分かりだろうが原因は、ゲームやアニメなどで人気の「ウマ娘 プリティーダービー」だった。やっぱりハルウララは人を引きつける馬だった。レースで1着にはとうとうなれなかったけれど、人々を元気づけてくれた。そういう運命の馬だった。ハルウララが残したひづめの跡は、決して人々の心から消えないだろう。
宗石調教師(左)と一緒にニンジンを食べさせる参加者(2004年2月、高知市長浜の高知競馬場)