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FLOWER [2012] 踊ってばかりの国 (アルバムレビュー)

今回は3rd mini アルバム『FLOWER』だ。このアルバムは踊ってばかりの国の一つの臨界点にあると言える。またフルアルバムでもメジャーでもないが、同時代の日本の音楽シーンにおいて特異点という意味で重要なアルバムの一つだと考えている。

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奇妙なサイケデリックな空の下に一面の花畑
フラワームーブメントを思わせる

ある時代以降「日本社会を歌う」、「ミュージシャンが社会批判にコミットする」というのは困難となっていった。「政治を音楽に持ち込むな」、「音楽を政治利用するな」等々。忌野清志郎の死というのは生物的な死以上の意味を持つ。カウンターカルチャーとしてのフォークロック、サイケデリックロックなどはその本領を失って久しい。この日本において、左翼運動への大衆による無関心(時には敵意さえ)もよく論じられる。だが3.11の震災後、視線を逸らしていた人々の前にも政治性が氾濫した。被災者でなくとも被災地の惨状、原発事故、政府の混乱を目撃した。その後の自民党の政権奪還と震災後のナショナリズムの風。当然ながらミュージシャンはこうした劇的な状況に直面し、自らのスタンスを表明せざるを得なくなった。

ここで震災以後のミュージシャンのスタンスをかなり大雑把に3つに分けてみる。

①非難を恐れずにある程度の歴史的文脈を持った政治性を引き受けるというスタンス。具体的にはデモに参加したり、政治問題を掲げた音楽フェスを開催した。市民運動の系譜にあることがほとんど。ヒップホップではECD、ロックでは斉藤和義、犬式の三宅洋平やコーネリアスの小山田圭吾などかなりの数挙げられる。ここでは震災以前から何らかの形で政治にコミットしていた者と震災以後にコミットするようになった左派もここでは一括りにしてしまっていることをご了承いただきたい。

②非難を恐れているのか、それとも単に世情に無知なのか分からないが去勢された"社会”批判によってそれっぽく振る舞うというスタンス(?)。もはやスタンスと言えるかすら怪しい。なんとなく共有されてきた中古の風刺が目立つ。マスコミ批判、ぼんやりとしたまたは短絡的な権力者批判、世代格差批判など。

もう沢山、誰でも思い付く社会批判
だって毎回決まった言葉を「修飾して名詞・名詞・名詞」(「就職して名刺・名刺・名刺」)って結局サラリーマンと一緒
真吾補完計画/Shing02[1999]

③いかなる時も政治性には左右されないまたは政治と音楽を完全に切り離すという立場。国民的とされるアーティストによくみられる。星野源や宇多田ヒカルなんかがこれに当たるであろう。②よりは筋が通っている。当然日和見的と言えばそうなのだが。アイドルもどちらかというとここに入るが彼らまたは彼女らはそもそも自らの意思を表現に介在させることができないので問題外。きゃりーぱみゅぱみゅとか小泉今日子なんかは別だが。

踊ってばかりの国のスタンスを表すためにこうした簡易な模式を用意した。しかしながら彼らはいずれかに属しているというわけではない。前回のアルバムを鑑みると”カウンターカルチャー”を標榜してるのだから①に属するのでは?と思われる。①に近いのは確かだが明らかな断絶がある。それは一言で言えば“反良識派”というスタンスにある。悪く言えば下津(踊ってばかりの国)には良識が欠けている。国会前デモには参加しないし、あからさまな政治問題への言及は敬遠する(次作収録の「踊ってばかりの国」くらいであろう)。それどころかコンプライアンス、ポリティカルコレクト、協調性(または同調性)がすっぽり抜けている。ここで彼を批判したいのでは無く寧ろこの反良識派のスタンスに希少性という点で価値を見出したい。

カウンターカルチャー・反体制を自認し、良識を踏み潰してロックを貫く。忌野清志郎はそんなスタンスだった。つまるところ私は下津光史は忌野清志郎の系譜に近かったと言いたい。反良識的で左派のスタンスを取る数少ない後継者。フジロックという仲間内のフェスでタイマーズのコスプレをするだけでは到底、忌野清志郎の後継者にはなれない。呼ばれてないライブに乗り込み、テレビ中継で猥語を連呼して企業批判をしたことは有名だ。曲一つ一つをみても露骨な表現ばかりだ。コンプラ遵守の大人にとって”迷惑”そのもの。下津光史のこの時のスタンスは若気の至りに過ぎなかったにせよ、忌野清志郎に見た影が多かれ少なかれ宿っていた数少ないロックンローラーだったのだ。

いささか前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。

出鼻を挫くようではあるがこのアルバムは忌野清志郎のあらゆるの作品より聴きにくいであろうように思う。第一に怖い。「生理的に無理!」な方も大勢いるであろう。どのように聴きにくいのか。怪しいサイケ感のせいだろうか?コード進行のせいか?というよりは下津の声が刺々しく飲み込みにくいことにあると思う。前作よりも増して毒が強い。この声には怒り、憎しみ、苛立ち、そしていくらかの嘲笑そして狂気が混ざっている。初めて聴くと恐怖や酔いで拒否感を覚えてもおかしくない。サウンドもガレージロックに接近した前作とは打って変わって、これまでとは異なるタイプの怪しいサイケの煙を充満させている。そこにジャズやアシッドフォークなどの要素が加わっているというのもこのアルバムの特徴だ。とにかく揺らぎ、めまいを起こしかねない。まさしく悪夢。歌詞については各々の触れるが、歌声同様の怒りや苛立ち、嘲笑、狂気を感じさせる。それは社会や政治のみならず私たち愚かな大衆の一人一人へと向けられている。アイロニカルな表現が何より巧い。最も注目すべき点の一つだ。そうした歌詞は彼の見たそのまま、彼の生きているグロテスクともいえる世界(というより日本社会)の繋がったところにある。決して俯瞰していない。まさしく土を強く踏み込み、中指を立てると言うような感じだ(Mantra song[2021])。

1.話はない

イントロから前作とは質的に異なる危険な香りがしてくる。林のギターの怪しく頭にこびりつき、残響する音。ここから悪夢=現実へ迷い込むような感じ。
「間違ってない? まつ毛の長さより 伝えることが他にあるでしょう」
ロマンス溢れる恋歌(先ほどの②または③)への揶揄だ。政治を誤魔化して恋のことばかり歌ってて良いのか?と。このフレーズを連想させる。時代がズレてるが。

今 隣の君の睫毛(まつげ)がおちるのを見逃さなかったよ
ごあいさつ/カネコアヤノ[2018]

「もういいんじゃない 腰振りカタツムリ 塩吹くのはもう終わりなの」
同様に政治から目を背けて性に溺れるものが標的となっている。それにしても珍妙な比喩を用いた表現だ。
「君のじゃない 今ついた嘘より そんなおとぎ話が大事なの?」「頭沸いてない? 弱りながらも風が止むのを待ってるんだろう」
辛く厳しい現実から目を背けてフィクションに逃げ込むこと、他者への共感なしに誤魔化すことへの批判。愛憎に近いものを感じる。
「別に話はないけど 戦争が終わったことを教えて欲しい ズックも高く鳴らし 君が終わることを知らせて欲しい」
まず”戦争”とはどれを指すのか。世界中には依然としていくつもの大小様々な戦争がある。中東戦争?アフリカ内戦?それとも日本でこれから起き得る戦争?ここでの答えはあらゆる戦争であるだろう。そして“君”は日本やアメリカなどのナショナリストであろう。一曲目からあからさまなカウンターカルチャーの牙を剥き出しにしている。以前の作品には見られなかった露骨さだ。

2.シャンソン歌手

踊ってばかりの国にはなかなか珍しいタイプの曲。シャンソンとはフランスの歌謡曲のことで、かなり幅の広いジャンルだ。

シャンソンでは、曲よりもむしろ歌詞が重要視され、物語風の内容をもつ歌が多い。歌詞は日常生活で使われるようなことばを用い、ときには隠語(アルゴ)を交えてつづられる。
日本大百科全書(ニッポニカ)
特徴としてはアダルトで妖艶な雰囲気で、どこかもの寂しげでもあり、内に秘めた強いパワーを込めて歌われるのが一般的…(略)
ATOボーカルスクール 「シャンソン歌手って?そもそもシャンソンって?」


この曲は幅広いシャンソンの中でもスウィング・ジャズに近い。また歌い方やメロディーに上記のような特徴が見られる。また歌詞にも短いストーリー的なものがあり、隠語を含むという点でもシャンソンらしさが見られる。

戦後日本において1950-1960年頃にシャンソンは(1920年の頃のものと合わせて2回目のこととされる)流行が生じて華麗を極めた。シャンソン喫茶なるものも多くあった。シャンソン歌手とはいわば今でいうアイドルに近い。

踊ってばかりの国のメンバーにトランペット、サックス、トロンボーンを加えた5人の編成で演奏されている。またエレクトリックベースではなくウッドベースを用いている。アップテンポな4ビートで重層間があり、クラシカルなエモーショナルさを持つイントロ。そこから”妖艶”で少し冷めたような声によってシャンソン歌手を夢見た少女の悲哀なる人生が端的に綴られる。
「シャンソン歌手夢見て 飛び出した19の娘 夢、恋に溺れてしまうわ」
極めて明快で簡潔なストーリーだ。にも関わらずそこには侮れないが表現の豊かさ、普遍性あるように思われる。
「穴が開いたことや 名前を無くしたら 笑われてしまうわ」
ここは先ほど述べたように隠語になっている。野暮なのであまり解説しない。
「嘘つくことを知って 騙すことだけになって 夢、恋 売り物に化ける」
「ため息で笑うことも シーツを握る君も 金、欲に溺れてしまうわ 騙されてしまうわ 終わってしまうわ」
ここでのシャンソン歌手をアイドルに変えてみると何十年もの前の寓話から現在のゴシップに様変わりする。資本主義の夢という虚飾の前にして消費される一人の少女。底なし沼に溺れて消えてゆく。

3.tonight~intro~

ギター林による作曲。テンポが ゆったりと眠りに落ちそうな揺らめきだ。怪しい子守唄。文字通りイントロを一つの曲として分けている。これは後のアルバム『私は月には行かないだろう』収録の「タイムワープ」〜「クロール」にも同様の手法が見られる。別に分けなくても…と思う人もいるかもしれないが、なんか面白いので良いと思う。

4.tonight

この曲は歌い出しが妙に明るくて不安になる。狂気的で悪意に満ちた笑いが近づいてくる。
「夢が終わる時、いずれ君にもおとずれる
僕は死なないなんて言える、平和ボケ、ラスタマン」
夢が終わるというテーマが「シャンソン歌手」から引き継がれているようだが、これはこの時代に生きた人間への下津による悪意の現れに近い。
「話が違う人や物に振り回されて疲れてる こんな景色の中、光が曇ってる」
下津がレーベルやその他社会関係に疲労していたことを想起させる。
「お庭に埋めて隠してね 見つからないように 
言葉を添えて別れるね 思い出せるように」
庭に埋めるのは“緑の箱”であろうか。何か本質的なモノ…。
「POPの山、人のゴミ 無感情でのタメ口 あなたの罪はあなたのせい、tonight」
あくまで個人的解釈だが、J-POPへの辛辣で率直な嘆きに思える。人のゴミのようにどれも似通っていて使いまわされたメロディとフレーズで埋め尽くされた曲たち。熱を感じない無感情な歌い方。ただ流行曲のみならずもう少し普遍性を持つ歌詞だ。“あなたの罪はあなたのせい”も批評性がある。受動的で無責任な時代を撃つようでもあり、私的な嘆きのようでもある。
「音の中の嘆きのクズ 愛情の裏返し あなたの中はあなたのモノよ、tonight」
“あなたの中のモノ”は庭の中に見つからないように埋める“モノ”だろう。これ以上推測(というか憶測)で立ち入ることはやめておく。

5.coke

白々しくも笑ったりして 言葉を使わない会話
ニーチェ/踊ってばかりの国[2022]

下津は「言葉」それほど大切にしていない。これでは誤解がある。「言葉」を使わなくて良い会話、関係を大切にしている。より原始的な会話。幼き頃の夢中で心を通わせあったような会話。
「言葉を捨てて〜でもね大人になってしまったのさ」
子どものやりとりは必ずしも言葉のやり取りではない。でもそこにはやりとりが存在し、遊びが成立している。この曲は「言葉を捨てて」遊ぶ無垢さを愛して、「ねじ曲がるビルの群れ」の社会を嫌悪し、その社会に(良識のなさ諸々により)嫌悪された下津の吐露である。下津はこの現実の社会という悪夢で「大人」になることを拒み、「黒か白かも分からない」まま「ガソリンを飲んで」“別の”夢を描き、「Cokeを飲んで」虹を描こうとしたのだ。「ガソリン」と「Coke」はアメリカ的物質/資本主義を思わせるが、意図的だとすれば巧妙な仕掛けである。ヒッピーは確かにアメリカ産業資本主義という土壌の上に芽吹いたムーヴメントであった。

6.Hey-Yeah

一転して明るいメロディ。しかしバックではサイケデリックなギターが依然とグネグネと鳴り響いてる。かなり泣いているようだ。このコントラストが妙な面白みを生んでいる。
「変なベベ着せられて 声抱えて泣き叫ぶ」
「赤いベベに変えられて 声抱えて泣き叫ぶ」
関西ではベベというのは服のことを指す。それくらいしか注釈を設けられない。「自分」が泣きまくっているのだとしか。後半ではリズム隊のグルーヴ感の高揚と共にタカが外れていく。声は裏返り、狂気じみている。なんだか笑っているような。次の曲との接続が狂い具合からしてかなり自然な形だ。

7.切りがない

牛の鳴き声と共にアイリッシュパンクのようなメロディ、そして狂い、上擦った歌声。
「お前にルールがあったこと あんたに決まりがあったこと 時々忘れちゃう 時々気にしない」
この為政者への皮肉めいた叫びを言葉遊びのように流し込む。トリップしている。

8.セシウム

曲名が露骨。多くの人が思うことだ。だが下津には良識がないので平然とこういうことをする。この曲を聴けばもっとそのことがよく分かる。曲自体はアシッドフォーク的であり、テーマはこれまでの作品にもよく見られた“生と死”。だがこれまでとは大きく異なるのはその生と死が現在性の下で語られる。
「犬が死んだその日から彼女の腹に命宿った」
輪廻転生的。どこまで意図的かは不明だが仏教とりわけ東洋思想はヒッピーとも親和性が高い。
「神様なんかいないんだから 祈ることほど無駄なことはない もしもいたら 人はチェスの駒で 争わせて笑う 最低なクズさ」
「神様なんていない」までは通俗的だが、それに続く部分は説得力のあるパンチラインだ。震災後、ひたすらに無事を、復興を「祈ること」が常態化していた。そんな何もせずに付け焼き刃の神をつくり、ひたすら祈るという受動的態度へのの皮肉。
「缶ビールは美味い アシッドは凄い 息一つする度に セシウム溜めて生きるだけさ」
なんとも酷いことを言うものだと感心する。仕事終わりに…、トランス音楽を聴きながら…、小さな世界の小さな幸せに生きがいを感じて満足し、震災で又はそれ以外で苦しむ人々、そのための政治を見ないふりしてる“お前ら”も、逃げることはできない。みんな同じように「セシウム溜めて生きるだけさ」と怒りを込めて嘲笑う。
「この島が踊った日から〜飲み込んで踊った」
この部分は一見するとかなり残酷で他人事のようである。しかしそうではない。無理して冷徹にずっしりとした現実に接するのである。下津は尼崎出身であり、阪神淡路大震災を経験している。ただ他人事であるのに必要以上に騒ぎ立て、「がんばろう東北!」「がんばろう日本!」とインコのように連呼した時代への(当時の彼は否定するだろうが)アンチテーゼの態度と言える。
「ロックバンドは古い クラブシーンが熱い」
怒りがひしひしと伝わってくる。反抗も快楽も商売さえももはや不可能とされるロックを生きながらえさせることこそ踊ってばかりの国を貫くテーマだろう。同じインディーズでもぬかぬかと学校の軽音部ノリでやってるのとは違う。
「おっと話は逸れたが〜ただの駒さ」
ここでは娘への素朴な愛とその命が神の掌の上にあることに怒りを抱くという。救いをもたらす神ではなく、冷徹な神を持ち出すことで震災で顕になった不条理を分かりやすく描く。
「俺の我が子を傷つけるやつは 神様、右翼、ヤクザ、ジャンキーだろうが 俺はそいつを余裕綽々で殺すよ」
幼い娘への愛を歌うときにここまでナイフが似合うのは下津くらいだ。全く隠すことはない。
「あの女はエロい この町は臭い 息一つする度にセシウム溜めて生きるだけさ」
この町は臭い。その“臭い”は目には見えない。あくまで数字として見えるのだ。みんな至る所に臭いを嗅ぎつけていた。
「あのバンドはダサい このブランドは渋い 息一つする度にセシウム溜めて生きるだけさ」
この最後の部分は踊ってばかりの国のオーディエンス、そして踊ってばかりの国自らにも向けられているだろう。下津はあくまで見えている世界そのままを露骨に描こうとするゆえにその世界にある自らもその対象となる。そして最後はやはり狂った笑い声の断片が残響する。

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「話はない」のMVより

ここまで一曲ずつ見てきた。特に最初と最後の曲で反良識派という点には納得いただけたと思う。当時の下津は社会性をろくに持つことができなかったし、持とうともしなかった。しかし混沌とした世相に鋭い批評性を持って対峙した。この点は反良識に加えて忌野清志郎と類似する点であろう。忌野清志郎の数少ない後継者であったのと同時にちんけで救われない“現実”をサイケデリクスで超克しようとしたヒッピーの批判的継承者であったかもしれない。 

踊ってばかりの国はこのアルバムのリリース後、ベースの柴田の脱退によって休止となる。
そして踊ってばかりの国の中心的存在(だと勝手に思っている)3rd full『踊ってばかりの国』リリースと共に活動再開するのはそれから約2年後のことだ。この間下津はThe Acid House.というバンドで活動し、よりサイケな音楽をより閉じたアングラの世界で演っていた。


コンパクト感があるが、テーマとして一貫性があり、音としても聞き応えがある。個人的に踊ってばかりの国で一番好きなアルバムだ。次作は『踊ってばかりの国』である。こちらはコアなファンから特に人気のあるアルバムだ。ただサブスクにはない(iTunesなどで買える)。

参考: •https://ototoy.jp/feature/20121022
        •https://belongmedia.net/20130325
        •http://cookiescene.jp/2012/10/.        flowermini-muff.php(個人的に読んだ中では一番良いレビューだった。)
        •https://youtu.be/wiQsVxbuaC8

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