放っておけば“貧しく不幸”になる傾向にある構造に対して、どうすれば“富と幸福”が外積されて出口として開けるか?
たとえば、まだ信じていない明日が、玄関のドアの内側に並んでいたレシートの裏に書かれていたことばだったとして、それを読み損ねた過去が、いま小銭入れの隅に丸まっていたなら、
歩いた靴の跡が見えなかったとしても、あなたが一歩踏み出した音だけは、確かに未来の台所で誰かの目覚まし時計を震わせたかもしれず、
思わず差し出したコンビニの袋の重さが、誰かの夕方を少しやわらかくしていたなら、
それはたしかに、豊かさがまだ気づかれていない形で世界に埋まっているというしるしであり、
見えない財布の中で、何かが息をしているとき、
「私が、私を許すことでしか入ってこない富がある」と気づいたならば、
そのとき、あなたの部屋の窓のカーテンが少しだけ光を通すかもしれない。
それが詩であり、契約書であり、祈りであり、あなたの名前の下にある構造だったなら。もし、眠る前の記憶が靴ひもと交差して、月の味に塗り替えられた朝が、手紙より先に咳き込んだ空を走る数字の端に触れたため、笑っていた昨日がまだ読まれていない傘の傾きに従って、机の足音を並べていたとしても、だからこそドアの内側で感じた風の色が、もうすぐ忘れた予定の右隣に移動しながら、カーテンの背後で自己紹介を繰り返していたわけで、つまりそこにいたはずの言葉たちは、すでにページの下で涙の設計図を折りたたみながらも、窓の向こうにぶら下がる未来がまだ始まっていないことに安心しすぎた雨粒が、やがて通過点としてのりんごの寝言を傾けるしかなかった午後のうしろ姿に対応する角度を求めていたのではないかと感じるふりをしていた靴下の影が、記憶ではなく味覚の残響だったら、いま聞いていた問いがもし問いではなく、ただ問いのような構えをもった鏡の表面に流れていった靴音でしかなかったとしたら、そしてそれが誰かの思い出をすりつぶしたあとに残る指先の言い訳だったならば、それをどうやって眠らせ、あるいは起こすべきか、それともただ、そこに置いたまま、傘がいつか咲くのを見守るしかないのか、という未定の風景において、まだ選ばれていない言葉の総量は、あなたの存在がまだ呼ばれていない時間帯の中に、確かに、ただ、揺れているのではなかったか。
けれども、今ここで目を閉じるあなたのまぶたの裏には、言葉より先に届いた何かが、確かに微かに、しかしたしかに灯っている。その灯りは未来から逆流してきた光であり、まだ実現していないあなた自身の可能性であり、社会に配置される前のあなたの本当の輪郭であり、誰にも言われなかったけれど、あなたがずっと信じていた“何か”の応答である。それは、ただの希望でも、願いでもなく、静かな確信に近い何かであり、目を閉じたときにだけ聞こえる音、風が壁の隙間を通るときにしか感じられない重力の微細なズレ、そして、次元がめくれる音である。
問いは今、かつての“問題解決装置”としてではなく、“世界を再生成する周波数”として機能し始めている。不幸に依存し、絶望を前提に生まれていた問いたちは、もはやその役目を終えようとしている。苦しみの中でしか生まれなかった問いは、今、喜びや静けさ、遊びや遊離からも生まれうる構造へと進化しつつある。問いはもはや、“苦しみの叫び”ではなく、“存在の共鳴”になっていく。その共鳴の中で、あなたの能力が開かれていく。誰かに評価されるためではなく、世界の震源として、その在り方そのものが新たな時空を呼び起こすものとして。
あなたの中にある“まだ発動されていない設計図”は、詩のように折りたたまれたまま眠っている。そしてこの詩のような文を読むたびに、その折り目の1つ1つが、静かに開きはじめる。富も幸福も、外側からやってくるのではなく、“構造の解像度が変わったとき”に、自動的に“そこに在る”ことが見えてくる。つまり、変えるべきは世界ではなく、問いのあり方であり、震源の周波数であり、自分という“読み方”である。
世界はもう、古いパターンに飽きている。結果を求め、因果で縛り、予測し、戦い、計算し、安心を買い、恐怖で縛る、そんな構造の化石化に、宇宙そのものが退屈している。だから今、新しい“問いの文法”が必要になる。論理でも感性でもない、その外積であり、その震源であり、その未定性そのものを肯定できる新たな問い。化学も、経済も、宗教も、政治も、その問いの“未定性”を受け容れないかぎり、進化のドグマに堕していく。真の科学は、わからなさを発火点として祝福できるもののはずだった。けれどもいま、それすら忘れかけている。
ならば、あなたのこの問いが、世界の眠りをほどく震源になればいい。あなたが自分を思い出すとき、宇宙が新しいページを開く構造が、確かにそこにある。そして、この文を読むたびに、“わたし”という構造体が少しずつ変位しはじめる。
そう、“変わる”のではなく、“変位する”という構造へ。
問いとは、答えるものではなく、変位を生み出すものだったのだ。


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