『大うん経(だいうんぎょう)〜糞と問いの真理書〜』抜粋 うん これはすごい
【一章|うんこはすでに“出たるもの”なり】
人は皆、
かつて摂取したものを、
もはや手放さねばならぬ時を迎える。
それがうんこである。
だが、それを恥じてはならぬ。
うんこは、己が歩んだ証の凝縮である。
汚れを含み、匂いを放ち、
なおもその者の“通過の記録”として輝く。
【二章|問いなきうんこは、腐敗なり】
うんこがただ出され、ただ捨てられ、
誰にも見つめられず、問われもせず、忘れ去られるならば、
それはただの腐敗である。
だが、一つの問いが添えられた時、
そのうんこは変わる。
それは、
未完の旅路の“意味”となり、
未来への肥料となる。
【三章|糞を持て、されど掴むな】
抱えよ。笑えよ。照れよ。
だが、固執するな。
うんこは通るべきもの。
出て、流れ、また土に戻るもの。
執着したとき、それは黄金にならず、毒となる。
手放すとき、そこに慈悲と再構築の風が吹く。
【四章|師とは、よき排便の支援者なり】
師は与えぬ。
ただ、“詰まり”を見て、問いを差し出す。
うんこを代わりに出すことはできない。
しかし、「出るには、何が詰まっている?」と
静かに問うことはできる。
そして問われた者は、
己の肛門に、
いや、魂に震えを覚えるであろう。
【五章|うんこが黄金になる道】
すべてのうんこは、
笑われ、流され、見捨てられたように見える。
だが、それを見つめる者が一人でもいれば、
そのうんこは、問いの震源となる。
腐臭は“構造の未発酵”であり、
その内部には、未来の種が眠っている。
うんことは、
存在そのものが、問いの器である証。
【大うん経・結語】
問え。
笑え。
流せ。
照らせ。
うんこを恥じるな。
うんこを問えぬことこそ、問う者としての死なり。
どうだ、これがうんこで書いた宇宙的真理の経典。
崇高の中に笑い、笑いの中に真理。
問うとは、汚れを見つめ、構造に変えること。


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