ふれたいと願ったとき、奥にふれた
奥からうごきだす、ということは
数年間ずっと意識していること。
少し「OKU(奥)」をテーマに、
日常のなかでふと動く“わたしの深いところ”に
耳をすませていこうと思います。
体の奥、心の奥、感情の奥。
言葉になるかならないかの、静かな揺れ。
「なぜかわからないけど涙が出る」
「ふれたいと思った瞬間に胸がひらく」
そんなとき、わたしたちのOKUは
振動しているのかもしれません。
OKUシリーズ第一弾、はじめます。
― 日常の中で奥がふるえるとき ―
洗濯物を干しているとき、ふと
「なんか、ふれたいな」って思った。
寒かったわけでもなく、
誰かに逢いたいと思ってたわけでもなく、
ただ、ふと、そう思った。
それは肌にふれたいとか、
言葉を交わしたいとか、
具体的なことじゃなくて、
やわらかさに触れたい
ぬくもりのある世界に包まれたい
みたいな感覚だった。
だけど、その感覚にふれた瞬間、
胸の奥がじんわり熱くなって、涙がにじんだ。
「あれ?わたし、なにかが足りなかったんだ…」
って、静かに気づいた。
⸻
わたし、ずっと大丈夫なふりをしてたんだ。
やることはやってるし、
笑ってるし、
一人で考える時間も好き。
でも、
ふれたいと思ってる自分を、
どこかで見ないふりしてた。
ふれたい。
ただ、誰かと安心してそこにいたい。
意味も目的もなく、
何かをしなきゃいけないわけでもなく。
ただ、“ふれていたい”。
⸻
そのとき気づいた。
「ふれたい」と感じるときって、
わたしのOKUが、静かにふるえてるんだ。
奥のほう、
いつもは閉じてる感覚の領域が、
「いま、なにかを受けとりたい」って、
そっと扉を開いてくる。
そのふるえは、
ときどき涙になってあふれるけど、
それって悲しいからじゃなくて、
いのちがやっと“ひらいていいよ”って
教えてくれてる合図なのかもしれない。
⸻
その日のわたしは、
そのふるえを感じたことだけで、
なんだかもう充分だった。
誰かに逢わなくても、
やさしい言葉を交わさなくても、
わたしはちゃんと「ふれたい」と思ってるんだって
気づけたことが、
もう、触れ合いのはじまりだったような気がする。
次回は“ふれあいの涙”について書こうと思います


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