諫早湾干拓事業では、地域住民・長崎県議会と自然保護団体・漁業協同組合の争いが起こっていて、メディアにおいては度々、諫早湾干拓事業が非難されています。
1989年から工事が始まり、2007年に完工式を行った諫早湾干拓事業の目的のひとつとして諫早豪雨のような大雨による洪水被害からの防災があげられているが、干拓事業による防災効果については賛否があったが、数年に一度氾濫していた本明川の氾濫も減り、高潮被害も無くなり、諫早市民は干拓事業による水面調節効果と水害防止効果を高く評価している
諫早豪雨
死者 586人
行方不明者 136人
負傷者 3,860人
全壊 1,564棟
半壊 2,802棟
床上浸水 24,046棟
床下浸水 48,519棟
メディア
https://www.tbs.co.jp/tv/20240616_46B0.html悪名高い「ギロチン」が諫早湾奥部を閉め切った国営諫早湾干拓事業、通称「諫干(いさかん)」。
かつて「宝の海」と呼ばれた有明海は、赤潮、貧酸素水塊が頻発し、漁船漁業、採貝漁業が深刻な打撃を受け、名物のノリ養殖も不安定な漁を強いられている。漁業者たちは「諫干」こそが原因であると、潮受け堤防排水門の「開門」を求め続けている。これらの有明海の異変は「諫干」が原因であることが明らかになっている。
しかし国はその因果関係を否定し続け、「開門」調査を強固に拒む。そして「開門」判決を出した司法も、「非開門」の姿勢に転じた。巨大公共事業「諫干」は誰を幸せにしたのか。その是非を問う。
漁獲高の推移
環境省での調査や、NPO法人有明海再生機構、西海区水産研究所、農水省統計などによる有明海の環境調査では、「有明海のうち、諫早湾及びその近傍部を除く海域については、本事業と環境変化の関係を認めることができない」という調査結果が出された
魚
環境モニタリングでは、潮受け堤防の締め切り後に、諫早湾内の魚卵や仔稚魚の出現数が減少した結果は見られなかった[9]。また、10種類の魚類について生態・生息分布・漁獲量の推移等を個別に調査・検討されたが、潮受け堤防の締め切り後に漁獲資源量が減少した事実もなかった[9]。もともと有明海では、1987年頃より漁獲高は減少傾向にあったが、干拓事業の開始された時期に漁獲高がさらに急激に減少した事実は調査の結果確認されなかった
海苔
1989年から2007年まで、有明海の海苔の生産高は上昇基調である[40][55]。特に有明海の佐賀県沿岸での海苔の生産は、18年間で倍増している
海苔の色落ちや不作の主な原因となっているのは赤潮による栄養塩濃度の急激な低下や秋の水温上昇であり[55]、それらは諫早湾干拓事業との関連性は指摘できなかった
タイラギ
タイラギについては工事開始時期に諫早湾周辺で漁獲高が激減した[9]。ただし諫早湾周辺で減少が始まったのは、工事に着手する以前の1970年代後半からであった
アサリ
諫早湾近傍で漁獲高が減少している。長崎県や国は、アサリの「へい死」の原因を赤潮と貧酸素水塊であるとしているが[56]、堤防に近いほど漁獲量が減少していることから、漁業関係者の中には水門から排出される調整池の水が原因ではないかと疑う声もある
水門から調節池の水が排出される以前よりアサリのへい死が認められていることを指摘した[56]。有明海全体のアサリの生産量は、1989年から2007年までの期間で変化は認められなかった
開門調査
これらの反対運動を受けて、2001年に武部勤農林水産大臣(当時)は干拓事業の抜本的な見直しを表明し、2002年4月から28日間の短期間に堤防を開門し[14]、その前後の合計8か月間にわたって環境調査が行われた
開門によって調整池の淡水魚が死滅しただけで、有明海の環境の改善は認められなかった
これに対して、短期の開門調査では「有明海の海洋環境の影響は検証できない」という意見もあった[14]。2006年に農水省は「今後は開門調査は行わない」との方針を表明した[14][16]。当時の農林水産大臣は、中・長期の調査を行わない理由として、開門によって海底のヘドロによって漁業被害が発生することが懸念され、その対策に600億円以上の多額の費用が必要とされ、代替となる他の方法で開門の影響を検討することになったと説明している
2013年9月9日に国有地で農水省が開門調査のために工事を実施しようとしたところ、長崎県選出国会議員や県議、諫早市議らを含む住民ら約350人が集結してこれを阻止した[9]。9月27日、10月28日にも開門に反対する地区住民のべ1700人に阻止され[37]、工事ができない事態となった
諫早湾干拓事業
諫早湾はガタ土が次々と堆積する湾で、集中豪雨や台風が来る地域であり排水不良や諫早大水害など高潮・洪水が起きやすかったため、600年以上前から対策として干拓が繰り返されてきた
農林水産省による国営干拓事業
諫早を流れる本明川は数年に1度の頻度で氾濫し、住民は水害に悩まされてきた[4]。1957年には500人以上が犠牲になる諫早大水害が起こっている。
以前は大雨のたびに水田は水没し家屋は床下浸水していたが、平成30年7月豪雨では1日に250ミリの降雨があったものの大きな被害はなかった
福岡高裁の判決を受けて、国は開門に向けての準備を始める。2011年(平成23年)1月23日、当時の農林水産大臣と農林水産副大臣が長崎県を訪問して地元関係者と意見交換を行った
堤防の治水機能の重要性を指摘する地元住民や営農者は開門に反対であった。
対策工事の予定地は、開門反対派である民有地や県有地(長崎県と諫早市も開門に反対)が多く、それらの場所については着工する目処が立たず、開門に向けた対策工事は実施不可能となった
開門判決から5年経過した2015年9月の段階でも、開門に必要な工事は地元住民の反対運動に阻まれて全く着手できなかった
諫早市長の宮本明雄は「開門調査は百害あって一利なし」と述べ、開門に向けての調査は工事は一切認めない考えを示した[16]。また農水省が開門を求める裁判にも地元住民の証言を認めないなど、干拓に対する政府の態度に変化が生じている点を指摘し、「民主党政権になってから諫早湾干拓事業は地元の意見を置き去りにして「無駄な公共事業」の象徴にされてしまった」と述べた
いったんは「水門を開けろ」と判決を下した福岡高裁は逆に、2015年9月の長崎地裁の上告審判決では「漁業被害と、開門しないこととの間に因果関係は認められない」として開門を求める漁業関係者の請求を退けた