千葉の高千穂神社は住宅街にある
千葉の高千穂神社は佐倉市にあり、ユーカリが丘駅の近くの住宅街に鎮座している。ユーカリが丘、わくわくする響きの町だ。しかし千葉の知人に聞いてみると何もないところだという。
食い下がって聞いてみると、駅前にワーナーの映画館があって、そこのポップコーンはビッグサイズだったそうだ。いいエピソード。汝、ユーカリが丘と名乗ることを認めよう。


千葉の高千穂神社は宗教法人名簿を確認すると正式には「東京高千穂神社」というそうだ。某テーマパークのシステムである。ちなみにGoogleマップでは中志津高千穂神社と登録されている。
ユーカリが丘は明日からでも住みたい町
ちょうど上京する用事があったので、成田から都心に出るついでに高千穂神社に寄ることにした。マイブームの断捨離がいきすぎて興味・関心・意思まで捨て去ったわたしには、他に行くべきところがない。
……ああ、神様!


高千穂神社はユーカリが丘駅から数十分歩いた先にあるらしい。ちょうど台風が発生している頃で雨が降っていたが構わず歩くことにした。

ユーカリが丘は普通の住宅街で、明日からでも違和感なく住み始められるなと思った。極端な性分なので町というものを永住するか二度と来ないかの2択でしか評価できない。
あまりの普通さに故郷である京都の住宅街を思い出しながら歩いた。都市の発展度とか人口とか立ち位置とか、千葉にはなんとなく親近感を感じる。



平日の昼過ぎという時間もあいまって人が全然いない。人の少なさが栄養源の生き物なので嬉しい。
そうこうしているうちに神社についた。神社のそばには高千穂神社というバス停もあった。


千葉の高千穂神社は素朴
東京高千穂神社というくらいだから派手で都会的なお宮を想像していたが、境内は素朴で落ち着いていた。木々は丁寧に管理をされているのか勢いよく伸びている。


東京高千穂神社は初代宮司が修行の果てに神のお告げを聞き、宮崎の高千穂神社から御霊分けを受けて創建したという由緒を持っている。
御霊分けとは本社の神様の魂を分けたという文字通りの意味で、簡単に言えば千葉にいながら宮崎の高千穂神社の神様を拝むことができるということだ。現在でも宮崎・千葉の両社には関わりがある。

碑文には初代宮司が生神と崇められたとあり、神職は神の仲介役であり神社界の一般的な解釈とは異なる。東京高千穂神社は神社本庁に属さない単立の宗教法人であるし、教祖を置く教派神道的な流れのなかにあるのだろう。


信仰一本勝負の神社だった
驚きだったのは御守などを授与する札所がないことだ。御朱印ブームのいま多くの神社が工夫を凝らしているがそれも置いていない。
意識的なものかどうかわからないが、観光的に楽しめる要素が廃されていて信仰一本で成り立っているのだ。純粋な祈りの場として考えたときにこんなに素晴らしい環境はない。

拝殿にはアメノウズメとサルタヒコと思しき神面が飾られていて、これは高千穂の夜神楽で用いられるものとほぼ同一である。そのものだったかもしれない。二柱とも天孫降臨の神話に関わる神様なので高千穂を想起させる。

札所も受付も見当たらず神職の方が見えるところにいらっしゃらなくて、お賽銭とは別に用意してきた初穂料(5千円)をどうするか悩みに悩んだ。
いや、賽銭箱に入れたらそれでいいんです。それだけの話です。でも手渡ししたいじゃないですか。極貧生活を送るわたしにとって5千円は2週間ぶんの食費なんです。

ちょうど日が避けられるベンチがあり、待っていたら職員さんが来るかもと粘りに粘った。その間、幾人かが参拝に訪れた。どうかなと思ったが挨拶をしてみるとちゃんと返してくれて嬉しかった。心と心を通わせる挨拶は信仰の土台ですよ。

結局、勇気が持てずに初穂料は持って帰ることにした。次はちゃんとアポを取って神職の方に手渡しをしよう。情けないですが、自分の情けなさを見つめるところから精神修行ははじまるのです。
許しは請いません。
