成功からわずか6年で自己破産…全世界2000万枚超の大ヒットを記録した歌手を破滅に追い込んだもの
■棚ぼた収入が失敗の種 ハマーの賞賛すべきまちがいは利潤追求活動を実質的な慈善活動にしてしまい、自分にはすべてを維持するだけの稼ぎがあり、それが続くと想定したことだった。ハマーの数字に基づくと、年3万ドルの給料を200人以上に支払うというのは、月額50万ドル以上の給料を払っていたということだ。この水準の支出を、自分が利潤を出したり大観衆を集めたりするのにまったく貢献しない人々に主に向けていたんだから、その終わりは予想通りの悲しいものとなった。 ハマーのビジネスマネジメントは、実は結構うまかった――資産を作った。彼がヘマをしたのは個人の金銭管理の部分で、それが不可能なほど多くの人々を助けたいという願望と組み合わさってしまった。 MCハマーは急速に豊かになった。売り上げは人生の3年間に集中していた。ジェイ・Zの売り上げはハマーよりも低かったが、過去20年でもっと安定していた。ハマーの稼ぎの形と速度は、宝くじに当たったようなものだった。 元々金持ちではなく、強力な財務顧問にアクセスできない人が巨額の棚ぼた収入に出会うと、そうした棚ぼたがすぐに手元を離れる可能性がきわめて高い。これには後先考えずに支出をする、衝動を抑えられない、気前がよすぎる、といった原因がある。これはスポーツ選手やミュージシャンによくあることだが、一部の国の政府も、特に天然資源に基づく経済では見られる。 意図は立派で尊敬すべきものながら、MCハマーもおそらくそうだったんだろう。ジェイ・Zの場合はストリートの薬剤師の出身だったことが、財務計画や予算設定、利潤の再投資について学ぶのに役立ったのかもしれない。 ハマー、ジェイ・Zをはじめ裕福な人々はみな、ビジネスを管理して的確な財務アドバイスを提供してくれる信頼できる人が必要だ。これは一見したほど簡単なことじゃない。
■アメリカで成功者を待ち受ける罠 ドクター・ドレー(※)はかつてMTVのインタビューで、法務と金銭管理についてこう警告した。「稼ごうといくら頑張っても、それをむしり取ろうとする連中が2、3人はいるんだ」 ※アメリカ合衆国のラッパー、音楽プロデューサー。ヒップホップの分野で最も影響力がある人物の一人とされる。ヘッドホンブランドBeats by Dr. Dreの設立者の一人。 結果として、資産を守り、貯え、さらに増やすための人が必要となる。そしてそれでもなお痛い目にあうことがある。リアーナはこれを身をもって学びそうになった。 ロビン“リアーナ”フェンティは、今日では世界的な美と歌のアイコンであり、10億ドル以上の価値があると推計されている。だが2009年頃の彼女は破産寸前だった。 2003年当時のリアーナはバルバドス出身の15歳で、野心的な三人組ガールズグループの一人だったが、ある日カール・スターケンとともにニューヨークで作詞デュオとして成功していたエヴァン・ロジャースと会って腕前を披露した。 ロジャースは即座にリアーナのカリスマに衝撃を受けたが、歌えないのではないかと疑った。だがデスティニーズ・チャイルド「Emotion」とマライア・キャリー「Hero」を自分のアレンジで歌ってみせたことで、それがまちがいであることが文句なしに示された。 アンドリュー・ロイド・ウェバー卿はミュージカルの文句なしの王者だが、彼も同時期に彼女がバルバドスのリゾートでカラオケを歌っているのを見た。ウェバーは直観に従わずリアーナをイギリスに連れて帰らなかったが、ロジャースはまったく迷わなかった――リアーナを自社シンジケーテッド・リズム・プロダクションズとプロダクション契約させた。 ■デビューからわずか5カ月で世界的な成功を果たすも その後一年かけて、リアーナのデモテープをレコーディングしたが、そこには彼女の人気に火をつけた「Pon De Replay」も含まれていた。そしてそれを、新生デフ・ジャムの社長ジェイ・Zに送った。 2005年初頭、リアーナはニューヨークに飛行機で運ばれてジェイ・Zの前で歌った。彼はその場で確信したので、契約するまで彼女を建物から出さなかった。その契約はやがてジェイ・Zのオフィスで朝3時に署名され、リアーナはまた財務管理のため、バードンLLPの会計士ピーター・グーニスとも契約した。 こうして事務が片付き、2005年8月のリアーナのデビューアルバム『Music of the Sun』がリリースされた。5カ月後、彼女は17歳のプラチナアーティストで世界的なサクセスストーリーとなった。この最初の成功が四年も続いた後、彼女が破産寸前になったとは説明がつかないように思える。