職を捨て家を捨てひとりになろう

 家を探している。職は探していない。食えるところまで食ってそのあとは知らない。人権国家日本では、俺はどこででも生きていけると知ったのだ。


 職場と家族にこれ以上迷惑はかけられないから、サヨナラということになる。幸い妻は普通のサラリーマンより収入があり、子どもたちは別に金に困りはしないだろう。職場…いや職場の人々はこんな無能奇天烈な基地外に17年間、本当に良くしてくれた。赤ん坊以下の人間にひとつひとつ仕事を教えてくれ、辛抱強く使ってくれたことを俺は死ぬまで忘れない。恩義がある。


もともと、誰かと暮らすつもりなどなかったし、働くつもりもなかった。妻の力でこの20年、自分の本来のコースとは異なる道を生きてきたのだ。そしてそれはかけがえのない日々でもあった。妻には親よりも多くの教えを受け、その恩は返すことができない。ありがとう。


とりあえず死ぬまでに、文章を書いて生きてみようと思っている。司馬遷もドフトエフスキーも罪人である。文章やるなら却って箔がつくというものだろう。そして李陵を弁護した司馬遷が恥ずべきことをしていないと考えたのと同じように、俺もまた恥ずべきことはしていないし、法を犯してもいない。俺は無実だ。必ずそれは明らかになる。


ゆっくりと人生が進む。紙と筆があればどこででも文は書ける。檻の中でだって書けた。他人と自分を刺さないように先端を丸くされたボールペンを使い、自弁で入手した便箋に俺は文を書いた。


とはいえいきなり檻に入ることもできないから、少し現状が片付いたら卑近な話ではあるがまずは住むところを確保したい。シェアハウスとかルームシェアとか安いアパートとか、いろいろ探さなくてはいけない。


金はない。財産分与するから。未来もない。働かないし。でもまあこれが俺の人生なんだろう。好きにやって死んで浄土に生まれ変わるのだ。


浄土でまた会おう。

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働かないえりぞ えりぞ @erizomu

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