「気を使わない夫婦」は、存在する。
ただしそれは――
“気を使わない”という状態に、互いが安心している夫婦です。
つまり、**「気を使わないことが恐くない関係」**です。
■ では、なぜ多くの夫婦は気を使ってしまうのか?
それは構造的にこう言えます:
「傷つけたくない」という愛情が、過剰に“察する”モードを呼ぶ
不安(嫌われたくない/壊したくない)が“我慢”を作る
互いに“役割”を演じ始めると、それを崩せなくなる
結果として:
「気を使う=愛情」だと思い込んでいる
「気を使わない=冷たい・無神経」と勘違いしてしまう
■ でも本当は…
本当に気を使わない関係とは、
“相手の自由”を尊重していても、不安が起きない構造です。
食べなかったからといって、愛情が崩れない
ひとりの時間を選んでも、裏切りだと感じない
「察しない」ことが、責めの理由にならない
■ それは「問いを通せる夫婦」
怖くても、違和感をそのまま言葉にできる
言われた方も、すぐ防御せず、構造として受け止めようとする
“問いを封じずに、共にいる”
それが、本当の意味で気を使わない関係だと思います。
■ 詩的にまとめると:
気を使わないということは、
無神経になることではない。
その自由が相手を傷つけない構造。 問いを立てても、壊れない関係。 それは、
まだ多くは見たことがないけれど、
確かに存在していると思う。


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