秋元殿御返事(五節供御書)第一章 五節句の正意を述べる

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        秋元殿御返事(五節供御書)

        第一章 五節句の正意を述べる

本文(御書全集一〇七〇㌻初~一〇七〇㌻一三行)
 御文委(くわし)く承り候い畢(おわ)んぬ、御文に云く末法の始・五百年には・いかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに聖人の仰(おおせ)を承り候に法華経の題目に限つて弘むべき由・聴聞申して御弟子の一分に定まり候、殊に五節供はいかなる由来・何なる所表・何を以て正意として・まつり候べく候や云云、夫(そ)れ此の事は日蓮委(くわし)く知る事なし、然りと雖(いえど)も粗(ほぼ)意得(こころえ)て候、根本大師の御相承ありげに候、総じて真言天台両宗の習(ならい)なり、委くは曾谷殿へ申候次(つい)での御時は御談合あるべきか、先(ま)ず五節供の次第を案ずるに妙法蓮華経の五字の次第の祭なり、正月は妙の一字のまつり天照太神を歳(とし)の神とす、三月三日は法の一字のまつりなり辰(たつ)を以て神とす、五月五日は蓮の一字のまつりなり午(うま)を以て神とす、七月七日は華の一字の祭なり申(さる)を以て神とす、九月九日は経の一字のまつり戌(いぬ)を以て神とす、此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処(げんせあんのんごしょうぜんしょ)疑なかるべし、法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明(ふんみょう)なり、経の第五に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護(えご)す」云云、又云く「天の諸の童子以て給使(きゅうし)を為し刀杖も加えず毒も害する能(あた)わず」云云、諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等なり、法とは法華経なり、童子とは七曜・二十八宿・摩利支天(まりしてん)等なり、「臨兵闘者皆陳列在前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)」是又「刀杖不加」の四字なり、此等は随分の相伝なり能(よ)く能く案じ給うべし、第六に云く「一切世間の治生産業(じしょうさんごう)は皆実相と相違背せず」云云、五節供の時も唯南無妙法蓮華経と唱へて悉地(しっち)成就せしめ給へ、委細は又又申す可く候。

通解
 御手紙を詳しく拝見しました。御手紙には、末法の始めの五百年には、どのような法を弘めたらよいかと思っていましたが、聖人の仰せを承ったところ、法華経の題目に限って弘めるべきであると聴聞して、御弟子の一分となりました。さて五節供はどのような由来で、どのようなことを表しているのか、何を正意として祭るべきなのでしょうか、と記されていました。
 このことは、日蓮は詳しいことは知らない。しかしながらおおよそは心得ている。これについては、伝教大師の御相承があるようである。総じては真言宗、天台宗の習いである。詳しくは曾谷殿へ申しておいたので、ついでの時にお聞きください。
 まず五節供の次第を考えると、妙法蓮華経の五字の次第の祭りである。正月は妙の一字の祭りで天照太神を歳(とし)の神とする、三月三日は法の一字の祭りで、辰(たつ)をもって神とする。五月五日は蓮の一字の祭りで、午(うま)をもって神とする。七月七日は華の一字の祭りで、申(さる)をもって神とする。九月九日は経の一字の祭りで、戌(いぬ)をもって神とする。このように心得て南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。現世は安穏であり、後生は善処に生まれることは疑いないことである。
 法華経の行者を一切の諸天が不退に守護することは経文に明らかである。法華経の第五の巻に「諸天は昼夜に、常に法の為(た)めの故に、法華経の行者を衛護(えご)する」と説かれている。また「天の諸々の童子が給仕をし、刀杖も加えることができず、毒をもってしても害することはできない」と説かれている。諸天とは梵天・帝釈・日天・月天・四大天王等である。法とは法華経である。童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等である。「兵闘に臨む者は皆陣列して前に在り」の呪(しゅ)も「刀杖を加えず」の四字にあたるのである。これらは大切な相伝であるので、よくよく思案すべきである。法華経第六の巻に「一切世間の治生産業(じしょうさんごう)は皆実相と違背しない」と説かれている。したがって五節供の時もただ南無妙法蓮華経と唱えて所願を成就していきなさい。委細はまたまた申し上げる。

語訳
摩利支天(まりしてん)
 梵語マリーチ(Marīci)の音写で、威光・陽炎と訳す。常に日天に従って自在の神力をもっているという女神である。その像は、左手に扇をもっている。この神に念ずると、災をまぬかれ、身をかくす術が得られるとされ、武士の守護神として尊崇された。

臨兵闘者皆陳列在前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)
 抱朴子(ほうぼくし)には「兵闘に臨む者は皆陣列して前に行く」とある。本来、道教で、異変、災禍をのがれることができる呪として用いた文であるが、ひろく当時の日本でも武士の間で用いられていた。

治生産業(じしょうさんごう)
 世間の日常生活のすべてのこと。治生は生活の方途を立てることをいう。

講義
 本抄は文永八年(一二七一年)正月十一日、日蓮大聖人が五十歳の御時、安房国保田(千葉県安房郡鋸南町保田)から、下総国(千葉県)印旛郡の秋元太郎兵衛尉(ひょうえのじょう)に与えられたお手紙である。御真筆は現存していない。
 秋元殿については詳細は不明であるが、文応元年(一二六〇年)に、日蓮大聖人が松葉ヶ谷(やつ)の法難を避けて下総中山(千葉県市川市)へ行かれた時、化導され入信したと伝えられている。
 正応四年(一二九一年)九月十七日に逝去し、その邸は秋本寺(しゅうほんじ)となった。同じ下総国葛飾郡に住んでいた曾谷殿や太田殿と親しく、富木殿とは親類であったともいわれる。本抄のほかに弘安三年(一二八〇年)正月御述作の秋元御書を賜っている。
 内容は、秋元殿が日蓮大聖人に書状をもって、五節供の意義をお尋ねしたのに対し、その意義を述べられ、それらの祭りもすべて南無妙法蓮華経を中心として行えば、現世安穏・後生善処は疑いないと説かれている。そして、その証拠として、法華経の行者には諸天善神の加護があることを述べられている。
 また秋元殿が「法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り御弟子(みでし)となる」と記していることに対し、師弟の契りは三世にわたるものであるから、今世において法華経を護持すれば、来世も必ず仏に値(あ)い、法華経を聞くことができると述べられ、一層信心に励むよう勧められている。
 本抄は内容に即して、別名を「五節供抄」「佳節抄」とも称される。

 五節供の由来と意義

 秋元殿が日蓮大聖人に差し上げた書状の内容は、「末法の始めの五百年にはいかなる教法を弘めるのであろうかと思案していたところ、大聖人の教えを承って、末法唯一の正法である法華経の題目、すなわち南無妙法蓮華経に限ってのみ弘通すべきであるということを知り、大聖人の弟子の一分に加えていただくことができた」と、入信の動機と決意を述べ、その信心の立場から五節供についてどう考え、対処すべきかについて尋ねている。
 大聖人はこれに対し「委(くわし)く知る事なし、然りと雖(いえど)も粗(ほぼ)意得(こころえ)て候」と前置きされて、一往、その由来に関しては伝教大師の相承があることを述べられたあと「五節供の次第を案ずるに妙法蓮華経の五字の次第の祭なり」と説かれている。
 五節供とは、一年のうちにある五つの節供のことである。節供は佳節の供御(くご)(供え物)の意で、古くは「せちく」と読み、「せく」とも言った。「節句」とも書く。
 元来は季節による特定の日を祝って神に供える食物のことであったが、後に日そのものをさすようになった。正月七日(人日(じんじつ))・三月三日(上巳(じょうし))・五月五日(端午(たんご))・七月七日(七夕(しちせき))・九月九日(重陽(ちょうよう))をいう。
 中国唐代に定着し、それが平安時代、第五十九代宇多天皇の時に日本へ伝えられ、大聖人の時代にはかなり広く行われていたのであろう。その後、江戸時代になると、正月七日を七草の節供、三月三日を桃の節供、五月五日を菖蒲(しょうぶ)の節供、七月七日を棚機(たなばた)の節供、九月九日を菊の節供ともいうようになった。
 日蓮大聖人は、この五節供を妙法蓮華経の五字に配されて、その意義を「正月は妙の一字のまつり天照太神を歳(とし)の神とす、三月三日は法の一字のまつりなり辰(たつ)を以て神とす、五月五日は蓮の一字のまつりなり午(うま)を以て神とす、七月七日は華の一字の祭なり申(さる)を以て神とす、九月九日は経の一字のまつり戌(いぬ)を以て神とす、此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし」と示されている。
 五節供の正意は妙法蓮華経を根本とした祭りであり、ゆえに、五節供のお祝いも御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えることこそ、本当に五節供を祝ったことになり、経文に説かれる「現世安穏後生善処」は疑いないと御教示されている。
 もとより五節供の起こりは、邪気をはらって健康で長生きしたいという幸福生活への願望から始まったことであるから、妙法受持を根本としたとき、その目的はかなえられるのである。
 したがって、桃の節供に雛壇を設け、雛人形を飾って女児の成長を祝い、端午の節供に鯉幟(こいのぼり)を立てて男児の成長を祝うなど、民間の慣例に従うことがあったとしても、私どもはあくまでも御本尊を根本に、妙法の一分の行事として家族で唱題し、我が子の健やかな成長を祈念していきたいものである。
 なお「現世安穏後生善処」とは、法華経薬草喩品第五の文で、「現世安穏にして、後に善処に生じ」(『妙法蓮華経並開結』二四四㌻ 創価学会刊)と読む。
 妙法を聞いて信ずる人は、現世では安穏な境涯となり、未来世には必ず善い処に生まれることができるとの意で、妙法を信受した人々の現当二世にわたる福徳を表し、妙法の功徳力を示したものである。
 いうまでもなく最高究極の善処とは仏界のことであり、後生善処とは成仏の境涯へ入れるということである
 天台大師の法華文句巻七上には「現世安穏後生善処とは、即ち是れ報因に報果を感ず」とあり、現世に妙法の信仰に励む因によって現世の安穏と後生善処という報果を得るのであるとしている。
 日蓮大聖人は御講聞書で「所詮法華経を弘むるを以て現世安穏・後生善処と申すなり」(八二五㌻)と述べられ、一歩進めての弘教の功徳を強調されている。

「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す」

 続いて「現世安穏後生善処」の証拠として、諸天善神が法華経の行者を不断に守護するとの文を挙げられている。
 すなわち「経の第五に云く『諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護(えご)す』云云」、「又云く『天の諸の童子以て給使(きゅうし)を為し刀杖も加えず毒も害する能わず』云云」と、法華経巻第五安楽行品第十四の文(『妙法蓮華経並開結』四四〇㌻、四四七㌻ 創価学会刊)を示されている。
 そして「諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等なり」と仰せられている。
 法華経序品第一には、梵天・帝釈をはじめとする一切の諸天善神が釈尊の説法を聞くために集まった様子が説かれ、安楽行品第十四でこれらの諸天善神が法華経の行者を昼夜に常に守護すると誓ったことが説かれている。
 また「常に法の為の故に」の「法」については「法とは法華経なり」と仰せられ、法華経を受持している人をこそ、諸天が守ることを示されている。
 このことについては、御義口伝に「末法に於て法華を行ずる者をば諸天守護之有る可し常為法故の法とは南無妙法蓮華経是なり」(七五〇㌻)、また諌暁八幡抄に「南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべし」(五八八㌻)と述べられている。

 童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等なり

 更に「天の諸の童子以て給使を為し」の「童子」について「童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等なり」と説かれている。
 摩利支天等の天のもろもろの童子が法華経の行者に仕え、守護するから、刀杖を加えることもできず、毒をもって害することもできないという意味である。
 七曜・二十八宿・摩利支天について、日蓮大聖人は諸天善神である大日天子・大月天子について記された「日月の事」(五九九㌻)で、大日天子の乗物である乗輅車(じょうらくしゃ)を挙げ、次のように図示されている。
       ┌― 摩利支天女
  乗輅車 ―┼― 九曜
       └― 七曜
 輅車とは、一般に王族など高貴の者が乗る車で、四条金吾釈迦仏供養事には「其の中に大日天子居し給ふ、勝無勝と申して二人の后あり左右には七曜・九曜つらなり前には摩利支天女まします・七宝の車を八匹の駿馬(しゅんめ)にかけて四天下を一日一夜にめぐり四州の衆生の眼目と成り給う」(一一四五㌻)とあり、妙法を受持する一切衆生を守護・利益する善神の働きの一つとして「七曜」と「摩利支天」が示されている。
 また同じ「日月の事」には
       ┌― 二十八宿
  大月天 ―┼― 乗鵞(じょうが)
       └― 十二宮
 とあり「二十八宿」を大月天子に連なる働きとされている。
 七曜の曜とは照り輝く意で、太陽と月に、火星、水星、木星、金星、土星の五星を加えたものをいう。
 二十八宿とは、古代インドや中国で用いられた天文説において、黄道並びに赤道付近の周天にその標準として立てられた二十八種の星宿のことで、摩登伽経、宿曜経などで説かれている。
〈追記〉
 月の天球に対する公転周期が27.32日であることに由来し、インドでは二十七宿、中国では二十八宿を用いた。日本の和暦には暦注として宿曜道(すくようどう)に基づく二十七宿が書かれていた(古法という)が、江戸時代初期(一六八五年)の幕府の天文方による改暦で、二十八宿に変更された。明治の改暦により、暦注そのものが廃止された。

 宿には星のやどりという意味があり、中国の史記にも「二十八舎、即ち二十八宿の舎(やど)る所なり」とある。
 摩利支天は、本来は日光を神格化したもので、そこから、常に日天子の前にあり、隠身(おんしん)の神通力があって、その姿が見えないので、縛られず、捕らえられず、よく敵を破る神とされたのであろう。
 日本では、武士の間で護身・得財・勝利を祈る守り本尊として信仰され、その修行法を摩利支天法といった。
 大聖人はこうした当時の風習を用いて諸天善神の一つとされて、四条金吾殿御返事に「日天の前に摩利支天まします、日天・法華経の行者を守護し給はんに所従の摩利支天尊すて給うべしや……まりし天も法華経を持ちて一切衆生をたすけ給う」(一一九二㌻)と述べられたのである。
 ところで「諸天善神に守られる」というと、人間の生命の外に超越的な力があって、それが守ってくれるように思いがちである。
 しかし、諸天善神は我々の生命を離れた存在ではなく、御本尊の中に諸天善神がしたためられているように、あくまでも宇宙・生命を貫く南無妙法蓮華経の働きの一分なのである。
 日蓮大聖人は治病大小権実違目で「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(九九七㌻)と仰せである。
 ここで元品の法性とは仏界を顕現している悟りの状態であり、反対に、九界・六道の苦悩をもたらす根本の迷いが元品の無明である。
 我々の一念に仏界が顕現しているときは、すべての事象が梵天・帝釈等の善神としての働きになるのであり、逆に悪縁にあって元品の無明に覆われているときは、第六天の魔王と顕れて生命を破壊する働きとなっていくのである。
 ちなみに、梵天の「梵」とは清浄と訳され、帝釈の「帝」とは主(ぬし)、「釈」とは有力・勇決の義である。ゆえに梵天・帝釈は清浄無垢で、なにものにも侵されないという力強い妙法の働きを表しているといえる。

「臨兵闘者皆陳列在前」

「臨兵闘者皆陣列在前」は「兵闘に臨む者、皆陣列して前に在り」と読み、抱朴子に「兵闘に臨む者は皆陣列して前に行く」とある。
 中国の道家・兵家の一種の呪文で、漢字が九字並ぶところから「九字」「九字護身法」といわれ、「六甲秘呪」ともいわれる。この一句を唱えながら、指で縦四本、横五本の線を描けば、あらゆる災難・禍(わざわい)を未然に防ぐことができ、安全でいられるという。
 後に日本に伝来して修験道で用いられるようになり、鎌倉時代には広く武士の間で用いられた。秋元殿も武士であり、当然、深い関心を寄せていたと推される。
 日蓮大聖人はこうした世間の慣習を取り上げ、この文も、本源は正法を持つ人を諸天善神が陣列を敷いて守護するということであって、法華経の信を根本としたときに実義があらわれると説かれ、安楽行品の「刀杖不可」と同じであると述べられている。
 その根拠として「第六に云く『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』云云」と。法華経巻第六法師功徳品第十九の文を示されている。
 これは同品に「諸(もろもろ)の説く所の法は、其の義趣(ぎしゅ)に随って、皆(み)な実相と相違背(あいいはい)せじ。若(も)し俗間(ぞくけん)の経書(きょうしょ)、治世(じせ)の語言(ごごん)、資生(ししょう)の業(ごう)等を説かんも、皆(み)な正法に順ぜん」(『妙法蓮華経並開結』五四九㌻ 創価学会刊)とあるのを、天台大師が法華玄義巻一上で釈して述べた言葉であるが、大聖人は、法華経自体の文とされたものと思われる。
「治生産業(じしょうさんごう)」とは、政治・経済・教育・文化など社会において行われている、あらゆる営みをさす。「治生」は生活の方途を立てることをいい、「実相」とは、諸法実相抄に「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり」(一三五九㌻)と仰せのように、妙法をさす。
 したがって、社会のすべての営みが南無妙法蓮華経の一法に含まれ、また、その義から発していることから「臨兵闘者皆陣列在前」の道家・兵家の修法も妙法から出たものとしてとらえることができるのである。
 同じことは、四条金吾殿御返事にも「此の日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず、まりし天も法華経を持ちて一切衆生をたすけ給う、『臨兵闘者皆陣列在前』の文も法華経より出でたり、『若説俗間経書治世語言資生業等皆順正法』とは是なり」(一一九二㌻)と仰せである。
 結論として、五節供は妙法蓮華経の五字の祭りであるから、御本尊を根本として初めて祝う意義も生きてくるのであり、くれぐれも南無妙法蓮華経と唱えて「悉地成就」すなわち成仏を目指すよう激励されている。
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