開戦宣言(未遂)
(2025.9.8記)
以下は、開戦の日と設定していた9月12日の翌13日に公開する予定だった文書である。
〝学対〟こと浜村真也と〝775りす〟ことAを相手に戦争をおっ始める気でおり、すでに10日ほど前からツイッター上で対立を明らかにしてきた。が、作戦上というか何というか、そもそもなぜ対立しているのか、わざと情報を小出しにし、曖昧にしていたので、ほとんどの人にとっては一体何が起きてるのかさっぱり意味が分からなかったに違いない。何が起きてるのかは、開戦後に下記の文書で明らかにするつもりだったのである。
が、状況が変わった。
ほんの数時間前まで私は戦闘意欲満々で、私の側の理や戦闘能力や覚悟も何も分かってない外野がどう云おうが、この戦争は最終的には私の側の完全勝利に終わることを確信していた。しかし、その逆の展開を予想or期待するポンコツFランどもが考えてるだろうような意味とは全然違う意味で、私にはどうも勝ち目がないというか、勝ち負け以前にそもそも「戦争」自体が成立しえないことにハタと思い当たってしまったのである。
このかん幾人もの人々が、私に開戦を思いとどまらせようと、あるいはせめて不毛な抗争ではなく実りある抗争へ転化させようと、周囲で動いていたし、私にも直接働きかけてきたりした。だがそのうち誰一人として指摘しなかった重大な問題に私は気がついてしまった。誰の目にも見えなかった(というよりあまりにも自明にすぎて誰もわざわざ焦点化しなかった)問題に突如として気づいてしまった私は茫然とし、しばらく困惑し続けたのち、完全に戦意を喪失した。
ほんの数時間前まで、浜村真也とAに対する怒りで気が狂いそうなほどだったのだが、浜村に対しては引き続き殺意を抱きつつ、Aに対する怒りはもはや完全に消えてしまった。
もちろん理は一貫してAではなく私の側にあった。Aの昨日(9月7日)の一連の投稿を読んで、この女は相当ヤバい、絶対に近づいちゃいけないと脳内でピーピー警報が鳴り響かない奴がもしいるとすれば(たくさんいるから困るんだが)それこそ相当ヤバい。
つい反射的にやり合ってしまったが、これらAの一連の投稿について冷静に考え直してみて、私は「これは戦争になどなりようがない」との結論に到達した。
しかしすでに対立は表面化させて私の周囲に不穏な空気をまき散らしておいてしまったし、ゲスな興味でニヤニヤ眺めてるカスどもはどーでもいいが、私のことを真面目に心配してくれてた人も一定いようから、開戦は中止しつつ、そういう人たちには、要するに一体何が起きていたのかぐらい説明しておく義務があるだろう。
事態はややこしかったし、かなりの長文である。
これを読めば理は私の側にあったことは明白なはずである。これを読んでなお、中立を保つならまだしもAの肩を持つような者はもはや社会に必要ないゴミクズである。
(2025.9.9追記)
9月8日に公開したのはもともとの文書の大幅改稿バージョンである。第一稿では、そもそもの発端である恋愛問題について少し詳しめに記述していた。が、何度も強調してあるように重要なのは浜村とAによる、私が長年かけて築き上げたインフラとネットワークの乗っ取り問題であって、発端をなすにすぎない恋愛問題ではない。かといって、それにまったく触れないと、戦争が本格化してAの側からの反撃があった場合に、Aは必ずこの恋愛問題を(もちろん自分の側がまるで一方的被害者か何かであるように都合よく脚色して)〝暴露〟してくるに違いないから、その時になって〝隠していた!〟と思われてはマズいので、触れないわけにもいかない。そこで、経緯を説明するのに最低限必要なぶんだけ、ざっと触れるにとどめておいたのである。
しかし世間様の反応を見ていると、要するに性や恋愛にからむことにしか目がいかないエロエロのゲスゲスがそれだけ多いということなのだろう、そっちの話ばかりする奴が次々と湧いて出るので、私も〝無駄な抵抗〟は諦めて、第一稿バージョンを公開することにした。「私はまったく悪くない!」はずである。
それから私が突如として振り上げた拳をおろした事情についてだが、上記で、詳しくは書いてないにしてもちゃんと匂わせてあるだろう。
〝政治闘争〟であれば私が全面勝利する(99.9%の確率でAが運動シーンから完全に姿を消すか、0.1%の確率で心を入れ替えて私の忠実な奴隷になる)結末しかなかったのである。相手はしょせん泡沫のポンコツ集団、対してこっちは単独とはいえ一騎当千の歴戦の革命家だ。百回やったって私が毎回勝つ。
しかしどうも相手方は「政治」勢力ではない。そのことにハタと思い至ったきっかけも、「Aの一連の投稿」だと書いてあるだろう。なんでそれだけでピンとこないかね君たちは、まったく鈍いにもほどがある。
要するに私は、くだんの「Aの一連の投稿について冷静に考え直してみ」る以前は、Aのことを〝軽度の〟メンヘラだと認識していたのである。その認識の誤りに気づいたから、これは「政治」闘争なんかではなく、そもそも「戦争」になど最初からなり得ないとの結論に至ったのだ。
不毛な〝内ゲバ〟の開始を宣言する。まあ暴力行使は(たぶん)しないつもりなんで、正確には〝内ゲバ〟ではなく〝不毛な派閥抗争〟の開始である。政治的な運動を続けていれば、不毛なことを、不毛だと充分に自覚しながら、それでも回避しえない局面というものがある。
この不毛な抗争に呆れ、ウンザリして、私がこれまで10年、20年をかけて築き上げてきたネットワークから多くの人が離反していくだろう。それを分かった上で、そうせざるを得ないから、不毛なことに全力で取り組む。
抗争の相手は〝学対〟こと浜村真也と、〝775りす〟ことA(私はAを一人前の活動家とは認めていないという態度表明の一環として、以下Aを〝活動家名〟ではなく「A」の表記で通す)が主宰する小グループ〝陰核派〟である。陰核派を活動停止に追い込み、Aと共に浜村真也を「教養強化合宿」OB・OG界隈から完全に追放しきるまで、この不毛な派閥抗争に私は全力を傾ける。
Aはそもそもいわゆる〝外山合宿〟、私が2014年から続けている「教養強化合宿」のOGの1人で、昨年夏までほとんど私の〝信奉者〟だった。それがいろいろあって現在では完全なるアンチ外山派に転じている。SNSでも私への敵意をむき出しにしたことがあるが、そういう露骨なもの以外に、私にだけ分かるような書き方で何度も繰り返し私への罵倒ツイートを繰り返してきたし、ある時期までは続いていたメールでのやりとりでは、とにかく罵詈雑言のオンパレードで私に対してきた。
それ自体はまあ、いいのである。そういう〝忘恩の徒〟は、とくに当初は〝信奉者〟的に私の周囲に登場してくる者の中にはたくさんおり、アリガチな話ですらある(「あいつらみてえにすぐ人を尊敬したりくっついて来るような連中は必ず〝あんな人とは思わなかった〟とか〝裏切られた〟とか同じように素早く結論出すに決ってやがるんだ」/狩撫麻礼『迷走王ボーダー』)。問題は、Aがともかくも〝活動家〟志願者であり、しかし活動家に必要な資質や能力に致命的に欠けるため、自力で独自の運動を構築することができず、私と完全に決裂した現在もなお、私が「教養強化合宿」の開催を通じてコツコツ築き上げてきたインフラやネットワークにほぼ全面的に依存して〝活動〟とやらを続けてきた(いる)ことである。
私はAに対して、再三抗議をしてきた。以下のような分っかりやすい喩えを持ち出してみたこともある。文中にある「松本君を誹謗中傷する文書」は、Aが今年アタマに陰核派のサイトで公開した、私への誹謗中傷文書の喩えである。
「ある人(Aとします)が、もともと松本哉の運動の圏域にいたとします。やがてAと松本君との間に個人的いさかいが生じ、その過程でAは、松本君を誹謗中傷する文書を公開しました。それを契機にAと松本君とはますます対立が嵩じて、その関係はほとんど修復不可能なものとなりました。最終的に松本君は、Aを〝界隈出禁〟にしました。が、Aはその後も、他の用事なり地方出張などで松本君がいない時を見計らって、例えば何とかbarなど松本君の運動の圏域に出没し続け、A自身の運動なり団体なりの拡大に利用しており、そのことを松本君が知ったら、激怒するのは当たり前でしょう。/君がやっているのはそういうことです」
陰核派はたいした勢力ではなく、むしろはっきりと泡沫グループである。社会的には何の意味もない。そんなものを私ともあろう者が本気で潰しにかかるというのは、客観的にはいかにもオトナゲなく見えようことは充分自覚している。私が本気で相手にすることで、却って陰核派がそれなりに重要な存在であるかのように、対外的に錯覚させてしまうヤブヘビも織り込み済みである。しかし、世間的にはどーでもいい泡沫勢力であっても、狭い(といっても今や500人規模だが)「教養強化合宿」OB・OG界隈では、陰核派には存在感が(たぶん最も)ある。
とはいえ単にAのみの力量では、もっとショボい展開しかしえず、私としても〝不愉快ながら放置!〟という対応をした可能性が高い。陰核派の〝運動〟がそこそこ活性化しているのは、〝学対〟こと浜村真也が強力にバックアップしているからだ。
浜村真也は私の長い活動歴の最初期の同志である。つまり〝反管理教育〟運動に私が参入した当初からの主要な同志の1人で、知り合ったのは87年、私が17歳、浜村が16歳の時だ。以後90年代初頭まで、共に過激路線の〝反管理教育〟運動を担った。
浜村はネット上に実名が出ることをなぜか極端に恐れており、現在は〝学対〟なるニックネームで通しているが(なお〝学対〟とは左翼運動用語で、例えば民青の活動家たちの指導にあたる共産党幹部のような、〝学生運動対応係〟の意味である。浜村は〝外山合宿〟界隈の若者たちを対象とした〝学対〟たらんと志してるわけだ)、私のこれまでの著作の大半に実名で登場しており、『全共闘以後』では主役級の1人でさえあって、ここで実名表記しても法的には何ら問題はなかろう。〝775りす〟もそうだが、非合法闘争に踏み込むつもりとかであればともかく、そんな意志もないくせに、自らの〝正体〟さえ明かさず、コソコソ動き回るような〝活動家〟を私はそもそも軽蔑している。
浜村は〝運動の天才〟だった。たぶん何十年に1人レベルの天才だったと云ってよい。10代の私たちの、同世代の平均値からは突出しまくりの過激路線の〝反管理教育〟運動がそれなりの規模を獲得したのは、浜村が魔法のようにあちこちから同志候補を発掘してきたからだ。90年代初頭、要はポリコレの風潮に(私と違って〝反発〟したというよりも)疲弊して、つまりちょっとした言動への〝女性サベツだ!〟的な糾弾に耐えかねて、浜村は左翼運動の世界から離脱していった。90年代後半には突如として、サッカーのサポーターたちを日本サッカー界の〝圧力団体〟として組織することに情熱を燃やし始め、やはりほとんど何もないところから、まずはスタジアム前で単身で大量のビラを頻繁にまき始めて、わずか1、2年で浜村が主宰する〝サポティスタ〟は、スタジアムにちょくちょく足を運ぶ程度には熱心なサッカー・ファンなら誰でも知ってるような巨大な勢力に成長した。ところがど
うも人間関係で失敗したらしく、00年代に入ってほどなく、浜村は〝サポーター組織化運動〟からも身を引いた。
私は、浜村が左翼運動の世界から離脱して以降も、浜村との個人的な友人関係は保っていた。政治的な運動の世界に〝戻ってくる〟可能性はたぶんないとしても、とりあえずは話していて〝面白い〟奴ではあったからである。私は今、このことを激しく後悔している。浜村のような外道とは早々に縁を切っておくべきであった。
ポリコレの風潮によって精神をズタズタにされたのだと思うが、浜村は90年代に入って以降、精神を病んでいた。いわゆる鬱病である。たまに〝躁転〟するのだろう、今思えば、突如として〝サポーター組織化〟に異様な情熱を注ぎ始めたのも、あれは明らかに〝躁転〟という病の発症だった。
〝サポティスタ〟をやめて以降、浜村はまた長い〝鬱〟の状態に入っていたようである。さすがにこの10年ぐらいは、浜村が精神的に病んでいるということを私も把握していた。そして昨年秋、浜村はまた〝躁転〟して、しゃかりきに動き始めたのである。
しかしおそらく浜村はもう、かつてほどの〝運動の天才〟ではなくなっており、本当に何もないところから新たな運動を築き上げていく能力はすでに失っていると見える。だってそもそも浜村は〝反管理教育〟運動時代のような10代の少年ではなく、〝サポティスタ〟の時期のような20代の青年でもなく、50代半ばの単なる〝躁状態のオッサン〟でしかないのだから、通常の方法で若い衆を集めようにも、マトモな若者はまず近寄らないし、寄ってくるとしてもロクな者はいないだろう。
そこで浜村は、長らく友人関係を維持していた私が、「合宿」開始以前から含めてこの約20年をかけてコツコツと築き上げてきたインフラとネットワークに便乗する道を選んだ。格好のコマとして目をつけられたのが、やる気はあるんだが能力がなくて自身の〝運動〟がなかなか形を成さないことに思い悩んでいたA、ということになる。
Aは、私を誹謗中傷しながらも恥知らずに「教養強化合宿」OB・OG界隈に出没し続け、自身の〝運動〟への新規参入を勧誘し続けていた。しかしAの発想や力量でやれるのはせいぜいその程度のことである。すでに用意されている状況に便乗して、受動的にふるまうことしかAにはできない。
しかし浜村はもっと能動的・積極的なのである。〝運動の天才〟ではなくなっても引き続き〝ヒッチハイクの天才〟ではあり、したがって機動力も抜群だ。首都圏のみならず全国各地の合宿OB・OGたちと、実際に現地に足を運んで次々と接触し、その成果を陰核派の〝運動〟に接続する、ということを浜村はやり始めた。ツイッターでも合宿OB・OGたちにウザいぐらい熱心にリプライを飛ばしている。
あるいは2度ほど実現した、Aと千坂恭二氏との対談イベント、なんてものもあった。A単独の力量では、そんなもの実現するわけがないのである。そもそもAに、日本が世界に誇る(べき)革命的知識人たる千坂恭二と、まるで対等であるかのような顔をして〝対談〟しうるような、どんな思想的内実も運動実績もない。千坂氏は呼ばれればどこにでもホイホイ出ていっちゃうような人ではあるから、オファーすれば簡単に実現したとは思うが、少なくともそれらのイベントを敢行した時期、そのような〝オファー〟をやってみる程度の主体性すらAには欠けていた。〝千坂恭二と対談したい〟などと分不相応なことを云い出したのはA自身であるとも聞いているが、それを実現させたのは浜村である。内実のないものを〝大きく見せる〟手練手管ぐらいは、もはや〝運動の天才〟ではなくなった浜村にもある。
とはいえAと千坂恭二との〝対談〟は、実に愚かしかった。内実がないんだから当然の結果だろう。1回目の対談で、千坂氏は自身の〝神武革命論〟を引き合いに出しながら、マトモな運動には〝歴史的根拠〟が必要だ、とAを問い詰めたのだが、しばらく期間を置いての2回目の対談に際してAは、〝私は卑弥呼になります!〟などと得意げに宣言していた。まったくド素人の〝思いつき〟だ。すでにAと険悪な状態になり始めていた私は、Aのド素人しぐさを批判し、「そこはせめて〝神功皇后〟でも出しておくべきだった」と千坂氏を内心呆れさせない〝正解〟を親切にも教えてやったのだが、Aはこれを無視し、単に無視するだけならまだしも、何ヶ月か経つと、「ファシズムを主張する方法として、神功皇后卑弥呼説に立って皇后ボナパルティズムを遂行するという究極的な正解があるんだけど、さすがに躊躇するのでとりあえず卑弥呼を持ち出して伏線だけ張っている」などと、まるで自分で思いついたかのように、しかも〝卑弥呼〟なるド素人の思いつき失言を弥縫するエクスキュースまで付け加えて平然とツイートしてみたりする。その時点ではすでに私とは完全に決裂してる状態であり、ほんとに恥知らずと云う他ない。
まとめると、現状はこうなる。
私は今後も「教養強化合宿」の開催を続けたい。それはほとんど私のライフワークみたいなもので、とりあえずそれだけ続けられれば、他はもうどーでもいいかなあ、ぐらいの気持ちでさえある。
しかし、合宿を開催するそばから、その出身者たちに浜村がアプローチし、Aの〝運動〟に接続しようとする。これでは私は、私を敵視し誹謗中傷する者が主宰しているグループに、無償で、新たな人材を発掘してはせっせと提供させられているだけではないか。合宿をやればやるほど私は自分で自分の首を絞めることになる。こんなメカニズムが作られている状況では、合宿の開催は続けられない。
合宿の開催は、すでに終了した2025年8月の「第41回合宿」を最後に、今後しばらく見合わせる。浜村とAの〝運動〟をまず潰さないかぎり、合宿は再開できない。
これまで私は、合宿OB・OGたちに対して、基本的には〝放置〟の姿勢でいた。あれだけ〝黒歴史〟の数々を細かくレクチャーしているのに、合宿を経てなお、中核派だのPOSSEだのに参加して、〝教育の無力〟を痛感させてくれる〝不肖の弟子〟たちをも、私は温かい目で見てきたし、少なくとも内心では〝まあ自分の信じる方向をとことん追求してみなさい〟と声援さえ送っている。人格に問題ありと判断して〝出禁〟にしているOB・OGたちも多少いるが、それは単に私が主催するイベントなどへの告知メールを出さないというだけのことで、私のあずかり知らない場所で、OB・OGたちが〝出禁〟者たちと交遊することをどうこう云うことはなかったはずである。何某とは付き合うな、的なことを私はOB・OGたちにこれまで一切云ってこなかった。
その私が今回だけは云う。合宿OB・OG諸君には、〝学対〟こと浜村真也と、〝775りす〟ことAとの関係を完全に絶ってほしい。とくに、私が「教養強化合宿」を今後とも継続することに何らか意義がある、と考えてくれるのであれば、必ずそうしてほしい。
もともと私は、合宿OB・OGネットワークを敵対勢力に乗っ取られる可能性について危惧してもいた。ここで〝敵〟というのは中核派などの新左翼党派や、あるいは昨今ショーケツを極めている悪質なポリコレ左翼の手合いである。〝外山界隈〟には左派の若者もかなりいるし、人材枯渇の縮小再生産過程にある彼らにとって、〝外山界隈〟は絶好の草刈り場にも見えようからだ。しかしそこまで深刻に危惧していたわけでもない。新左翼党派や悪質なポリコレ左翼グループが〝外山界隈〟に触手を伸ばしてきたところで、そっちになびいてしまうポンコツな若者が、〝外山界隈〟にそれほどたくさんいるとは思えない。
しかしまさか、40年近く親しい友人であり続けた者と、歴代の合宿出身者たちの中でも最も私の〝信奉者〟然と振る舞ってきた者とが結託して、私に敵対し、OB・OGネットワークの乗っ取りを図ってくるとは想像もしえなかった。
合宿OB・OG諸君には、今回の〝抗争〟に関して、とりあえず傍観を決め込んでくれていてかまわない。ただし、私に今後とも合宿を継続させるために、この〝陰核派打倒〟の闘いに積極的に協力したいという者がもしあるなら、ぜひ助力を望むので、個別に私にその旨を伝えてきてほしい。
浜村とAには、合宿OB・OGネットワークの乗っ取りを〝図っている〟という自覚はなかろう。とくにAにはないと思う。Aは単に愚かで、自分が何をやっているか、客観的に見ることができないのだ。
いや、Aには意外と姑息で計算高いところがあるから、はっきりと〝乗っ取り〟の自覚もあるかもしれない。なにしろAは〝頂き女子ナントカ〟を称揚する言動を繰り返しているようなゴミカスだ。Aには病的な男性憎悪が確実にあり(過去のツイートをざっと見てみれば明らかだろう)、〝男ども〟をだまくらかして金銭を巻き上げてきた〝頂き女子〟を英雄視している。男が悪い、社会が悪い、私は一方的に傷つけられてきた被害者であり、私は〝男ども〟や社会に復讐する権利がある、したがって醜悪な〝男ども〟の1人である外山が築き上げてきたものを横取りする権利が私にはある、とAは考えているフシがある。
そして浜村は字義どおりの悪人である。自分のことしか考えていない。自分の利害のために他人をいいように利用することに浜村は何の躊躇もない。もう友人ではなく、完全なる敵対関係に入ったから云っているのではない。浜村はもともとそういう奴だったし、それを知ってて私は浜村との友人関係を維持してきた。そもそも私だってかなり悪質なエゴイストで、自分のことしか考えてないし、自分の利害のために他人をいいように利用しているという自覚があり、そのことを後ろめたく感じはしつつ、でも自覚はしていても自分のこのろくでもない体質はいかんともしがたいと悩んでいる。浜村は、悩んでさえいない。自身のエゴイストぶりに完全に開き直っているのが浜村という人間である。私は50年以上生きてきて、普通の人よりたくさんの人々と、しかもかなり奇人変人の部類と数多く知り合ってきてなお、相当なエゴイストである私よりもエゴイストである人間を浜村以外には知らない。そこが浜村の魅力であり、面白さだったので(浜村のかつての〝運動の天才〟性も、要はその完全に人格障害レベルのエゴイスト性と表裏一体のものだった)、しじゅう辟易させられながらも友人関係を持続させてきたのだ。
だから今回の浜村の〝裏切り〟も、それほど不思議ではなく、むしろ〝さもありなん〟という感じがする。〝躁転〟した浜村は、浜村自身が〝やりたいこと〟をとにかく実現したいようだが、その結果として私がどのような苦境に陥ろうとも、浜村はまったく顧慮しない。しかしこうして浜村が明確に私の敵に回った以上、私は浜村を叩き潰すしかない。
事情は後述するが、今の私の苦境は、はっきり云って〝自殺案件〟である。この状況に置かれたら、並の神経の持ち主なら自殺してる可能性はかなり高いと思う。私は決して絶望しない革命家であり、したがって常に希望を失わず、つまり現世に未練があるから絶対に自殺することはないので安心するなり落胆するなりしてよいが、その私が、実際この半年間ほどは何度も自殺の衝動には駆られているのである。このかん浜村には何度も、合宿OB・OGネットワークにはもう関わらないでくれと懇願してきたのだが、浜村はそれらを一切無視した。つまり浜村は、私が苦しみぬいていることを重々承知の上で、要するにたとえ私が自殺しようと浜村自身が〝やりたいこと〟をやるつもりなのだ。ならばこちらも、浜村を徹底的に追いつめ、また鬱がぶり返して、浜村が自殺してしまってもかまわないという覚悟でやる。というよりむしろ、積極的に自殺に追い込みたいぐらいの心境だし、浜村にはどうぞ死んでくれとさえ思っている。
Aに対しては、〝運動〟シーンからの全面的な退場を要求する。合宿OB・OG諸君はよく知っているとおり、私はOB・OGたちがどういう道に進もうが、たとえそれが間違っていようが私にとって不愉快きわまりなかろうが、放置・不干渉のスタンスでやってきた。しかしAは例外とする。もちろん、もしAが、私がコツコツと築いてきたインフラやネットワークに依拠せず、独自のそれを自力で築いていくのであれば、私にはAのやることにいちいち干渉する必要はないし、その権利も資格もなかろう。しかしAには何らかの独自の運動を自力で築いていけるような資質も能力も覚悟も気概もないことはすでに明白である。
私が、もし私への敵対的な姿勢を改めないなら〝界隈〟への出入りを禁じるしかなくなるとAに告げた時、Aは、「『外山界隈を出ていく』などということは困難極まりない」、「それは事実上、私に今後一才[切]の政治活動、思想的発言を禁じるようなことです」などと泣き言を云ってきた。せめてスミマセンの一言でもあればいいのだが、他の箇所では引き続き私を全面的に誹謗中傷しながらの泣き言である。しかも、こういう泣き言は私に対してだけは絶対に云ってはならない類のものだ。なぜなら私は、たかが私が個人で構築してきた程度のネットワークから切り離されるのとは比較にもならない、世界中に仲間や理解者などほとんど1人もおらず、逆に敵は大量にいるという絶望的な状況にまで追い込まれたところから、再出発してここまできた人間だからだ。
こういう情けない泣き言を、しかも他の誰に云うとしてもコイツにだけは絶対に云ってはならないという相手に対してさえ平然と云ってしまうようなAに、〝外山界隈〟への依存を断ち切っての独自の〝運動〟展開など、望むべくもない。〝運動〟を続ける以上、Aは絶対に〝外山界隈〟のインフラやネットワークに便乗し続けるに決まっているのだから、便乗させないためには、Aには〝運動〟を完全に辞めてもらうしかない。つまり〝出入り禁止〟ではなく〝運動禁止〟である。
そもそも浜村とAは、私が普段は〝東京にいない〟ことを利用し、そこにつけ込んで傍若無人に振る舞ってきた。私が彼らを最大に許せないのも、実はそこだったりする。
〝東京を拠点にしない〟ことは活動家としての私の重要なプライドの1つである。〝運動〟的なものに、とりあえず人を集めようと思うなら、東京か京都を拠点にするのが手っとり早いことは自明である。しかし私はあえてその方向を自らに禁じた。その決意は、実は浜村と共に展開した〝反管理教育〟運動が行き着いた結果にルーツがある。
私と浜村はタッグを組んで(といっても〝運動の天才〟浜村が主で私が従という関係だが)、全国各地の高校生活動家を発掘して回り、東京で一堂に会してそれぞれの問題意識をぶつけ合う、という試みをおこなった。この試みによって形成されたネットワークが、その後しばらく、我々の〝反管理教育〟運動の展開の基盤となった。私はむろん当時も福岡におり、浜村は広島にいた。我々は、全国各地でそれぞれがそれぞれの運動を展開し、それらが広域的にネットワークされているという状況に意義を見出し、そもそも意識的にそういう状況を創り出すことを目指していた。ところが、気がついてみると、全国各地それぞれの地元でそれぞれに運動を展開していたはずの同志たちの大半が、やはり地方での活動には限界があるし、次々と東京に出ていくようになっていた。〝全国的なネットワーク〟を築いたことで却って、地方で活動していた者にも東京の活動仲間とのツテを与えてしまい、また活発化した情報のやりとりは、地方と比べて賑やかであるように見える東京での活動への羨望の気分を醸成させ、つまり〝東京一極集中〟を加速させてしまう結果になった。私はこの展開にどうしても納得がいかず、もちろん私自身も東京に出たい気持ちはあったのだが(しかも私は当時すでに著作家デビューしていたのである。物書きとしても東京に出るほうが圧倒的に有利に決まっている)、意地でも福岡にとどまり続けることを決めた。
浜村は早々に〝地方での活動〟に見切りをつけ、東京に出ていったクチである。そのこと自体を責める気持ちはない。そりゃあ、何かやりたければ東京に出たほうがいいには違いない。しかし浜村は、早々に挫折して東京に出た自分と違って、私は以後も初志貫徹し、福岡でまさに〝苦闘〟を続けてきたことを他の誰よりもよく知っているはずなのだ。
私は絶対に東京を拠点にすることなく、福岡などという蛮地に〝いながらにして〟やれることをコツコツと模索し続けた。しかもリベラルなヌルいスタンスではなく、全国レベルで群を抜いて過激なスタンスを標榜しながらそれをやってきたのだ。くだんの〝合宿〟だって、今や北海道から沖縄まで500人もの出身者を擁し、うち3分の2ぐらいは引き続きOB・OGネットワークの少なくとも周辺には出入りしていて、それはもはやポリコレ派の人文系ポンコツFラン大学教授どもが危惧の念を表明し始めるほどの脅威となっている。それを私は、東京ではなく地方を拠点として築いてきたのである。
もし合宿が東京で開催されていれば、たぶんこうなってはいない。参加するにはわざわざ福岡まで行かなきゃならないという〝ちょっとしたハードル〟があるからこそ、モチベーションの低すぎる連中は最初からふるいにかけられ、合宿出身者たちの〝質〟を維持している側面もある。私が築き上げたインフラとネットワークは、福岡という辺境に〝いながらにして〟、むしろ東京を拠点としなかったからこそ、それなりの〝質〟を伴って形成されてきたのである。
それを、早々に東京に出ていった浜村が、しかもそうした脈絡をすべて分かった上で、いきなり横からかっさらうような振る舞いに及んでいる。やめてくれと何度も懇願されても浜村がそんなことを続けられるのは、私が〝東京にいない〟からでもある。浜村がAと組むことによって、私にはとうてい許容しがたい陣形が東京で形成されつつあるのを、私は遠く福岡で指をくわえて眺めているしかなかった。もし私が東京にいれば、どこかのタイミングで介入することもできたのだ。
すべてを分かった上でやっている浜村に比べれば罪は軽いか、あるいは無自覚なぶん罪が重いが、Aにとってもまた私が〝東京にはいない〟ことが、自身の〝運動〟展開にとって都合がいいことぐらいには思い当たっているに決まっており(じっさいAはくだんの私への誹謗中傷文書の中で、「私は××[福岡]には行かないことに決めました。私が派手にのたうち回りながらズッコケるところを、遠方から指を咥えて見ていて下さい」と書いている。ちなみにこの「派手にのたうち回りながらズッコケる」というのはA特有の見せかけのケンキョしぐさである。Aには本当は「ズッコケる」覚悟などなく、単に私の築いたインフラとネットワークに引き続きタダ乗りし、楽しくやっていく気でいる)、ただAは自分のその卑劣さを直視しないことで精神的な保身を図っているだけである。私はこれ以上、Aを甘やかすつもりはない。陰核派の活動を停止させ、Aを〝引退〟に追い込むまで、私は東京にとどまり続けるつもりである。
そもそも浜村の動機は個人的なものである。端的に云えば〝自己実現〟、自らの人生を充実させたいという、ただそれだけである。運動を離れて久しく、20余年をほぼ無為に過ごしてきた浜村は、しかも鬱病を患っていることもあって、このまま〝何者でもない人〟として人生を浪費していくことに危機感を持っていた。実際そういうことを浜村はこの数年、私に対してたびたび愚痴っていたのである。それが突然の〝躁転〟だ。何者かでありたい、昔とった杵柄で、運動をむやみに拡大させていく才能には自信があるが、とくに社会をこう変えたいといったビジョンなどはなく、ただただ不特定多数で何らか〝盛り上がってる〟渦中に身を投じ、かつその中でそれなりの重要な位置を占めていたい、というのが浜村の欲望であり動機である。ふと見ると、私がコツコツと築いてきた、それなりに問題意識の高い若者たちのネットワークがある、これに便乗するのが手っとり早い、というただそれだけの話なのである。
Aもまた似たようなものだ。もともとAは私の信奉者だったのであり、当然〝ファシズム運動〟を志向していた(今でも基本的にはそうであるはずだ)。つまり浜村と違って、Aは〝運動そのもの〟を自己目的化しているわけでは少なくとも当初はなかった。陰核派も〝ファシズム結社〟のつもりで始めたはずである。
しかし浜村のテコ入れによって、次々とイベントを敢行し、ただ興味本位でわらわらと人が集まっているにすぎないのに(ヒワイなグループ名もゲスいオッサンたちを集客することに貢献していよう)、その状況が楽しく、当初の目的はどーでもよくなってしまった様子である。ちょっと目立てばとりあえず人数は集まってきて勘違いしやすいから東京や京都を拠点とするべきではない、というまだ関係が破綻していなかった時期の私のありがたい〝教え〟を無視して、Aは調子に乗った。君が本来やりたかったのはそういうものではなかったはずだ、という私の苦言はただの〝オヤジの説教〟にしか聞こえなくなり、Aはますます浜村流の〝無目的な交流〟路線を突っ走る。
相変わらずの〝界隈便乗〟路線にアタマに来て、先日久々に、(文面は丁重ながら要は)〝いい加減にしろよ〟的なメールを書き送ったら、その返答が7月11日の「あたしの青春のやり直しをゴロツキ連中に邪魔されるわけにはいかない」なるツイートである。明確にファシズム運動を志向していたはずのAの志は、いつのまにか「青春のやり直し」などというショボいものにまで堕落している。私など、もはやそれを「邪魔」する「ゴロツキ」の類にすぎないらしい。
すでに〝運動〟でも何でもない「青春のやり直し」なるショボすぎる野望に取り憑かれたゴロツキ〝活動家〟に、「教養強化合宿」という私の崇高な革命事業の継続を邪魔されるわけにはいかない。
私も鬼ではない。
実は私は今年2月、Aを〝界隈出禁〟とした。しかしいろいろと思うところあり、また〝出禁〟にしたところでAは相変わらず〝界隈〟への便乗をコソコソと続けていたし、仮にAが自粛したとしても(まあ自粛なんかしない恥知らずではあるんだが)浜村がOB・OGネットワークに介入し続けているかぎり状況は好転しないんで、5月に〝出禁〟を解いたという経緯がある。時間はかかるとしても、例えば誰かに間に入ってもらってAとの関係を修復する、少なくとも私を敵視することはやめさせる以外に、問題を根本的に解決する方法はなさそうだった。そのためにはAを完全に〝界隈〟から排除して意思疎通の回路を切断するのではなく、むしろ〝界隈〟に出没させ続けておいたほうがよい、と判断しての〝出禁〟解除である。
〝出禁〟を解くにあたって、1つだけ条件をつけた。年頭以来、陰核派のサイトに掲載されていた、くだんの私への誹謗中傷文書の削除である。Aは「言論弾圧」だ何だと筋違いなことを云いながらも当該文書は削除したので、Aも強がっているだけで、さすがにああいう悪質な文章を公にしたことは内心どこか後ろめたく思ってもいたんじゃないか(それがどう私への悪質な誹謗中傷なのか、Aには繰り返しロジカルに指摘したが、反論すら一切なかった)と善意に解釈した。先日、合宿OB・OG界隈の別のグループが陰核派とどうやら揉めており、私はべつにそのグループの側に与しないが、彼らが陰核派を〝ゴメンナサイが云えない人たち〟と評していた点だけは、まったくそのとおりだと思って苦笑した。要するに私はAを、単に自己愛が強すぎて〝ゴメンナサイが云えない人〟なだけで、くだんの文書のことはさすがに少しは反省しているだろうと考えて甘やかしたのである。
さらには、その〝出禁〟に関する一連のやりとりの過程で、〝君は私のメールをもはや真剣に読む気はないだろう?〟的な私の苦言というか愚痴に対して、Aが「頂いたメールは全て真摯に拝読しております」と返してきたことに、私は一縷の望みを託してもいた。険悪な関係を今すぐどうこうはできないにしても、数ヶ月おきぐらいにAの〝運動〟展開への疑問をなるべく誠実な調子で書き送っていれば、たとえ返事は返ってこなくても、「真摯に拝読して」くれているのであれば、それなりに思考の糧ぐらいにはするだろうし、今は表層的に上り調子のようだから響かないにしても、やがて行き詰まれば私が指摘してたことにもフト思い当たってくれるかもしれないと考えて、私はAの〝出禁〟を解いた。
しかし、先日久々に書き送ったメールへの反応が、(むろん直接の返信はない)先述の「あたしの青春のやり直しをゴロツキ連中に邪魔されるわけにはいかない」なるツイートであり、その数日後の「自分の言葉が伝わらない、聞いてもらえない、分かってもらえないって喚き立てるやつら、うんざりする」というツイートである(私はそんなことを「喚き立て」てはいないが、Aはそのように見なしているということだろう)。そして私をついにキレさせた決定打が、7月23日の「内情公開不可のアンフェア・ゲームである以上、戦うことはできないですね ガン無視安定」なるツイートだ。Aがどうも「公開不可」だと思ってるらしい「内情」については後述するが、要するに私に対するAの姿勢は「安定」して「ガン無視」だったという自白であり、「頂いたメールは全て真摯に拝読しております」というのは単に面倒を避けるための、その場かぎりの方便だったわけだ。
それにAにはそもそも「戦う」気などないのである。「内情公開不可のアンフェア・ゲーム」というのはAの勝手な思い込み、というより戦わないことを正当化する云い訳にすぎないし(Aはその「内情」を暴露しないのは私への一種の温情であるかのように書いてきたことがある。私は、暴露したいんならどうぞ暴露してくれと返した。今回はもう自分で暴露する)、自分が戦わないのは「アンフェア・ゲーム」だからだなどと、つまり自分ではなく相手側=外山が悪いのだという、いかにもフェミニズム丸出しの弱者根性も見え透いている。Aがもし最初から私とちゃんと対決していれば、話はここまでこじれてはいない。私は今後、Aに戦いを強いることになるわけだが、戦うことをハナから放棄してきたAに戦闘能力などあるはずもなく、私をここまで本気で怒らせた以上、Aにはただ私に一方的なボコボコにされる悲惨な運命が待ち構えている。「青春のやり直し」とやらも、もう終了だ。
〝出禁〟を解除してもらえたがゆえにBAR人民の敵に出没しての、同じく7月23日の、店内での写真(私のポスターに対して中指を突き立て、「775りすより愛を込めて」などとキャプションをつけている)を付しての、「外山恒一とか外山合宿とか全面的にカスなのだが、外山合宿でメンヘラが治った、その一点に賭けたいと思っている」なるツイートは、Aの悪質さ、破廉恥ぶり、恩知らずぶりを(さらに「メンヘラ」はちっとも治ってるようではないことも)分っかりやすく露呈させてたんで私のタイムラインでも晒しておいたが(事情を知らないのだから仕方ないとはいえ、Aのツイートを〝いかにもパンク的な振る舞い〟と肯定的に見る向きもあった。たしかに、それが実際に「愛」なりリスペクトなりに裏打ちされた行為であればそう評価することもできよう。しかしAにはそんなものはないのである。くだんのツイートは私に対する単なる嘲笑であり、私を精神的にさらに追い詰めて楽しもうという、まさに〝いじめ〟的な享楽を表現したものであって、パンク的な精神とは正反対のものだ)、私を本当に怒らせ、Aの打倒を決意させたのは、「ガン無視安定」のツイートのほうである。
もはや、こっちの話にも耳を傾けてはいるかのような素振りを時々示すAの本性は明らかとなった。私はもう、私の仕掛ける派閥抗争にAが恐れをなして、口先だけで仮にAが謝罪めいたことを云ってきたとしても信用しない。Aがたまに殊勝なポーズを見せるのも、すべてその場かぎりで打ち捨てられる、御都合主義的な処世のしぐさにすぎないのだ。
私も鬼ではないので、一応、Aには2つの選択肢を与えてはいる。〝運動〟の完全な停止か、私への全面謝罪・全面屈服か、である。もちろん〝ゴメンナサイが云えない人〟であるAが本気で私に謝罪することなどあり得ないとは思うので、Aはほぼ100パーセント、〝運動〟シーンから完全に退場することになるんだろうが、ほんのわずかの可能性として提示されている後者は、私に絶対の忠誠を誓って、私の完全なる下僕と化すという道であり、しかしともかくは今後も〝活動家〟ではあり続けられる道である(こんなことを云っていると、私が今なおAに一種の〝執着〟を続けているかに誤解する向きもあろうとは思う。そういうことではなく、私はAを引き続き、〝非主体的・従属的な活動家〟としてはそれなりに優秀な人材であり、それを潰してしまうのは惜しい、ぐらいには高く評価しているのである。そういう〝補佐役〟的な者も〝運動〟には必要だし、むしろ〝運動家〟の9割方はそういう人だろう。しかし、Aには主体的な活動家であるための資質や才能や覚悟や気概はない。そしてAが従属する対象が私以外である場合には、Aは必ず引き続き私が築いたインフラとネットワークへの〝一方的タダ乗り頂き女子〟であり続けるに決まってることが、もはや明白なのである。ならば論理的に必然的な帰結として、その〝従属〟先を私に設定する以外に、Aが〝活動家〟であり続けることが倫理的に許される道はない)。
通常はさすがに私もこんな横暴なことは云わない。しかしAは私の許容限度を完全に超えてきた。私はAの主体性や自立性などもう認める気はない。つまり私はAの〝独自の活動〟を今後いっさい認めないし、何か少しでも動きを察知したら必ず潰す。
さて後回しにしてきたその「内情」である。私とAとの関係がなぜここまでこじれたのか、という経緯だ。
まあ、みっともない類の話である。いいトシこいて何やってんだという大勢の人々の呆れ顔が目に浮かぶ。だが一応、念のために云っておくが、もはや経緯などはどーでもいい。経緯がどうであれ、仮に私の側に非があるのだとしても(非はないと思うが)、問題はAが私を誹謗中傷しながら私が築いたインフラやネットワークに引き続き依存し、私が合宿を続ければ続けるほど、私を敵視しているAらの〝運動〟に貢献してしまうという現在の構図である。したがって今さら〝経緯〟などどーでもいいのだ、本当は。
とっくにうすうす想像はついていると思うが、要するに私がAに恋愛感情を抱いてしまったのが関係の破綻の始まりだ。
Aが参加したのは、一昨年(2023年)から昨年にかけての〝年末年始合宿〟である。Aはルックス的にかなり私好みではあり、印象には残ったが、もちろん私もいきなり妙な気を起こしたりはしない。コミュ力にかなり難がある様子で、しかも毎朝起きてみるとホワイトボードに〝陰核派〟云々の巨大な落書きが残っていて、途中まで誰が描いてるのか知らなかったが、やがてAだと判明して、だいぶ危なっかしいメンヘラのようだと警戒しもした(この最初の直観を手放すべきではなかった!)。それに仮にヘンな気を起こそうにも、私はふだん福岡におりAは東京の学生であって、現実的な可能性としてそういう展開は想像しづらかった。
ところが、昨年春あたりからAとちょくちょく会うことになってしまった。AがOGとして3月だかの合宿の最終日交流会のために遠征してきたこともあるし、私が上京した際にさまざまなイベントを告知するとAはほとんど毎回顔を出した。たぶん夏に関係が破綻するまでの間に、Aとは計30回ぐらいは会っている。
大きかったのは、昨年夏の都知事選での〝ニセ候補者ポスター貼り〟である。知人の〝アキノリ将軍未満〟氏が正規に出馬していて、そのポスター掲示枠を私に無償で提供してくれるというので、私は出馬してもいないのに、都知事選用の掲示板に私のポスターを計2000枚ぐらい(合宿OB・OG諸君はじめ多くの人たちの協力も得て)貼って回った。その最後の1週間ぐらい、ほぼ毎日、私はAを助手席に乗せて都内各地を何時間もドライブがてらポスターを貼っていたのである。
都心部で夜中じゅう貼って回って、深夜もしくは明け方、私は毎回、ほとんど神奈川寄りのAの自宅まで、さらに2時間ぐらいかけてAを送り届けていた。私は次第にAへの恋愛感情が芽生えてきていることを自覚し始めたし、Aの側も、そのことに気づきつつ毎晩私に付き合っているように感じられたのである。実際、のちのA自身の言によれば、最後の何日間かは、〝もしかして外山さんは私に気があるのかな?〟と思っていたという。それでもAは毎晩〝ポスター貼りデート〟にやって来たのだし、しかもポスター貼りを終えてからの自宅までの約2時間、助手席のAはすっかり疲れて、やはり毎晩、運転席の私にもたれかかって眠ってしまうのである。これはどうもAの側にもいくらか私に気がありそうだ、と思ってしまうのは間違ってますか?
都知事選が終わり、毎晩の〝ポスター貼りデート〟も終わり、もうAを呼び出す口実はなかったのだが、投開票日の翌日だか翌々日だか、〝慰労〟などと称して私はAをまたドライブに誘った。Aは何のためらいもなくついて来た。
チョー恥ずかしい限りなのだが、〝夜景を見にいこう〟などとベタベタなことを云って、ものすごい田舎まで遠征した。そして恥ずかしくて入る穴を自分で掘りたくなるのだが、なんとその〝夜景〟を眺めながら、私はAに〝大学を出たら福岡に来てくれないか?〟と思い切って口に出してみたのである。Aはほとんど躊躇せず、〝行きます〟と即答した。
上空から客観的に見てくれよ。どう見ても私は〝コクってる〟し、Aはそれを受け入れたという場面だろ。私はつい有頂天になって、帰りの車の中で、Aの手を握ってしまったのである。Aはとくに何も云わず、抵抗らしい抵抗も見せなかったので、私はすっかり、これで晴れて〝両想い〟なのだと幸福の絶頂にいた。何日も長時間を一緒に過ごしてきたんだし、イヤならイヤとはっきり意思表示してくれれば(そこらのフツーの女ならともかく、〝活動家〟がその程度の意思表示をできなくてどうする)、私もゴメンと謝ったに決まっている。たしかにチョー長時間ではあった。だって群馬まで遠征したのだ、シタミチで。しかし逆に云えば〝やめてくれ〟と意思表示する時間だってたっぷりあったのだ。さらに云えば途中何度かコンビニとかに寄っているし、いきなりブッちぎって逃げ出す機会も、そこまでせずともちゃんと意思表示しようと心を落ち着ける機会さえAには何度もあった。
Aを自宅まで送り届け、〝ではまた〟と云って別れた。その時点でも私はまだ〝晴れて両想い〟のつもりでいる。私は翌日から東京を離れ、「劇団どくんご」を追いかけて北海道まで遠征する予定で、実際そうしたし、北海道からの復路でまた東京に寄るとしても、1ヶ月以上は先になるなあと思って、だから焦ってしまったというところもある。もしあのまましばらく東京にとどまり、かつすぐに東京を離れるわけではないからヘンに気が急くこともなくAともう少しゆっくりと距離を縮める方向で振る舞っていれば、たぶん私とAとの関係は上手くいっていたし、もはやAの側は認めないだろうが、やがてはフツーにAとカップル化していたはずである。まず1つには私が焦ってしまったのがいけないのだが、Aの人格にも大いに問題はあった(経験ある人は首をブンブン縦に振って賛同してくれるはずだが、フェミニズムかぶれの女と性や恋愛の方面で揉めると、フェミ女は必ず、人としてやってはならないことをさんざんやり、人として云ってはならないことをさんざん云うのだ)。
そこから先、私には今に続く地獄の日々が待っていた。Aへのメールには返信が来なくなり、Aは電話にも出なかった。私は親しい友人知人のツイートもあまりチェックしないのだが、何日かして、そういえばAもツイッターをやってたことを思い出し、チェックしてみると、どうもAは先日の出来事にショックを受けて、塞ぎ込んでいるようだった。そこでようやく私は致命的な勘違いをしていたことに気づいたのである。
私は慌てて、Aに〝もしかすると私は勘違いしてますか?〟というメールを送り、しばらく間を置いて、結局それ以降現在まで唯一の、誠実な文面の返信が来た。やはり私は勘違いをしていたことを思い知らされた。Aが福岡行きを即答で受け入れたのは、単に〝弟子入り〟のつもりだったらしい。
私が驚いたことには、Aには恋愛経験すらまったくないとのことだった。ツイッターなどのプロフィールにある〝神戸女学院〟は嘘なのだが、女子校育ちではあり、大学に入ってからも3年ぐらい引きこもっていて、異性どころかそもそも〝世間〟と関わったことがほとんどないらしいのだ。今にして思えば、そんな奴が〝フェミニズム〟なんぞ掲げてイキってんじゃねーよ、という話ではある。「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜した状態に身を置くこと」(『新明解国語辞典』より「恋愛」)を一度も経験したことのない奴、分かり合いたいと切望しながらどうしても分かり合えない苦しみの根源にある〝異性〟という壁に直面して絶望的に思い悩んだりしたこともない奴が云う〝フェミニズム〟なんぞクソであろう。Aの依拠する〝フェミニズム〟など、異性なり世間なり要は他者と何らか踏み込んだ関係に入るのは怖いという、そんなことだから3年間も引きこもるんだろう、弱っちい自分を守り正当化するための云い訳でしかなく、弱い自分を守りたいがゆえに何らかのイデオロギーに取り憑かれるという〝観念の病気〟のだいぶ進行した症状でしかない。しかしその時点では私はそこまでAを軽蔑しきってはおらず……。
私は改めてAに自分の気持ちを丁寧に伝えるメールを書き、恋愛感情は簡単には消えないが、Aがそれを受け入れられないと云うならその発露は自制するし、単に〝弟子入り〟のつもりでかまわないから、福岡に来るということは引き続き前向きに考えてほしいと伝えた。無茶な要求だと思う人は多かろうが、どうもAの側は、以後も晩秋頃まで3ヶ月以上は、福岡に行くかどうか迷っていたようなのだ(くだんの私への誹謗中傷文書の末尾で「××[福岡]には行かない」決意を表明したのは今年アタマのことである)。
そこに浜村が登場する。
私は、ともかくはAがやりたい方向での〝運動〟と私がやりたい方向でのそれとを上手く整合させるアイデアを練りあげて、Aに提示しているところだった。Aが、恋愛対象としては私を拒絶しつつも、しばらくは福岡へ行くという選択についても視野に入れて悩み続けていたのは、その私のアイデアがかなりよくできていたためでもあるはずだ。私は合宿を頻繁に開催し続ける。私は合宿が終わると参加者たちのその後の展開を基本的に放置してきたが、毎回何人かは〝これは!〟という逸材もおり、関係を持続させられればそれに越したことはないと前々から思ってはいた。ではその役目をAが果たせばよい。Aが毎回の食事係を務めて、合宿中から参加者たちとある程度の信頼関係を築く。Aは冊子を発行したりなどのチマチマした作業は好きであるらしいし向いてもいるように思えた。Aはやはりメンヘラなので人を見る目はなく(だから私を拒絶しておいてその億倍悪人の浜村なんぞを無防備に近づけてしまう)、どの参加者が将来有望であるかの人選は私が担当するから、Aは合宿後もそれら〝選抜メンバー〟たちと連絡を取り合い、自分が編集する冊子の寄稿者としてとりあえずは組織していけばいい。九州在住の合宿出身者たちとも読書会開催などで近しい交流を維持してほしい。合宿出身者たちとの日常的な連絡は、私のようなオッサンがやるよりも、年齢の近いAがやるほうがよかろう。Aがそういう役割を担当してくれるなら、私はますます合宿開催に意義を感じることができる。私は他に、Aが福岡で最小限の労働で生活しうる方途まで考えて提示していた。
その後、現在までAがやっている〝運動〟は、結局のところこの時に私が提示した方向のショボい版でしかない。合宿出身者をはじめ〝外山界隈〟の面々に原稿を依頼して冊子を発行したり、読書会や学習会や単なる交流会を開いたり、というものだ。しかしAは、それを私を敵視し私を排除してやっており、その結果、私との協力のもとそれをやっていればもっと優秀な面々をたくさん揃えられただろうに……という〝ショボい版〟になる。私はやはりAがやりたいことを存分にやれる環境を提供しようとしていたのであり、Aは、その現在の〝運動〟の堕落・退廃ぶりを見れば確実に、自身を善導しうる唯一の師を失い、その結果として人生の選択を誤ったと云える。
選択を誤らせたのは浜村である。浜村がすべてを台無しにした。浜村はそういう際どいタイミングでいきなり横から割り込んできて、まったく盛り上がっていなかったAの〝運動〟を表層的に盛り上げ始めた。定期的な路上交流会、トーク・イベント、読書会、学習会、デモ……。そもそも〝躁〟を発症してたにすぎない浜村は、ほとんどAに休むヒマも与えないほどの企画を提起し、実行させ、急に異様に忙しくなったAは当然、私とのやりとりを煩わしく感じるようになった。しかも私が見る限り、Aの〝運動〟はまったく表層的に盛り上がっているだけで、とことん無意味だった。まだ私と多少は意思疎通があった時点でAが云うには、Aはそもそも私が主宰するファシスト党に入党するために合宿に参加したのであり、思想的には私の〝ファシズム〟に完全に共鳴していた。つまりAは、浜村のように単に〝人がいっぱい集まって賑やかになればそれでいい〟と考えてるわけではなかったのである。
Aは当時むしろ、ツイッターで呼びかけて少々の人数は集まってきつつあったが、それが単なる〝交流会〟以上にはならないことに苛立っており、実は今でも苛立ち続けている。つい最近の7月21日にもAは「自分が動かなかったら誰もなんもしないとみんなが理解するまで775は享楽路線を続けますよ」とツイートしているが、単に「享楽路線」つまり頻繁かつ無目的な〝交流〟路線を続けているかぎり、〝まずは自分が動かなきゃ〟と思う奴なんか出てくるわけがないのであって、自業自得であることに思い至らないのがAの愚かさなのだとはいえ、自分が求めているのは本当は「享楽路線」などではないのだという苛立ちは伝わってくる。
まあ想像がつくとおり、私はAに対して、〝君が本来やりたかったのは、浜村がゴリ押ししてくるような、そういう無目的な交流三昧という方向ではないだろ?〟とたびたび苦言を呈するようになり、それがますますAを反発させ、次第にAは私に激しい憎悪を向けてくるまでになった。私がAの〝誤り〟を冷静に指摘すればするほど、Aは没論理的な私への誹謗中傷を書き散らすようになり、つまり私はますます、私を敵視する者が主宰する〝運動〟を浜村がAの力量以上に盛り上げてみせるのをただ歯ぎしりしながら眺めているしかないという苦境に陥った。だから私はAへの苦言・批判のボルテージをさらに上げる。完全に〝負のスパイラル〟であり、そんなことを続ければ続けるほど事態が悪化することぐらい私にも分かっていたが、昨年いっぱいぐらいは恋愛感情もあったし、せっかく完璧に描き上げ、Aの側も秋のうちぐらいまではそこそこ心を揺り動かされていたフシがある〝幸せの設計図〟を、私はそう簡単に放棄する気にもなれなかった。しかし当然、時を経るにつれて状況はどんどん悪くなった。
……というのがおおまかな経緯である。
しかし先述のとおり、もはやそんなしょーもない〝経緯〟などどーでもよく、現在できあがってしまっている構図が問題なのである。
今年に入って私がAへの恋愛感情をついに吹っ切っても、浜村のバックアップを得たAの〝運動〟はますます表層的には賑わい続け、気がついたら、〝界隈〟の面々がそこに盛んに出入りして楽しげに〝盛り上がっている〟様子を見せつけられつつ、しかしもともとAと浜村の〝運動〟を成立させる基盤を築き上げた当人である私だけは、そこに参入できないという状況になっていた。自殺しててもおかしくないでしょ?
ともかく現在の私にはもうAへの恋愛感情はない。Aは完全に〝闇堕ち〟しており、更生の見込みはまずないと思われる。〝闇堕ち〟させてしまった責任の一端は私にもあり、胸が痛むが、そもそも最大の問題はAの人格にあった。
Aは一方でポリコレ的なフェミニズムへの批判を盛んにツイートしつつ、いざとなると弱者を気取り、私との間に起きたことに関しても一貫して自分の側がまるで一方的に〝性被害〟とやらに遭ったかのように云いつのった。私を怒らせて当然の振る舞いをさんざんしておきながら、私が〝出禁〟などの対応を検討し始めると、私を無自覚な権力者だ何だと糾弾した。
要はプライドがなさすぎるのである。
凡庸なフェミニズムを否定しながら凡庸なフェミニズムしぐさに陥りがちなAの言動を私が指摘すると、〝私はフェミニズムのロジックを使って外山さんを責め立てたことなどない〟などとトンチンカンなことを云い出して反論したつもりになる。誰がフェミニズムの〝ロジック〟で、と云った? そもそも君に〝ロジック〟なんかないだろう。〝ロジック〟ではなくフェミニズムの〝レトリック〟を駆使して、さんざん私を責め立ててきたではないか(経験ある人は首をブンブン縦に振って賛同してくれるはずだが、フェミニズムかぶれの女と性や恋愛の方面で揉めると、フェミ女は必ず、人としてやってはならないことをさんざんやり、人として云ってはならないことをさんざん云うのだ)。
7月9日の「最近はいかに技巧を尽くして男を萎えさせるかに関心がある」というツイートがその証左でもある。これもおそらくは私を念頭に云っており、少なくともかつて同じ主旨のツイートがはっきりと私に向けて発せられた(正確には忘れたが、〝あたしにとってフェミニズムは男を萎えさせるための武器である〟とか何とか)。この「男を萎えさせる」というのは「男を傷つける」、「男のプライドをズタズタにする」の意味で、フェミニストたちはそうしたレトリックの開発に余念がなく、そのバリエーションには数十年の蓄積がある。Aはそうした言葉をこの約1年間、私に向かって浴びせ続けてきたのである。
実に惜しい人を亡くした、とは思う。Aは私の掲げる〝ファシズム〟を、少なくとも言葉の上では、かなり正確に理解しているかのようだった。今だって、Aが依拠している〝思想〟めいたものは、フェミニズム云々の部分を除けば9割がた私のそれのまんまコピーである。しかし画竜点睛を欠き、要するにAの〝ファシズム〟には〝魂〟が入っていない。そもそも〝正義〟への依拠を否定するファシズムが、〝正義〟の思想の一種であるフェミニズムなどと両立しうるはずがない。私は自分の中に色濃く残る〝左翼性の尻尾〟を断ち切るために、アナキズムを称するのを避け、ファシズムを掲げ始めた。そのために余計な敵をたくさん作っているが、それは私には必要な意思表示だった。Aがもし本気でファシストたらんと志すのであれば、〝左翼性の尻尾〟への未練にすぎないフェミニズムの標榜など辞めるべきなのだが、しょせんAにはそういう〝覚悟〟が決定的に欠落しているのだ。
だいたい自身を弱者などとは絶対に位置づけず、たとえ虚勢であっても私は強者なのだと云い張るところにファシズムの肝はあるのであって、いざとなるとフェミニズムに依拠して弱者ぶり始めるAはファシスト失格なのである。
Aにはオリジナルの〝運動〟を自力で立ち上げるに必要な資質、つまり覚悟や決意がない。どんな運動であれAがその先頭に立つのは、したがって不可能であり、はっきり云って私の活動を補佐する以外にAには〝運動〟シーンで存分に活躍しうる余地は最初からなかった。私は自身の恋愛感情をとりあえず留保する、というところまで譲歩したのだ。それを足蹴にしたのはAの側である。
私に幻滅したAは〝浜村路線〟に乗り換えたわけだが、そもそもそれは本来Aが目指していた方向(ファシズム運動)ではまったくないし、その〝無目的な交流〟路線はAではなく浜村の〝やりたいこと〟にすぎない。まあ見ているかぎり、やはり〝補佐役〟としてはAはそれなりに〝使える〟人材ではあるようだ。だからこそ私は、たとえ恋愛感情をいったん脇に措くと誓ってまでも福岡で協働してほしいと提起し続けたのだし、浜村もAに目をつけたのに違いない。返す返すも惜しい人材ではあり、私がヘンに焦ってしまったせいで、私は私の運動が大きく花開いていく可能性をみすみす1つ失ってしまったと思う。
しかし、浜村的な〝無目的交流〟路線であっても、並行して私との関係を修復する努力をおこないながらであれば(ただの恋愛問題であればそんな努力は必要ないことは云うまでもなく、Aはただただ私をフッて遠ざかっていけばよい。しかし引き続き近い領域で、というよりAはまんま私が長年かけて築き上げてきたインフラとネットワークに依拠して〝運動〟を続ける気でいたのだから、今回のような振る舞いは許されない)、私をここまで本気で怒らせることもなく、引き続き〝外山インフラ〟に便乗しながらそれを追求していくことも可能だった。
最初に書いたとおり、「ある人(Aとします)が、もともと松本哉の運動の圏域にいたとします。やがてAと松本君との間に個人的いさかいが生じ、その過程でAは、松本君を誹謗中傷する文書を公開しました。それを契機にAと松本君とはますます対立が嵩じて、その関係はほとんど修復不可能なものとなりました。最終的に松本君は、Aを〝界隈出禁〟にしました。が、Aはその後も、他の用事なり地方出張などで松本君がいない時を見計らって、例えば何とかbarなど松本君の運動の圏域に出没し続け、A自身の運動なり団体なりの拡大に利用しており、そのことを松本君が知ったら、激怒するのは当たり前でしょう。/君がやっているのはそういうことです」という話である。
引き続き〝外山界隈〟に依存し続けるつもりであれば絶対に必要だった関係修復の努力を一方的に放棄したのは完全にまったくAの側であり、Aの〝運動〟が近いうちに壊滅させられていくのは、ひとえにAの側の落ち度による自業自得である。ある時期までであれば、Aが引き続き〝外山界隈〟に依存し続けるためだけに、ともかくは〝面従腹背〟で私との関係修復を図り始めるということであっても許容しえたが、もはやそれさえも私には承服できない。



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