反日亡国論 (はんにちぼうこくろん)は、 日本の新左翼 である 大森勝久 が1970年代に主張した思想。 アイヌ革命論 など「 反日 」の立場から「日本を滅亡させる」べきとする。 1970年代、大森勝久は新左翼の理論として 太田竜 の 窮民革命論 や アイヌ革命論 などの影響を受け、更に 梅内恒夫 の手記「 共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ 」が、その理論的形成のきっかけとなった。 「反日亡国論」は、単に 帝国主義 戦争に反対する立場から自国の敗戦と革命を目指す「 革命的祖国敗北主義 」ではなく、また単に「 明治 以降の 日本帝国主義 が為した悪行」を批判するのでもなく、歴史をはるかに遡って日本国の建国や日本民族による歴史そのものを否定し、その絶滅を主張した [ 1 ] 。 この立場では、いわゆる「日本人」は、己が「抑圧者・犯罪民族」たる 日帝本国人 であることを充分自覚し、 自己否定 していかなくてはならない。日本は償いきれない犯罪を積み重ねてきた反革命国家であり、醜悪な恥晒し国家・民族であるので、日本を「祖国」と思うこと自体が最大の反革命思想であり、積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「 非国民 」になれと説く [ 2 ] 。そして反日亡国論を全面的に受け入れて反日闘争の闘士となることで、初めて「抑圧者・犯罪民族」という「 原罪 」から解放されるとする [ 1 ] 。 カール・マルクス は「 共産党宣言 」で「労働者には祖国はない」、「 万国の労働者は団結せよ 」と記し、将来の 共産主義 社会では「 国家は死滅する 」と記した。また 第二インターナショナル のバーゼル宣言は、労働者が自国の帝国主義戦争に参加することを「犯罪」として「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と呼びかけ、これを ウラジーミル・レーニン は支持した。 梅内恒夫の「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」では、「今我々はマルクスを捨てよう」と説き、反日闘争を行うに当たっては、 マルクス主義 の既存概念に囚われてはならないとした。 東アジア反日武装戦線 では、「被植民地人民は、日本人プロレタリアをも「敵」として見ていること、この厳然たる事実の痛苦な確認こそ、反日思想の原点である」と主張し、「被植民地人民の 反日感情 」こそがマルクス主義に代わる基本原理だとした [ 3 ] 。 日本国家の「侵略性」 レーニン の『 帝国主義論 (正式名称:資本主義の最高段階としての帝国主義)』では、その題名が端的に示すように、高度に発達した資本主義国家が、やがて「対外侵略性向」を帯びる帝国主義国家へと発展するとした。そのため日本の「侵略性」も、 封建主義 社会から 資本主義 社会への移行に成功したことによる副作用であり、これを克服するためには 共産主義革命 を起こして、 天皇制 などの「日本帝国主義の残滓」を除去し、新生「日本人民共和国」に生まれ変わることで、日本の「侵略性」は消滅するとされる [ 4 ] 。 しかし反日亡国論の場合、日本の「侵略性」は帝国主義国家になって初めて現れたのではなく、建国以来連綿と続く「伝統」であるため、単に「日本人民共和国」と改組するだけでは「侵略性」を除去したとは言えない [ 3 ] 。 最終的解決 をするには、地球上から「日本」という国家を消滅させ、日本人の「邪悪な」血統を地上から完全に根絶し、「日本」を冠する如何なる形態の国家の復活も許さないとする [ 5 ] 。 階級的観点の否定 マルクス主義 などの 国際主義 では、国家や民族よりも階級を重視し、各国の労働者階級が連帯すべきとした。 しかし反日亡国論では、「抑圧民族の労働者階級」は「抑圧民族の資本家階級」と同様に「被抑圧民族の労働者階級」に対する加害者であるとした。「労働者階級の連帯」を強調することは、「抑圧民族の労働者階級」の加害責任を免責するものであるとする [ 3 ] 。 東アジア反日武装戦線のメンバー 黒川芳正 の言葉で言えば、「階級的観点に立脚した 反日帝 」ではなく「階級的区分を内に含んだ 反日 」とされる [ 3 ] 。そして自らの思想は「革命思想」とは別に「反日思想」とカテゴライズされるべきであり、従来の革命論から コペルニクス的転回 を成し遂げた思想だと自画自賛している [ 6 ] 。 「 日本 」という 国号 は「陽出づる処の天子の国」を意味し、 天皇制 と不可分の存在である。中国の 中華思想 を受容するだけでなく、その元祖の中国をも「陽没する処の国」と蔑視する「ウルトラ傲慢帝国主義」を体現したのが「日本」という国号であり、 ユーラシア大陸 東端の 弧状列島 の地域を表す価値中立的な地名でないとする [ 7 ] 。 皇室 の起源は 騎馬民族征服王朝説 に基づき大陸から渡来したとされる。つまり日本全土が侵略で得た征服地であるとする。「被征服民」は、やがて皇室に連なる「 天孫族 」と同化し農耕民族となり、同化を拒否した一部「被征服民」は 部落民 となった [ 5 ] 。中世以降も南北に着々と侵略を進めていき、明治になって「 アイヌモシリ 」や 琉球王国 を併呑し、内地における侵略を完了させた。このように、日本国の歴史はまさに「侵略と搾取の歴史」に他ならないとされる [ 3 ] 。このような「侵略の伝統」があるからこそ、日本によるアジア・世界侵略が起こったのだとする [ 2 ] 。また左翼歴史家の中には、「民衆史観」といって 自由民権運動 などの民衆から湧き上った 政治運動 を高く評価する者がいるが、これら民衆も所詮は「犯罪国家・日本」の構成員にすぎず、 アイヌ や 琉球民族 の犠牲の上に生活が成り立っているとし、これらの政治運動も全面否定している。 1918年 に発生した 米騒動 も植民地人民から米を収奪するきっかけを作りだした、単なる「米暴動」に過ぎないと切り捨てている [ 2 ] 。 しかし、1980年代から開始されたDNA解析によると、現代のユダヤ・イスラエル人(古代メソポタミア文明を形成したアマ―ル人、アッカド人、シュメール人がユダヤ・イスラエル人の祖)の持つD系統Yap遺伝子と日本民族・チベット人の持つD系統Yap遺伝子が同系統という解析結果から、騎馬民族征服王朝説は完全に否定された。しかし、チンギス・ハーンのモンゴル帝国による騎馬民族征服説は、ユーラシア大陸においては肯定されている。 反日亡国論では、日本文化に誇りを感じること自体が罪悪であり反革命であるとし、 平安京 遷都を成した 桓武天皇 を祭る 平安神宮の放火事件 を称揚した [ 2 ] 。 戦後の 高度経済成長 により、大多数の日本国民が「ブルジョア的」な生活を享受できるようになったが、これらの原資は「世界中の人民から搾取された富」によって成り立っている。よって「生活改善運動」「賃上げ運動」に代表される日本の 労働運動 などというものは、「強奪品の分け前をもっとよこせ」という「略奪民族・日本人」の「心貧しき願望」の表れであり、反革命であるとする [ 2 ] 。 ( 1970年代 当時)左翼人士の中には 金大中事件 で 韓国 政府に
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