普通に考えれば、ベンチャーキャピタリストとスタートアップは、独禁法でビッグテック企業を取り締まることを支持する側だと思うかもしれない。巨大テック企業は、ユーザー、データ、各種デジタル市場における圧倒的な支配力を利用し、有望な若いスタートアップを繰り返し潰してきたからだ。
ところが、独禁法規制当局がこの数年で法執行に本腰を入れたところ、VC業界から激しい不満が噴出した。
8月初頭、その不満が頂点に達した。共同編集デザインプラットフォームのフィグマ(Figma)がIPOを果たし、株価が250%も急騰した後のことだ。
リナ・カーン前FTC委員長は勝利宣言を行い、アドビ(Adobe)がかつて同社を買収しようとしたことを規制当局が阻止した努力によって、当時よりはるかに良い結果が生まれたと述べた。
カーンはX(旧Twitter)にこう投稿した。
「スタートアップが既存の巨大企業に買収されるのではなく、独立した成功企業として成長することで、莫大な価値を生み出せるという素晴らしい実例だ。従業員、投資家、イノベーション、そして社会にとっての勝利だ」。
「彼女はクソほどの価値もない」
これに対し、「とんでもない愚行だ」と、サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)の共同創業者で、シリコンバレーで最も成功したベンチャーキャピタリストの1人、ビノッド・コースラは反発した。
防衛技術スタートアップ・アンドゥリル(Anduril)のソフトウェアエンジニア、シェイ・レヴィは「リナ・カーンは、右手を切り落とされ、それでもなお片手で粘り強く傑作を作り上げる天才ピアニストの功績を自分の手柄にしている」とXに投稿した。
クリアストリーム(Clearstream)というスタートアップの共同創設者トレバー・ゲーマンは「あなたがその買収を阻止したのは正気の沙汰ではないし、フィグマの成功を自分の手柄にするのは非常に腹立たしい」とツイートした。
8月1日にシリコンバレーのM&Aアドバイザーにコメントを求めたところ、返ってきたのは躁状態で書いた詩のようなものだった。この人物は機密事項について話すため、身元が特定されないよう求めた。その返答はこの件に関する感情の強さを実によく表しているので、共有する価値がある。
「彼女はクソほどの価値もない。
彼女は何かを生み出すために何もしていない。
一度も。
どこでも。
破壊と混乱を除いては」
これは俳句なのだろうか? よく分からない。とにかく、なぜこれほどまでに敵意をむき出しにするのだろう?
VCがひた隠しにする「裏の顔」
ベンチャーキャピタリストとそのアドバイザーがM&Aが制限されることを嫌う本当の理由は、それが彼らの主な収益源を脅かすからだ。
この業界は、長期的視点を持ち、業界のゴリアテ(巨人)を破壊して永続的なビジネスを構築したがっているふりをするのが好きだ。しかし実際には、VCがスタートアップ投資から収益を得る主な手段はM&A取引なのだ。
彼らは、表向きには「世界を変える」とツイートしていても、裏ではスタートアップの創業者に対しビッグテックへの売却を迫ることが多い。だからこそ、そうした取引の邪魔をする者がいると、彼らは非常に神経質になるのだ。
VCのタイプ別イグジット戦略
(Acquisition=買収、Buyout=完全買収、Public Listing=株式上場)
「なぜVCがビッグテックによる買収を歓迎するのか人々は疑問に思うだろうが、理由は簡単だ。M&Aは“ソフトランディング”をもたらしてくれるからだ。投資先のスタートアップは公然と死に至るのではなく、ひっそりと燃え尽きることができる」と語るのは、グーグル(Google)でM&A取引に携わり、現在はSVICポッドキャストのホストを務めるジョーダン・ティボドーだ。「IPO時のコンプライアンス地獄に比べれば、買収は最もクリーンな脱出口であり、ほとんどの従業員が安全に着地できることを保証する」。
Yコンビネーター共同創業者の弁明
ティボドーによると、リナ・カーンが登場する前、そして共和党がテック業界を標的にすることを決める前まで、グーグル、フェイスブック(Facebook)、マイクロソフト(Microsoft)は、スタートアップ創業者と彼らを支援するVCにとって福祉事務所のような存在だった。
「M&Aは基本的に悪い賭けに対するFDIC(連邦預金保険公社)の保険だった」と彼は続けた。「クラッシュしても、金持ちのサンダー叔父さんかザック父さんが救済してくれるからだ」。
シリコンバレーが猛反発するなか、少なくとも伝説のベンチャーキャピタリスト、ポール・グレアムは、正直になろうとある程度の努力はした。それでも、彼が設立したYコンビネーター(Y Combinator)が、自ら支援するスタートアップをビックテック企業に売却することに大きく依存している現実について、もっと明確にできたはずだ。
彼はカーンのX投稿にこうリプライしている。「スタートアップにはリスクが伴う。サイコロを振り続けていると、うまくいく時もあるしそうでない時もある。しかし創業者は、いつ止めるかを自分で決められるべきだ」。
消費者・社会にとって良いかどうかは関係ない
投資銀行家やM&A弁護士など、テック企業のM&Aに関わる(VC以外の)すべての人々にとって、M&A取引に対する規制は手数料やその他の報酬の減少を意味する。そのため当然ながら、彼らは独禁法の執行を批判する傾向がある。取引が消費者や社会にとって良いかどうかは関係ない。
アドビによるフィグマ買収について、アメリカで公式に精査する責任を負っていたのは司法省(DOJ)だ。しかし、今回の件や同様のケースに対する怒りの多くは、バイデン大統領の任期中にFTCを率いた革新的な独禁法規制当局者、カーンに集中している。
既得権益への“メス”で何が起きたのか
カーンは、M&Aによって消費者が価格上昇を経験するかどうかというアメリカの従来の基準とは異なる要因に着目し、テック業界に対する新たな独禁法規制手法の道を切り開いた。司法省の独禁法担当官として知られるジョナサン・カンターもこのムーブメントを推し進めた1人だが、始めたのはカーンだったとみなされることが多い。
「リナ・カーンは自分の仕事をした。彼女は行動力があって有能で、バイデン政権が望んだもの、すなわちテック企業に対する積極的な監視を提供した」とティボドーは語った。その一方で、マイクロソフトのアクティビジョン・ブリザード(Activision Blizzard)買収阻止に向けたFTCの取り組みや、アマゾン(Amazon)のアイボット(iRobot)買収に対する異議申し立ての成功など、彼女がとった行動の一部には同意しないとも述べた。
バイデン政権下で実施された彼女の新しいアプローチは、テック分野のM&A活動を大きく減少させた。先に掲げたグラフを見れば一目瞭然だ。
従って、フィグマのIPO後にカーンが勝利宣言をツイートしたことに対し、ベンチャーキャピタリストたちがXで激怒したのは理解できる——彼らが表立って口にしている理由からではないが。
翻訳・編集:湯田陽子
Business Insider Japanより転載(2025.08.08)