【21歳初投稿!】なぜ20歳を過ぎると人格差が顕著になるのか?
はじめに
今日は私の誕生日だ。今さっき、私の満年齢は21歳に達し、20代として2周目の年齢となった。昨年の今頃は、ようやく10代から20代になり、色々と思いを馳せていた頃だろう。私は、20代を1年間生きてきて感じたことがある。それは、「20歳になると、これまでの人格や生き様がハッキリと姿に表れる。」といったことだ。もはや、同い年や同世代とは思えないほど、人格や経験の差がハッキリとし、これまでしっかりと考えてきた人ほどしっかりしている気がする。そういえば、今年76歳になる祖母がある事を私に話してきた。それは、「健康の分岐点は40歳」だと感じた話だ。祖母は、40歳を過ぎたあたりから、これまでの健康行動や食生活などがハッキリと個人差として表れ、どんどん広がっていくことを実感したらしい。健康の分岐点が40歳だとすれば、人間性の分岐点は20歳にあるのではないかと私は考えた。
かなり私なりの持論展開となるので、そこは理解してほしい。
①大人の階段を登りきる頃だから
私は、これが最大の理由になるのではないかと考えている。大人の階段を登りきる年齢は、男女とも20歳である気がする。それ以降は、「大人の階段」というよりも、「老いへの階段」という認識の方がしっくりくる。そして、20歳を過ぎると、どう考えても子供だとは言えなくなる。子供と大人のハッキリとした違いは認定されていないが、私の考えではこうなる。まず、大人の階段を登り始める年齢についてだ。これは、「老いへの階段」でいうところの「初老」に当たる。一般的にこちらは40歳だ。では、「大人の階段」の第一歩は何歳だろうか?私は、「女性で12歳、男性で15歳」が適正値だと考えている。基本的に、初期段階での発達は、男性よりも明らかに女性の方が早い。男子の場合、小5や小6になっても、まだまだ子供の感覚だし、小6の男の子のほとんどは、小1からランドセルを6年間背負い続けた延長線上に過ぎない。一方で、女子の場合、明らかに大人びている。小6の女子はもはや小1とは異世界だし、ランドセルこそ同じだが、住む世界が違うようにすら感じられる。話題にしても、明らかに男子ノリで話すネタの方がガキっぽい印象が強い。しかし、そういう男子も中学生くらいになると、次第に大人に近づく。15歳にもなれば、ほとんどの男子の思春期は、ピークを超えているし、まだオラついている男子は少数派だ。この頃から、将来について真剣に考え出す男性も増えていき、15歳以降の男性は完全に大人の階段を登り始めているだろう。18歳になり、成人年齢を超え、選挙権を手にすると、強い責任感やハッキリとした人生観を持つ者も増え、一気に大人に近づく。最終的に足並みは20歳で揃うだろう。中学生の頃は、まだ子供のふり・つもりだった男子も、20代ともなれば、ある程度、大人として真剣に考えていることが多い。そうなると、必然的に、大人の階段を登り切った証のある人間と、大人の階段を登り切ったはずである人間とが分かれてしまう。こういった差を世間や周囲が感じ始めるのが20歳頃ではないだろうか。
②幼さが通用しなくなるから
①に近いが、20歳は完全なる大人の部類で、幼さはもう通用しない。小1の頃は、泣き虫で、「かわいそうに」とすぐに声を掛けてもらえていた子供も、20歳近くになると本当にもう誰からも相手にされなくなるのだ。つまり、「まだ幼いから成長過程」と周りから認識してもらいにくくなるのだ。子供の頃は、ある程度優しい子が多いが、トゲがあって優しくなくても、「まあ年頃だからね」で許してもらえることが多い。つまり、この時点では、単純な年齢的な問題による反抗的行動なのか、潜在的な人格の問題なのかは、いちいち判別して来ない。全て同じものとして処理されるのだ。しかし、幼さが通用しなくなった途端、当たり前のことを当たり前にできない人や、相手に無神経な発言を繰り返す者は、「どうしようもない」と判断されてしまうのだ。
③見上げても見下ろしてもキリがなくなるから
20歳を過ぎると、あらゆる分野で差が広がる。上には上がおり、下には下がいるのだ。これが世の常だ。そして、人間性でもこれが顕著になる。小学生程度であれば、性格が良く、人間性に富んだ人物であっても、「いい子」止まりなのだ。これ以上でもこれ以下でもない。反対に、問題を起こすタイプであっても、「単なる問題児」以上の悪評はつかない。
良くも悪くもまだまだ行動力がなく、力が弱いので、いい事をしていても、子供の考えることに過ぎないし、悪い事をしていても、せいぜい学校でなんとか出来る程度なのだ。しかし、20歳を過ぎると、どちらの方向にも特化してしまうので、いい人はどこまでも良くなり、悪い人はとことん悪くなってしまうのだ。
④大器晩成型の開花が始まるから!
これもありそうだ。一般的に人間は、「早熟型」と「大器晩成型」に分類される。10代で活躍する人のほとんどは、早熟型なのだろう。スポーツができたり、試験成績が良かったりすると非常に高く評価される。ところが、大器晩成型は、この頃まだ成長過程なのだ。つまり、目立たない、もしくは、燻っていることで、なんとなく勉強や運動といった単純評価が高い学生が目立ちやすいのだろう。20歳以降は、勉強や運動に匹敵する能力に加えて、人間性を評価される場面が増える。そのため、こういう大器晩成型の人間が開花すると一気に目立つようになるのだろう。
⑤勉強だけでは通用しなくなるから
④でも少し話したが、20歳を過ぎれば勉強だけでは通用しなくなる。もちろん、東大などの高学歴は、まだまだ勉強の世界だろう。しかし、旧帝大レベル以上の大学に行ける生徒は、ほんのひと握りだ。つまり、勉強だけで勝負できる環境にない限り、勉強ができても人間性が欠けている人間は、なかなか評価されにくくなるのだ。学歴は、18歳時点での学力水準にすぎず、「勉強だけできればそれでいい」は通用しなくなるのだ。中高生の時期であれば、性格が悪い優等生も高く評価されていたが、大人になると、「あいつ、高学歴だからって他人をバカにしやがって!」とかえって勉強ができた過去を皮肉られてしまうのだ。
⑥一定以上の経験を積むことが可能になるから
私もそうだったのだが、経験を元に生きているタイプにとって最も不利なのは間違いなく10代だ。単純に生きてきた年数が短く、どんなに頑張っても、大人の経験数には追いつけないからだ。つまり、ヒントや成功体験が少ない中で、模索する必要性がある。20代に入ると、ある程度長く生きてきたことで、「経験値」のハンデをつけやすくなる。そして、この「経験値」の重要性は想像以上に大きく、気づいたらそれが「対応力」の差になっていたりするのだ。
MBTIに絡めるならば、ESFJやENTJは、この「経験値」に強く依存するタイプだと言える。明らかに、同タイプ内での対応力に差が現れているし、大器晩成型のESFJのピークは、10代などにはない。
⑦年齢区分が曖昧になるから
20代に入ると、年齢区分はざっくりと曖昧になる。
まず、日本ではほとんどの年齢制限は、20歳までに撤廃され、それ以降は、20歳も90歳も同じ条件にされることが多い。「お酒・タバコ」の20歳解禁を最後に年齢制限はほぼ全て無くなっているのだ。そして、なんと言っても「学年」から「年齢」へと概念が変化する。高校生までは特に、学年に囚われることが多いため、意識することが多い。3歳差であっても、「小1と小4」や「小3と小6」では常識も求められることも全く違う。しかし、大人の3歳差はかなり曖昧だ。
「21歳だから〇〇」で「24歳だから〇〇」みたいな言い方はされにくく、「もう20代なんだから〇〇」と1括りにされやすい。つまり、同じ時間と成長機会を持っているにも関わらず、意識する幅が大きくなるため、学年制の頃と同じ感覚で成長している人間は、どんどん周りをゴボウ抜きしていくのだ。大学生も一応、学年制はあるが、浪人などの都合もあり、学年よりも年齢で聞かれることが増えた気がする。
⑧これまでの環境の答え合わせの時期に入るから
これまで色々と個人の展開について話したが、残念ながら個人的な努力だけでは報われない面がある。それは、生まれ持った環境や育ってきた環境だ。
例えば、「ヤンキーやチンピラとばかりつるんできた20歳」は、「派手にオラオラしたタイプ」になりやすいし、「親や家族などから愛されてきて育った20歳」は、「素直で純粋な優しい大人」になりやすい。つまり、全てではないが、環境や周囲に支配される面がどうしてもあるのだ。そして、その差が顕著になるのが20歳だ。例えば、私の知り合いに、「何気ない一言に深く傷ついて1時間以上泣き止むことなく号泣した」人がいた。その人は、目立った反抗期もなく、やや八方美人的に人間関係を乗り越えたらしいが、常に病んでいたらしい。そして、その家族は明らかに機能不全家庭であった様子だし、親もお酒を無理矢理飲ませてくるレベルの毒親だったらしい。つまり、こういった環境の差が明確になるのがこの頃なのだ。中学生ではなんとか自分を抑え込み、足並みを揃えていた人たちも、大人になるとついていけなくなり、ふとした時にこうやってボロを出してしまうのだ。逆に、私の場合は、中学生の頃は、激しい反抗期により、いわゆるトラブルメーカーで、やたらと怒りっぽい性格だったのだが、14歳で怒りのパワーを使い果たすと、怒ることはほぼなくなった。
そして今の自分があるわけだが、明らかに「祖母や小中学生時代の教師、周囲の大人たち」に恵まれ、愛されていた証拠だと感じる。だから、未だに感謝したい相手が大勢いるし、環境の差は大きいことが理解できる。こういったこれまでの環境や習慣の答え合わせが行われるのが20歳前後になるのではないだろうか。
まとめ
今回は、20歳を過ぎると人間性の差が顕著になり、同い年とは思えないほどにハッキリする理由を解説した。私自身は、やはり「経験」に依存する気がした。経験は未来への糧となるカテゴリーで、経験数の多さが生きる機会は意外にも多いのだが、10代は、ほぼ全てが経験が浅い状態にあり、この頃にどれだけ積極的に経験を増やせたかで決まるのだと考えた。私も、今日からの21歳でもたくさんの経験をし、たくさんの学びがある時間を過ごしたいと考えた。また、これは完全に持論なので、異論や感想などがあったら遠慮なくコメントを書いておいてほしい!


コメント
3Mさん
コメントありがとうございます!
お祝いくださりありがとうございます!
最近は本当に楽しくて、幸福度が高い時期が続いているので、このまま1年間過ごしていきたいと思います!ありがとうございます!
誕生日おめでとうございます!
振り返ってみると、大企業に内定もらえる人は、大学生活は充実していて、遡ると中学高校も友達彼女がいた人が多いのかなと思いました。
さらに遡れば小学生や幼少時代で、既に外向性や運動神経の片鱗は見えているので、人生って何だかんだ才能だよなと思っています。
そして大企業に内定もらえた人は20代で結婚し、子どもや家、車を得て固まっていく人も良く見られます。なので現代社会って努力要素が人生に影響を及ぼす度合いよりも、
入社企業で決まるよなと思っていて、それは21歳で仕上がっているかどうかなので、先天的特性や社会的属性の影響が大きい。自身がMBTIに興味を持ったのはこのためですね
なので自分は単に「晩成型」と呼んでいます。「大器」になれるかはわからないし、実際は早熟型がラッシュをかけた方が大器になるパターンが多いからです
敷かれたレールがないので、良くも悪くも振れ幅が大きくなるのが晩成型の特徴かなと思います
blueさん
コメントありがとうございます!
たしかにそうなりそうですね!特に、ESFPやESTPなんかは、一生安泰にうまくやれている気がします!しかし、人間性については、やはり20歳までの行いが大きい気もします。一見して魅力的でも、中身がない人なんてたくさんいますし、Seユーザーなんかはそれが顕著な気もします。