やられた!お見事!!
つながった!完璧つながった。これで綺麗に「ライブアライブ」「射手座の日」「サムデイ イン ザ レイン」につながった!
まず確認をしておきます。
この「溜息V」のエピローグに当たる部分、喫茶店でのキョンとハルヒですが、これは原作「溜息」では「プロローグ」に書かれています。
「憂鬱」のラスト(エピローグ)、他の団員がなぜか急遽お休みになってしまい、2人きりで不思議探訪をすることになったってやつ。そう「まず宇宙人、未来人、超能力者について話してやるつもりだ」っていう、駅前のあのシーン(書いてて泣きそうになってきた。あの「最終回」「憂鬱VI」はマジ良かったよね…)の続きの部分です。
それは2人の服装を見ても、思い出し、ご理解いただけると思います。
したがってこのシーンは、「時系列順」に描いてきたこの「あらため」シリーズ中、唯一時系列が破綻しているシーンです。
それは仕方がありません。
「溜息」カテゴリーに入れようとしたら、どこに入れても、そう、たとえ原作同様に「溜息I」の冒頭に入れても、「時系列破綻」になります。
「憂鬱VI」の直後に入れない限り、このシーンは、時系列にあいません。
(もちろん、このシーンを「回想シーン」ととらえて、どこに入れても「時系列破綻」しないという考え方はアリ)
だから、あきらめてました。
このシーンは入らないよなーって。
そしたら、ここに入れてきたか!すげえ!
なにがすごいって、原作とはまた意味合いが違ってきてることが、すごい。
そして、このおかげで、この先の「ライブアライブ」「射手座の日」「サムデイ イン ザ レイン」に綺麗につなげてきたことが、すごい。
繰り返しますが、原作「溜息」はこの「宇宙人、未来人、超能力者についてのキョンの告白」をプロローグとして始まります。
「長門有希は宇宙人、朝比奈みくるは未来人、古泉一樹は超能力者」これをハルヒに否定させることからスタートします。
(更新中…ごめん。やっぱ今日はもう寝る。つづきはまた明日。)
結論だけ先に書いておくと、このシーンをここに持ってきたことにより、この先「サムデイ イン ザ レイン」という極点に向けて、皆「能力を失う」(「能力を露わに使わなくなる」「普通の学生になっていく」)ように見えていくという流れが自然になる。
「ライブアライブ」や「射手座の日」の長門?
それは「宇宙人」としての「能力」と言えますか?
初見でギターを弾けたり、超高速プログラミングが出来る人が居て、そんなにおかしいですか?
古泉の超能力やみくるの時間移動が残りの話数で出てこないのと同じように、長門の宇宙人的能力も影を潜めたと言えないでしょうか。
みんな、「サムデイ イン ザ レイン」に向けて、「普通の人」になっていっているように見えませんか?
それは、ハルヒがここで「否定」したから。
ぼくにはそのように受け取れます。
もちろん、これは、このシリーズ中の話です。
「サムデイ イン ザ レイン」を極点、最終回とするこのシリーズ中のみの話。
「消失」(新シリーズ)になったら、話はまた別よ。
ああ。明日書くのがめんどくさくなったら、「中略」にして、この結論部だけで終りにするかもww
それでは、おやすみなさいー。
つながった!完璧つながった。これで綺麗に「ライブアライブ」「射手座の日」「サムデイ イン ザ レイン」につながった!
まず確認をしておきます。
この「溜息V」のエピローグに当たる部分、喫茶店でのキョンとハルヒですが、これは原作「溜息」では「プロローグ」に書かれています。
「憂鬱」のラスト(エピローグ)、他の団員がなぜか急遽お休みになってしまい、2人きりで不思議探訪をすることになったってやつ。そう「まず宇宙人、未来人、超能力者について話してやるつもりだ」っていう、駅前のあのシーン(書いてて泣きそうになってきた。あの「最終回」「憂鬱VI」はマジ良かったよね…)の続きの部分です。
それは2人の服装を見ても、思い出し、ご理解いただけると思います。
したがってこのシーンは、「時系列順」に描いてきたこの「あらため」シリーズ中、唯一時系列が破綻しているシーンです。
それは仕方がありません。
「溜息」カテゴリーに入れようとしたら、どこに入れても、そう、たとえ原作同様に「溜息I」の冒頭に入れても、「時系列破綻」になります。
「憂鬱VI」の直後に入れない限り、このシーンは、時系列にあいません。
(もちろん、このシーンを「回想シーン」ととらえて、どこに入れても「時系列破綻」しないという考え方はアリ)
だから、あきらめてました。
このシーンは入らないよなーって。
そしたら、ここに入れてきたか!すげえ!
なにがすごいって、原作とはまた意味合いが違ってきてることが、すごい。
そして、このおかげで、この先の「ライブアライブ」「射手座の日」「サムデイ イン ザ レイン」に綺麗につなげてきたことが、すごい。
繰り返しますが、原作「溜息」はこの「宇宙人、未来人、超能力者についてのキョンの告白」をプロローグとして始まります。
「長門有希は宇宙人、朝比奈みくるは未来人、古泉一樹は超能力者」これをハルヒに否定させることからスタートします。
(更新中…ごめん。やっぱ今日はもう寝る。つづきはまた明日。)
結論だけ先に書いておくと、このシーンをここに持ってきたことにより、この先「サムデイ イン ザ レイン」という極点に向けて、皆「能力を失う」(「能力を露わに使わなくなる」「普通の学生になっていく」)ように見えていくという流れが自然になる。
「ライブアライブ」や「射手座の日」の長門?
それは「宇宙人」としての「能力」と言えますか?
初見でギターを弾けたり、超高速プログラミングが出来る人が居て、そんなにおかしいですか?
古泉の超能力やみくるの時間移動が残りの話数で出てこないのと同じように、長門の宇宙人的能力も影を潜めたと言えないでしょうか。
みんな、「サムデイ イン ザ レイン」に向けて、「普通の人」になっていっているように見えませんか?
それは、ハルヒがここで「否定」したから。
ぼくにはそのように受け取れます。
もちろん、これは、このシリーズ中の話です。
「サムデイ イン ザ レイン」を極点、最終回とするこのシリーズ中のみの話。
「消失」(新シリーズ)になったら、話はまた別よ。
ああ。明日書くのがめんどくさくなったら、「中略」にして、この結論部だけで終りにするかもww
それでは、おやすみなさいー。
さて、溜息終了。まだ考えが纏まりきっていませんが、現時点での結論を述べるなら。
俺は、この溜息というエピソードを蹴っ飛ばしてやりたいです(大爆
もう3年前の孤島→ライブの繋ぎでいいよ!何だよ新アニメーションってよお!(核爆
って感じです。もうヤダ。基本的なクオリティは高いのに、どうしてこうなるんだ・・・orz
エピローグ部分(憂鬱の続き)、一瞬ポカンとしましたが、すぐにそうだと気付けました。
溜息1で映画の配役表を見たキョンの「俺のせいかっ?」って台詞もこれかと理解出来ました。
そして、俺はこのシーンのせいで、‘溜息は憂鬱の次の話’という原作の並び順を最後の最後に強烈に叩き付けられるハメになりましたorz
ライブ以降の話と繋がるかって事を考えてて、それだけでも抜き差しなら無いものがある(この辺は獅子丸さんのトコにながーいコメント書いたのでそちら見てください^^;)のに、最後のアレはまるで
「溜息は憂鬱の次の話だよー。時系列順になんて考えちゃ駄目だよー。この次は退屈だよー」
と言われてるかのようで(怒
考えすぎというか被害妄想なのかも知れませんが、せっかく時系列順に並べ直したこの「あらためて」において、よりによって新作部分ラストにそれを完全否定するかのようなものを感じ取ってしまっては・・・orz
何ともネガティブになってしまいましたが(汗
とりあえず、現在の正直な感想と言う事で。
実際はこの完全否定の考えは頭の隅に追いやって別の事を考察してるのですが、エピローグ部分について触れるのに少しこぼしてしまいました^^;
基本的な流れは、原作と同じく渚ルートで行く。だが原作のエピソードを出来る限り全てアニメ化する為に、間に各ヒロインの話を挿入する。
よし、いい最終回(影二つ)が出来上がったぞ。何!?2期(アフター)との間にまだエピソード(夏休みの出来事)がある?しかももう作っちゃってる?(※)
仕方無い。それは番外編とでも銘打って、最終回の後に突っ込んでおけ!
ハルヒ改めて
基本的な流れは、原作と同じく憂鬱→溜息で行く。だが原作のエピソードを出来る限り全てアニメ化する為に、間に退屈~エンドレスエイトを挿入する。
よし、いい最終回(溜息Ⅴ)が出来上がったぞ。何!?2期(消失)との間にまだエピソード(ミクルの冒険~サムデイ)がある?しかももう作っちゃってる?
仕方無い。それは番外編とでも銘打って、最終回の後に突っ込んでおけ!
ちょっとしたお遊びですが、溜息Ⅴがあまりにも最終回してたので、ついやっちゃいました。
クラナド→クラアフ→けいおんと、番外編は最近の京アニの得意技でもありましたし。それくらいの扱いにしてやれば、多少本筋(溜息)と繋がらなくても問題無いし(爆
(※)CLANNADは元々一挙3クール放送だったものを、急遽分割したのだという当時の噂を採用してみました。