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日本画の発展に貢献した画家・加山又造 広島とのつながりと作品の魅力をプレゼン【アナたにプレゼン・テレビ派】

2024年6月7日 14:52
日本画の発展に貢献した画家・加山又造 広島とのつながりと作品の魅力をプレゼン【アナたにプレゼン・テレビ派】

広島テレビのアナウンサーが、気になるテーマを自ら取材して、お伝えする『アナたにプレゼン』。澤村優輝アナウンサーが、新進気鋭の作風で、戦後の日本画を牽引した、加山又造の作品と企画展についてお伝えします。

広島県大竹市の下瀬美術館で開催されている展覧会『開館一周年記念 加山又造 -革新をもとめて』では、日本画に新しい風を吹かせた足跡をたどることができます。加山又造の作品の特徴は、動物たちをモチーフにした画です。

自らを投影し描かれた「カラス」は、満身創痍のカラスに、自らの挫折を重ね合わせていたそうです。さらに、多い時には20匹以上飼っていたという「猫」にまつわる作品も展示されています。細やかな毛の流れや大きな瞳など、猫を描いた作品は、加山又造の人気シリーズになっています。猫の作品は、毛が1本1本繊細に描かれており、思わず手を触れたくなります。加山又造は、このような絵を描いていくことで、西洋の画風を積極的に取り入れ、日本画の発展に尽くしていきました。

祖父は画家の田辺玉田で、父は西陣織の衣装をデザインをしていたことから、加山又造は子供の頃から、芸術と親しんでいました。大学入学を機に上京し、戦時中は苦しい時期を過ごし、戦後にその才能が花開いていきます。広島で加山又造の展示会が開催されている理由としては、瀬戸内・広島と加山又造には大きな関係があるからです。 祖父の田辺玉田は、旅をしながら各地の風景を描いていく「旅の絵師」をしていました。旅をしながら、その旅先で絵を描いたり、仕事をもらいながら生計を立てていました。その旅先の1つ、広島で結婚することになり、広島で父も生まれました。

もう1つ関係性が、第2次世界大戦・原爆です。戦時中は、学徒動員で山口の周防大島で勤労奉仕にあたっていました。そして、1945年8月6日に、瀬戸内海の向こうに、原爆のキノコ雲を見ました。後に「晴天の遥か彼方に、ピンク色の丸い雲がぽっかりと浮かび、地鳴りのような轟音が空気を揺るがした。」と、その時の衝撃を振り返っています。敗戦の記憶が、加山又造の芸術性に大きな影響を及ぼしたと言われています。

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