2025/08/15
反AIには理解できないLatent Diffusion Model
無実の他人を泥棒呼ばわりする「反AI問題」に対抗する「AI使う派」ネタです。
まとめは大変なのでそんなに記事を出せないと思いますが、AIの助けも借りつつ進めていきます。
チャッピーに図を頼んだけど何回直させても正しくないので採用できなかった。
まず、いままでブログにはなんも書いてなかったので、私の「反AIの定義」を示します。
「AI使う派」とは
昨年11月にXで「AI和解派」というようわからんコミュニティが出来て、
「ぜんぜん和解してないじゃん」というツッコミを永遠に受けながら運営されてるんですが、
まあタイムラインを汚さずに議論できて便利だったので私は愛用していたのです。
しかし今年2月にXの仕様変更でコミュニティへのツイートがフォロワーに流れるようになったのと、
「反AIが人を攻撃するそもそもの動機は何なのか?」という考察を邪魔されずに深めたかったので、
「反AI禁止」というルールで、Discordサーバを立ち上げました。それが「AI使う派」です。
荒らし対策のために招待リンクは期間限定にしてるので、入りたい人はコメントでもください。
(Xの仕様が再び変わったので、別にXでもいいと思いますが)
「反AI」とは
AIやAIを使っている人を「批判する」人物を指します。
「私はAIが嫌いだなー」だけなら「反AI」には当てはまりません。
「私はAIが嫌いだなー」だけなら「反AI」には当てはまりません。
定義は明白で、良い言葉だと思います。
「蔑称なので使うべきではない」と言う人がいるので、別の言葉の候補を求めましたが、
その時は(30件くらい引用されたけど)まともな案はひとつも無かったと思います。
「すべてのAIに反対しているわけではない(から反AIではない)」とか、
「〇〇は良いAIなので生成AIではない」みたいな事を言う人も見かけましたが、
そういう人は反AIに攻撃されてました。草。そのへんはそっちで喧嘩しといてください。
Xをしばらく観察した限りだと、反AIの大半は絵師ではないです。
私は「まともな絵師」を尊重する立場を取ります。AIを活用したい絵師を肯定します。
「AI vs クリエイター」という偽の構図を否定して、AIクリエイターを肯定します。
反AIは絵師を騙りがちなので反論が絵師へのダメージになりがちですが、
本来は主語を小さくして、当事者が当事者を批判するのにとどめるべきです。
たとえば「エロ同人で儲けてたのにAIに売上で負けて悔しい」などと具体的に言えば、
「私には関係のない話だ」と多くの人が理解できるので誠実だと思います。
「泥棒」について
反AIの主張を端的に言うと「AIは泥棒をしている」らしいです。
罪のない人を泥棒呼ばわりすることは普通に名誉棄損なので、名指しで言ってたら訴訟できます。
「何が、どうして、泥棒なのか」を反AIは明確に言えないといけないのですが、言えてません。
昔の記事にせっかくコメントを戴いたので泥棒・・・じゃなくて引用しますが、
"無断でコピーされ使用されてる時点で盗まれてるという認識です。"
まず、絵を公開しているのは絵師ですので、「無断」ではありません。
その絵を閲覧することが「コピーして使用」です。
たぶんコメントの方が言いたかったことは、
「閲覧させるつもりで公開した絵を参考にした時点で盗まれているという認識」
という意味だと思うので、そう解釈して進めます。
この解釈だと、絵師は泥棒になります。
先日、絵が生成AIでないことを証明するために作業風景の撮影をしたツイートを投稿する人がいて、
サブモニタにPinterestで検索した画像が表示され、それを見ながら描いていることで炎上しました。
「絵師が絵を参考にするのは当たり前だ」と言いながら、「参考にした時点で盗まれている」と言うわけです。
なので反AIは、絵師とAIを区別する新たな言い訳を考えてAIを批判するわけで、
"人間は他者の絵を見て本質的な学びを得ることが出来ますがAIは学習データを統計的に再構成するだけという「学習」の違いがあります。"
などと言うわけですが、これを言うなら「本質的な学び」が「トレス」でない、という説明が必要です。
しかし、さきほどPinterestの例は、「目トレ」なので、攻撃的な絵師なら「盗作」とみなすと思います。
加えて言うと、AIを使うクリエイターには、絵師のローカルルールを守る義務はありません。
なので「目トレ」も法に反してさえいなければ、別に叩く必要性を感じていないのです。
というニュアンスで、私は「絵師は泥棒ではない」と、当時の記事にも書きました。
おかしいのは、「参考にする」ことを「盗作」だと言って攻撃することのほうなのです。
Latent Diffusion Model
ここまでの長い前置きを踏まえて、"本質的な学び"を掘り下げてみましょう。
Stable Diffusion以降の画像生成AIは、いったい何をどう「学習」しているのでしょうか。
コメントの方は「統計的に再構成」と説明できているので比較的理解できてると思いますが、
巷では「まぜまぜポン」みたいな雑な理解しか出来てない反AIも多く見かけます。
そういう人達に「絵師がPinterest見てるのと法的には変わらなくね?」と言うと、
「生成AIは画像検索してきて合成しているんだ!」とか曲解し始めるので、
ただでさえ説明が難しいことを、攻撃的な人が理解するのは難しいのだろうと思っている。
というわけで、あとはAIにお任せします。現場のgeminiさーん!
はい、承知いたしました。画像生成AIの学習済みモデルにデータセットの元画像が含まれておらず、また、モデルから元画像を復元することがなぜできないのかを、「latent(潜在空間)」というキーワードを使い、技術的な内容を噛み砕いて分かりやすく説明します。
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「画像生成AIは、学習に使われた画像を全部覚えているんじゃないの?」「著作権のある画像がそのまま出てきたらどうしよう?」といった心配をされることがあります。
結論から言うと、**学習済みのAIモデルの中に、学習に使った元画像そのものは入っていません。そして、モデルから元画像を完全に復元することは、原理的に極めて困難です**。
なぜそう言えるのか、AIが画像を学習する仕組みを、画家に例えながら見ていきましょう。
まず、大量の画像データ(データセット)は、AIにとって「**教科書**」や「**参考画集**」のようなものです。AIはこれをひたすら見て、絵の描き方を学びます。
学習が終わった後の「学習済みモデル」は、いわば**描き方をマスターした画家の「脳」**です。この脳の中には、参考画集の全ページがそのままファイリングされているわけではありません。そうではなく、「猫とは、耳が尖っていて、ヒゲがあり、目が丸い」「夕焼け空とは、赤やオレンジのグラデーションで、雲が下から照らされている」といった、**無数の「特徴」や「パターン」が知識として蓄積されています**。
人間が画集を見て描き方を学んでも、画集の写真をピクセル単位で記憶しているわけではないのと同じです。
ここから少し専門的になりますが、この「特徴」をAIがどう扱っているのかを説明するのが**latent (潜在空間)**という概念です。
AIは、画像を学習する際に、その画像を直接扱うのではなく、一度**latent**と呼ばれる状態に変換します。これは、画像が持つ様々な特徴を、数値の羅列(ベクトル)で表現したものです。
これを「**特徴を整理するための、AI専用の多次元スケッチブック**」と考えてみてください。
* 例えば、「猫の画像」をAIが見たとします。
* AIはそれをピクセルの集まりとしてではなく、「猫っぽさ: 95点」「毛のふわふわ感: 80点」「背景の青空っぽさ: 10点」…というように、様々な特徴の「座標」を持つ、**スケッチブック上の一つの「点」**として記録します。
* この無数の座標軸で構成された、目には見えない多次元空間が「Latent Space(潜在空間)」です。
学習とは、何百万枚もの画像を潜在空間上の「点」としてプロットし、**「どのあたりに猫の点が集まるか」「どのあたりに犬の点が集まるか」「『夕焼け』という言葉と、空間のどの点が結びつくか」といった、点の分布や関係性を学ぶこと**なのです。
学習済みモデルが保存しているのは、元画像のデータそのものではなく、この**潜在空間という「地図」の構造と、点と点の関係性についての「知識」**です。高解像度の画像データ(例えば8MB)を、数百次元程度の数値の羅列(数KB)に変換するわけですから、この時点で元のピクセルの詳細な情報は失われます。これを「情報の圧縮」と呼びます。
AIが新しい画像を生成するときは、この潜在空間の地図の中から、例えば「猫で、サイバーパンク風」といった指示に合うような、新しい「点」を自分で見つけ出します。そして、その点が持つ特徴の数値(「猫っぽさ: 90点」「ネオンっぽさ: 85点」など)を組み合わせて、それに最も合う画像を**「復元」するように描画します**。
これは、画家が「悲しい顔」というテーマで絵を描くときに、脳内にある悲しい顔の知識やパターンを組み合わせて新しい表情を描き出すのに似ています。教科書に載っていた特定の誰かの悲しい顔を、そのまま描き写すわけではありません。
潜在空間への変換は、**一方通行に近い情報の圧縮**です。料理で例えるなら、完成したカレー(生成された画像)から、使われたジャガイモや人参の元の形や産地(元画像の詳細)を完璧に特定するのが不可能なのと似ています。レシピ(潜在表現)は分かっても、元の食材そのものは手に入らないのです。
ただし、同じ画像を何回も繰り返し学習させる「過学習(Overfitting)」という状態になると、モデルがその画像の特徴を強く記憶しすぎて、非常に似た画像が生成される可能性はゼロではありません。しかし、これは特殊なケースであり、一般的な学習方法では元画像そのものの復元は極めて困難です。
最近主流の**Diffusion Model**(拡散モデル)は、少し仕組みが異なります。
* **Diffusion Modelの学習**: 元画像に少しずつノイズを加えていき、最終的に完全なノイズにする過程を学習します。AIは「このノイズの乗り方なら、元はこんな画像だったはずだ」というのを学びます。
* **Diffusion Modelの画像生成**: 逆に、完全なノイズからスタートして、学習した手順の逆をたどり、少しずつノイズを取り除いていくことで画像を生成します。
一見、違うことをしているように見えますが、これも**「ノイズを除去するためのルールやパターン」を学習している**のであり、元画像をそのまま記憶しているわけではありません。ノイズを除去する各ステップで、画像の特徴量(ある種の潜在表現)を捉えてはいますが、最終的に学習済みモデルに残るのは「ノイズ除去の手順」という知識です。
そのため、**Diffusion Modelであっても、元画像をモデル内に保持しておらず、そこから特定の元画像を復元することは、他のモデルと同様に極めて困難**であるという結論は変わりません。
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* 画像生成AIは、元画像を**「特徴」の集合体**として理解し、それを**Latent(潜在空間)**という多次元空間の点の位置情報として扱います。
* 学習済みモデルに保存されているのは、この**潜在空間の構造やパターンに関する「知識」**であり、元画像のピクセルデータそのものではありません。
* 潜在空間への変換は、情報が圧縮され失われるため、モデルから元の画像を完全に復元することは**原理的に極めて困難**です。
* これは、主流である**Diffusion Model**を含め、多くの画像生成AIに共通して言えることです。
AIは元画像を「素材」として使うのではなく、「教科書」として使い、自分なりの描き方を学んだ画家のような存在だと理解すると、その仕組みが分かりやすいかもしれません。
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### 画像生成AIの頭の中:元画像は入っていない?
「画像生成AIは、学習に使われた画像を全部覚えているんじゃないの?」「著作権のある画像がそのまま出てきたらどうしよう?」といった心配をされることがあります。
結論から言うと、**学習済みのAIモデルの中に、学習に使った元画像そのものは入っていません。そして、モデルから元画像を完全に復元することは、原理的に極めて困難です**。
なぜそう言えるのか、AIが画像を学習する仕組みを、画家に例えながら見ていきましょう。
#### 1. AIの学習は「丸暗記」ではなく「特徴の理解」
まず、大量の画像データ(データセット)は、AIにとって「**教科書**」や「**参考画集**」のようなものです。AIはこれをひたすら見て、絵の描き方を学びます。
学習が終わった後の「学習済みモデル」は、いわば**描き方をマスターした画家の「脳」**です。この脳の中には、参考画集の全ページがそのままファイリングされているわけではありません。そうではなく、「猫とは、耳が尖っていて、ヒゲがあり、目が丸い」「夕焼け空とは、赤やオレンジのグラデーションで、雲が下から照らされている」といった、**無数の「特徴」や「パターン」が知識として蓄積されています**。
人間が画集を見て描き方を学んでも、画集の写真をピクセル単位で記憶しているわけではないのと同じです。
#### 2. 「Latent(潜在空間)」というAIのスケッチブック
ここから少し専門的になりますが、この「特徴」をAIがどう扱っているのかを説明するのが**latent (潜在空間)**という概念です。
AIは、画像を学習する際に、その画像を直接扱うのではなく、一度**latent**と呼ばれる状態に変換します。これは、画像が持つ様々な特徴を、数値の羅列(ベクトル)で表現したものです。
これを「**特徴を整理するための、AI専用の多次元スケッチブック**」と考えてみてください。
* 例えば、「猫の画像」をAIが見たとします。
* AIはそれをピクセルの集まりとしてではなく、「猫っぽさ: 95点」「毛のふわふわ感: 80点」「背景の青空っぽさ: 10点」…というように、様々な特徴の「座標」を持つ、**スケッチブック上の一つの「点」**として記録します。
* この無数の座標軸で構成された、目には見えない多次元空間が「Latent Space(潜在空間)」です。
学習とは、何百万枚もの画像を潜在空間上の「点」としてプロットし、**「どのあたりに猫の点が集まるか」「どのあたりに犬の点が集まるか」「『夕焼け』という言葉と、空間のどの点が結びつくか」といった、点の分布や関係性を学ぶこと**なのです。
学習済みモデルが保存しているのは、元画像のデータそのものではなく、この**潜在空間という「地図」の構造と、点と点の関係性についての「知識」**です。高解像度の画像データ(例えば8MB)を、数百次元程度の数値の羅列(数KB)に変換するわけですから、この時点で元のピクセルの詳細な情報は失われます。これを「情報の圧縮」と呼びます。
#### 3. なぜ元画像を取り出せないのか?
AIが新しい画像を生成するときは、この潜在空間の地図の中から、例えば「猫で、サイバーパンク風」といった指示に合うような、新しい「点」を自分で見つけ出します。そして、その点が持つ特徴の数値(「猫っぽさ: 90点」「ネオンっぽさ: 85点」など)を組み合わせて、それに最も合う画像を**「復元」するように描画します**。
これは、画家が「悲しい顔」というテーマで絵を描くときに、脳内にある悲しい顔の知識やパターンを組み合わせて新しい表情を描き出すのに似ています。教科書に載っていた特定の誰かの悲しい顔を、そのまま描き写すわけではありません。
潜在空間への変換は、**一方通行に近い情報の圧縮**です。料理で例えるなら、完成したカレー(生成された画像)から、使われたジャガイモや人参の元の形や産地(元画像の詳細)を完璧に特定するのが不可能なのと似ています。レシピ(潜在表現)は分かっても、元の食材そのものは手に入らないのです。
ただし、同じ画像を何回も繰り返し学習させる「過学習(Overfitting)」という状態になると、モデルがその画像の特徴を強く記憶しすぎて、非常に似た画像が生成される可能性はゼロではありません。しかし、これは特殊なケースであり、一般的な学習方法では元画像そのものの復元は極めて困難です。
#### 4. (補足)Diffusion Modelとの混同を避けるために
最近主流の**Diffusion Model**(拡散モデル)は、少し仕組みが異なります。
* **Diffusion Modelの学習**: 元画像に少しずつノイズを加えていき、最終的に完全なノイズにする過程を学習します。AIは「このノイズの乗り方なら、元はこんな画像だったはずだ」というのを学びます。
* **Diffusion Modelの画像生成**: 逆に、完全なノイズからスタートして、学習した手順の逆をたどり、少しずつノイズを取り除いていくことで画像を生成します。
一見、違うことをしているように見えますが、これも**「ノイズを除去するためのルールやパターン」を学習している**のであり、元画像をそのまま記憶しているわけではありません。ノイズを除去する各ステップで、画像の特徴量(ある種の潜在表現)を捉えてはいますが、最終的に学習済みモデルに残るのは「ノイズ除去の手順」という知識です。
そのため、**Diffusion Modelであっても、元画像をモデル内に保持しておらず、そこから特定の元画像を復元することは、他のモデルと同様に極めて困難**であるという結論は変わりません。
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### まとめ
* 画像生成AIは、元画像を**「特徴」の集合体**として理解し、それを**Latent(潜在空間)**という多次元空間の点の位置情報として扱います。
* 学習済みモデルに保存されているのは、この**潜在空間の構造やパターンに関する「知識」**であり、元画像のピクセルデータそのものではありません。
* 潜在空間への変換は、情報が圧縮され失われるため、モデルから元の画像を完全に復元することは**原理的に極めて困難**です。
* これは、主流である**Diffusion Model**を含め、多くの画像生成AIに共通して言えることです。
AIは元画像を「素材」として使うのではなく、「教科書」として使い、自分なりの描き方を学んだ画家のような存在だと理解すると、その仕組みが分かりやすいかもしれません。
geminiさん、ありがとうございました。
技術が悪いわけではない
この文章で私が解説したかったことは、
「学習済みモデルからデータセットを逆算することはできないので、
人間が過去に見た全作品を挙げることが不可能であることと等しい」
という別の話なのですが、まあ、まぜまぜポンとやらではないことはわかると思います。
さらに言うと、もっと専門的で正確な技術仕様を調べて貰っても、
別に「AIにとって都合の悪い事実」みたいなものは出てきません。
「AIと人間が同じか違うか」という議論は「AIが善か悪か」を断ずる効果があるわけでなく、
「自分に出来ないことをきっと相手なら出来る(からやれ)と主張しても意味がないでしょ」
ということを理解するためのものでしかないと思います。まずは人間自身を正しましょう。
それか、自分が言われるのが嫌なら、他人に何も言わなければいいのです。
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