個展や本のカバー装画も多い人気イラストレーターの松尾たいこさん。32歳でデビューしてからは瞬く間に売れっ子になった松尾さんですが、実はそれまでには自信のないままに生きていたそうです。
母親との確執もあり、虚弱体質ですぐに疲れてしまう自分に自信が持てずにいたモノクロの人生。そこに少しずつ色がついていくように変わっていきました。
松尾さんが描く色鮮やかな絵のように、人生にどうやって色をつけていったのか。連載第6回は、超虚弱体質だった松尾さんが人生が全く変わるほどに体調が回復した経緯をお伝えしてもらいます。
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頭痛に蕁麻疹、薬を手放せなかった
私はかなり長い間、超虚弱体質でした。
大病はしませんが、子供の頃からの脊柱側彎症もあり、いつも疲れやすく、疲れるとすぐに寝込んでいました。
数日に一度は頭が痛くなるので、出かける時には頭痛薬が手放せません。
季節ごとに風邪を引き、一週間は寝込みます。疲れやすいので会食やお出かけの約束は一日おきしか入れられず、移動手段はほとんどタクシー。
少し無理をするとすぐに湿疹や蕁麻疹が全身に広がります。だからステロイドも10年以上飲み続けていました。せっかく休みをとって海外旅行に出かけても、旅の前半はほぼ具合が悪い状態でした。
とにかく体力を少しでも消耗しないように気をつけ、昼間に外出したら夜は自宅でおとなしくするというような暮らしを長年続けていました。
だから私の暮らしは、基本的には「出かけない」生活でした。
絵を描くという自分の仕事以外をする体力はなく、掃除も洗濯も外注。食事は夫が担当です(食事は今も夫が作りますが)。
「体質を変えたい」と思ったきっかけ
この体質を変えたい!と思ったのは、15年ほど前のことです。
以前は「絵を描くことさえできればいい」と思っていました。
ようやく自分の好きなことを仕事にできたんだから、それで満足しよう、この弱い体とはずっと付き合っていかなければいけないんだ、そう思っていました。
でも夫と暮らすようになって、一緒に旅をしたりキャンプをしたりと以前よりも外に出るようになり、おもしろい映画やアートなどを教えてもらったりするうちに、「あそこに出かけたい」「あれを観に行きたい」と、もっと生活全般を楽しみたい!という気持ちが強くなったのです。
断食施設に飛び込む
そこでインターネットで検索して見つけたのが、伊豆にある断食施設「やすらぎの里」でした。
「元気になるための道」が目の前に開かれたような気がして、やる気満々で6泊7日の1週間プランにひとりで申し込みました。しかし初日の面談でいきなり「体力的に断食は無理」と言われ、体にいいものをしっかり食べるという普通食コースでのスタートとなりました。
それでも基礎体力のない私には、最初の数日がとても辛かったことを覚えています。頭痛で一日中寝込んだ日もありました。断食中にだるさや頭痛が起こることはあるそうですが、体力のない私には、普通食でも断食と同レベルのダメージだったようです。
また普通食のメインは玄米ごはんだったのですが、胃腸が弱く玄米を消化しきれません。また鯖と筍も食べると湿疹が出るので、私だけいろいろとメニューを変更していただきました。
だけど毎日の予定に組み込まれている体操や施術、散歩、そして野菜中心の健康的な食事のおかげで、1週間後には自分の中に今までなかった「生きることへのポジティブなエネルギー」が溢れていました。
帰って来た私は「なんだかいろんなことができる気がする!」と目を輝かせ、顔色もすっかりよくなっていたため夫もびっくりしていました。
そして1年後には夫婦で一緒に行くようになり、いまでも1年に一度ぐらい、3泊4日のコースで滞在をしています。
また「やすらぎの里」で食の大切さを知り、『粗食のすすめ』を書かれた幕内秀夫さんの指導を受けたりしたことで、我が家の食事はそれからどんどんシンプルにヘルシーに変わっていきました。
こうやって徐々に元気になっていきましたが、やはりまだまだ体力に自信はなく、無理をしたなと思うとてきめんに次の日は寝込んでいました。
劇的に健康になった骨盤トレーニング
そんな私が劇的に健康になったのは、宮澤理恵さんがインストラクターを務める骨盤トレーニング(ゆらトレ)のおかげです。
これは骨盤の位置を整えて、体の筋肉を均等につけてバランスのいい体を作るための体操。
理恵さんは宝石商なのですが、2007年にまくらを使った体操法に出会い、肩こりや疲れやすさが改善したことで、その体操法を取得し、自宅でレッスン教室を開きました。それが2012年のことです。
長年の友人でもある理恵さんが、私の体の弱さを見かねて、レッスンに誘ってくれました。
運動は大嫌い。でもなんとか体力をつけなくてはと夫と同じジムに時々は通っていたし、これ以上運動をするのはまっぴらだと思っていたので、最初は「え、やりたくない」って及び腰でした。
だけど「たいちゃん、お願いだから一度やってみて。」と熱心に言うので「まあそこまでいうんなら」って感じでしぶしぶ……。
いま思えば、「あの時は嫌そうな顔して本当にごめんなさい!」って感じです。
だけどこの体操、やってみたら「あれ?すごく簡単。これなら私にもできそう」ということで続けることにしました。
ゆるく「できる範囲」で続けていった
元々、なんでも無理をせずコツコツやるのは得意なタイプ。
月に3回のレッスン、そして自宅での毎日1時間の体操の日々が始まりました。
といっても5分しかできない日もあったりと、ゆるーいスタートでしたが、とにかく「やらない日を作らない」ようにしました。
1ヵ月後に、身体中に蕁麻疹が出たり、その後も頭痛や耳鳴りがしたりしましたが、それを乗り越えたら、気がつくと数カ月後には肩コリもなくなり、どんどん元気になっていきました。
そうやって目に見えて体が変わってくると、もっと変わりたい!と俄然やる気が出ます。3年が過ぎた頃には、脊柱側彎症でゆがんでいた背骨もほぼまっすぐになりました。
またバランスよく筋肉が付いたので、首回りがすっきりし、ウエストがくびれるという予想していなかったプラスポイントも。
腹筋が少し付いたことで、食後にお腹がポコッと出にくくもなりました。
元気になりたいために頑張った体操でしたが、美容面の効果があったのは得した気分です。
見違えた人生
いまの私は別人のようです。
体の歪みがなくなって筋肉が付くとこんなに元気になるんだ!と日々実感しています。
疲れにくくなり、毎日外出ができます。タクシーなんてめったに使わなくなりました。電車・バス・徒歩がメインです。
もともとヒールの靴はあまり履きませんが、さらにスニーカーやスポーツサンダルでのお出かけが増えました。
友人のお誘いも積極的に受けることができます。そのおかげで、いろいろな知らない世界への道が開けました。
私の暮らし方も、この8年ぐらいでずいぶん変わりました。
2011年の東日本大震災をきっかけに軽井沢と東京の二拠点生活になり、また2015年からは福井で陶芸制作を行うために福井にアトリエを構え、三拠点生活になりました。
これも健康になったからこそ、送れる生活です。
1ヵ月の間に3つの場所を移動なんて、以前の私なら、車や電車での移動だけでぐったりしてしまい、到着後の数日は体調を崩していたことでしょう。
今ではノートパソコンなどを入れたリュックを背負い、時には犬を入れたカートを持ち、新幹線と車を乗り継いで福井や軽井沢へ行きます。
でも到着してすぐに制作に取りかかれるほど元気です。
こんな生活が送れるなんていまでも信じられないなと思うことがあります。
何度も「やすらぎの里」に滞在し、食事を変え、生活を変え、骨盤トレーニングに通い、少しづつ体力をつけ、10年以上かけてようやく人並みの体力がつきました。
いまでは、食べ物のアレルギーも全くなくなり、少食だけれど、なんでも美味しく食べることができます。
手っ取り早く健康になれればいいけれど、やはりそんな近道はないみたいです。ゆるい歩みで少しずつ「前の日よりもちょっとだけ元気」を積み重ねていって、ここまでこられました。
諦めなければ、心も体も、人はいつからでも変わることができる。
そのことを、私は体感したのです。
次回は8月17日公開予定です
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アーティスト/イラストレーター
松尾 たいこ
アーティスト/イラストレーター 広島県呉市生まれ。約10年の自動車メーカー勤務を経て32歳で上京。1998年よりイラストレーターに転身。大手企業の広告などにも多く作品を提供、手がけた本の表紙装画は300冊を超える。角田光代や江國香織との共著やエッセイも出版。単著に『35歳から私が輝くために捨てるもの』『クローゼットがはちきれそうなのに着る服がない!そんな私が、1年間洋服を買わないチャレンジをしてわかったこと』などがある。最新作は自らのペットとの別れを元にした絵本「きっとそこにいるから」。イラストエッセイ『出雲IZUMOで幸せ結び』(小学館)『古事記ゆる神様100図鑑』(講談社)を発表するなど、神社や古事記にまつわる仕事も多い。それらの経験を通じ、火・風・水・土など森羅万象に神が宿るという古代日本の概念に共感し作品での表現を追求中。現在、東京・軽井沢・福井の三ヶ所を拠点に活動している。