倉本圭造 倉本圭造
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「今際の国のアリス」vs「イカゲーム」 日韓デスゲームドラマ比較から考える2つの「世界観」の違いと今後の日韓関係

「カイジ」とか「今際の国のアリス」とか「日本コンテンツの王道ジャンル」だった「デスゲームもの」を大胆に再解釈した韓国ドラマ、「イカゲーム」が動画プラットフォーム「ネットフリックス」で世界的にものすごくヒットしているらしい。

ネットフリックスのコンテンツは、たとえば映画の場合の配給収入ランキングとかほど明確なランキングを発表していなかったんですが、最近徐々に公開されつつある「全ユーザー視聴時間合計ランキング」において、CEOのテッド・サランドス氏が「イカゲームが過去最も人気なネットフリックスコンテンツになりそう」と発言するなど、日本国内にいるとあまり実感できませんけど凄いヒットになっているようで。

一方で、実は日本のデスゲームドラマ「今際の国のアリス」もネットフリックスで一年前ぐらいに公開されて、これも同社の世界総合ランキングでトップ10入りするぐらいの「中ヒット(イカゲームの”特大ヒット”と比べれば”中”だけど、普通に考えれば”大ヒット”と呼んでいいぐらいではある)」ぐらいにはなったんですよね。シーズン2も製作中らしい。

で、「同じジャンル(しかも日本の得意分野だったデスゲームというジャンル)」で、日本発のドラマが「中ヒット」ぐらいで、韓国発のドラマが「特大ヒット」ぐらいになった事について、色んな事が今言われてると思うのですが。

「韓国礼賛派」からすると日本の芸能界がいかにダメで、韓国がいかに素晴らしいかって話になるし、逆に「韓国批判派」からすると「パクリだ!」という話になったりする。

まあイカゲーム製作者も日本のデスゲーム漫画(特にカイジ)を参考にしたって言ってるそうなんで、パクリっちゃパクリでしょうけど、でもそういうことを言い始めると日本のコンテンツだって元はアメリカや欧州のパクリだったりするものも多いので、コンテンツビジネスってそういうものだと思うんですね。

にも関わらず「イカゲーム」は「特大ヒット」で「今際の国のアリス」は「中ヒット」ぐらいだった・・・ということは一応直視して、彼らの強いところがどういうところなのか、とか、日本がそれを取り入れるにはどうしたらいいのか、とか、考えて見てもいいかなと思って書きます。

特に、この両作は両方とも同じネットフリックス社が巨額の制作費を(ちょっとしか出てこない渋谷の交差点の巨大セットを実物で作るほど)出して、さらに同じネットフリックス社が世界に配信しているので、よくある「韓国芸能界と日本芸能界の資金力や営業力の違い」とか「世界を向いて作っているか国内向けかという文化の違い」という観点の理由づけが成り立たないぶん「比較しがいがある」と思うんですね。

というわけで、僕は個人的に「今際の国のアリスの原作漫画」が結構好きで、ドラマ版はまあそこそこって感じの人間だったんですが、今回2つの「デスゲームドラマ」を見比べてみて、その2つの「背後にある世界観の違い」とか、今後の日本コンテンツはどうしていけばいいのか?みたいな話について考える記事です。

単にイカゲームはこうだけどアリスはこうだね、おしまい・・・で終わらせず日韓社会の違いや今後について多面的に考察したかったんで結構長い記事になりましたが、それなりに面白いものになっていると思うので、お時間ある時にお読みいただければと思います。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●「中ヒット」と「特大ヒット」を分けたものは「わかりやすさ」

今回「イカゲーム」を見てから、そういや「今際の国のアリス」と比較する考察記事とか書いたら面白いかもしれないな・・・と思って「今際の国のアリス」も飛ばし飛ばしもう一度見たんですけど。

そうやって改めて見直してみると、「中ヒット」と「特大ヒット」の違いを生んだ原因は、

あきらかに「わかりやすさ・とっつきやすさ」が全然違う

ってことじゃないかなあ、と思いました。

というか「今際の国のアリス」は原作漫画がそもそもこういう連続ドラマ向けになっていなくて、かなり無理をして切り出した一部分だけをドラマにしてるので、実際何が起きている話なのか、デスゲーム漫画に慣れてる日本人からしても全然意味不明なんですよね。

というか最後まで謎は謎のままシーズン1は終わってしまったんで、逆に言うと「こんな謎なドラマがよく世界的なヒット作になったよな」とむしろ驚いてしまう感じがする(笑)

日本人でも「???」ってなるドラマを海外の人はどうやって楽しんだんだろうか・・・という気持ちになる。逆に言うと「それだけ取っつきにくいストーリーのドラマでも世界的にヒットするほど凄いポテンシャルが、デスゲームというジャンルにはもともとあった」と言えるのかもしれない。

で、「デスゲーム部分の高度な駆け引きの面白さ」みたいなのは「アリス」の方がかなりあると思うけど、「イカゲーム」はそもそもソレを追い求めていないというか、むしろ「わかりづらい高度な駆け引き」みたいなものはほとんどないんですよね。ゲームはめっちゃシンプルで、どうすればこうなる的なルールがシンプルすぎて、「駆け引き」とかはそもそもあまりない。

一方で「デスゲームが結果的に持っている人間ドラマの部分」を「世界共通に存在する社会問題」の文脈と繋げることで、

「デスゲームの面白さ」の「わかりやすい方の半分」だけを切り出して、「それを理解するための世界中誰でもわかる文脈」とつないだ

的な部分は見事に機能しているなあ、と感じました。

実際、主人公の幼馴染のエリート、チョ・(ソウル大学経営学部主席)・サンウ氏のチマチマ見せるセコいエゴと外面のギャップとか、人の良さそうなお爺さんオ・イルナム氏の隠れた顔の恐ろしさとか、ゲーム全体を安全なところから観戦して楽しんでいる「白人VIPの人々」の戯画化された狂瀾とか、そういうキャラクターたちが織りなすドラマを「カネと死」が繋ぐことで、「現代資本主義社会ってこういうものだよね」的な寓話感が出てくるというか。

日本のデスゲームの魅力は「高度な駆け引きの面白さ」と、この「死に直面することがもたらす人間ドラマ」の両面があったと思うんですが、「イカゲーム」はその「わかりやすい方の半分」だけを取って、しかも「現代資本主義社会の問題」という「世界的にわかりやすい文脈」につないで必要十分に作りきった力量が、「中ヒット」と「特大ヒット」の違いかなあ・・・という感じがしました。

これはKポップ音楽にしろも韓国映画にしても、こういう「今の世界の流行」を分析的に理解した上で「戦略的に狙いすましたわかりやすさ」を「ちゃんと細部まで最後までやりきる」力が、好き嫌いはともかく「すごいなあ」と感じている人も多いと思います。

2●じゃあ日本コンテンツも「わかりやすいもの」作れよ!と思うけど・・・

で、じゃあ日本ドラマも「わかりやすいもの」作ればいいじゃん・・・みたいな話になってくるんですけど、まあそれはそれで色々挑戦するべきだとは思うんですが、現状の「日本コンテンツの一番美味しい部分」は「単純なわかりやすさ」と相性が悪くて、なかなか両立が難しいという問題があるんだと思うんですね。

というかまあ、そういう意味では「今際の国のアリスのネトフリドラマ」は「せいいっぱいわかりやすく作った」んだなあ、という尊敬の気持ちが湧きました。

日本コンテンツにはいわゆる「ガラパゴス化」の良い面と悪い面があって、非常にオリジナルな独特の「面白さの源泉」があって、それは直接的に1億人強の日本人が内輪で突き回しながら「体得的」に醸し出されてくるものなんで、その文脈を共有していない外国人には入ってきづらい部分もある。

一方で、韓国はもっと「国全体が世界と文脈を共有している」感じなので、内輪のヒットが世界と繋がりやすいというか、それがとりあえず昨今の好循環をもたらしている感じではある。

韓国コンテンツのように、コンテンツの細部まで「トップダウンに戦略的合理性の延長として」作り込む、みたいなことが日本人は苦手というかあまり好きじゃないんですよね。

マネできるところはしたらいいけど、自分の特性とあまり合っていないことを無理やりやってもそれは微妙な結果になりがちだと思う。

一方で、同時期の「日本発の世界的特大ヒットコンテンツ」って、たとえば「あつまれ どうぶつの森」とか「こんまりさん」とか、

「頭で考えた戦略的合理性を突き詰めたって絶対出てこないもの(笑)」

が多いなあ、って思うんですよね。

ああいうのを「頭で考えて狙って」作ろうとしてもちょっと無理があると思う。「好きなことを突き詰めていたら勝手に」っていうおとぎ話をマジでやる必要があるというか。

こういうのは「韓国的な戦略的合理主義」が排除しがちなところで、醸造食品のように出来上がってきた旨味成分を消さないようにしながら、最後の部分だけ物凄く科学的に超うまく真空パックして世界にお届けしました・・・みたいな感じの成功パターンだなという感じがします。

3●「2つの戦略性」の違いを理解し使い分ける

「どうぶつの森」とか「こんまりさん」とかの世界的ヒットに「戦略性」がなかったかっていうと、これはこれで凄い「戦略性」があったはずなんですよね。「好きなことをただ突き詰めただけです」でないことは確かなんですが。

ただその「戦略性」の種類が違うというか、

・「世界に既に存在する言語化された文脈」を「トップダウンに隅々まで実現する」タイプの韓国コンテンツの戦略的合理性

と、

・「醸し出される」レベルの体得的な「旨味」を、世界的にも理解できる文脈にパッケージして届けるための戦略的合理性

って、なんか同じ「戦略」と名前がついていてもやるべきことは随分違うな、という感じがします。

韓国コンテンツの昨今の成功を参考にはしつつ、日本は「後者の戦略性」をもっと突き詰めるにはどうしたらいいのか?について真剣に考えるべきだと思います。

ただそれは「世界の文脈」を無視して「体得的なもの」にひきこもれという話ではなくて、「自分たちの体得的な感覚」はそのまま自由に泳がせつつ、それに「世界的な文脈から見た意味づけ」を、「もっと巨視的なレベルで見出していく」ようなことが必要で。

4●「天災か人災か」日本と韓国を分ける「2つの世界観」

そういう発想のヒントになるかなあ、という話として、私は経営コンサル業のかたわら色んな個人と「文通」をしながら人生を考える、みたいな仕事もしていて(ご興味があればこちら)そのクライアントのある女性が「イカゲーム」の感想として言ってたんですけど、

韓国の人はあらゆる問題は「人災」だと思っていて、日本人はあらゆる問題を「天災」だと思っているんじゃないか

という指摘はなかなか面白かったです。

日本人は地震から台風から次々と襲ってくる環境で長年暮らしてきた一方で、島国という環境上外敵に侵入されたことはほとんどなかったんで、「天災」にどう対応するかが文化の基礎にあるのかも?

一方で韓国は、隣に地続きに「超巨大帝国」があり続けていて、いつ征服されるかわからない環境(しかも半島っていうのは軍事的に防衛が非常に難しいらしい)で、要するに災いの大本には「人」がいる、というか、英語で言う「BIG BAD ○○(日本語で言うと”巨悪”?)」みたいな存在がいて、それをやっつけなくては!、という感覚があるのかも?

僕は高校生のときに阪神大震災で被災してるんですが、近所がワンブロックまるごと焼け野原になったりしたけど、「天災」だから誰のせいってわけでもないんですよね。まあ自宅の手抜き工事の結果として家族が圧死したとかあれば別ですけど、総合的に見ると「誰のせいでもない」が基本姿勢になる。

日本人は戦争の災禍も基本的には「天災みたいなもの」と考えてるんで、一個一個の災厄の原因を「特定の人」に結びつけて糾弾する・・・みたいなのは日本人のマジョリティの習慣としては薄いところがあると思います。

で、「天災メンタリティ」も「人災メンタリティ」もただ違うってだけでどちらが良いとか悪いとかはないと思いますが、それぞれなりに長所も短所もあるんですね。

「天災メンタリティ」は「だれのせいでもない」事にすることで、しょうもない責任のなすりつけあいに陥ることなく協力して「復興」に取り組むことはできる長所はある。

一方で「天災メンタリティの短所」というのは、なんでもかんでも「だれのせいでもない」「しかたがない」ってことにすることで、本来糾弾されるべき存在も放置されてしまいがち・・・になるところはあるやもしれない。

その点をちゃんと追求できるのは「人災メンタリティ」の長所だと思いますが、逆に言うと「延々と誰かが悪いと言い続けることの無理」みたいな問題は、今後の韓国社会にとってそれなりに大きな課題になってくるように思います。

(ちなみにツイッターで指摘されての追記なんですが、この記事は”人災型は不寛容だが天災型は寛容だ”という話をしたいのではなく、”天災型なりの不寛容さ”は明らかにあると思います。それが今の日本社会を息苦しくしていると感じている人も多いでしょう。ただそれは、”あまりに人災型の価値観が全面化される人類社会の流行の中で天災型のコアを守るための防衛反応としての締付け”だと理解することではじめて解決の道が見えてくるのだという趣旨で読んでくれたらと思います)

5●「人災メンタリティ」の方が今の時代には世界的に理解しやすいが・・・

ここで考えたいのは、今の人類社会の基調となっている欧米文化、特にアメリカの文化自体が「人災メンタリティ」寄りなんで、「人災メンタリティのストーリー」の方が世界と繋がりやすいってのはあるんですね。

「今際の国のアリス」と「イカゲーム」の違いもまさにそこにあって、ちょっとネタバレですけど、最後の最後までネトフリドラマでは明かされなかった「今際の国のアリス」の「本当の黒幕」は、実は「天災」みたいなものなんですよ(詳しく知りたければ漫画版を最後まで読むか、ウィキペディアでも読んでください)。

一方で、「イカゲーム」は明らかに「人災」というか、「理不尽なことをやってくる主体としての具体的人物」がいますよね。

イカゲームの海外での評判をネットで読んでいると、あの「黒幕としての白人VIPたちの狂瀾」が、「戯画化されすぎていてリアリティがない」みたいな批判をしているのを結構見るんですが(笑)

韓国における「主人公たちのヒロイックな行動」を「完全な善」にするために、「とにかく純粋に悪い奴ら」が必要になってくるんですけど、その本能を極限追求して戯画化するとああいう「白人VIPが下々の者を生死を笑って楽しむ図」みたいな構造になる。

そういう存在は「カイジ」にも一応いるんですが、日本人は「カイジ」の悪役どもも「天災の一部」だと思ってるんですよ(笑)

なんせ実際その悪役たちだけを扱ったスピンオフ漫画とかが人気だし、

「そういう存在が出てきてしまう人間という存在のサガ」自体を「天災」として捉えて、それでもできるだけ社会の中に理不尽が生まれないようにうまくやっていくにはどうしたらいいか?というふうに考えるのが「天災メンタリティの倫理観」

なんですね。

だから、韓国コンテンツでよくある

「どう考えてもとにかく純粋に悪でしかないってやつがとにかくヒドイことをするシーン」

があって、

「普段はちゃらんぽらんで難しいことは言わないが、根っこには正義感が熱く燃えている主人公」

がここぞという感じで

「きさまああああ!それでも人間かあああ!!!」みたいなキレ方をする

みたいなシーンが、「天災メンタリティの倫理観」からすると、結構ビミョーな感じがするんですよね。

思う存分心からやれたらそれなりにカタルシスになるシーンかと思いますが、日本人のマジョリティが「そういう倫理観」をあまり信じてないんで、ただマネしても嘘くさくなりがちなんですよね。

もちろん日本コンテンツにも「似たようなシーン」はいっぱいあるんだけど、そのテイストには微妙だけどかなり決定的な違いがあるんですよね。

説明が難しいその「微妙な違い」を無理して言葉で説明すると、まず日本人はそれぞれなりの人生の事情が対等にあると思っている傾向があるので、「無惨、お前は存在してはいけない生き物だ」とか「クリリンのことかぁー!!!」って断罪していても「それぞれなりの生まれついた生命の本質を生きているのだ」という相対性が存在するという世界観は決して踏み越えないし、”それは踏み越えないけどその上で”「それでもあえて俺はお前を倒す!」を「倫理的上下」"ではない"ところで着地させようとするんですね。

「倫理的上下」が確定すると「倒す」ことが後腐れなく「権利」になるんですが、日本コンテンツふうに「倫理的上下ではないが俺はお前を許さない」は意地というか生命というか魂というか同士の「平等なぶつかりあい」なんで、「倒した」ことの因果を自分が背負う連関が決して切れずに繋がっていく構造になっている。

そこは日本人の美点のコアの部分だし、「日本コンテンツが好きな外国人」はその美点がどういうものなのかかなり精確に理解してくれているようにも思うのですが、一方で「人災メンタリティ」の人から見ると一番許せないと感じるナアナアさでもあるところが難しい問題で。

6●「天災メンタリティの倫理」の重要性を擁護する

なんか最近はグローバルに「人災メンタリティ」で「こいつらがすべて悪い」と名指しにして糾弾すること自体が「善」みたいな倫理観が流行してるので、なかなかこの「天災メンタリティ型の倫理観」が単に「権力者に都合がいい保守派のバックラッシュ的な思考だ」・・・みたいに糾弾されがちですよね。

「韓国好き日本嫌いの左派日本人」みたいなのが、よくネットで韓国人がやるありとあらゆることに向けて「さすが韓国人は正義ってものが何かわかっている!ソレに比べてアベは」みたいな話を延々としているのを見ますけど、たださっきも書いたけど「天災・人災メンタリティ」はどっちも必要な倫理で、片方だけを全面化するとそれはそれで問題なんですよね。

そこは、「日本コンテンツが持っているコアな魅力」を「世界の文脈」と繋いで行くための今後の戦略という意味でも重要なポイントなので、「天災メンタリティの倫理」を擁護するというか、その意義について考えてみたいんですけど。

「イカゲーム」と「今際の国のアリス」を比較すると、イカゲームの主人公たちは、個人レベルでは結構「倫理観ある行動」をしていると思うんですが、「ゲームの構造」自体には結構唯々諾々と従ってる感じなんですよね。

「個人レベルの行動」において、ズルをして他人を蹴落としたとか、そういう事一個一個について「倫理的にどうなのか」という問題意識は凄い鋭敏なんですが、「ゲーム」には唯々諾々と従うしかない構造になっている。

一方で、「今際の国のアリス」の主人公たちは、一貫して「ゲーム自体に抵抗している」というか、明らかに個人戦であるようなゲームを「みんなで協力するゲーム」に変えようと必死になっている。

「馬の仮面の鬼」に追いかけられているシーンでも「みんなの協力関係を呼びかけ」て動こうとするし、「狼と羊のかくれんぼ」みたいな厳しい状況になっても、主人公はまず武器でなく工具を山程揃えて首輪をなんとか外せないか必死になってたしね。

なにより、「ボーシヤ」みたいな存在が出てきて、「単なる個人のサバイバル」じゃなくて、廃墟になった東京中から物資を調達して「普通の人でも楽しく現世を過ごせるビーチ」を作るのだ・・・みたいな事に人生を賭ける人たちが出てくる。

「天災メンタリティにおける倫理」においては、「ボーシヤが作るビーチ」を維持するためなら、個人レベルの一個一個の行動の善悪を云々するのは、「匹夫の勇」ならぬ「匹夫の徳」にすぎない・・・みたいな考え方があるんですよね。

で、そういう観点から見ると、「人災メンタリティの倫理」っていうのが凄い嘘くさく感じるんですよ。

「イカゲーム」の最後で、「ラスボス的な存在」と、「たまたま目についた街の浮浪者が誰かに助けられるかどうかを賭けるゲーム」で対決するシーンが出てくるんですけど、なんかああいう結末で突然

「いい話だなあ・・・やっぱり、人の善性を信じて生きていかなくてはいけませんね!」

みたいな終わり方になるのが、なんかこう「カイジ的世界観」からすると許されざる欺瞞に感じるというか(笑)。

カイジ風に言うと以下のようになる↓

なんだこれ・・・

なんだこれっ!!!

欺瞞っ!!!圧倒的欺瞞っ!!!

こんなのたまたま、ほんとうにたまたま警察官が通りかかっただけじゃないか!!!

まさに運否天賦でしかない!こんな確率の低い特殊な例で、俺の今までの人生の辛さを否定して「良い話」を受け入れろっていうのか???

くそ・・・無理やり「良い話」でまとめようとしやがって!!俺は認めないぞ!!!こんなの!!!

(カイジは一応読んでますがジョジョとかほど深くハマってるわけでもないので、レベル低いマネになってたらすいません)

そういう意味で、「ボーシヤ」さんみたいな存在をみんなで押し上げて、結果できあがる「楽園」の中で、強い人も弱い人も倫理的に正しい人もビミョーな人もそれぞれなりに安楽に暮らせる環境を整える・・・という行為の全体像こそが「善」であり、個人レベルでの小さな倫理にこだわってアレは良いやつでコレは悪いヤツとか言うのはしょうもないことだ・・・っていうのが「天災メンタリティにおける倫理観」なんですよね。

7●「来たるべきグローバルな天災メンタリティ再評価の時代」に向けて日本は準備するべき

「人災メンタリティの嵐」みたいな今のグローバルな風潮に、完全にアテられるのも結構たいへんだというか、だから日本はここ10年ぐらいある程度世界的には引きこもりがちになり、その間韓国さんに「矢面に立っていただいていた」ところはあるなと思っているんですけど。

ただ韓国も今や先進国レベルの繁栄をしはじめると、「全部誰かのせい」にし続けるのもさすがにどうなのよ・・・って感じになってきてますよね。

さっき、「イカゲーム」で突然出てくる白人VIPたちの狂瀾がリアリティがないと批判されがち・・・みたいな話をしましたけど、韓国社会のドラマを見ていて主人公たちに共感していた欧米の人が、突然「お前たちが全ての元凶です」って言われて「はあ?韓国社会の事は自分たちでなんとかしろよ」と思われたという見方もできる。

昔、ある韓国映画を見ていたら、日本統治時代の話で、さっきまでニコヤカに話していた日本軍の将校(韓国人俳優が片言の日本語で演じている)が、なんかバケツで水を運んでいた女の子がちょっと転んで水をかけちゃったとかで激怒して、白昼堂々街の中でズガーン!って何のためらいもなく銃殺した上で、

「(女の子の死体を)カタヅケテオケ!」

って言うシーンが出てきて。(で、”高潔な主人公たち”が”きさまああ人間としてどうなんだあああ””いや、ダメだ、こらえるんだ!”っていう”例のやりとり”をするんですけど)

ひょっとして現代韓国人の多くは日本統治時代を「本当にこういうレベルの統治」だと思っているんじゃないか?と思って、相互理解の難しさに頭を抱えましたけど(笑)

そういう「人災メンタリティで全部を組み上げると過剰に”巨悪”扱いする誰かが必要になる」問題が、極限的にはついてまわるんですよね。

来年3月の韓国大統領選挙の候補者の李在明氏(文在寅氏の後継者とされる与党側の左派の人)が、朝鮮半島が分断されたのも全部アメリカと日本のせいだ・・・みたいな事を言って物議を醸してましたけど、そういうのもさすがに「つきあいきれん」ところが出てくるはずなんですよ。

本来社会を良くするための方法として「糾弾」があったはずが、そういうのは「糾弾」自体が自己目的化してるんで、そういうことばかり続けると、もともと「何も悪いことはしてないぞ!」とは思ってなかった人たちまで「もう知らん!」ってなってくるんで。

以下の記事で書きましたけど、

歴史的に韓国人が一番「ヒドイ体験」をしたのは、プライドの問題としては日本統治時代の方が苦痛だったかもしれませんが、実際の苦労としては朝鮮戦争中が一番酷い体験をしたと思うんですね。

国土の上で全世界の二大勢力の押し合いへし合いが火を吹いて、まるでクルマに轢かれた上でその上を何度も往復されるぐらいの大変な思いをしたと思う。その後の分断も含めて大変な苦労だったとは思う。

でもね、それって「世界的な人類のイデオロギー争いの結果起きたこと」であって、そういうことまで全部「日本が悪い」ってことにされても日本は付き合いきれないですからね。

「日本」に限らず「具体的な誰か」を名指ししてそれを引き受けさせられる存在がいるような問題じゃないんですよ。「みんな」でそういう構造が暴走しないように注意していかないと防止できない。

しかもそれは「繁栄を引き寄せたぶんだけアナログに取るべき責任の量が増えてくる」ような問題なんですよね。

人類社会を「一応はまとめる機能」みたいなのもどこかには必要な中で、先進国サイドはそれなりに現実と格闘して生きてきた事情があるわけで。

だから明らかに発展途上国段階の人が文句を言うのはいいけど、韓国ぐらい先進国サイドに上り詰めた存在は、「同じような責任」を徐々に認識して行動する事が求められるようにもなる。

これは日本における民主党政権との挫折も同じ構造があるんですが、たとえば今の韓国の左派系大統領の系譜をそのまま推し進めたいとなったら、米軍基地を敵視して、米軍との連携を破棄したいということになって、そしたら中国からの圧力をどう考えるのか?という具体的な課題に何らかの答えを出す必要が出てくる。

「米軍がもつ倫理的に小さな悪」を追求していたら、中国という「容赦ない存在」からの介入に抵抗できなくなったらどうする?という課題にぶちあたる。

これ「米軍の不品行を追求するな」という話では全然ないしそれはちゃんとやるべきなんですが、それをちゃんと問題なくやりきるためには、「それが持っていた機能」をどうすれば代替できるのかまでちゃんと考える責任を取っていく必要があるんですね。

そうしないと、余計に「個人レベルの潔癖的倫理性の追求によってみんなのための安全が脅かされる」ジレンマに陥る・・・結果としてそういう「糾弾」自体が「社会安定維持のための切実な事情」からのバックラッシュを受けて頓挫してしまう。

それは大きく言うと「人災メンタリティ」だけを極限化した先に出てくる「天災的要素」というか、主人公が

「きさまあああそれでも人間かあああああ!」

って思う存分叫んでドラマのカタルシスを作るために必要とされる「敵」を常に外注し続けていると、あらゆる人があらゆる立場から自己を主張してどんどん狭くなってくる現代人類社会においては、だんだん持って行き先がなくなってくるんですよね。

世界中の人がアメリカ型に徹底的に「人災メンタリティ」で生きて、「糾弾する先」を探して他責性を暴走させた先に、混乱を抑え込むために中国とかレベルの強権国家が必要となってくる・・・みたいな因果関係をそのままにしているとそれこそ民主主義の危機って話なので。

この「すべてが他責型」のモンスター的なカルチャーの暴走に批判的には欧米の穏健派知識人にもかなりいるんですが、かといって中国みたいに高圧的に意見を抑え込むわけにもいかず・・・というジレンマが人類社会の喫緊の問題になってくる中で。

「個人を圧殺しない、納得の上で成立する天災メンタリティのカルチャー」が再評価される時代は近いうちにやってくると思うので。

内輪で自分たちの「コアな体感としての面白さ」を追求し続けている日本コンテンツの良さを、その「醸し出される自然的な行程」に変に人工物を入れてダメにしてしまったりすることなく、しかし「出来た旨味成分を真空パックして世界に届ける」文脈を用意する高度な戦略性を発揮できる可能性が、この「天災メンタリティの必要性」が人類社会の喫緊の課題になってくる流れの先に見えてくるでしょう。

そしてそういう「マクロな文脈と噛み合わせる」ことができれば、今の日本が少し閉鎖的で個人を抑圧気味になりがちな問題も、無無理に解消していける道がはじめて見えてくる。

「強く閉じて内輪で守っていないと崩壊する日本社会のコアの価値」をソレ以上独力だけで守る必要がなくなるからですね。

それまでは、当分韓国人さんに「アジア人の価値をグローバルに表現する役割」はおまかせしておいてもいいかなという感じもします。

その裏で、ウサギと亀の競争における亀のように「自分たちの価値」をグローバルな文脈と繋がる「新しい世界観」を、国全体で作っていくことが日本の課題という感じですね。

将来的にそれが機能しはじめることは、グローバル資本主義の国際競争に徹底的に国民全体を駆り立てまくる「骨の髄までネオリベ社会」にちょっと最近疲れてきた韓国人にとっても、新しい展開の萌芽として悪いものではない出会いになるはず。

「お互いの長所を冷静に参考にしあえる」関係になればいいですね。

8●相手を理想化したり全否定したりしない「平熱」の新しい日韓関係について

というわけで、ここからは「日韓関係の今後」的な話を考えてみたいんですが。

なんか、昨今、日本で自民党政府がキライな人が韓国を物凄くバラ色に美化する傾向があって、日本語できる韓国人が自国について紹介する何気ないSNSコメントについて、

「さすが韓国は凄いなあ!クズのアベが統治する地獄の日本とは違いますね!」

みたいな事を毎回言う(笑)・・・みたいなのをしょっちゅう見かけて笑っちゃうんですが、韓国人の方もちょっとそれにつられてオカシクなってる人もチラホラいてそこは結構怖いなと思うんですよね。

例えば「実質賃金」において日本より韓国の方が賃金が高くなった、経済的に逆転した!っていうのが、日本における政府批判派の決まり文句みたいになって久しいんですけど。

個人的には日本の賃金は安すぎるし上げていく手を色々打っていくべきだと思っているので、そういう言説が「日本人にとって刺激になる」のはいいんですが、この数字は購買力平価基準(PPP)というちょっと特殊な算出法による事に注意が必要で、普通に為替レート基準で見るとまだ日本の方が結構高いんですよね。(下図17位が日本で25位が韓国で、25%ぐらい違う)

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購買力平価というのは、その国の物価を元に「実質的な購買力」を比較するというコンセプトで作られたもので、物価が安いと高く出る構造になっている。

まあそれで比較するのが「庶民の生活の豊かさ」を測る基準として正しいのだという意見はそれなりに理解できるものの、実はその購買力平価基準で見れば2017年以降既にアメリカより中国の方がGDP総額が大きいことになってしまうというような、結構特殊な世界観であることにも注意が必要で。

実は一人あたりGDPが世界最高クラスだった90年代の日本も、このPPP換算のランキングではあまり高い数字になっていなかったので、なんかこの指標自体が日本では低く出がちな構造があったりするのかなと思っています。

あと、この10年〜20年は韓国にとって経済発展に伴って地価が強烈に上がって、それが庶民の資産を押し上げる効果があったこともたぶんかなり大きい。

韓国の住宅価格指数はこんな感じで、

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2000年ごろの底から3倍近くにもなっていますが、日本の場合、一般社団法人土地総合研究所さんのレポートからまた引きで失礼しますが以下のようになっている。

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つまり、韓国人は2000年ぐらいからマンションなり何なりをただ持っていただけで資産価値が3倍近くになっていて、社会のあちこちにそういう人がいると、それを原資に経済を回す事ができるんですが、日本はバブル期の90年代初頭を頭に、2000年代はほぼ横ばいで、民主党政権の頃が底でちょっとは上がっていますが全体としてはピーク時の半分にもならないところでずっと横ばいだったと言えます。

こういうのは、国の発展段階において「一回だけ使えるブーストロケット」みたいなものなんで、一時期中国人の中に庶民ぽくても凄い金持ちの人がいたのも、大都市に昔から住んでいた集合住宅の値段が急激に上がったからだし、バブル期の日本が凄い金持ちだったのもソレが大きい。

文在寅政権になってからマンションの価格の上がり方が異常なレベルで、それが文在寅氏の支持率を落とす原因になったというニュースも聞くので、そろそろ韓国もこの「一回だけ使えるブーストロケット」が切れてきて、「普通の先進国」として色々やってくる課題に向き合う必要が出てくるんじゃないかと思います。

って何が言いたいかというと、別に「韓国が凄くない」とか「韓国経済は大崩壊する!」とかそういうことではなくてここ20年よく頑張ったね、すごいね、とは思ってるんですが、

なにか日本はクズの自民党が支配しているからあらゆる数字でダメになっていて、韓国は開明的な進歩派が光り輝く統治をしているのでバラ色の世界が広がっている

・・・というような状況では全然ないってことが言いたいわけですね。

特に、以下の記事で書いたように

日本はアベノミクスで「みんなの雇用を守る」ことに凄い真剣になったために平均給与的な数字は高くないんですが(就業者の”母数”がかなり増えたことが平均値の低下に現れている)、失業率は世界最低レベルに貼り付いているし、何より若年層の就職状況がかなり良くなったのが社会の安定化に寄与しているはず。

一方で韓国は相当に自他ともに認めるネオリベ社会で、特に若年層の失業率がかなり酷いらしいという話も聞きます。最近日本の大企業に日本語できる韓国人が結構新卒入社してるのを見ますけど、それはこの「若年層の雇用安定」に社会がどれだけ真剣になっているかの違いだと言える。

今回の韓国大統領選挙も、今の野党の保守派候補を若い人が推していて、文在寅氏の後継の「オールド左翼タイプ」の候補を年齢層が高い人が推している構造があるそうですけど。

韓国政治に詳しくないなりに想像するに、文在寅世代が「日本に勝ったぞ!韓国凄い!」と事あるごとに言う影で、そのトバッチリを受けて就職できずに「ヘル朝鮮」とか「N放世代」とか言われる状態になっている若い世代がそれに怒って対抗しようとしている・・・みたいな構図なのかなと思って見ています。

このへんは、アベノミクスで雇用を守られた日本の若年層が結構明確に自民党支持の傾向があるのと好対照な現象といえるのかも?

そしてこれは、社会全体で「天災メンタリティ」の対処をしているのか、「人災メンタリティ」の対処をしているのか・・・みたいな違いがあると言えるかもしれないですね。

9●全肯定vs全否定の構図になるのは対等に見ていない証拠

日本は高付加価値産業の育成とか国際的な売り込み力みたいな点で韓国を見習うべき点は沢山あると思うけど、「見習ったら良くない点」も結構ありそうで、そのへん冷静に取捨選択できるようになるといいですね。

その「取捨選択」のできない「全否定・全肯定」の押し付けをする勢力がいるので、それで自分たちのコアを破壊されないように徹底的に「いっしょくたに排除!」ってなるムーブメントも置きてしまっていると思うので。

「冷静な取捨選択」ができる平熱の関係になればなるほど、いちいちお互い憎悪するのもバカバカしいよな、という感じになってくるはず。

そしてそれは韓国から見た日本というときにも同じことで、今後若い世代に主導権が移っていけばまた違った見方も彼らに生まれてくると思います。

さっきも書いたけど、「ネオリベすぎて特に若い世代に逃げ場がない」韓国社会に対して「日本らしさ」を多少は参考にすると良い面も、まあなくはないと思うので。(もちろんこれも結局押し付けがましくならずに「韓国の良さ」を消さない配慮をしながらならば!ってことなんですけどね。)

なんかコロナ関係でもそうなんですが、日韓が関わるとこういう「どっちかが最高でどっちかが最悪」みたいな極端な話で大騒ぎをする人たちがいるのが、今の日韓関係のバカバカしいところで。

コロナで見ても欧米も含めた比較で見れば日韓は「誤差」ってぐらいに優秀な方なんで、いちいち「どっちかが最高でどっちかが最悪」という騒ぎ方になる時点で頭がおかしいんですよね。

「どっちかが上」にこだわるのは相手のことを対等の存在と認めていない証拠、みたいなところがあるので、「韓国に負けてるんだぞ!」って騒いで自民党を批判する日本の左派が一番韓国をナメてるんじゃないかといつも思うんですが(笑)

韓国で文在寅型の「オールド左翼タイプ」の世代が若い世代に取って代わられる時代になり、日本でも「ありとあらゆることが権力闘争に見える病気」の世代から主導権を中堅世代に移譲する動きが進めば、今とは全然違った感じの

「平熱にお互いの良いところも悪いところも理解できる日韓関係」

は見えてくると思っています

そうなれば、

「相手国のこういう良いところは見習いましょう」

「でもこういう部分は良くない(あるいは自分たちには合わない)ので距離を置きましょう」

という冷静な関係が持てるようになるといいですね。

日韓関係に限らずですけど、あらゆる党派に引きこもって「敵」を攻撃するだけで誰も問題解決のための地道な行動を取らない現代人類社会の闇…を超えていくための方法について、クライアントの中小企業で平均給与を10年で150万円引き上げられた話から、社会全体の大きな課題についての議論の方法まで踏み込んでまとめた以下の本が出ました!ぜひ手にとっていただければと思います。

日本人のための議論と対話の教科書

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10●さいごに

今回記事の無料部分はここまでです。長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここ以降は少し別の観点から、「日本コンテンツの国際化」の事例として「ジョジョのアニメ」を考えてみたいんですけど。

ネットフリックスでは12月1日に「ジョジョ第6部」のアニメが公開されるんですけど、You TubeのPVのコメント欄見たら英語コメントばっかりなんですよね。最近海外のジョジョファン増えたなって思ってたけどこんな事になってるとは思ってもいなかった。

6部ってもともと結構マニアックな話なんで、10年前ぐらいまでの印象としては、人気のある3部まではアニメ化できても、6部ストーンオーシャンまでアニメ化されるなんて考えられなかった感じでした。結構人気ある5部が数年前に凄いクオリティでアニメ化された後も、個人的には「6部は人気ないから無理だろうなあ」って思ってたぐらいなんで。

個人的には7部スティール・ボール・ランがジョジョの中で一番好きなんで、6部もアニメ化されたってことは、7部もアニメ化されるってことだろうからそれが凄い嬉しい・・・と思っています。

でも、ジョジョのアニメって、一番最初にできた2007年の劇場アニメ映画版は本当に死ぬほどサイテーな出来だったんですよね。渋谷で見たんですけど、あまりのサイテーさに怒りにまかせて夜歩いてたら駅と違う方向に行っちゃって迷子になった記憶があるほどで。

なんかこう、「ジョジョが持っている世界観」を表現するためのテクニックが全然未発達で、凄く「よくあるアメリカンに大雑把な文脈」に無理やりあわせた感じで、全然「ジョジョの良さ」がなくてカスカスの出来だった。

でもその後はじまったアニメシリーズは超いい出来で、それで漫画版を敬遠してた日本人にも、世界中のアニメファンにも伝わっていく結果に繋がった。

この「最初最悪の出来だったアニメが急激に良くなった理由」と、非常にマニアックな漫画として日本国内でもマイナーな存在だったジョジョが、今や新作PVに世界中からコメントが来るまでになった「変化」って、結構考えてみる価値があると思うんですね。

それは「テクニック」的な部分でもあるんですが、「作品の世界観のコアがどこにあるのか」っていう構造をちゃんと関係者全員が共有できるようになってきた事も大きいと思っていて。

以前、韓国コンテンツは「一人の男を文句なくかっこよい存在に持ち上げるために、ダメ男扱いする男が何十人と必要になる構造になっていて、そういうのはサステナブルじゃないから超えていきたい」という話をしたんですけど↓。

「イカゲーム」でも、主人公と、幼馴染のエリート、チョ・サンウ氏は決して並び立たない感じで片方が死んじゃう構造になっちゃってるんですよね。

韓国コンテンツは「そういう構造」にすることで、「ひとりの男」を「善」にするんですが、でも日本コンテンツは「その構造」をなんとか超えたいと思っていて、そこの悪戦苦闘ゆえに「今は突き抜けきれない」感じになっちゃってるんですよね。

以下では、そういうところで、「ジョジョが持っている可能性」はどういうところにあるのか、それを日本社会全体でより深く体現していくために必要なことはどういうことなのか?についての考察を書きます。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。また、結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者はお読みいただけます。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

また、倉本圭造の最新刊「日本人のための議論と対話の教科書」もよろしくお願いします。以下のページで試し読みできます。

ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

さらに、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。(マガジン購読者はこれも一冊まるごとお読みいただけます)

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