「その13」からの続きです。
以下、レポートの中から違和感であるとか疑問を覚えた原因となった箇所を挙げ、そこへのコメントを付するという形で進めてみます。
いくつかについては5年前の記事でも少し触れてはいるのですが、今回はすべてを言葉にして並べてみたいと。
● 遺体発見現場となった造林小屋の位置が間違っている件
197ページ上段、遺体発見現場となった造林小屋の位置について、
「(横河駅方面から北上していき)霧積ダムをすぎ長野新幹線の安中榛名・軽井沢間の鉄橋下を通過して八〇〇メートルほど進むと、まもなく殺害現場となった小屋のあった場所に着いた(原文ママ)」
とあります。ライター氏はその造林小屋の位置として、190ページ上段に掲載された次の図においてバツ印(X)で示されているのですが(赤い枠は当方による補足)、
実際に小屋があった位置は、上の図中でいえばピンク●の箇所であり(この●は当方が記したもの)、ご覧のとおり、それは北陸新幹線の安中榛名・軽井沢間の鉄橋下から南側へ約650mの地点であって、ライター氏が「小屋があった場所」として示している「X」の位置からは約1.5km南に離れた、新幹線の鉄橋を挟んで正反対の位置となります。
5年前の画像を再掲させていただきますと、造林小屋(遺体発見現場)の位置は次の通りです。
実はこの造林小屋(遺体発見現場)の位置について、ライター氏は186ページ下段でも触れられていまして、そこには、
「(造林小屋の位置は)県道がちょうど国道十八号線と分岐する碓氷峠カーブより七キロほど手前の地点(原文ママ)」
とあります(わかりにくい描写ですが、要するに「県道56号線がちょうど国道18号線と分岐する碓氷峠カーブより7キロほど霧積温泉側に北上した地点」という意味)。
しかし、「県道56号線がちょうど国道18号線と分岐する碓氷峠カーブ」からその造林小屋があった地点までの距離をグーグルで計測してみると、道路距離5.2km、直線距離だと4kmであって、いずれにしてもレポートの記述とはかなりの差異があります。
非常に重要な場所(遺体発見現場)である造林小屋の位置に関するこれらの間違いは、実際に現場取材をされた上での描写にしては大きな間違いであるように感じられたと。
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● 「金洞の滝」の位置が間違っている件
205ページ、ライター氏がいわゆる「最後の5コマ」の撮影ポイントの一つになったとされている「金洞の滝」の位置を下の図(1枚目)で示されているのですが、それも実際の「金洞の滝」の位置とは全く違います。(実際の位置はピンク〇の地点。〇は当方が記したもの。)
5年前に掲載していた画像でも「金洞の滝」の位置を示してあるので、確認いただければと。
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● いくつかの現場写真が他人による撮影である件
185ページ上段「金湯館の遠景写真」や、
191ページ上段「最後の5コマのうち、最初の2コマの撮影ポイントとなった水車の写真」、
199ページ上段「ほいほい坂の入り口の道標の写真」について、
なぜかライター氏(K氏)本人による取材時の撮影ではなく、「1989年当時、撮影は大木康弘」となっています。
つまり少なくともこれら3つの写真については、ライター氏が現地取材を行った時(記事の内容からして取材時期は2003年の盛夏と思われる)の自己撮影分ではなく、なぜか「その約14年前(1989年)の他人による撮影分」だということで、
このことに加えて、先述の通り、「遺体発見現場となった造林小屋の位置」や「金洞の滝の位置」など、重要地点の位置について明らかな誤りがあるということで、
「まさか、実際には現地取材に行かれていないのでは?」
という疑念も、正直なところ当時感じてしまっていました。(今現在の感想としては、レポート内容からして実際に現地に行かれているとは思うのですが・・・)
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● 石田某が上毛新聞に電話してきた日時が間違っている件
192ページ下段、「忍の池前でKさん(被害女性)に頼まれカメラのシャッターを押したという石田某が上毛新聞に電話をかけてきた日時」について、
「(石田からの)電話が入ったのは、八月二〇日のことである(原文ママ)」
とあります。しかし石田某が電話を掛けてきた実際の日時は、上毛新聞(1972年8月20日付)によると「8月19日の夜8時半ごろ」となっています。(下の画像、青線の部分)
レポートの内容からしてライター氏が明らかに参照されたと思われる上毛新聞の記事にそう明記されているにも関わらず、なぜこうした日時の改変がなされているのかと、こうしたあたりも、「書かれてあることを一体どこまで信じていいのか?」という思いにつながったかと。
(単なる見間違えかとも思ったのですが、しかし、「一九日(19日)」と「二〇日(20日)」では字面からして全く違い、これを見間違えるのは考えにくいのかなと。)
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● 石田某の住所が上毛新聞記載のそれから変えられている件
192ページ下段、上毛新聞(8月20日付)が載せている石田某の住所「世田谷区下北沢(住所としては非実在)」が、
ライター氏によるレポートではなぜか「世田谷区北沢(住所として実在)」に変わっています。(一つ前の画像、ピンク線の部分)
石田某が実在の住所を言ったか非実在の住所を言ったかは適当に扱ってよい部分ではないと思うのですが、なぜこうした改変がなされているのか、
その意図についてはここでは詮索しないとしても、レポート全体の正確性・信頼性といったものに対して、どうしても身構えざるを得なくなってくると。
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● 石田某がカメラのシャッターを押した回数が上毛新聞記載のそれから変えられている件
193ページ上段、石田某が「忍の池」前でKさん(被害女性)に頼まれてカメラのシャッターを押した回数について、ライター氏は、
「一回だけシャッターを切ってあげた(原文ママ)」
とされていますが、元ネタの上毛新聞(8月20日付)では、「二回シャッターを切ったという(新聞記事の原文ママ)」となっています。(下の画像の緑枠の部分)
石田某が「忍の池」前でKさんに撮影を頼まれシャッターを押すくだりのライター氏の記述は、その内容からして明らかに8月20日付の上毛新聞の記事をなぞりながら書かれたものと思われるのですが、
なぜか、石田某がシャッターを押した回数の箇所だけ、上毛新聞の記事とは内容が変えられているわけです。
上毛新聞の記事にはない「だけ」という言葉をあえて付け加えて「一回」と強調されている点からして、単に記事原文の「二回」という部分を「一回」と見間違えたとか、レポートを執筆される際にうっかり(タイプミスなど)書き間違えたものとは思えず、明らかに、なにかしらの明確な意図のもとに「一回」とされたのだと想像します。
なぜそうされたのか?と。
もし仮に、ライター氏が独自取材により、確かな情報源から
「上毛新聞は8月20日付の記事で石田某がシャッターを押した回数について『二回』と報じているが、実はあれは間違いで、シャッターを押した回数は『一回』が正しいのだ」
という情報を得られたのであれば(それ自体はあり得るかと)、レポートの中で、
「上毛新聞は『二回』と言っていたが、私の得た確かな情報源によれば『一回』が正解とのことだ」
と、その旨記載されるのが自然ではないかと思うのですが、レポート中にそうした記述は一切出てきません。
ちなみに当時の上毛新聞の記事<フォント>を見る限り、ライター氏が「一」と「二」をうっかり間違えて読んだということは考えにくく、明確に意識されたうえで「一回だけ」とされたのだと思います。
(下の画像は該当部分を拡大したもの)
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● 石田某がシャッターを押すくだりで、上毛新聞にない記述が書き加えられている件
193ページ上段、Kさんに頼まれてカメラのシャッターを押したという石田某の証言として、
「(シャッターを押してあげた後は)すぐにまた釣りを始めたので、その後女性がどちらの方へ向かったかは見ていないという(原文ママ)」
とあるのですが、このくだりは上毛新聞(8月20日付)の記事原文には存在しません。
石田某が上毛新聞に電話連絡してきたのは「8月19日夜8時半ごろ」の一度きりであり、その一度きりの電話連絡時に石田が語った内容が翌日の上毛新聞(8月20日付)に掲載され、
明らかにその20日付の上毛新聞の記事内容をなぞる形でライター氏はレポートの該当部分を書かれているのですが(お手元にレポートがある方は確認いただければと)、なぜか先述のように、上毛新聞の記事中にはない描写が書き加えられていると。
とするとこの部分は、ついつい筆(タイプを打つ指?)の勢いというか、想像の赴くままにそう描写されたのだろうか?とも思ってしまうのですが、
実は186ページ下段にも「想像?」と思われる描写がありまして、そこでは遺体発見時(1972年8月16日16時半ごろ)に造林小屋付近を飛び回っていたハエの状況について、
「付近には前日にも増してハエがうるさく飛んでいた(原文ママ)」
とあるわけです。
レポートを読めばわかるのですが、遺体発見前日の造林小屋付近のハエの群がり具合の正確な状況など分かりようがないのに、なぜ
「前日にも増してハエがうるさく飛んでいた」
と、あたかも遺体発見前日と遺体発見当日のハエの群がり具合を実際に観察・比較されたかのような表現が(「想像だが」とか「おそらく」とか「と思われる」とかいった断りなしに)記述されているのか、
細かいことをグジグジと・・・と思われるかもしれませんが、自分にとっては、確実に想像で書かれていると思われるこうした記述の存在が、レポートの他の部分にもそうしたことがあり得るのかなと身構えてしまう原因の一つにはなったのかなと。
(その15へ続く)
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