戦後80年の夏、広島の名門・広陵高校が2回戦を前に甲子園出場を辞退するという決断を下した。部内で起きた「いじめ・暴力行為」が、SNSで拡散して騒動が過熱したためだ。
この出来事は、名門の伝統を重んじてきた高校野球界に波紋を広げ、教育やスポーツの在り方を改めて問い直すものとなった。
巨人で活躍し、ヤクルトや西武を率いた名将・広岡達朗さん(93)は、どう受け止めているのか。自らの野球人生、そして被爆地・広島での少年時代を重ねながら語った。(望月衣塑子)
◆高野連や主催者の甘さを批判
「広陵高校野球部内の暴力問題」について読む
広陵高校によると、2025年1月、寮で禁止されていた行為をした当時1年生の野球部員1人に対し、上級生部員4人が個別に暴力を伴う不適切な行為をした。3月上旬に日本高校野球連盟から厳重注意と該当部員が1カ月間、公式戦に出場できない指導を受けた。
SNSではさらに悪質性が高く、加害部員数も多いとする情報が拡散。さらに2年前に野球部の元部員が監督やコーチ、一部の部員から暴力や暴言を受けたという別の情報も投稿され、拡散した。広陵高校は8月7日の1回戦に勝利後、見解を発表。昨年3月に元部員から被害申告を受けて2度にわたり調査したが、指摘事項は確認できず、外部の弁護士などで作る第三者委員会で調査を進めていると明かした。
「一度決まった甲子園出場を取り消されるのは、あまりにも生徒がかわいそうだ」
そう率直に語る広岡さんは、いじめを容認するつもりはまったくない。
「本来なら高野連や主催者が事前にきちんとチェックすべきだった。ネットの批判が出るとすぐ学校が辞退を決めるのはおかしい」。制度と姿勢の甘さを批判した。
広岡さんは広陵出身と誤解されることも多いが、実際は呉三津田高校の出身。高校3年の夏、西中国大会の決勝で柳井高校に敗れ、自身の悪送球も響き甲子園出場は果たせなかった。
◆奪われた青春…「勉強やスポーツができるのは夢のよう」
それでも「甲子園を目指す過程こそが人を育てる」との信念は揺らがない。夢を絶たれた悔しさも含めて「野球があったから人生を生き抜けた」と語る。
広岡さんの言葉の底には、広島での過酷な少年時代の記憶がある。
原爆投下の後、空から降った黒い雨が腕に当たり、...
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