霧が包む静寂な山奥に、その一軒宿はある。群馬県安中市松井田町坂本の霧積温泉。歴史を振り返ると、台風など数々の自然災害を乗り越え、湯を守ってきた。そこには、自然と共にたくましく生きる人々の姿があった。

山奥にある一軒宿「霧積温泉 金湯館」

  長野県境近くの深い渓谷にひっそりとたたずむ「霧積温泉 金湯館(きんとうかん)」は、1884(明治17)年に創業した。当時、旅館や別荘など40軒以上が並ぶ人気の避暑地だった同温泉。だが、1910年に大規模な山津波が発生し、高台にあった金湯館だけが残った。

 同館は、47年のカスリーン台風でも甚大な被害を逃れた「奇跡の宿」でもある。現在は4代目の佐藤淳さん(52)、妻で女将(おかみ)の知美さん、大女将のみどりさん(87)の家族3人で営んでおり、淳さんは「山の中にある古びた宿だが、お客さんの『ずっと残してほしい』という声に励まされ、続けられている」と前を向く。

金湯館を営む(左から)4代目の佐藤淳さん、大女将のみどりさん、女将の知美さん。苦労は絶えないが、「ここが居場所」と話す

 夏の豪雨や台風、冬の積雪。そうした自然災害に襲われるたび、道をふさいだ土砂や木々を家族で除去し、一軒宿を守ってきた。2019年10月には、台風19号で旅館につながる唯一の県道が通行止めに。険しい山道を歩ける客しか来ることができず、客数は例年の10分の1ほどに減った。

ややぬるめの金湯館の温泉。疲労回復や神経痛に効果があるとされ、長時間入っていられる

 それでも、20年2月に復旧するまで休館にはせず、宿の灯はともし続けた。合言葉は「どうにかなる」。知美さんは「大変だが、どうにかならなかったことはないって、言い聞かせています」とほほ笑む。

 伊藤博文が明治憲法の草案を練ったと伝わる1号室は、特に人気が高いという。黒光りするケヤキの梁(はり)、低い天井。窓がないため、昼でもほの暗い。当時と変わらぬ部屋の姿を眺めると、近代日本の夜明けの一幕が浮かび上がる。

本館2階の1号室。伊藤博文が泊まり、明治憲法が草案されたと伝わる

 金湯館を一躍有名にしたのが、森村誠一さんの推理小説「人間の証明」だ。7月に死去した森村さんは、学生時代に宿でもらった弁当の包み紙に書かれた西条八十の詩「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」に感銘し、同小説を書き下ろしたとされる。交流のあったみどりさんは「静かな方だった。名前を広めてもらって感謝の気持ちでいっぱい」と振り返る。

今も使っているという弁当の紙。西条の詩に感銘を受けた森村は、霧積温泉を舞台とした「人間の証明」を執筆した

 山奥の豊かな自然と、その静けさ、そして自然と生きる家族のおもてなしが長年、金湯館を訪れる客を癒やしてきた。湯に漬かりながら、自らと向き合い、ゆったりとした時間を味わいたい。

文豪が愛した群馬県内の名湯

 金湯館だけでなく、県内の温泉地は多くの文豪に愛されてきた。

 不朽の名作「人間失格」を生んだ太宰治(1909~1948年)は、谷川温泉(みなかみ町)にある旅館たにがわに宿泊したと伝わる。

 太宰は36年8月、病気療養のために訪れ、人間失格のきっかけになった「創世記」を執筆した。同旅館には、太宰のミニギャラリーがあるほか、夕食時に小説をモチーフにしたカクテルを提供。今もファンや文学愛好家の人気を集める。

 小説「不如帰」で知られる明治の文豪、徳冨蘆花(1868~1927年)は、伊香保温泉(渋川市)と石段街に引かれ、その魅力を全国に広めた。伊香保には10回ほど訪れ、千明仁泉亭の離れを定宿としていたという。

 旧伊香保町は、蘆花臨終の部屋の寄贈を受けて移築・増改築し、記念文学館として1989年にオープンしている。

 「いい湯だな」は今回で終わります。