「25年前、街中で響いた“ウー!ハー!”を覚えてる?」
2000年の幕開け。世紀が変わったばかりの日本の街には、新しい時代が始まったことを祝うような高揚感が漂っていた。交差点には眩いネオンサインが輝き、CDショップには最新のシングルが山積みになっていた。
深夜のカラオケボックスでは、学生や社会人が仲間と肩を並べ、夜が明けるまでマイクを離さなかった。そんな熱気の真ん中に飛び込んできたのが、挑発的でコミカル、そして何より強烈な中毒性を持つ1曲だった。
モーニング娘。『恋のダンスサイト』(作詞・作曲:つんく)——2000年1月26日発売
街を席巻した“セクシービーム”の魔力
『恋のダンスサイト』は、モーニング娘。にとって8枚目のシングル。石黒彩が卒業し、新たに7人体制となって初めての作品であった。そんな節目に放たれた楽曲は、従来のアイドルソングの枠を大きく飛び越えた存在感を放つ。
矢口真里が放つ「セクシービーム!」という決め台詞は、瞬く間に子どもたちの遊びや学校での会話に広がり、テレビ番組やバラエティでも真似をされるほどに流行した。
そして「ウー!ハー!」の掛け声は、往年のディスコナンバー『ジンギスカン』を思わせる懐かしさを持ちながら、2000年代頭のヒット曲としての新しさをも兼ね備えていた。正拳突きを思わせる大胆な振り付けも強烈で、誰もが自然に体を動かしてしまうようなインパクトを持っていた。
アイドルファンだけでなく、普段あまり音楽に触れない人までもが巻き込まれる社会的な盛り上がりを見せたのだ。
生演奏が鳴らした“2000年ビート”
編曲を担当したのは、前作『LOVEマシーン』でもタッグを組んだダンス☆マン。ディスコやファンクの要素を巧みに取り入れた彼のアレンジは、この曲でも炸裂している。
生演奏を担ったのは、ザ・バンドマン。骨太なリズム隊のグルーヴに、ギターやキーボードのフレーズが絶妙に絡み合い、デジタルサウンドが主流になりつつあった当時のシーンに一石を投じた。
ちなみにザ・バンドマンのリーダーであるD.J.ICHIROは、ラジオDJとして人気のピストン西沢。声でリスナーを魅了する彼が、裏方で楽曲を支えていたというエピソードも、作品に一層の奥行きを与えている。
さらにこの曲では、矢口真里・市井紗耶香・保田圭の3人によるホイッスル・レコーディングも行われた。メンバーが実際に楽器演奏に参加するのはこれが初めてであった。音楽的な厚みと遊び心を同時に追求した制作スタイルは、「ただ歌って踊るだけでは終わらない」というモーニング娘。の挑戦を象徴するものだった。
ミリオンを突破した“怪物ソング”
『恋のダンスサイト』は発売と同時にランキングを駆け上がり、最終的には累計で120万枚を超えるセールスを記録。前作『LOVEマシーン』で社会現象を巻き起こした勢いを、そのまま次の世紀に持ち込んだ形となった。
アイドルのシングルでミリオンヒットを達成するのは容易なことではなく、この数字がいかに異例だったかは当時の音楽シーンを知る人なら誰もが頷けるはずだ。
歌番組で披露されるたびに、観客は一緒に掛け声を叫び、コンサートでは会場全体が振り付けをそろえて踊る光景が広がった。お茶の間でもライブ会場でも、同じ熱気が同時に共有されていたことこそ、この曲が持つ最大の証拠だった。
笑いと艶が交差するサウンド
『恋のダンスサイト』の魅力は、セクシーさとコミカルさを大胆に融合させた点にある。矢口真里の決め台詞に笑いながらも、バックには本格的なサウンドが鳴り響く。軽妙な仕掛けと緻密な音楽性が同居しているからこそ、単なるネタ曲で終わらず、むしろ何度聴いてもクセになる深みを生んだのだ。
2000年という節目の年に、この曲は「音楽は楽しくていい」というメッセージを全世代に投げかけていた。まさに目前にある新世紀を踊りながら迎えるにふさわしい1曲だった。
今なお響く“祝祭の余韻”
あれから25年。『恋のダンスサイト』を耳にすれば、「セクシービーム!」や「ウー!ハー!」というフレーズが鮮やかによみがえる。
奇抜でありながら普遍性を持ち、時代を超えて語り継がれる一曲。『恋のダンスサイト』は、今もなお“2000年を象徴する祝祭のサウンド”として輝き続けている。
※この記事は執筆時点の情報に基づいています。